理論社会学・社会学理論・社会理論at SOCIOLOGY
理論社会学・社会学理論・社会理論 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@社会人
11/11/13 12:03:05.23 .net
>>1なんか分析するんですか?

3:名無しさん@社会人
11/11/14 10:33:47.97 .net
構造機能主義って最近どうなってんの?

4:名無しさん@社会人
11/11/14 17:19:05.18 .net
>>3
前提が狂ってきて衰退しているという意見がありました。

5:名無しさん@社会人
11/11/25 10:51:07.81 .net
ルーマンの社会システム理論ってなんか成果上げてるの?

6:名無しさん@社会人
11/11/28 10:22:34.99 .net
まったくあげてません

7:名無しさん@社会人
11/11/28 17:43:00.37 .net
パーソンズとルーマンだけが理論社会学だろうか

8:名無しさん@社会人
11/12/02 10:55:21.49 .net
分厚い本を書けば大家だと思われる社会学

9:名無しさん@社会人
11/12/02 14:23:09.75 .net
薄い本だと同人作家になっちゃうだろ

10:名無しさん@社会人
11/12/02 23:06:42.92 .net
ルーマンの2巻本は10ページで書ける内容

11:名無しさん@社会人
12/01/07 09:37:10.90 .net
意味学派って最近どうよ?

12:名無しさん@社会人
12/01/07 14:48:14.18 .net
全部根拠のない「社会哲学」だよな。あるのpは「イズム」だけ。
根拠になるデータなし。
社会学はデュルケム、ウエーバーの時代から進歩なし。

13:名無しさん@社会人
12/01/07 18:56:26.89 .net
社会哲学や社会随想を書いて博士号がもらえる日本の社会学界

14:名無しさん@社会人
12/01/16 12:19:09.91 .net
O澤さんのことですか?

15:名無しさん@社会人
12/02/05 18:37:56.86 .net
教育には二つの役割がある。ひとつは、勝者の後継者育成である。
そしてもうひとつは、エスタブリッシュメントに従うものの育成である。
前者はクリエーティブな人材を求め、後者は非クリエーティブな人材を
理想とする。
教育とは、もっともハードルの高い事業である。
にもかかわらず、そこいらの街のオヤジごときが
平気で、我が物顔で、全能感を持って語ることが多い。
自らの教育もイマイチなものが、何を人に授けられるというのか!?
バカげている。
教育とは、自分自身を律してこそ、初めて語れる分野のはずだ。

16:名無しさん@社会人
12/03/10 23:58:20.65 .net
シンボリック相互作用論ってもう死語ですか?

17:名無しさん@社会人
12/03/11 15:22:16.92 .net
>>16
懐かしいな
おれ卒論でちょこっとだけ使ったわ・・・

18:名無しさん@社会人
12/03/25 22:42:34.10 .net
シンボリック・インタラクショニズムって戦前の学派ですよね

19:名無しさん@社会人
12/03/29 14:01:50.68 .net
現象学的社会学
シンボリック相互作用論
エスノメソドロジー

これらってパーソンズ理論よりも重要なこと言ってるの?

20:名無しさん@社会人
12/03/30 00:10:02.98 .net
パーソンズ理論を含めて目くそ鼻くそです

21:名無しさん@社会人
12/04/21 19:45:56.46 .net
パーソンズよりも重要というかパーソンズを批判して出てきた比較的新しい流れ
だからまぁ立場にもよるけど学説史的には新しい方だから重要ということになるんじゃないの

22:名無しさん@社会人
12/04/21 23:10:47.25 .net
新しいから重要というのはおかしいだろ

ウェーバーよりもパーソンズが重要とか、
ジンメルよりもブルーマーが重要とか、
ミードよりもマンハイムが重要とか、
ルーマンよりもギデンズが重要とか、
ないですから

23:名無しさん@社会人
12/04/22 05:58:35.78 .net
そうじゃなくて、ちゃんと脈絡考えて発言しようよ。。

なぜいきなりウェーバーからパーソンずに飛ぶ?
ジンメルからブルーマー?
ミードよりマンハイム?
ルーマンよりギデンズ? まったくもって意味不明

めちゃくちゃに適当に列挙すればいいってもんじゃないでしょ
ジンメルならその流れを引き継いだゴフマンとか
ミードならブルーマーだとか
マンハイムならミルズとかギデンズとかに意義があって

そういう社会学のなかでも学説史なり批判の流れがあって
古典を受け継いで出てきたあたらしい流れにはそれなりに
議論の重要性があるでしょってことを言いたかったわけで
何にも考えずに世界のなかから「ぼくはこれがいいんだ」ってひとりで決め込んでも
しょうがないわけだしいちおう共通の流れとして相対的に(立場によるって明言したよね?)
「重要」←確定ではないよ、ってことが言いたかっただけだから
パーソンズがエスノメソドロジーなりシンボリック相互作用論なりさいきんの構築主義だのよりも重要だと主張するなら
それらが批判したパーソンズの問題点に替わる案を出してからいえば?

24:名無しさん@社会人
12/04/22 09:26:11.95 .net
>>22のあげた社会学者のセットはまったく見当はずれではないと思うが。
パーソンズはウェーバーの行為論から影響受けてるし、
ジンメルの相互作用論はシンボリック相互作用論に影響を与えた。
ギデンズがルーマンの影響を受けてるのも知られてる。
佐藤俊樹は、ギデンズはルーマンを薄く引き伸ばしたうんこだかなんとかって言ってたっけ。

マンハイムとミードは微妙かな。
ミードが、相互作用を媒介するシンボルに注目したことや、
重要な他者との相互作用が一般化(=一般的な他者との相互作用)して全体社会につながること
を示唆したことは、今日においては広義の知識社会学といえないことはない。
もちろんマンハイムの知識社会学とは違うが、知識に注目したという点では遠からず、ではないか。

25:名無しさん@社会人
12/04/22 09:46:19.43 .net
>そういう社会学のなかでも学説史なり批判の流れがあって
>古典を受け継いで出てきたあたらしい流れにはそれなりに
>議論の重要性があるでしょってことを言いたかったわけで

これには同意。

26:名無しさん@社会人
12/04/22 14:35:22.19 .net
で、この流れの発端になっとる「G.H.ミード」は大したことないっていう認識は、間違ってないと…

27:名無しさん@社会人
12/04/22 15:37:35.35 .net
>>23
「パーソンズ→ウェーバー」
「ジンメル→シカゴ学派(シンボリック・インタラクショニズム)」
「ルーマン→ギデンズ」
この3つについては結構強い影響関係だよ

>>26
ミード理論はいまでも意義深いよ
パーソンズの役割観は静態的で行為者を役割の虜とみなす部分があるけど
ミードは行為者の主体性を考慮してるし、役割が着脱可能であることも示唆してる
ジンメル、デュルケム、ウェーバーが論じきらなかった個人の自己認識(アイデンティティ)
についても論じてるしね
むしろマンハイム理論のほうが今日的には意義が薄くなりつつあるんじゃないかな
彼の知識社会学は基本的に「全部ウソ」という相対主義に陥ってしまうし
>>22がミルズの名前を挙げてるように、大衆社会論に与えた影響力は大きいけれど

28:名無しさん@社会人
12/04/22 15:40:59.08 .net
27の訂正
誤)「パーソンズ→ウェーバー」
正)「ウェーバー→パーソンズ」

誤)>>22がミルズの名前を挙げてるように
正)>>23がミルズの名前を挙げてるように

29:名無しさん@社会人
12/04/22 16:58:42.09 .net
ミードはかなり面白い
あらゆる相互行為論の原型だとおもう
心理学、認識哲学、教育学とも関係するし

30:名無しさん@社会人
12/04/22 17:50:28.97 .net
>>29
ジンメル舐めんな
ミードの相互行為論はジンメルから影響を受けてる
社会心理学の源流はジンメルにある
「生の哲学者」としての側面はご存じのとおり

31:名無しさん@社会人
12/04/24 22:49:18.62 .net
いまだにミード、ジンメルどまりの理論社会学W

32:名無しさん@社会人
12/04/25 12:41:33.10 .net
ただね、古典はフトコロが深いんだよね
そういう点で重宝するのはたしか

33:名無しさん@社会人
12/04/25 14:27:54.40 .net
社会学史スレでも立てましょうか

34:名無しさん@社会人
12/04/25 22:13:56.39 .net
社会学史スレ、あってもいいけど、かなり低レベルなスレになりそうな悪寒
2chは、ミードはこんなこと言ったとか、ウェーバーはパーソンズに影響を与えたとか、
むちゃくちゃ基本的なことが話題になるぐらいのレベルだから…

35:名無しさん@社会人
12/05/02 00:21:33.99 .net
ここは秀才のあつまりじゃないよ

36:名無しさん@社会人
12/05/02 14:00:55.23 .net
>27
マンハイム理論の考え方って、そうなん。
「全部ウソ」に陥るかな。国際的にはしらんが、
国内では十分な検討がされていないようにも思えるけど。
相対主義に陥るって批判は、だいぶその、あれだし。









37:名無しさん@社会人
12/05/02 18:08:05.79 .net
>>36
マンハイムの知識社会学は国内でも十二分に検討されてるだろ
たとえば『社会学ベーシックス3巻 文化の社会学』(世界思想社)では
マンハイムの知識社会学についての内外での研究が紹介されてるよん

38:名無しさん@社会人
12/05/17 00:11:13.38 .net
異論は認めるけれど

丁寧に新聞を読みこなす習慣がついて3年くらい経過したら
いわゆる「常識」は身についてると思うんだ。
その後は、即「古典」にあたっていいと思うよ。そこらに転がってる「入門書」の類は読んでも時間の無駄だと思うよ。
社会科学全般(但し、経済原論だけは別だろうが)の古典はそういうものだと思う。

他の注釈本は、時折とんでもない誤読があって目を覆いたくなることあるから。

39:名無しさん@社会人
12/05/17 17:35:25.25 .net
>>38
その3年間で入門書の類を読んだほうが効率的な気もするが。

40:名無しさん@社会人
12/05/17 17:38:06.64 .net
というか入門書の類を読むのに3年も要らないな。
入門書や啓蒙書に間違いや誤読があっても
複数読めばそれなりにその学問の見取り図みたいなものが頭に出来上がる。
そしたら自分の問題意識の高い分野の古典に進む、っていうんでいいんジャマイカ?

41:名無しさん@社会人
12/05/17 21:06:27.73 .net
>>38
多くの社会人は新聞を読みこなせ、「常識」が身についているわけだが、
そういう社会人は即「古典」にあたっていいということ?

42:名無しさん@社会人
12/05/17 21:23:59.53 .net
社会人が社会学の勉強を始めるんですか

43:名無しさん@社会人
12/05/18 00:34:41.46 .net
>>41
個人差はもちろんあるのだろうけれど。(民間社会人のかたは御自分の領域に偏ることが多いと思いますから)
今の新聞って多かれ少なかれ紙面を記事とともに時事評論や解説とか或いは「入門」的特集を
組んでいるでしょう。現実の時事問題とそれらが如何に関係しているのか、大雑把ではあるけど、こういうことなのだ
という背景を書いてくれてるでしょう。ああいうのが3年くらい(半年間でも相当のモノだと思う)蓄積されてくると
ああ、こういう流れになるのね、みたいな「スジ」「素描」が見えてくるんじゃないかな。
そういう意味です。

もっとも社会学の理論がそれらに掲載されることはないですが。
他の社会科学系科目や人文系も歴史学等(とりわけ近現代史)は必ず言及されているものだから。
所謂「古典」であっても、それらは当時の時事評論であるわけだから、当時を生きたの視点として、今の状況と比較しながら
複眼的に見ることができるようになるんじゃないかな、ということです。トクヴィルやハミルトン、ナイのX論文でしたっけ?とか
最近だとハンチントンとかサイードとか(記憶力自信ないので違っていたらご免なさい)

但し書きで経済原論を除外したのは、私自身が個別に学び直さなければいけない必要が確実にあったという個人的な経験
によるからです。優秀なかたは必要ないのかもしれませんね。
社会学理論も適用記事は最近だとゲーム理論のものを見かけた程度ですから、似たような側面はあるかも知れませんね。

長文失礼しました。読み飛ばしていいす 済みませんでした。

44:名無しさん@社会人
12/05/18 02:46:17.61 .net
失礼しました。やっぱり記憶おかしかったです。

「X論文」はケナンです。ジョージ・ケナン。正式には「ソヴィエトの行動の源泉」という題名です。(wikipedia 参照しました 便利な世の中ですね)

45:名無しさん@社会人
12/05/18 12:37:54.93 .net
>>38>>43
いわんとしていることはわかった。その上で4つほど質問。

第1に、おまいが「社会学力の養成」についてどう考えているかを知りたい。
社会学についてのよくある説明として、「社会学を社会学たらしめているのは
社会学的なパースペクティヴで社会を見ることにある」というものがある。つまり、
研究対象だけでは社会学にならず、社会学的な考え方をすることではじめて
社会学になるという考え方ね。この考え方に従えば、「社会学力」は、社会学に
固有のパースペクティヴを身に付けることによって養成されることになる。
これを踏まえておまいの議論を振り返ると、おまいの議論は、社会学ではなく
社会科学全般(経済原論は除く)についての説明であり、社会学に固有の
パースペクティヴというものへの視点は欠如しているように読める。おまいは
「社会学力の養成」についてどう考えているのか?それは、古典を何冊も読んで
いるうちに、自然と(付随的に)養成されるものだと考えているのか?

