06/04/08 19:43:42 .net
カードのつかい方についてはつぎのスレがある
スレリンク(stationery板)l50
情報カードについて語るスレ
梅棹忠夫はナマナマしい政治性をともなうようによめる記述や主張を、
意図的にかどうかはよくわからないが、あまりしない。しかし、それは、
そういう意見や考えが梅棹にないからなのではなくて、じつは、
心のいちばん奥底にあるのはそうしたナマナマしい政治性のある思想だろうとおもう。
その核芯にいろんな衣をまとわせて、ジカには見にくくなっているだけだろうとおもう。
ローマ字論やカナモジ論にもそのことはあてはまるとおもう。
梅棹忠夫はローマ字論者やカナモジ論者というより、
その本質は「漢字廃止論者」だろうとおもう。そして、
その漢字廃止論者としての梅棹忠夫の心の奥底にあるものは、
文明論とか国語国字論とかよりも、「民主主義」の問題なのではないか。
いわば「情報の民主主義」の問題であり、かみくだいて云えば、
「情報が一部の支配者どもに独占・寡占されることへの反逆」
という意味での情報の民主主義の問題である。
「漢字」という存在に強烈にイヤなおもいをさせられつづけ、
いやしがたい劣等感やコンプレックスを同胞のあいだに生みだしつづけているありさまが、
梅棹には心底から気のどくなのではないか。
梅棹忠夫本人は、小学校にはいるまえにすでに数百の漢字をしっていたそうだし、
漢字でこまらされたり、劣等感をうえつけられたことなどは、
その生涯にほとんどなかったにちがいない。そのような梅棹がああいう主張をもちつづけるのは、
心の奥底に上述のような理由があるからとしかおもえないのだが……
なお、梅棹の学はほとんどどれでも、一貫してその種の視点でよみとっていっても、
大すじの部分では矛盾をきたさないようにオレにはよめる。