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発達障碍という名称によって他者を区別してしまうことは、マイナスイメージ(負の
意識)を当事者に与えてしまいます。
人間が「負の意識」をもってしまう(もたされてしまう)と、どうなるでしょうか?
自己客観化という高度な意識作用が不可能となり、ゾンビ化してしまいます。
【倫理学的ゾンビの定義】
人間らしい倫理性を形成している対面的自己への媒介が、その特殊な(共通点のな
い)組織的配列の結果失われ、短絡的な外部反応によってのみ行動するに至る人体の
総称。
発達障碍というのは、ただの主観的言語です。
「発達障碍になるのはイヤだ」
「発達障碍にだけはなりたくない」
「発達障碍は悲惨だよね」
という主観性を孕んだ表現であるに過ぎないのです。
客観的には、それは「赤色」に対する「薄緑」、「黄色」に対する「青紫」のような
ものであり単なる「ものの特徴」でしかありません。
多くの健常者と呼ばれる偽善者は、発達障碍者を理解するフリをして、彼(彼女)ら
を檻の中に閉じ込めてしまおうとしているようです。
ゾンビのレッテルを貼り付け、それらに一定の居住スペースを与えようとしているだ
けなのです。
彼(彼女)らに求められる〝意識〟は、取りも直さず、われわれにも求められている
〝意識〟でもあります。その〝意識〟とは、ゾンビを人間化できる唯一のワクチンで
あり、それに気付かない者は、誰であろうが(赤色の人間であろうが薄緑の人間であ
ろうが)すべて「ゾンビ」なのです。