【映画】 KANO 【嘉義農林学校野球部】at TAIWAN
【映画】 KANO 【嘉義農林学校野球部】 - 暇つぶし2ch183:美麗島の名無桑
13/11/18 21:50:55.02 .net
日本人男性、司馬遼太郎氏との約束守るため訪台/台湾・嘉義
【社会】 2013/11/18 17:46

(嘉義 18日 中央社)日本統治時代の1931(昭和6)年から1936(昭和11)年にかけて甲子園野球大会に5回出場、準優勝に輝き、当時「天下の嘉農」と称えられた嘉義農林学校(現在の嘉義大学)を元朝日新聞社役員の永山義高さん(74)が17日訪れ、
「KANO」の文字が入った服を着てグラウンドを走った。
嘉農野球部への敬意を表し、友人で作家の故・司馬遼太郎氏との約束を果たすためだ。

永山さん(=写真左)は以前、週刊朝日で編集長を務めていたが、1993年1月、司馬氏とともに嘉義を訪れ、嘉農野球部の名選手、陳耕元(1958年没)について取材した。
陳選手は台東の原住民プユマ族の出身で日本名は上松耕一。嘉義出身の女性、
蔡昭昭さんと結婚した彼の物語は司馬氏によって「千金の小姐」にまとめられ、著書「台湾紀行」に収められている。

取材の後、2人は小雨が交じり寒風吹きすさぶ中、長袖を脱ぎ捨て嘉農のグラウンドをジョギング。かつての野球部員の猛特訓に思いを馳せ、将来再び2人で嘉農で走ろうと約束した。司馬氏は1996年2月に没したが、
永山さんは司馬氏との約束を忘れることなく98年の年末に嘉義を再訪問、5年前の約束を果たすべく嘉農の野球部員らとともに運動場を走った。

それから更に15年。永山さんは再び嘉義を訪れ、きのう嘉義大学の邱義源学長(中央)、嘉義大学校友総会の蔡武璋栄誉理事長(右)と一緒に、「KANO」と書かれた半袖に野球帽のいでたちでグラウンドを2周、20年前共に走った司馬遼太郎氏をしのんだ。

永山さんは台湾生まれの日本人、いわゆる「湾生」で終戦後日本に引き揚げた時は6歳だった。今回永山さん夫婦とともに嘉義を訪れた友人6人のうち1人も「湾生」。みんな嘉義が大好きで全員そろっての台湾訪問となったという。

嘉義農林野球部の活躍の様子を描いた魏徳聖(ウェイ・ダーション)プロデュースの映画「KANO」は来年2月に台湾で上映される予定。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch