18/08/25 23:27:18.23 .net
> 男性被害者がMeTooと、自らの性的被害を主張することに意味があるとみなされれば、
> MeToo運動はフェミニズムのご都合主義的な考え方を脱しうる。
> 性別などにかかわらず、すべての人を包摂した「まっとうなMeToo運動」の萌芽を、
> 僕は今回の件に見るのである
ココがこの人の主張の「肝」なのでしょうが、そもそもこの点についてもまだ「仮定」でしかないような?
いわゆる「フェミニズム」運動に関わってきた人達の大半は、これまで何十年も、
「差別されているのは女性!」「抑圧された被害者は常に女性!」という偏った思考、
ご都合主義的な考えを全く脱することがきませんでした。
今のいわゆるMetoo運動においても、その点を卒業しているような形跡は、
少なくとも現状ほとんど見らません。
(日本の)Metoo運動においては、被害者女性とされる側と
加害者男性とされる側の言い分に食い違いがあった場合、
「司法判断によらず、被害者女性?の主張だけを一方的に真実と決めつけ、
加害者男性?の主張を問答無用で嘘と決めつける」判断、
その決めつけに基づき正義?の名の下にネット民達が加害者?側を徹底的にバッシングする、
独りよがりの魔女狩り的人民裁判的スタイルこそが「最大の特徴」でした。
日本の伊藤詩織氏の件などはまさにその典型例です。
今回の「女性が過去に年下の男性俳優に性的暴行を行っていた」件でも、
被害者男性と加害者女性の言い分には食い違いがあります。
当然、「司法判断によらず、被害者男性の主張だけを一方的に真実と決めつけ、
加害者女性の主張を問答無用で嘘と決めつける」判断、
その決めつけに基づき正義?の名の下にネット民達が加害者?側を徹底的にバッシングする、
独りよがりの魔女狩り的人民裁判的スタイルが発揮されなければ、
「性別によらない運動」「男女平等」とは言えません。
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