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高祖母は養蚕学校を出ていて
台湾の産業を育てるため総督府と話し合い
首切りの習慣があったり日本人を敵視する生蕃を従わせるのは難しいが
比較的大人しい鳥来の人々に養蚕を教えることに
鳥来の人々は感謝して、
旅館の皆は親戚だとあちこちに嬉しそうに言っていたそうです
年に二回果物などたくさん届け物をしてくれました
台湾人はある日商売人になる
普通の人が突然豚まん屋やお茶屋になる
たくましいと祖母は関心していました
蚊帳や布団は一年に一回総出で縫い直しをします
ある日ミシンが壊れて
それからはお客さんがフィリピンで買ってきてくれた
アメリカ製ミシンでじゃんじゃん縫っていました
引き揚げ後上の部分だけ持ち帰ったミシンを
使えるようにするため百貨店に見せると
使い込んでいて走りが違う
こんなミシンはそう無いと絶賛されたとか
曽祖父が旅館組合の組合長をしていた頃は
会合という宴会に呼ばれることが多かったのですが
曽祖父はお酒に弱く飲むとゆでだこになってしまう
それでも飲めと言われ断れず口をつけただけで
真っ赤になって帰ってくると
曾祖母に叱られたそうです
ひいおじいちゃんかわいそう