第2に、入門書の存在意義について。社会学の多くの入門書には社会学的なパースペ
クティヴが凝縮されている。このことは、社会学的なパースペクティヴを効率よく
学べることを、著者たちや読者たちが入門書の存在意義の1つと考えていることを
示唆するものといえる。彼らはこのことをメリット捉えていると思われるが、おまいも
これをメリットと考えるか?仮にそれをメリットと考えたとしても、「とんでも
ない誤読」(>>38)などのデメリットのために、入門書は読む必要がないと考えるか?
(続く)

46:名無しさん@社会人
12/05/18 12:39:02.16 .net
>>45の続き)
第3に、もういっちょ入門書の存在意義について。多くの入門書は各社会学的分野についての
既存の重要な研究についての説明が充実しており、それぞれの議論の相似点や相違点について
も整理されている。もちろん古典の多くも先行研究について論及しているが、一般的には
入門書ほど充実していない。また、古典は読者がある程度の事前知識を持っているという
前提で先行研究をサーヴェイしている場合も多い。さらに古典は「古典」であるために、
近年の研究を扱っていない。入門書はこれらの点で、古典にない存在意義を持っていないか?

第4に、入門書が不要というおまいは、大学の講義の必要性についてどう考えるか?

以上、まあ、入門書にもいろいろあるけど。。時間があればでいいんで、よろしく

47:名無しさん@社会人
12/05/19 02:12:19.30 .net
>>45,46さんへ

わたしの駄文を読んで戴いて、さらにご意見と質問までくださってありがとうございます。
心底感謝しております。
以下にわたしの実に素朴で私的な意見を出来る限りあなたの質問に答える流れの中でで書きます。
あなたにとって足りないと感じる箇所もおありでしょうが、それはわたしが至らないだけです。全てをお答え出来るほど
出来た人間ではないから故の問題です。どうかご理解ください。

では、またさらなる駄文を 以下に・・・


48:名無しさん@社会人
12/05/19 02:24:05.97 .net
私の考えの基本にあるのは、良い意味での偏見・偏頗心です。或いは、「お国柄」といっても良いのかも知れません。
ひとつの国なり文明圏に生まれ其処で生きてきた人々の考え方や思考様式は、その生きてきた社会や人生に大いに
左右されるものだろうということです。故に、「価値中立」という姿勢や、「俯瞰的な視点」という超越者然とした姿勢を
わたしは酷く嫌っています。そういう姿勢を取る人間は信用できないとすら考えております。
現実は猥雑物が多すぎるのだ、邪魔だから綺麗な理論だけ抽出しさえすればよいのだ。こういうのが一番嫌いです。
現実の泥臭さを大切にするべきです。地層のように折り重なったそのひとの人生の蓄積を丁寧に見ていくべきではないのか。
それが私の考えです。
 
 社会学のエッセンスを一括りに語ることはとても難しく感じますし、私自身もそういう資格はないだろうと思います。
ただ、確実に言えることは、社会に対してそれを知ろうとする各々の学問のアプローチはあくまでも個別的である、
ということです。一方で社会現象というものはそもそもがあまりに「総体的」なものです。その錯綜した現実に対しては、
私達は、所謂「群盲象を評す」という状況なのではないでしょうか。各々の社会に対する見立てや意見評論は百花繚乱。
出来るのは各々個別のアプローチからのアングルの切り取りであり、それが「鼻」なり「脚」なり「牙」に該当するだろう
ということです。それでも「三人寄れば文殊の知恵」ではないですが、こういう場合皆の意見をすり合わせれば全体像も
ボンヤリと見えて来はしないだろうか、という希望を持っているのです。それがわたしにとっては「社会科学全般」の知識を
「横断的に」吸収していったらいいのではないのか、の意味です。ひとりで多角的に見る姿勢をもてないだろうかと。

 
 

49:名無しさん@社会人
12/05/19 02:26:28.22 .net


 一方で、社会学等の固有の方法論(あなたのいうパースペクティブですね)についてです。
わたしはその学問体系の生まれた系譜に眼をやるべきではないのか、と思っているのです。やむにやまれぬ必要に
駆られてその方法論(パースペクティブ)は生み出されたのです。元来はそれ以前の体系の限界を踏まえている
もののはずです。その上で新しい視点を新たにこさえたと見るべきなのではないでしょうか。なればこその「古典」です。
ひとつの「パースペクティブ」をたぐっていくことで、その発祥の由来から来歴に至るまで分厚い知識が得られるのではない
でしょうか。そう考えているのです。裏を返せば、わたしは知識の獲得に効率を求めては居ないです。
例え量に於いて少なくとも、ゆっくりと分厚い知識のエッセンスを身につけるべきではないかと考えているのです。

 入門書についてです。
恥ずかしい話ですが、実はわたしは入門書マニアに近いのです。それ故に感じるのです。各々入門書を標榜しながら
既にその入門書に著者個人の偏りや偏頗心、その著者の依って立つ学派の意見が反映されているじゃないかと。
それならば、何も入門書等と標榜することもなかろうと。業界特有の専門用語は避けるなり長めの注釈を添えるなり
しさえすれば良いだけの話です。そもそも「価値中立」の人間などいるとは思えません。それでいいでしょう。その中でも
「古典」は歴史の淘汰を受けてきた強い文章です。その古典を、ありのまま丁寧に読み込んでいけば良いのではないのか、
とわたしは言いたいのです。優秀な「古典」に、「信頼の置ける注釈」や、筆者の言及している事柄の「社会的背景」等を
丁寧に添えておけば、それでいいのではないのかと。

 

50:名無しさん@社会人
12/05/19 02:40:26.87 .net

 大学の講義についてですが、実はわたしは非常に苦手です。虚弱体質と低血圧のおかげで恒常的に集中力を維持出来なくて
苦労していたからです。出来れば自分のペース配分で勉強したいなあと何時も考えていました。それに、欠席すると非常に焦るん
ですよね。講義の内容自体に関しては、教員次第なのではないでしょうか。わたしは勇敢な教官が好きです。自分の偏りを自覚した
上で、自分の信念をぶつけてくるような方々ですね。「巷間ではこういう意見もあるが間違いだ、自分の意見はこうである」と。
中途半端に各論を併記しているだけで、自分の姿勢や立場はつまびらかにしないままでいる教官の講義は困るのです。結局の
ところどうなのか、と訝りながら通年経過しかねないのです。どうにも事後に印象が残らないからです。収まりが悪いというか。
強引な意見表明は時に不快ですが、それに共感しないのであれば自分には合わないと割り切って捨てるべきではないでしょうか。
自分にとって極端な違和感を感じる意見は往々にして謬見でしょう。世間一般の「常識」のほうが大事です。庶民的感覚のほうが
信頼できるはずですから。
 私的な意見で恥ずかしいのですが、わたしは、こんな講義が受けたかったなあ、と思うことがあります。
立派な古典類を10冊程度チョイスして、その「前書き」と「目次」と出来れば「後書き」だけを抜粋して講義の材料にするのです。大概の
内容や著者の姿勢はそれだけでも伝わって来ると思うからです。「前書き」を丁寧に翻訳しながら教員が折に触れてその詳細について
説明を加える。その後「目次」を概観しながら教員がその単元につきどういう内容のことが書かれているのか大雑把に説明を加える、と
いう具合にです。そして教官自身がその著書に対する意見を述べる。其処まで手ほどきをしておけば、大概の場合、私のような不出来
の生徒でも、その「古典」を読むことくらいは出来るでしょうから。そして、じっくりと考えながら古典の独学をする時間を与えて欲しいの
です。そして、どう頑張っても理解の及ばぬ箇所は質問を許して欲しい。そんな感じです。
 
長文ホントに失礼しました。興味の無かった方すみません、無視してください。
お返事は期待してません。ホーこんな阿呆も居るのか程度に理解してくださればそれで結構です。


51:名無しさん@社会人
12/05/21 06:56:03.98 .net
>>47-50
>>45氏ではないけど、ちょっとだけ感想を。

> 「価値中立」という姿勢や、「俯瞰的な視点」という超越者然とした姿勢を
> わたしは酷く嫌っています。そういう姿勢を取る人間は信用できないとすら考えております。

個人と考え方としてはこういう考え方もありだとは思うけど
もし「価値中立」という姿勢や、「俯瞰的な視点」という超越者然とした姿勢を拒絶するのであれば
そもそも社会科学という学問自体の否定になりはしないか?実際に超越的な視点に立てというのではなく
独自のパースペクティブと客観性を確保しようとする姿勢は両立するものではないか?

> ひとりで多角的に見る姿勢をもてないだろうかと。

それがいわゆる入門書の役割では?少なくとも入門書は社会学には多角的なパースペクティブがあるということを
教えるものでは?もちろん入門書であってもあなたが書いているように著者たちの偏りは当然ある。それでも
どのようなパースペクティブが自分にあっているか、あるいはどのようなパースペクティブから自分は入っていけばいいか
という程度の見通しは得られるのではないか。

> 私的な意見で恥ずかしいのですが、わたしは、こんな講義が受けたかったなあ、と思うことがあります。

「こんな講義」には私も共感します。しかしそれはまさに講義だからこそできることであるし
講義を想定しない独学を考えた場合は無理なんじゃなかろうか。

ある一つの古典からじっくり入っていく、というアプローチを否定するわけじゃない。
狭く深く入っていく入門のあり方と、広く浅く入っていく入門のあり方の違いであって
どちらもそれなりの利点・不利点があるように思う。ただ個人的な印象を言わせてもらえば
文学や哲学などはいきなり狭く深くってアプローチが有効に作用することがあるのに対し
自然科学や社会科学はやはり広く浅くってアプローチのほうが有効な場合が多いという印象があるな、俺は。

52:名無しさん@社会人
12/05/21 23:12:41.40 .net
固有名詞がまったく出てこないな

53:名無しさん@社会人
12/06/05 07:07:03.90 .net
機能主義ってどうなってるの?

54:名無しさん@社会人
12/06/05 18:49:57.78 .net
>>53
機能構造主義というかたちで生き残ってるよ
ちょっと高いけど、まずは、そのあたりが丁寧に説明されている
ルーマン『社会システム理論』(上下)から入ったらどうかな

55:名無しさん@社会人
12/06/07 08:56:08.82 .net
機能構造主義がどうたらって20年以上前の話だな

56:名無しさん@社会人
12/06/07 09:52:23.92 .net
もっと遙か昔からあるし、未だに残ってる話でもあるから

57:名無しさん@社会人
12/06/08 09:45:38.90 .net
どこに残ってるの?
機能構造主義の最新論文挙げてくれ

58:名無しさん@社会人
12/06/09 13:02:41.79 .net
構造主義とか機能主義とか構築主義とかとはちがって、
機能構造主義というものにこだわってるひとは(あまり)いないように思える。
でも、ルーマン理論を社会分析に生かそうとしているひとはそれなりにいる。

59:名無しさん@社会人
12/06/10 15:31:51.48 .net
だからその人の論文を教えてくれ

60:名無しさん@社会人
12/06/10 23:32:09.09 .net
>>59
聞き方が気に食わんなあ

↓の「社会学文献情報データベース」で「ルーマン」で検索してみな
URLリンク(dbr.nii.ac.jp)
今日現在で326件の文献がヒットするけど、申告してない著者もいるから
もっとたくさんあると考えてよい。

また、国会図書館の雑誌記事検索で、タイトルに「ルーマン」と「社会学」という語を
含む論文を検索したら、今日現在で57件あった。
もちろんタイトルにこの2語を含まないルーマン関係の社会学の論文はたくさんたくさんある。

理論の論考が多いけれども、その手の論考は、佐藤俊樹をはじめとして、
ルーマン理論を社会学の分析にどう生かすかということを(近くにor遠くに)見据えて
書かれたものも多い。
事例研究については、そのままルーマン理論の応用ということになるね。
事例研究の場合はタイトルに「ルーマン」って入ってないことも多いから、
検索するにあたって工夫が必要になる。

61:名無しさん@社会人
12/06/12 07:22:45.67 .net
だから「ルーマン理論を社会分析に生かそうとしている」論文を読んだからそう書いたんでしょ?
その筆者と論文名を書けばいいだけじゃないの?

62:上之島町南クリスタル通り
12/07/21 06:52:30.14 .net

 『 室間添随症 』 ( しつかんてんずいしょう )

アパートや低家賃のマンションなどに住む引き篭りや準引き篭りの状態にあ
る人間が隣接する他の部屋の住人たちに自分の引き篭りの状態を悟られまい
とするあまりに逆にそれら他の部屋の住人の生活様態を執拗に感察、学習し
続け、その諸動作のタイミングから生活パターンにいたるまでを極力模倣し
同調さることによって自分の存在性を隠しながら日々の生活を送ろうとする
症状。

これは日本の文化依存症候群であり半国民症である。


63:上之島町南クリスタル通り
12/07/21 06:53:44.23 .net

これを「引き篭りの付き動き」
あるいは「引き隠りの付き動き」
あるいは「引き隠れの付き動き」と呼んでいます。


鼠やモグラならともかく龍や竜を用いるのは引きこもり者の形容として適切ではない。
モグラに土竜と当てるなど日本語には形容のおかしなものが多々存在する。

隠坊
読み方:かくれんぼう
他と面会するを避け、密かに人の気付かざる場所に隠れ居ること。


64:上之島町南クリスタル通り
12/07/21 06:54:40.13 .net

彼等の室内での心理状態、行動様態、気分の抑揚などは常に隣人の生活様態に左右、
依拠され、それら隣人の生活様態を自らの諸動作,諸行動の契機に、あるいは時計
かスケジュール表かのごとくに借用しながらの暮しを続ける。


URLリンク(kie.nu)
URLリンク(kie.nu)
URLリンク(kie.nu)


65:上之島町南クリスタル通り
12/07/21 10:29:24.86 .net

文化依存症候群とは、その地域の独特の文化が原因となって引き起こされる精神疾患の事。
これは世界のあらゆる地域において存在する可能性があり、韓国の火病に限った話ではない。
特別な名称を付けられていないものを含めると、日本人にも存在する。
日本人はよくアメリカ人などに比べると「自己主張が足りない」「隣人とのオープンな付き合いが足りない」
などと言われるが、これは日本の「察する文化」「相手を立てる文化」に起因する対人恐怖症の
一種と考える事が出来る。
日本独特の文化に起因する精神疾患なので、これも立派な文化依存症候群である。
(もっとも、よほど極端なもので無い限り、日本人のそれは「礼儀正しい」「行儀が良い」と言った
プラス方向に受け取られる事が多い)

 火病           付病
ファビョン        フュビョン

動詞化
「ファビョる」      「フュビョる」

擬態語
「ファビョーン」     「フュビョーン」

大韓民国(韓国)では鬱火病(ウラビョン)ともいう。
鬱火病の鬱は鬱病とは関係なく、鬱血や鬱憤の鬱と同じ、「その場に溜まってゆく」といった意味である。

 鬱火病          翳付病


66:名無しさん@社会人
12/07/23 03:54:38.93 .net
エスノメソドロジーってまだ流行ってんの?

67:名無しさん@社会人
12/07/23 19:58:08.44 .net
流行ってるかどうかは知らんが、
やってる人はいるよね

68:名無しさん@社会人
12/07/24 06:35:40.94 .net
そりゃいるだろう
会話分析とかライフヒストリーやってる連中もいるし

69:名無しさん@社会人
12/07/28 12:11:53.58 .net
>>45

社会学とは何の為にあり何なのですか? 質問です。

70:名無しさん@社会人
12/08/13 11:15:44.85 .net
>>69
そういうの気にするひとは向いてないと思うよ
楽しいからやるっていうノリでやる学問だから
社会学とは何かを知りたいなら、社会学にカテゴライズされる研究を
自分で見比べて、結論を出せばよい

71:名無しさん@社会人
12/08/15 06:53:00.95 .net
 カルチュラルスタディーズに関することなんだけど、アニメは現実と、
構造的・成り立ち的に、どのような繋がりを持ってるのか。
社会学はこれにどう応えるのか、知りたい。

 アニメは、当然のことながら、マーケティングリサーチが大前提の上にある。
また、現実の抑圧を解放するものとして、昇華が基本となっている。それはドラマとて同じ。
また、アニメは、当然のことながら、現実の外界の事象がライターの脳内に内在化・抽象化され、
それが型破りを狙った奇抜なキャラクターとして、歪んだ形で登場する仕組みになっている
(実際、そう描けと言われる)。アニメは、現実世界の文化が基になって醸成されたものだから、
当然ながら、そのカテゴリーには、剣士だの海賊だの、恋愛ものだの推理だの警察ものだと、
色~んなものが映像やシナリオ、登場人物に反映される。無学者は全く気がつかないが、
密かに、その類の人間の、世界史などに出て来る英雄の名前が、こっそりパクられて、登場人物に冠されている場合もよくある。


72:名無しさん@社会人
12/08/15 07:17:48.83 .net
 日本の歴史ドラマは 基本チャンバラで、アメリカのドラマや映画は基本ドンパチ。
つい最近見直した、アメリカの海外ドラマも、とにかく「ドパパパッ」が大好き。
しかも、すぐに他国や誰かの悪口を言う。イギリスにコンプレックスを持って、
ダーウィンでは説明がつかない事がたくさんあるんだとか言い出したと思ったら、
どこぞやの役者を連れてきて、ハーバードだのマサチューセッツだの演じさせて、
しかも反面、大抵は学歴エリートや公務員、研究者は悪者に仕立て上げられる。
そして、世紀の大発見ごっこや、正義の味方ごっこ、ドパパパやザンザンザン、アメリカ拳法ごっこ、
アメリカ大企業ごっこ、アメリカ製の高級車の宣伝混じりの、
スーツを着た国防総省やら何やらの、乗車&登場ごっこが為される。

 都合が悪くなるとすぐに「ドパパパッ」。ドラマや映画に昇華して、
作品の中で悪者に仕立てあげて、ボコボコにする。警察だのFBIだのCIAだのが
国民ぐるみで皆大好きで、軍隊だの機密諜報部隊だのをすぐに「ザンッ!ザンッ!ザンッ!ザンッ!ザンッ!」
って出してくる。基本、あれ一本通し、現実世界で都合が悪くなれば、飽き飽きするぐらい、
ドラマや映画ですぐに玩具片手に「ドパパパッ」に持ち込む。そして、両手両足揃えた、
芸能人の ザン、ザン、ザン、ザン、が始まる。というのも、あれが売れるってこと、
いつまでもあのパターンが続くってことは、アメリカ人民衆そのものが、心の底では、
あの展開を望んでいるということだからだ。アメリカ人の内奥は、玩具片手に
「ドパパパパッ」に支配されているのである。

73:名無しさん@社会人
12/08/15 07:26:30.54 .net
 誰かを完全正義の主役にして、誰かを完全悪のかませ犬、スケープゴートにする。
実際は、人間ってもっと複雑で、極端に性根が良いダイヤモンドみたいな奴もいなければ、
極端にクズの人間もいない。実際はもっともっと多様だ。アメリカは知らんが、
少なくとも日本では、チンピラですら、実際はもっと優しいし、ヤクザですら、
道を尋ねたら、案外普通に教えてくれる。一応みんな義務教育受けてんだから、
常識ぐらいはあるし、空気ぐらいは読める。男も女も、実際はあんなにドンくさくない。

 映像を使った回し蹴りみたいに、都合が悪くなったからって、いちいち暴力に訴えない。
アメリカ拳法で勝とうが、おかしいもんはおかしいし、逆に負けようが、正しいもんは正しい。
彼女の前で喧嘩に勝ったって、どうせ後々訴訟もんの問題になって、世間から袋叩きに遭う。
親だの友人だの会社の同僚だのネットだの、色々人間を囲むものはあって、
世間を敵に回すような真似をするからには、それなりの覚悟がいるし、
すぐに暴力で解決するような奴は、日本もアメリカも中国も区別なく、
どうせ結婚した後も、奥さんにも家庭内暴力を振るう。日本ではアニメを目の敵みたいに
する人間たちが結構いるが、日本のアニメの方が、見た目はともかく、
中身の方は、アメリカ映画やドラマより、よっぽど現実に近い。現実の人間関係が如実に反映されている。

74:名無しさん@社会人
12/08/15 07:36:10.94 .net
 いや、むしろ、この内面的 極端っぷりは、日本にも言えることだろうおそらく。
ドラマは、アニメと違って、色んな人に支持されていて、制約がないから、
ライターもアニメに比べて、色んなことが書けるのかもしれない。
要は、民衆、聴衆が、それを支持するかどうかだから。
アニメは、ドラマほどの市民権無いからね。とくに深夜アニメなんかは。

 現実のエリートや子どもは、常に作中で袋叩きにされ、何の取り柄もない、
普通の人間の、普通の家庭生活が、最後は勝つ。調子に乗った外資系証券マンは、
最後は不慮の事故で障害者。子どもは大人に「社会のこと何も知らんくせに!」
と力づく、暴力づくで引っ叩かれて、最後は改心させられる。しゃんしゃん。日本はこれ1本通し。
外資系証券マンが、途中、若干負けはしたものの、勝って勝って勝ち通して、
最後はゲラゲラ&ギャハギャハ笑って、そのまま意地を張り通して、最後は、
キリの良い、仕事の順調な段階で仕事やめて、さっと勝ち逃げてバックレて余生を平穏に暮らすとか、
周囲の大人を片っ端から貶しまくって、子どもが大学受験をくぐり、親との壊れた仲は続くが、
最後はまともに面接で猫被って就職、あるいは予備校講師として身を立てる、なんて展開はまるで無い。
実際には、こんな展開、山ほどあるのに。

75:名無しさん@社会人
12/08/19 10:31:20.97 .net


76:名無しさん@社会人
12/08/19 10:42:51.75 .net
>>74

ドラマがアニメより受けるのは当たり前。アニメを理解する奴に会ったことがない。これはどう説明されるのか?

エヴァンゲリオンって何の意味かわかる? 君。

77:名無しさん@社会人
12/08/19 16:35:38.28 .net
 ストーリーの詳細は覚えていないけど、機能不全育ちの人間たちが、
職場の人間関係を通して、その障害が露見してくるって内容だろ。
ドラマは知らないけど、少なくともアニメに関しては、何かしらのメッセージ、
アナロジー、寓話を含んでいる。

 主人公シンジは、父親に捨てられ、思春期で、大人社会の汚さを認められない。
帰国子女アスカは、一見プライドが高いように見えて、突っ張ったりしてるけど、
本当は、ああやって明るく横柄に振る舞うことで、心の奥底に潜む、母親から捨てられた
トラウマやコンプレックスを封印していた。優秀になって、自慢することでしか、
人に愛されることを知らない少女。ミサトは、これまた(詳しく覚えてないけど)
父親との関係が壊れていて、アル中持ちのヤリマン。中年男に甘えて、抱かれて、
体を使われること、必要とされることで、自分の存在意義を見出すタイプの性癖の持ち主。
だから、常に誰か男がいないと、心の平穏が保てない。カジが死んだ後は、精神的に弱っている
シンジを慰めるという半建前で、シンジを食べようとした。でも、心の奥底では、
自分が甘えて慰めて貰いたかった。

 リツコも、あれまた母親がどうのこうので問題を抱えていて、彼女(オバサン)は
主人公の父親を心の底では愛していたんだけど、素直に思いを伝えることも、振り向いて貰えることもなかった。
挙句には、そのオッサンは別の女性と恋をし、子どもまで生んだ。妻が死んだ後、
そのクローン細胞で、綾波という機会人間を作った(こいつが一番メッセージ性の読めない謎な奴。
カルチュラルスタディーズではセカイ系と呼ばれている)。クローンは父親好みの中学生か高校生ぐらいの
姿になっているのだが、リツコはそのクローンの一体のJKに嫉妬して、首を絞殺した(だったかな?)。

78:名無しさん@社会人
12/08/19 16:49:36.23 .net
 まあ、大凡で言えることと言えば、ドラマというか、マスコミが、
一番現実の逆を爆走してて、しかも洗脳性、メッセージ性、扇情効果があって、
社内で徒党を組ませるから、性質が悪い。彼らはこの日本国において、報道によって、
何かを作り上げようとしている。アニメはあくまで「現実を作ろう」ではなくて、
現実、環境を、叶わないものと受け止めて、「現実から逃げよう」
「少しでも嫌なことを忘れられる別世界に誘おう」という意図で描かれているし、
それはマーケティングリサーチがしっかりと土台となっている。だから自然と、
俗なものをなるだけ排した、純文学的な性格を帯びてくる。この傾向は、アニメよりもむしろ
ファンタジー小説が根強くて、その典型みたいなジャンルすら確かあった(名前は忘れた)。
現実ではどんな凡小な人間も、空想の魔法世界の中では、世界を救う剣士ってやつ。
だから、現実を思い出させるような、しょーもない世俗的な話は入れたがらない。
それを入れるライターは大体亜流。大抵売れない。バカ売れする作品は大抵純文学的性格。

 特に深夜においては、描かれる登場人物は、大抵後ろの方の端っこの席で、
「学校なんてかったり~」とかボヤいて外を眺めてる気取り屋
( 現実にはもっと唇が尖がってたり、太ったり、キョドってたりする。)
要するに単に浮いてる子 )や、屋上に逃げ出して、昼寝している子など、
昼夜逆転系の、学校生活が上手くいっていない(いってこなかった)夜行性・窓際族が
ストーリーの主役に置かれる。退屈な日常に、現実にはあり得ない彼女や魔法を
登場させることで、学園生活が劇的に変わる。主人公はそこに自分との重なりと癒しを感じて、
現実との価値基準を逆転させる。学校はあくまで、生きていく上で仕方のないもの、
セーブポイントか何かとして捉えて、こっちを本業の自我、個室という名の自分だけの
空間、聖域、学園生活を作り上げる。

79:名無しさん@社会人
12/08/19 17:58:11.97 .net
ドラマ 攻撃性を含んでいる

80:名無しさん@社会人
12/08/19 20:43:46.79 .net
現実にはもっと唇が尖がってたり~
 あと、ニキビがプツプツ出来てたり、歯並びが悪かったり虫歯があったり。

81:名無しさん@社会人
12/08/22 22:33:41.03 .net
最初ひとマス空けるのが特徴だな

82:名無しさん@社会人
12/08/24 13:39:48.46 .net


83:名無しさん@社会人
12/08/24 13:48:46.60 .net
>>77

動詞evangelizeとgreekの「on」の造語だよ。原作者ご本人も知るまい。

84:名無しさん@社会人
12/08/24 13:50:45.17 .net
>>77

使徒とは、何「者」か?

85:名無しさん@社会人
12/08/24 14:23:09.03 .net
 使徒と言えば、神から遣わされる存在って感じのニュアンスが感じ取れるけど、
それは、神の下に、人間社会を相対化し、風刺するニュアンスが込められているんじゃないか?
実際、ミサトもネックレスしてたけど、あれって、基督教徒の印じゃない?
基督教にも、12人の使徒がちゃっかりいたし。俺みたいな浅学には早々突き止められないけど、
基督教の歴史を自分なりに色々調べてみたり、つーか大学でそっち系の専門家に訊いてみれば、
色んな解釈が返って来ると思う。エヴァンゲリオンが、キリスト教を意識した
作品であることは、まず間違いないから。

 人類は正しかったのか、それとも間違っていたのか。正に基督教・西洋の
人間観・自然観を吟味・検討する、現代的なテーマを反映している。
( [基督教陣営=大人陣営 etc] vs [進化論陣営=子どもパイロットたち、カオル君 etc] )

 生命を宿しているとかどうのこうので、あのエヴァだって、使徒を食ってた。
あれは正に、自然の摂理である弱肉強食の生臭さや残酷さを描いたものであり、そして作品それ自体が、
人間社会の汚さ、グロさ、酷(むご)さを描いたものであろうと個人的に考えられる。
劇場版では、みんな最後は「水」に還るって結末になってたと思うけど、あれは、
ダーウィンの進化論とキリスト教の予定調和の論争を反映したものじゃないかな。
人類は、あくまで特別ではありませんでした、みたいな。「海」は永遠や豊穣を意味するものだし、
「水」「川」は始まりや女性器、子宮を意味するもの。それは人類の苦しみを、
水という始まり、子宮のレベルにまで戻すというニュアンスを孕んでいる。みんな最後は気持ち良さそうだったし。
リツコとあの名前の忘れた部下の姉ちゃんも、確か最後は、二人でいい感じになってなかったっけ。

86:名無しさん@社会人
12/08/24 14:27:46.18 .net
 神の遣いを、人間の兵器をもって、やっつけるということ。
そこに何か、深い意味が込められているのかもしれない。
また、神の遣い(死体)を、そのまま人間の兵器に用いるというところにも、
ダーウィンの自然選択理論のように、これまた深い意味が隠されているのかもしれない。


87:名無しさん@社会人
12/08/24 15:12:36.76 .net
 そういや、社会学の現実解釈では、言語論的転回を経たポストモダン社会、
またの名を「動物の時代」と呼ばれる現代社会では、人それぞれ、色んな現実があって、
それらは、言葉や景色によって決定づけられるという理論があったのを思い出した。

 それを踏まえて考察すれば、綾波(そもそもエヴァンゲリオンそのものがセカイ系だが)
は正に、この現実感、現実の相対視感を描いたものではないだろうか。
たとえば、綾波とシンジのやり取りで、綾波「だって私、○体目だから…」シンジ「ぇ?」
っていう有名なやり取りがあるけど、あれを、「綾波は世界の内情を知ってて、普通の現代人シンジは、
何も内情を知らない」という偏見を捨てて、あるいは「綾波は、普通の人々
(メディアによって環境が規定されている現代人たち)を風刺したもの」と決めつけるのではなく、
綾波が見ている世界も現実であれば、シンジが見ている世界も現実、と捉えれば、
世界は大変、複雑多様なものに見えて来る、という仕組みに作品全体が成り立っている。
あの綾波の台詞を、現実の三次元世界で吐いてくる女の子がいれば、自分はその子を
どう捉えるだろう、と問いを組み立ててみれば、少しはリアリティが湧くだろうか。

 思春期にあり、まだ自分なりの世界観、価値観、視座を築き上げられていない、
何者にも染まっていない、白紙のような、フレキシブルな中高生シンジは、色んな人間と交流する中で、
世界には色んな側面があることを学んでゆく。しかし、世界をまだ柔軟に解釈できない、
大学でまだ「答えのない問題(これを哲学で「現象学的エポケー」の近隣にある言葉で
何かあったんだが、悲しくも忘れてしまった)」を考えてゆく訓練も受けていない、直情径行・頭ガチガチのシンジは、
この、様々な事情が複雑に絡み合い、入り組む現象世界を、どう解釈して良いかが分からない。
だからシンジは、色んな人間と接する度に、懊悩させられては、心を傷つけられ、あるいは相手を傷つけてしまう。
しかし、通常版の最後は確か、「現実は自分で決めるものなんだ、選ぶものなんだ、その権利が自分にはあるんだ」
みたいな展開に、結局のところ落ち着いた。シンジの心を支配していた闇に認知革命が起こって、
心が空になって、終了、ってな感じのエンディングだったと思う、確か。

88:名無しさん@社会人
12/08/24 15:13:51.94 .net
ここは、社会学の場所だが、私が言っていることはそれと関係があるのである。みなさん誤解しないでくれたまえ。

実はもっとも高度なことなのだ。つまり、社会学が倫理と切り離されれば、単なる人間社会現象の記述にしか過ぎなくなる。如何に!

89:名無しさん@社会人
12/08/24 15:29:43.42 .net
 他人に深く関われば関わるほど、その現実感が自分の内的世界を浸食してきて、
世界観(神話)や自我(そういう形の物語)が忽ち崩されてしまう。
シンジは、他人との距離の取り方、すなわち、愛想のよい、敵意のない態度を
振り撒きながらも、それでいてあんまり深入りしない、幅広く薄い、半ば事務的な、
利害関係を視野に入れた人間関係(フォーラム)の作り方がまるで出来ない年齢にある。
そこで、学校の、主に特別活動内で作られるような人間関係のあり方と、
会社組織内で作られていくような人間関係のあり方のギャップ
(もちろん重なる部分もたくさんある)に懊悩を抱かされる。シンジは、逐一傷ついては、
自分の殻の中に、ダンゴ虫やカタツムリ、グレーゴル・ザムザのように引きこもってしまう。
現代青年、とくにアニオタの典型だろうか。他人に深入りすれば、距離の取り方を誤れば、
それだけ互いの世界、とくに、他人に触れられたくない世界を侵し合うことになるし、
相手に弾かれ、深く傷ついてしまうことすらある。親しき中にも礼儀ありというもので、
自分のイメージを酷く落としてしまうような事を他者に暴露するからには、
それでいて、相手により肯定的で深い関係を望むのならば、よっぽど自分をありのまま
愛してくれる人間でなければならない。エヴァンゲリオンは、そういった、
信頼関係で成り立っている人間社会、とくに第二次世界の性質を反映したものである、と言えないかな。

90:名無しさん@社会人
12/08/24 15:30:51.01 .net
>>87
 >>88 は俺じゃない。

91:名無しさん@社会人
12/08/24 15:43:41.55 .net
君は良く知っているね、実はわたしはエヴァンゲリオン・ファンではあるが、お宅ではない。君は凄いね! 

でも云えば、使徒とは神の使徒ではなく、社会システムの使徒である。だから戦うのだ、使徒と。歴史的にもそうではないかな? 
だってそうだろう? すべての「本当の」偉人が戦ったのはそれだ。で、主人公たちの操る何ていうのか、自分自身と同期する
客体(正確には客体ではないロボット)は基地から太いホースで繋がれていたよね。あれは何か分かる? あれは人間の
原初との繋がりを表すumbilical cordだ。だから戦闘時間が限られるのである。どう思う?

92:名無しさん@社会人
12/08/24 15:52:48.25 .net
ああ、構造主義でそういう理論あったね確か。
人間は、その牢獄の中で生きているとか、鎖に繋がれているとか。
パノプティコンとか、囚人のジレンマみたいなノリで。

93:名無しさん@社会人
12/08/24 15:56:56.30 .net
>>89

>逐一傷ついては、
自分の殻の中に、ダンゴ虫やカタツムリ、グレーゴル・ザムザのように引きこもってしまう。

ザムザが引きこもってしまうのは何故か? 君は「審判」を読んでいないのかね? 判決を下されるべき人間ばかりの中では、
そうでない人間はそのように成るだろう。思えるだろう。君にはどうもそれが分からないようだね?

君が分かっているかどうかを知るために訊こう。

どうして「審判」の最後は、石切り場なのか? 君、それ分からないだろ?

94:名無しさん@社会人
12/08/24 16:10:12.55 .net
 解らないというより、とっくに忘れたし、最後まで読んでいない。
ただ、主人公が、外交官か商人をやってて、家族や仕事場の人間関係にも
疲れ果てており、「虫にでもなりたい」と思ってたら、翌朝、目が覚めたら、
虫になってて、そこから地獄が始まった、っていう全体のストーリーそのものは覚えている。

95:名無しさん@社会人
12/08/24 16:42:55.93 .net


96:名無しさん@社会人
12/08/24 17:15:22.24 .net
>>94

石切り場なのは、kafkaがユダヤ人だったからだ。ユダヤ人にとって石切り場は神聖な場所だったからだ。

しかし、問題はそこからだ。なぜ、「人間」が死ななければならなかったのか? それは「全っき人間」を社会システムが殺すからである。
いや、人間性を。だから社会で生きているように見える人間は、その残骸である。スワヒリ語では「~すべき」がない。過去はそうだったのだ!
良いか悪いかは別にして。なぜ「~すべき」がないのか? それは過去の人間にとっては、現実(自然)がそのままだったからである。
それ以外にそれを説明できる理由はない。悲しみは、あなただけのものではなく、すべての人のものだった。

べつにわたしはユダヤ人の肩を持っているわけではない。

97:名無しさん@社会人
12/08/24 17:49:59.68 .net
 そういや、「妖怪(使徒)」というキーワードも、何かを暗示している
ように個人的に思える。未だ宗教やアニミズム観が人間世界を覆っていた、
今のような社会的な区切りが無かった時代では、司祭が物凄く権力を持っていて、
司祭や民衆に背く者は「怪の類=異端(妖怪が宿っている)」というようなレッテルを貼られ、
村社会から追われたり、時には殺されたりした。お決まりの、村社会=善(善という概念が無かった)
という構図の時代であった。社会批評が、古代に比べて、かなりの程度で許容される
ようになった、村八分の是非が問われるようになった現代においては、
エヴァンゲリオンは、妖怪、アウトサイダー、はみ出し者から見た、人間社会の異常性、
妖怪性、おどろおどろしさを、描いているのかもしれない。
不確かな表現がやたら多いけど、アナロジー、風刺は、文学の基本だからね。

98:名無しさん@社会人
12/08/24 18:03:32.92 .net


99:名無しさん@社会人
12/08/24 18:20:01.83 .net
>>97

その通り、文学の基本だ。君は94なのかい? わからないが? 

アニメにはそういう隠喩が多くある。他方現代ドラマには全くない。
そしてこちらのほうが人気とは、押して知るべしである。

君は「エイトマン」を知っているか? あの昭和初期に技術文明批判をしていた。
日本のアニメは優れている。

100:名無しさん@社会人
12/08/24 18:43:59.43 .net


101:名無しさん@社会人
12/08/24 20:00:26.71 .net
 「エイトマン」は解らないけど、それを好むあなたが、どこの誰かは、
大凡の見当はつきます。[>スワヒリ語では「~すべき」がない。]。どっかで見た文章だ。

 最近、大学でも見ないけど、今度会ったら、抱きしめてもいい? 一人で寂しくない?
授業(業界)仲間もなかなか作れないし、社会学のお局ババァは共同研究室で
グチグチ貶してくるしな。結婚指輪してないみたいだけど、婚約はしてるの?
相手はいるの? てか、してるの? 俺で良ければ、いつでも慰めて、温めてあげるよ。
どうせ、毎晩、一人で布団でもがいてるんでしょう? 別に大学で隠さなくても、
俺、別に、趣味がアニメとかでも、まったく気にしないから。先生、ブランド物大好きだから、
俺ユリウス一門・聖王一族の 王族の末裔だから、頭は最高にバカだけど、
虚栄心、見栄を満たす、ブランド物・飾り程度には 困らないと我ながら思うよ。

102:名無しさん@社会人
12/08/24 20:03:02.40 .net
聖王→藤原

103:名無しさん@社会人
12/08/25 22:42:01.08 .net
ディ=キャンプ:
「 それは( 現実逃避小説 )であり、読者は( 現実世界を離れ )、
男は全て強く、女は全て美しく、( 人生は全て冒険に満ちており )、
全ての事柄が単純明快である世界へと抜け出す。そこでは誰も( 所得税 )だの、
( 落ちこぼれ問題 )だの、( 公共医療制度 )だのを問題にしない 」。

URLリンク(ja.wikipedia.org)
AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%BC

 ああ、何と俺に向いた分野だろう。社会学を専攻にしていて、本当に良かった。
大学教育の構造を知った今、理学部での学位を取れなかった時点で、自分の人生なんて
3流未満とか思い詰めかけるように、文系はついついなっちゃうんだけど、
唯一、人生の贅沢という点で、理学部にも負けない勢力がある。
それは、大人が皆忘れ去った世界、無限の空想世界だ。世界は全て、空想から生まれた。
この世で、空想ほど豊かなものが、どこにあろうか。これは、文学部というより、
むしろ、社会学、サブカルチャー、カルチュラルスタディーズの領域ではないだろうか。
幼い頃、分厚いファンタジー小説を通じて、無限の世界をたくさん冒険し、羽ばたいた思い出、
しかし、大人になるに連れて、どんどん狭い世界の小競り合いに隔離されて、忘れ去っていた世界。
今こそ、それを思い出し、纏めて、掬いあげて、再びあの時の、言語によって切り開かれた世界観を、
蘇生させようではないか。理学部に人生で並ぶには、もうこれしかない。

104:名無しさん@社会人
12/08/25 22:53:53.53 .net
「思い出して(観点)(思い出)」→「分けて(掬いあげて)」
→「纏めて(反復して)」→「出す(世間に見せつける)」!
 「思い出して」→「分けて」→「纏めて」→「出す」!
 「思い出して」→「分けて」→「纏めて」→「出す」!
 「思い出して」→「分けて」→「纏めて」→「出す」!

 これ、ライフヒストリーの、一番基本中の基本のスタンスだと思う。

105:名無しさん@社会人
12/08/26 11:16:17.69 .net


106:名無しさん@社会人
12/08/26 11:34:26.93 .net
>>101

わたしは男だから、抱きしめてもらっても困るのだが。。。。
 
ついでだから訊きたい。現代の社会学は倫理とあまり関係がないのでは? もしそうであれば、学問としての価値が
あまりないなー。特に文系では。

現代の社会学は何なのですか? 質問です。

107:名無しさん@社会人
12/08/26 12:01:36.80 .net
 (音楽、ゲーム、アニメ、スポーツ、民族、宗教)などの文化、あるいは社会問題
(家族問題、教育問題、食糧問題etc)など、社会(society)(community)
を諸各国の中で相対的に位置付けて比較する際に、どういう文化的観点で比較していけば良いか、
を研究してんじゃないの? 日頃、日常で接している、こうしたPC、書籍などを、
マクロな目、総体的な、歴史的・業界的・国際競争的な、人類の所産の
文化として見る、半ば文化人類学的な見方とか。

 あるいは、現代思想、現代哲学や、あるいは政治や経済の「現代○○学」シリーズ、
とくに社会科学を 1点に集約させたものとか。現代倫理学、生命倫理学も、
社会問題を考察する手法として、補助的に用いられたりするんじゃないの。
つーか、おまえ、弓じゃないの?

108:名無しさん@社会人
12/08/26 17:12:57.42 .net


109:名無しさん@社会人
12/08/26 17:42:39.21 .net
>>107

「弓」って何ですか? ついでに云うとわたしは独学の者です。ただし、通常者ではない。そういう人たちは、「知識」でしか相手を判断できないようで。。。。。。。
知識の使い方を知らない者がそれを重要視する。それは知識と限りなく一体と成っているからだ。そのような者は知識を扱えない。なぜなら、知識を超えた者こそが
知識を扱えるからだ。そこのところは君には充分わかるだろう。たとえば、人間を知るためには、人間を超えていなければならない、人間であるにもかかわらず。
人間以外の動物が自身を理解しないのは、というか分からないのはそういうことだ。一般的人間は、その分水領に存在する。いわば天才はその分水領を超え、人間そのものに
到達するのだ。それに到達できるのは、飽くなき疑問があるからだ。それは、「どうして人間はこうも醜いのか?」ということである。 女は見た目は美しいが。。。。。

110:名無しさん@社会人
12/08/26 19:32:35.00 .net
↑ウムの食い込みパンツョックんどんじゃろ?

111:名無しさん@社会人
12/08/26 23:18:15.02 .net
 自然人類学者でも脳科学者じゃないもんで、詳しくは知らないけど、
記憶(知識)の吸収の仕方を誤れば、個人も集団も、とんでもない方向に
行ってしまうのは、歴史が証明してるとこあるね。

 人間の脳には、大脳辺縁系という部分があって、ここでは、感情と記憶が
司られている。つまり、記憶(知識)と感情は、かなり関係が深く、いやむしろ、
感情は記憶によって作られていく、と言っても過言ではないぐらいで、
記憶(知識)を摂取する過程で、好き嫌いをしてしまえば、感情にも障害(般化)(防衛機制)
が起こる、という命題が導ける。

 また、人間の脳には、前頭葉という部分があって、ここでは、合理的思考、
目的を達成するために、秩序立てて 作戦を練る能力 が司られている。
自然人類学では、人間の脳が新しく進化してゆく過程で、この前頭葉の進化、
あるいは全体のバランスがおかしくなってしまったがために、人類(文明)は、
現在のような、腐敗、滅びの道を歩むようになってしまったのではないか、と考えられているらしい。
槍という飛び道具を扱う クロマニョン人辺りから、人間は少しずつおかしくなったんだと。

 それ以前のネアンデルタール人の段階では、たとえば社会学の福祉の起源はここにあって、
弱者を労る精神、人間精神、埋葬の儀式は、もうこの頃から存在していたそうだ。
イランのとある洞窟では、現在でも、周りに一面の美しいお花畑を広がっているんだが、
その洞窟で発見された6万年前のネアンデルタール人の遺骨からは、花粉が発見されたらしい。
つまり、6万年前も、あの洞窟付近では、現在と同じように お花畑が広がっていて、
ネアンデルタール人が、死者に手向けて、その花々を摘み取って、土に一緒に埋めたのではないか、
と現在のところ考えられているらしい。

 養老孟子っていう、東大の高名な教授が出演してるDVDで、
NHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体Ⅱ 心と脳』っての、ちょうど観賞してた。

112:名無しさん@社会人
12/08/26 23:45:08.46 .net
河合隼雄、立花隆なども、製作に携わったみたい。

113:名無しさん@社会人
12/08/27 00:22:42.12 .net
スレタイを読めてない人が若干1名大量に連投してますね

114:名無しさん@社会人
12/08/27 13:12:01.85 .net
「残酷な天使のテーゼ」(マ~リ~ア~ のフレーズ)
「(魂)のルフラン」「心よ原始に戻れ」。そして最終話(特に劇場版)。

 やっぱ、どれも、キリスト教と進化論の論争を反映していたようだ。
原始の心、動物の心、子どもの心。原始への還元。初歩のネアンデルタール人の
心を取り戻すことで、人類は善き方向に進んでゆくかもしれない、
と表明した、人類学の何たら博士と、まんま一緒の見解だったわ。

115:名無しさん@社会人
12/08/27 13:23:08.19 .net
「魂のルフラン」( 最初の歌詞:「光よ~ 大地よ~」)
途中の歌詞:
生命(いのち)はまぶしい朝を待っている (国破れて山河あり 城春にして草木深し)
最後の懺悔もかなわないなら いつか時代の夜が明ける
( 世界よ まぶたを閉じて ) 生命は目覚めて 時を紡ぎだす
あなたの証拠(存在)をさかのぼるように そして光が胸に届く 心よ 原始に戻れ

生命はまぶしい朝を待っている ( 破れた聖書を抱きしめるより )
いつか時代の夜が明ける ( あなたよ 祈りを捨てて )
生命は目覚めて 時を紡ぎだす ( 自然の法則(ルール)にその身をまかせ )
そして光が胸に届く 心よ 原始に戻れ

あれ、もしかして、思いっきり、西洋的人間観や人間社会を風刺する
アニメだったのでは… 人間よ 滅べ 、って言ってるような気がしてならない…
俺が勝手にそう思い込んでいる、あるいは投影しているだけか…

116:名無しさん@社会人
12/08/27 19:02:54.04 .net
>>110

意味不明。

117:名無しさん@社会人
12/08/27 19:52:02.86 .net
>>111
>>114
>>115

113 名前:名無しさん@社会人[sage] 投稿日:2012/08/27(月) 00:22:42.12
スレタイを読めてない人が若干1名大量に連投してますね


上の発言に対して、気にするなよ。君は善く研究している。このあたりのことは、社会学では知られないだろう。だが、>>113は専門人らしい。
しかし社会学と名がつけば、社会現象を扱うのは当然だろう。違いますか? >>113。専門人は西部が批判しているようにろくでもないものである。

>>111 感情は記憶によって作られていく、と言っても過言ではない。

感情こそは生命進化39億年の傑作である、奇跡だ。それは悪くも働くが、よくも働く。しかしこれを取り去っては、われわれはもはや人間ではない!
豊穣な感情こそが人間の証だろう。誰が子猫を殺せるか? おかしな奴だけだろう。


>>111
記憶(知識)を摂取する過程で、好き嫌いをしてしまえば、感情にも障害(般化)(防衛機制)
が起こる、という命題が導ける。


記憶を摂取する過程こそ個性である。なにもかも知識を吸い取るのはかえって異常である。


君の書いていることはみな知っているよ。でも細かく云うと人の意識は分散されてしまいやすい。だから出てきたんだろ? 専門化が。

118:名無しさん@社会人
12/08/27 20:27:27.08 .net
>>117
>豊穣な感情こそが人間の証だろう。誰が子猫を殺せるか? おかしな奴だけだろう。

子猫を殺せないとか奴隷を殺せるとかいうことには
もちろん感情も関わるけど、より大きく関わるのは知識だけどな
まあ両者の線引きは明確にはできないわけだけど
知識と感情の関係は構築主義が流行ってた2000年前後によく議論されてたこと。


知識を取り込むプロセスが個性というのはそのとおり。
ただ「記憶(知識)を摂取する過程」という言いかたはよろしくないね。
記憶というのは対象化された知識のことであり、したがって「摂取」後の知識。
それは「摂取する過程=摂取中」に現れるものではなく、「想起」という行為をするときにはじめて現れる。
だから「記憶を摂取する過程」という言いかたは語義矛盾。
「知識を摂取する過程」とすべきだった。

119:名無しさん@社会人
12/08/28 11:08:21.70 .net
 ああ、ドラゴンボール・ドラゴンボールZ が懐かしい…
ドラゴンボールの社会学ってのあるらしいけど、あれってどんなんだろ。

 スーパーサイヤ人の黄金の髪の毛や、青い目の色は、西洋人に対する
コンプレックスの発露ではないかと言われたりしてて、日本人が黄色人種であるため、
アメリカで「イエローモンキー」「ジャップ」と言われてて、その限りで、
スーパーサイヤ人は、正式には「スーパーイエローモンキー」「スーパージャップ」
「スーパー日本人(あるいは西洋人)」ってのがルーツにあるのではないか、ってぐらいは知ってるんだけど。

 宇宙人同士の衝突も、特にサイヤ人逆恨みも、異文化交流や歴史問題を
反映したものとか。もちろん「猿」が進化論の反映であることは自明。
悟空はよく知らんけど、ピッコロや魔人ブウ(うちの大学にも暫く前まで魔人ブウ居た)が、
子どものタブララサ観を反映してたり。

 教育ママのチチと悟飯のやり取り、勉強部屋から クリリンや ウーロン、
恐竜などの仲間たちが 悟飯を遊びに連れ出すシーン、悟飯がチチに向かって「五月蠅ーい!」
と怒鳴りつけるシーンは、資本主義に染まった親や受験戦争を批判したり、
子どもは小学生までは、自然の中で体験活動をさせて、自然との全器官を用いた対話による、
人間的諸能力の全面的発達の重要性を訴えている。悟空や悟飯の自然に対する感受性、
あるいは(もう殆ど忘れたけど)武空術やら何やらの特殊能力の発達は、それを象徴化したものだろう。
元気玉は、人知を超えた生命に対する畏敬の念 を象徴化したもの。
鳥山明の育った昭和時代、そして、1990年代の世相を正に反映している気がする。

120:名無しさん@社会人
12/08/28 19:37:25.45 .net
ぷっ。

121:名無しさん@社会人
12/08/28 19:48:30.69 .net
>>118

118 名前:名無しさん@社会人[] 投稿日:2012/08/27(月) 20:27:27.08
>>117
>豊穣な感情こそが人間の証だろう。誰が子猫を殺せるか? おかしな奴だけだろう。

子猫を殺せないとか奴隷を殺せるとかいうことには
もちろん感情も関わるけど、より大きく関わるのは知識だけどな
まあ両者の線引きは明確にはできないわけだけど
知識と感情の関係は構築主義が流行ってた2000年前後によく議論されてたこと。


知識を取り込むプロセスが個性というのはそのとおり。
ただ「記憶(知識)を摂取する過程」という言いかたはよろしくないね。
記憶というのは対象化された知識のことであり、したがって「摂取」後の知識。
それは「摂取する過程=摂取中」に現れるものではなく、「想起」という行為をするときにはじめて現れる。
だから「記憶を摂取する過程」という言いかたは語義矛盾。
「知識を摂取する過程」とすべきだった。

申し訳ない、つい相手の言葉を使ってしまった。黄身鋭いな。

122:名無しさん@社会人
12/08/28 23:04:05.84 .net
>子猫を殺せないとか奴隷を殺せるとかいうことには
>もちろん感情も関わるけど、より大きく関わるのは知識だけどな

詳しく説明すれば、
例えば、都市に暮らす現代日本人は動物を殺すと気持ち悪くなるけど、
森とかで猟をしても全然平気な社会もある。
このことは、何を殺すと気持ち悪くなるか(=感情)は、
「文化=知識」に左右されるということを示している。
「知識」が独立変数で「感情」が従属変数。


>豊穣な感情こそが人間の証だろう。誰が子猫を殺せるか? おかしな奴だけだろう。
この書きかたは、我々が子猫を殺せない要因を「感情」に求めている説明。
しかしながら、上記の説明で示されたように、我々が子猫を殺せない根本的な要因は「知識」にある。
したがって、この説明は正しいとはいえない。

だが、知識と感情は関係し合っているのもたしか。
子猫を殺す前、殺そうとしているときに気持ち悪くなったりするのはそのため。
このとき、感情も子猫を殺すことの阻害要因になっているといえる。
だから、子猫を殺せない要因として感情がまったく関わっていないとはいえない。

123:名無しさん@社会人
12/08/29 20:07:40.85 .net
ふ~ん。

124:名無しさん@社会人
12/08/29 20:29:04.07 .net
>>122

しかし、ある時代の文化とはそれを人々に強制させ由来など皆目わからないではないか? したがって、真実は文化とは個人の経験なのだ。
国家においては、それは歴史のある時点において誕生以来洗脳されているものである。経験が独立変数であり、それが感情を伴うのである。
そしてそれが知識とも成るのだ。

なぜか? 生きているものを殺すのは自分自身に反逆するからである。およそ生命感というものは、最初からあるものであり、知識によって
決して助長されるものではない。謂わば絶対感に近い。知識によって増減するのは人間の表面だけである。だから人非人は歴史的に
後を絶たない。知識が独立変数ではない。人間には最初知識はないからだ。

さあ君、どう説明する?

125:名無しさん@社会人
12/08/29 21:58:03.74 .net
>>124
君、癖のある日本語だよね。日本語を母語としない人?
部分的には意味が分かるところもあるんだけど、全体的としてなにが言いたいかがわからんw

第1パラグラフで言ってる、経験が知識や感情より前にあるというのはそのとおりだね。
第2パラグラフは意味がわからないw
人間は生まれつき「生命感」を持ってるから「生きているもの」(蚊や蟻もそうだけどw)
を殺すことができないってこと?
狩猟文化の人たちは平気で動物を殺すわけだけど。。。

ちなみに、みんな飽きちゃってる、お決まりの本質主義か構築主義かっていう議論では、
基本的には人間の感情とか感覚というのは、本質主義的な部分と社会的に(後天的に)構築される部分が
あって、どっちかオンリーということはないというのが、模範解答になってるよね。
俺もそうなのだろうと思ってるので、君のいう「生命感」なるものをすべて否定するつもりはないです。
ただ社会学者なので、敢えて社会的に構築される側面に注目しています。
もう一方の側面は心理学者さんなどに究明を任せたいです。

ちなみに、君は社会学プロパーじゃないのだろうけど、
>人間には最初知識はないからだ。
こういうことは社会学をやっている人間は言わないかな。
現象学的社会学の基本です。

126:名無しさん@社会人
12/08/29 23:43:02.74 .net
社会学の基本書はほとんど読んでないのは文章からわかる

127:名無しさん@社会人
12/08/30 01:02:39.97 .net
>>111
>養老孟子っていう、東大の高名な教授が出演してるDVDで、

養老孟子にも説明が必要になったか
まああの本が出版されたの、もう9年前だものな

128:名無しさん@社会人
12/08/30 09:54:03.58 .net
社会学徒が共有している理論的視点というものがあるのだが
外部の人からは、社会学徒一人ひとりが「自分の考え」で説明しているように見えるようだ

129:名無しさん@社会人
12/08/30 11:58:51.65 .net
 社会学史の横書きの手軽な入門書が無いから、どこから理論の繋がり、
発展を意識して、整理して入っていけばいいのか分かんない。
( 那須寿『クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る』、有斐閣、1997年 )
っていう、典型的な学部生向けの入門書が店に置かれてたけど、あんなの、
潮流ごとに書かれてないし、書かれてることも政治学や経済学をやってること
前提みたいな感じで、どうせ読んでも分からんだろうなと踏んで、買わなかった。

 社会学史、何か薄くて横型で書かれてある、一連の潮流を整理してまとめて、
基礎的な政治思想・経済思想の解説も初心者向けに織り込みました、みたいな
手頃な社会学史の入門書ないかな。よく哲学の理論がそのまま派生して出てくるけど、
社会学は哲学理論を土台にしてる、というか、社会哲学が組織洗練でもされたものなのだろうか。
ここら辺、まったく無知だ。

130:名無しさん@社会人
12/08/30 13:46:38.26 .net
>>129
・潮流ごとに整理されている
・横書き
・政治学や経済学の知識が不要
この条件を満たす定番の入門書といったらクロニクル社会学なんだけどなあ。
なお、社会学は一応1つの独立したディシプリンとして確立されているので
社会学やる上でほかのディシプリンである政治学や経済学は基本的に必要ない。
だから政治思想や経済思想の解説が盛り込まれてる社会学の入門書なんて
限られてるんじゃないかな?少なくとも俺は見たことない。

あと、社会学成立期にフォーカスすれば、社会学は哲学から派生したものではないということになっています。
社会学の確立に大きく貢献したデュルケムとウェーバーは
哲学者と呼ばれることはほとんどないでしょ。
ジンメルにしても、彼の業績は哲学としての業績と社会学としての業績に
バッサリ分けられることが多いし、本人も哲学と社会学という言葉を使い分けていたし。

131:名無しさん@社会人
12/08/30 19:20:04.97 .net
>>129
真面目だな
俺も社会学史全然わからないけど社会学史を押さえようなんて思ったことないわ
それでも関心のある社会学書読めるし
社会哲学から派生したかどうかなんて、いま社会学をやるにあたって関係ないだろ
誰かもいってたけど、なんでもありってのが少なくとも現代の社会学なんじゃないの

だいたい社会学者が参照する先行研究って哲学とか人類学とか精神分析とか普通に混ざってるし、
そういう境界があいまいな学問で「学史」なんて成立し得るのか?
仮に一定数の頭の固い社会学者の間で、「これは社会学史に含めるべきでこれは含めるべきではない」とかいう
コンセンサスが成立してるとしたら、それは学問の発展を疎外するものとしか思えないんだが

132:名無しさん@社会人
12/08/30 21:10:51.34 .net
>>131
お前が学生だろ
だとしたら不真面目すぎだな

133:名無しさん@社会人
12/08/30 22:29:41.51 .net
>>129
アマゾンのレビュー見たんだけど、「先行する政治・経済思想を押さえてないと、デュルケム、マルクス、
ウェーバーあたりの問題意識を把握することは難しい」、みたいなこと書いてあるね。
そうかなあと思っていまさらっと読み直してみたけど、やっぱりこの本を読む前に
政治・経済思想を押さえる必要はないと思うよ。そのあたりのことについて最低限の説明はされてるから。
むしろ、そのあたりについて触れさえしない入門書が多いから(そういうこと知らない社会学者も多い)、
よく説明しているなと思ったぐらい。
そもそも、この本自体「広く浅く」の本だから説明不足の箇所ばかり。
詳しく説明したらとても1冊に収まらないから、あえて説明が手短になっていると思われ。
手短でも説明してるだけマシだと思う。もっと知りたい人は、ほかの本で勉強してねというスタンスなんだろう。
実際、この本だけでは各社会学者の理論を十分に理解することはできないから、ほかの入門書が必要だと思う。

「潮流」についても整理されてるよ。アマゾンのレビューに↓の記述があるとおり。
>16人の社会学者を社会実在論系デュルケーム→パーソンズ→ルーマン→コールマンの流れ(1部)、
>社会哲学・社会唯名論系のマルクス/ウェーバー→マンハイム→ハーバーマス→フーコーの流れ(2部)、
>相互作用論系のジンメル→ミード→シュッツ→ブルーマーの流れ(3部)の三潮流、
>さらにゴフマン、ガーフィンケルなどのエスノ系学者、ブルデュー、ギデンズといった現代の潮流(4部)に描き分ける
実際には違う影響関係もあるのだが(デュルケーム→ブルデューとか、ジンメル→ゴッフマンとか、シュッツ→ルーマンとか)、
詳しくやっちゃうとキリがないから、入門書としたらこれぐらいで十分だと思う。
序章は時系列の社会学史になってるし、入門書にこれ以上求めるのは酷だろ。

>>131
こういう人が増えて久しいですね。私は否定しません。一理あると思います。
実際に社会学史とかあまり知らなくても、社会学者としてメシ食えてる人たくさんいるし。
社会学史に詳しくても、社会学でメシ食えてない人もたくさんいるし。

134:名無しさん@社会人
12/08/30 22:30:57.53 .net
書き忘れた。
133=130です。

135:名無しさん@社会人
12/08/31 00:23:31.11 .net
>>132
学生ですが何か?
不真面目も真面目も、社会学史なんて知らなくても社会学の論文を
読んだり書いたりできてしまうということがすべてだと思う

136:名無しさん@社会人
12/08/31 19:39:18.58 .net
ぴー、ぱぴー。

137:名無しさん@社会人
12/08/31 20:35:18.17 .net
>>125

それは君たちはそうだろう。最初に社会ありきなのだから。社会とは何かがわからないW君たちが、そんなことを考えても仕方がないW。止めておいたらどうだ?
君、どう思う? wwwww。

君に分かるように云うよw。釈迦はこういった。

「ある人に矢が刺さっているなら、矢を抜いてやる」ことが先決だと。現代ではその矢は、何だと思う? 社会学では思いつきもしないんだろうな? 

だから人間はカバなのだ。社会学のやっていることは、人間の人体時実験研究である。そうでないなら云えよ。わたしたち社会学者は、チキンハート(超ナルシスト)なので
人のためには尽力できませんとな。はっきり云ったらどうか? これも臆病で云えないなかな? wwwwwwwwww。

138:名無しさん@社会人
12/08/31 21:02:04.58 .net
君みたいな、わたしは単細胞ではない。

139:名無しさん@社会人
12/08/31 21:04:33.44 .net
>>125

学問は趣味ではない!

>>138もわたしだ。

140:名無しさん@社会人
12/08/31 23:37:55.91 .net
社会学の弱点は実験ができないところにある

141:名無しさん@社会人
12/09/01 13:59:56.00 .net
「ひとりで生きてるんじゃないからな!」(中島義道の一番嫌いな言葉)

こうのたまう人は一つだけ決定的に忘れていることがある。
それは、他人とは育み助けるだけではない。同時に、私に介入し 私を支配し
私を金縛りにし 私に危害を加える存在者でもあるということです。
(中略)
「ひとりで生きてるんじゃないからな!」という言葉には、感謝を要求するような響きがある。
それも、孤独を好む人に向かって、そんなわがままじゃ生きていけないぞと諭すような響きがある。
世の中もちつもたれつじゃないか、という響きがある。今は威勢がいいがあとで弱音を吐くなよ、
という響きがある。私はこういう言葉を発する人の鈍感さ、しかもみずからをよしとする
その傲慢さが嫌いなのです。(URLリンク(www.ikedahayato.com)

中島義道いわく、なるだけ独りでも生きていける職業は、探せばワンサカあるという。
彼の塾に通っている塾生には、そういう職場で働く者たちが少なくない。
NHKの集金だったり、新聞配達だったり、予備校講師(正規か非常勤か知らんけど)だったり。
いずれも、失業者の非常勤講師如き、自分の立場を弁えずに、意図的にそこから
目を逸らして棚上げして、空威張りで強がって、周りからギャーギャー言われることじゃない。
正義ゲームはもう やめようじゃないか。権力者ごっこはもう やめようじゃないか。
ごっこ遊びは卒業して、ありのままの自分を見つめ、そこに合った規範の世界で生きていこうじゃないか。
フラストレーションを溜めこんだ、欲求不満の成金願望・差別したがり・仕返し願望は、
上の人間たちからも嫌われるだけだ。俺は社会学専門にしておいて、本当助かった。
自分に嘘つかなくていいんだから。

142:名無しさん@社会人
12/09/01 14:04:14.97 .net
  成金願望・差別したがり・仕返し願望
→ 成金願望・差別したがり・仕返し願望
  ・傲慢に振る舞ってみたい(振り舞ってやりたい)願望 (要するに我欲)

143:名無しさん@社会人
12/09/01 15:14:15.63 .net
社会とは観念=言語体系である。
私が生まれ落ちるのはその体系の中である。
最初その体系は自分のものではない。つまり他者の秩序である。
成長するというのはその他者の秩序を自分のものにしていく過程である。
私たちの思念は、観念を用いることで可能になっている。
生きるというのは、観念を用いて思念し行為することであり、またその過程である。
観念やその体系は、そもそも他者のものであるのだから、ひとりで考えるという行為はひとりによる行為ではない。
自分は独力で生きいると考える人がしばしばいるが、そういう人も他者とともに生きているのである。
完全な自給自足の生活をしているとき、それは他者とともに生きていないだろうという人もいるかもしれない。
だが、言語を使ったり思念したりしている時点で、独りで生きているとは言えないのである。

144:名無しさん@社会人
12/09/01 16:06:22.72 .net
 ああ、映画ガリバー見た後だから、脳内にある、何たらっていう
制御装置が狂わされて、文字が小人か何かに見える。
「巨人も小人も、人の心の中にいる。隙あらば人を支配し、好き勝手したがる心」。
子ども向けの児童文学や番組には、この手のパターンの寓話が多いが、
あれらは正に、人間社会、紛争や、国交関係、環境問題そのものを指してたんだな。
思いっきりカルチュラルスタディーズだったわ あれ。

145:名無しさん@社会人
12/09/01 19:02:53.00 .net
長文エッセイは自分のブログなりツイッターでどうぞ

146:名無しさん@社会人
12/09/01 21:32:10.33 .net
>>135
専門書くのって真っ裸にされるようで青ざめる肉体労働と変わらんきがするが
気安く掛け逃げ御免は今のうちだろうし
学生だからこそ一緒に学問しましょう

147:名無しさん@社会人
12/09/01 22:13:20.17 .net
 オレ肉体労働したことあるけど、今になって思い返せば、結構意義深かったと思うよ。
ずっと部屋でダラダラして、昼寝して過ごすわけではなく、毎日決まった朝の時間帯に
職場に集合して、1日のスケジュールに関してミーティングして、エッサホッサとダンボール箱を整理していく。
人と何かをやり遂げる快感や、荷物を片づけきった時のスッキリ感、達成感が得られるし、
脳幹に酸素か血液か知らんけど、それが回りまくるから、あの時は頭痛がまるでしなかった。頭の中がスッキリしてた。
週末前の金曜なんかは、夕焼けと月に照らされた、あの帰り道のスッキリ感とそよ風がたまらなかった。
お腹も空いてないのに、暇潰しでお菓子貪ったりしないから、水もご飯もむちゃくちゃ旨く感じたし、
肉体にダメージを与えることで、脳の何たらっていう制御装置が緩まるから、
普段より感覚(特に右脳)が研ぎ澄まされて、思索がやたら進む進む。

 特に10代の学校生徒なんかは、局地的な社会に押し込められ、そこで一律的に評価され、
その一方で、他の誰もが持っていない、自分だけの絶対的なものを見つけられていないから、
他人との比較で自分を失いがちにある。しかし、その くだらない見栄さえ かなぐり捨てる
ことが出来れば、むしろ業務内容そのものは、ブラックなホワイト企業より、
肉体労働の方が、よっぽど精神的に健康でまともなんだよ。

148:名無しさん@社会人
12/09/01 22:26:06.27 .net
 また、社会問題とされているような汚れ役は、上の人間は デスクで文字を追っているだけで、
実物を見ないから、公文書じゃ、AV資料になんないという点もある。
環境問題、食糧問題に関してのDVDを、一時期よく見たけど、ああいうのをリアルで
目にしているのは、しばしば工場や農場の労働者だ。雛や鶏を殺して皮剥いだり、
内臓を取り出したり、牛の糞尿の世話をしたり、加工作業をしているのは、全部工場や農場の人間たちだから。
だから、彼らは、普段食べている、スーパーで出されている食品の裏側の世界を
人一倍知っているから、日頃の食べ物を、ただの道楽の餌のようには捉えていない。
毎食毎食が、汗水たらして働いた金で食う、生きるための糧であり、自分で殺した、
神から与えられた生命・資源なのだ。社会問題に関して論じたものも、またキリスト教のような宗教も、
実は 彼らが一番、リアルに骨肉化していける環境にあるんだ。社会体験、職業体験、特別活動論として、
あれほど意義深い現場は無かったと思う。

 それに、最近、ゼミの文化人類学の研究にも関連して、人生学、自己成長学
としての神学、シャーマンなんかに興味持ってんだけど、彼(女)らが何かしらの
景色を意図的に観ようとする際に用いる手法は、特別活動論の自然体験活動と、
あるいは俺が肉体労働してた時によく感じたクオリアと、どこか もわもわと 重なる部分がある。
むしろ、学校教師も官僚も、いまいちその手法を強固につかんで意識化・体系化できてないみたいだから、
解説書や概説書読んでても、いまいち言葉が状況限定的で浅い。
でも、彼らの歴史的に洗練された民俗文化、儀式を総体的に学んでゆくことで、
あの時の記憶、その機構を脳科学・神学レベルで、世界の諸文化や細胞レベルに見られる、
何か総体的なものに昇華できるかもしれない。すべてを文化や形質の一側面として捉えれば、
そのうち何かが掴めてくる筈。 肉体労働も、世間が言うほど、捨てたものではない。

149:名無しさん@社会人
12/09/01 23:06:25.43 .net
>>147>>148
>オレ肉体労働したことあるけど、今になって思い返せば、結構意義深かったと思うよ。
>週末前の金曜なんかは、夕焼けと月に照らされた
よくこんなこと書いて恥ずかしくないなw
まあ、この世界をあまり知らないんだろう
ガテン系のスレでこんなん書いたら面白いことになるわw

>その くだらない見栄さえ かなぐり捨てることが出来れば
ガテン系の人たちは見栄をかなぐり捨ててると。おまえ何様だよw

> 肉体労働も、世間が言うほど、捨てたものではない。
これは偏見を持ってるからこその言葉だな

ホワイトカラーの人たちは、ブルーカラーの仕事を見下してないから。
社会に出たらわかると思うけど、働くようになったらどんな仕事も大切だと思うようになる。
学校がホームグラウンドの人はこのあたりのことわかってないよね

150:名無しさん@社会人
12/09/02 04:33:21.53 .net
昨日、土曜日に大手企業の社員食堂の紹介をやってた。
グーグルの社員食堂は24時間無料らしい。
自販機のお茶もジュースも。全部無料。
高級マグロのスシもその場で職人が握ってくれて無料で食べ放題。
大手企業の社員は
肉体労働者を見下す余裕もないほど、高級マグロ寿司その他を
無料でほおばって食べまくってる。

一流企業に就職した人間と、一生肉体労働で終わる人間とでは、
王様とエタヒニンくらいの差がある。
それが現実。見ていてなんか憂鬱になった肉体労働者のオレ。



151:名無しさん@社会人
12/09/02 10:51:37.53 .net
 魚介類にしても肉にしても、あれは 美味しい=高い ではないと思うよ。
実家に両親と同居してた幼少期、父がオノゴロ島出身のコネあがりの国立K大職員で衛生管理士してたもんで
( 祖父は消波ブロックを日本で設計してた、設計会社の社長。わが家自慢の航海業の家系 )、
そういうの好きだったから、毎年別荘に連れてかれたり、毎週魚屋に連れてかされたりして、
しょっちゅう水槽の魚 食ってたけど、父が言う高級食材=自分的にもウマい というわけではなかった。

 マグロの大トロなんかすぐに飽きる。それよりも、石川県(世界最大の縄文土器とか、
イルカ発掘の真脇遺跡、加賀の一向一揆で有名なところ)に行ってた時に、
フィンや貝捕りつけて、銛持って、自分でワイルドに捕えたものを母親に調理して貰った、
ハギのキモとか、馬糞ウニとか(姉は海水につけてその場で食ってた)、
キスの天ぷらとか、アワビのステーキとか、サザエの何たら焼きとか、
モズクの味噌汁とか あと お茶漬け とかの方が、思い出の味として記憶に刻み込まれている。
あと、アジのタタキも好きだった。宍粟牛の焼き肉とか、石川県で両親が買って食べた、
国産のクソでかいクルマエビの天ぷらとか。

152:名無しさん@社会人
12/09/02 10:56:12.39 .net
 人は、商品を消費しているというより、記号を消費している。何が自分にとって
美味しい人生かは、自分で選ぶもの。ちなみに、その別荘、もうすぐ祖母(元大阪府庁職員)が
くたばるから、嫡子の俺のものになるんだ。この間も、5万円あげるからまた家においで
って手紙届いた。ちなみに、国立大学や都道府県庁には、本物の王様の末裔もいるし、
本物の穢多非人の末裔もいるよ。上見出したら本当にキリがない。
特命全権大使なんか、特権パスポートみたいなの持ってるし、直径の宮内の皇族なんか、
それこそ桁外れな、雲泥の年収を、それも国家予算から直々に出されてるし。

 クジラの肉だの温泉で出される食材だの、ああいうのは裏で詐欺が働いてたりするから
(こういうのは地理学の教授が詳しい)実際は、値段よりも自分の思い込みに振り回されている所の方が多いんだ。
企業の年収ランキングも、キー○○スみたいに、よぉく見てみたら、平均年齢がやたら若かったり、
総合商社みたいに、陰では鬱になるまで徹底的に酷使されたり、汚職やらされたり。
人材派遣業界の人間が周りにいたら、そういう裏情報を徹底的に調べてから就職しないと、
一流企業、人気企業という名のもと(なぜあんなブラックな所に次々に学生が来るんだってぐらい)、
人生 詐欺られて 体良く利用される ことになるよ。

153:名無しさん@社会人
12/09/02 11:02:07.43 .net
 そういや、仏壇の部屋に、鷲(鷹?)の木製の模型飾ってあって
(祖母が京大法の同僚から貰ったらしい)(ハプスブルク家の家紋は双鷲)、
壁には波の絵が飾ってあった。絨毯の絵はドラゴン(祖父の名も 英訳でドラゴン)。
波の絵には「豊治」って書かれてあって、判が押されてあって、玄関の森の絵には
「d,KAIO」って書かれてあったけど、誰か知ってるかい? 知ってったら教えて欲しい。
ライフヒストリー、自分研究の関連で、最近 調べてるんだ。

154:名無しさん@社会人
12/09/02 11:15:26.59 .net
斉藤孝、今 思いっきり魚のCM出まくってるな。マグロ食っとるよw
DHAがどうのこうので。あいつ有名になったなーwww

155:名無しさん@社会人
12/09/02 23:37:12.57 .net
どっかのコピペか 暇な人だね

156:名無しさん@社会人
12/09/09 12:01:48.80 .net
Miracle do exist.

157:名無しさん@社会人
12/09/09 19:28:05.75 .net
創価 死ね
創価 死ね 
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね 
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね


158:名無しさん@社会人
12/09/09 19:31:04.24 .net
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね 
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね


159:名無しさん@社会人
12/09/15 19:43:06.22 .net
なんや、理論やってる奴はいないのか?

160:名無しさん@社会人
12/09/19 15:13:35.40 .net
何このスレッド。だれ1人として理論社会学を語っていない。

161:名無しさん@社会人
12/09/19 19:49:16.74 .net
数人は語ってる

162:名無しさん@社会人
12/09/26 13:46:02.49 .net
数人W
チミとボクふたりしかいないのにWW

163:名無しさん@社会人
12/09/27 11:01:06.27 .net
2人で盛り上げるか

164:名無しさん@社会人
12/10/03 20:17:13.60 .net


165:名無しさん@社会人
12/10/03 20:21:16.67 .net
君たちは人間を忘れて、統計的データにとらわれているにすぎない。そこからは人間が、生命が抜け落ちている。

そう思えないのは、君たちがおかしいからだ。

166:名無しさん@社会人
12/10/03 20:48:03.54 .net
 よくよく考えれば、脱線のすべての始まりは、受験勉強だったのではないか。
高校までの勉強は、実は、大学までの勉強とは、半ば独立してあった、
と考えた方が、社会は少なからず分かり易くなるんじゃないかと思うんだ。
大学の教員共は、エスノセントリズムで、国を大学中心に解釈して、
そればっかり提示してくるけど、そもそも高校教育は、大学受験を目的にしているのではない。
大学が、その中から、入試条件として、条件を編集してきただけだ。
本来、学習指導要領は、実社会を想定して編纂されているものであって、そこでいちいち
大学を媒介にして、大学に主導権を持たせるような考えは、そもそも有っていない。

 高校は社会を教えている。社会とは、生徒たちを取り巻く環境や集団のことである。
現代社会(問題)であり、政治や経済のシステムであり、(社会の)倫理であり、
(社会の)地理であり、(社会の)歴史である(社会制度、生活文化、経済システム
などの歴史的背景の説明、なぜ現状がこうなっているのかの理由説明)。

 学校の勉強は、人を辱めるためにやってるんじゃない(と思う。あくまで言い切りはしない)。
それを、嘗ての教養主義がどうのこうの、常識がどうのこうの、大学で学ぶに相応しい
学力、学ぶ資格がどうのこうの、発言権がどうのこうの、何も知らん癖にとか
どうのこうのと、極端な私情を挟み込んだり、超抽象的な複雑観念を貼りつけたり、
それを公然と人前で語り、それを普遍的ルールとして子どもに教え込み、マインド・コントロール
したがり、支配したがる奴がいるから、世の中どんどんカオスな世界にしか捉えられなくなってゆくのだろう。
君たちがおかしいのは、まず君たちをそう導いた先達がまず大前提でおかしかったからだ。

167:名無しさん@社会人
12/10/03 20:49:10.26 .net
 学校の社会科教育は、そもそも暗記ゲームのためにやっていたのでは無かったのだ。

168:名無しさん@社会人
12/10/04 01:44:19.72 .net
特亜系エセ左翼・カルト宗教団体が行っている敵対する人物への組織的な嫌がらせ、集団ストーキング、電磁波悪用による体調不良、マインドコントロールの手口、「集団ストーカー カルト」で検索してください。

169:名無しさん@社会人
12/10/04 05:19:29.87 .net
社会学の大統一理論 (GUT) が完成しました
続きはwebで

170:名無しさん@社会人
12/10/04 15:38:04.46 .net
学振をとるにはどんなテーマで研究するのが良いですか?

171:名無しさん@社会人
12/10/06 12:10:58.21 .net


172:名無しさん@社会人
12/10/07 20:54:41.47 .net
>>170
日中関係ないし日韓関係をゲーム理論で分析するってのはどう?

173:名無しさん@社会人
12/11/10 12:40:13.26 .net
まず、自身にめざめよ! 学問はそれからだ。でないと全うな学問にならないからだ。
莫迦が跋扈するなかで、頑張っている人もいる。其れは所詮少数者なのだ。いっている意味が分かるか?
人は何とか「学」と名称を付けたがるらしい。

目覚めない者は、すべて似非学者である。そのような疑似学問は数千年の歴史を背負った者にいずれ処分されるだろう。
国家にはそのような余力はないのである。

真の倫理学を排除する世間のバイアスは、今以上に高まったことは歴史上あるまい。したがって、君たちも
主体に疎いのだ。主体を視野に入れず、何を考えようというのか? 考えるのは常に主体以外ではないからだ。
であるなら主体を放棄すれば、すべて放棄したのとかわりない。であれば、倫理を排除した学はすべて、倫理学以下となるべきである。
それが「水は高いところから低いところに流れる」という意味なのだ。君たちはそんなことも分からないらしい。

莫迦は死ななきゃ治らない。これはいつの時代でも真理だ。

174:名無しさん@社会人
12/11/10 14:09:11.93 .net
a

175:名無しさん@社会人
12/11/10 14:48:50.02 .net
 これ書いてんの、もしかして弓? メール送ってもうんともすんとも言わないとかで、
周りの中年教員どもは嫉妬して不貞腐れて、塾講師に質問しに行くフリして、
実は講師自身に興味があって 話しかけに行ったり、個人的な悩み相談を訊きに甘えに
行ったりする餓鬼みたいに、実は建前的な用件を書きながらも、本音は
肉体関係を持ちたい という下心があって 弓に色々と気持ち悪いメールを
送ってくるんだろうけど、偶にはキモいオッサン共にも、スルーしてやらないで
建前的な愛想ふりまいて返事してやりなよ。じゃないと、すぐに スネるじゃん、あいつら。
俺みたいに。また嫉妬と意地からハミゴ食らって、会議に呼ばれない、とかなるよ。
男って、そういう高飛車なことされると、余計に嫉妬深くなって、その女を手に入れたり
支配したり、自分を認めさせたくなるんだから。

 俺も今月、なかなかお金が降りなくて、しかも休み明けは(中間テスト×2+
レポート提出×2+文化人類学ゼミ研究レポート初稿提出(12/1前後))
+明後日は業界説明会+11/22ファミリーマート説明会)などなどで、
宝塚も高槻も実家も春休みまで行けなかったけど、その代わり、弓がYドライブに散在と入れてた
教員用の日本語表現法の資料を、必要なとこだけ全部コピーして、ホッチキスで纏めて、
①~⑪まで順に番号ふった上で、弓の専用ファイル作って、しかも全ページ読んだ上で、
哲学やカルチュラル・スタディーズ、el-campasで弓が監督してた「論文・レポート作成法」、
環境学の著作と一緒に、全部保存したんだ(我ながらある意味すげぇ)。

 これで、俺も少しだけ弓に追いついたかな。弓が監督を請け負った「日本語表現法」
「論文・レポート作成術」のファイルを頭の中に叩き込んで、来年また日本語表現法を
1回生のキャンパスで受け直し、アポロンとダフネの卒業論文執筆(man to man 指導・添削)
もクリアして、小論文検定のマスターコースまで行けたなら、院に行く気は今のところは
もう無いけど、俺も日本語に関しては、弓と凡そ同域にまで来れた、ってことでいいよね。

176:名無しさん@社会人
12/11/10 15:05:53.53 .net
 周りが何と言おうが、俺の中では、弓とリカが問答無用の一番だ。あなた(たち)が女王だ。
たとえ周りが監督の主導権を認めなくても、少なくとも俺はあなたのものだ。
俺の女王はあなただ。だから自信を持って、仕事頑張ってくれていい。
 たとえ電話の取り次ぎをさせられてようが、CELLで雑用させられてようが、
実はお父ちゃんがケチな奴だろうが、俺のあなたに対する一直線の愛の想いは、もはや変えられない。
もう、俺のあなたに対する深い想いは、元には戻らない。あなたが優秀なこと、
実は物凄く内言の緻密で 複雑で しかも系統的で 豊かな 深みのある 読めない人間で、
それ故に周りから理解されないこと、嫉妬心や去勢感から撥ね退けられてしまうことは、
俺が一番よく視て理解してる。
 誰も理解してくれないのなら、俺が理解してあげるじゃん。誰も理解してくれないと思うのなら、
俺のところに来ればいいじゃん。飛び込んで来て、抱きに来てくれりゃいいじゃん。
いつでも俺が癒してあげるんだから、いつまでも待ってるから、早く俺のとこ来てよ。
よく図書館の地下の奥にあるソファーで 独り座って本読んでたり、倉庫の一番奥の
新聞紙置いてるとこで昼寝してるから、そこに合間見計らって こっそり来てくれたら、
教室の外からジロジロ見たり、教室前や図書館前やCELLの前でわざと背後を横目で見ながら
ウロチョロしなくても、いくらでも抱いて全身温めながら、耳元で「愛してる❤」って囁きまくったり、
全身どこでも舌を這わせたり、手で慰めたり、シコシコやらせて貰ったり、何でもしてあげるんだから。

 いい加減早く来てくれないと、弓のせいで、俺最近ずっと欲求不満で、
抑えるの必死なんだから、そのうち代わりに図書館の姉ちゃんに地下でちょっかい出したり、
図書館や事務室横の椅子でリカに抱きついて おっぱいとか太もも揉んで ディープキスしかけたり、
そのまま研究室行ったりとか、あるいは 付さんの部室行って彼女としゃぶり合ったり、
演習室でも研究室でも、なぜかいつも隣に座って、ジロジロみてくるM原さんにでも
授業後に襲いかかって、別の女と肉体関係もって欲求不満発散しちゃうよ。
早く来てくれないと、もう我慢できない。お腹が減り過ぎて、別の女食っちゃいそう。

177:名無しさん@社会人
12/11/10 18:17:57.27 .net
またわいてきたか

178:名無しさん@社会人
12/11/10 21:55:24.23 .net
 今日、定期使って、電車の座席に何時間も座って、行ったり来たりしながら、
梅沢忠雄の『知的生産の技術』の講義ノートを、第一回から前回分まで 一気にぶっ飛ばして
読んでみたけど、やっぱり、いくら伝説の学芸員と傍から見られてようが、
M教授が教えを乞いた先哲だろうが、俺の眼からすれば、やっぱり弓の方が頭良く感じたよ。
何つーか、読んでて 浅かった。

 梅沢自身は、実践してから文句言えって言うけど、でもよくよく考えてみれば、
わざわざ手間かけて実践しなくても、たとえ やったところで先が知れてることなんて、
やる前から解っちゃうんだよね。だって、いい文章を書く人間は、まず大前提で、いい文章に通底する、
複雑な構造を理解して、それを先哲と同じように使いこなせていなければならないのに、
それをあんな単純な方法でしか書けないのだとしたら、そりゃ単純な頭は、所詮は単純なもの(短絡的なもの)しか書けない。
仮に、「いや、単純なものからも複雑なものは生まれるんだ」って向こうが反論してくるならば、
「じゃあ、複雑なものからは、もっと複雑なものが生まれるじゃないか」って俺的になる。
要は、それを使いこなす人間の脳味噌の発達の具合によって、複雑に(深く)感じるか、
単純に(浅く)感じるかの違いなんだって思う。

179:名無しさん@社会人
12/11/10 22:08:08.79 .net
 斬新なアイディアだの何だのと見た目派手なことやってるし、中学生なんかが見たら、
「この人天才!」とか思うんだろうけど、要するにあれって、一見、一人で全部考えたような、
ソースの隠れた書き方がされてるけど、あれって殆ど全部、日本語表現法をパクったものじゃん。
日本語表現法をもっと初心者向けに単純化した感じ。でも、実際に弓が書くような文章って、
全然あんなレベルに終止しないよね。実際はもっともっと複雑だし、読む側も、それなりの読解力が問われる。
 文章全体が構造的になってるだけに留まらず、各パラグラフの中でも、トピックセンテンスと
それを支える支持文が、まるで住宅のように絶妙なまでの整然とした構造を為していて、
しかも各パラグラフのトピックセンテンス同士、そして構造そのものまでが、文章全体のレベルで
これまた整然と調和のとれたものに実はなっていて、ミクロからマクロまで、すべてが調和しているという、
1つの奇跡的なまでの天才的な技術。これは、日本語表現法の腕が上がれば上がるに連れて、
見る人が見れば解るようになっていて、その人の中で、感動的なまでの感慨を呼び覚ます。

 どんなに天才と言われてようが、やっぱり一人で考えるのには無理がある。
色んな人の知恵が集まり、歴史による組織洗練、試行錯誤、体系化、止揚が加わって、
その歴史的に洗練されたものを体系的に学ぶことで、初めて人間は、
その上にポンッと乗っかって、大上段にワープを為して、本当にいい文章が書けるようになるんだ。
 大切なのは、人の言うことを鵜呑みにすることではなくて、そのソースを同じように漁って、
同じように、その体系的なソースの上にポンッと乗っかることなんだよな。これは1回生の時の
斉藤孝の本を読んでても同じことを思わされた。

180:名無しさん@社会人
12/11/10 22:19:16.48 .net
文章を読む時は、全体を1本の線で読む。常にトピックセンテンスを探しながら読み、
ただ(奇抜な、感慨のある)文章をたどるのではなくて、芸術的でありながらも、
反面、冷徹なまでに、主観の介入を許さない、複雑なまでの文章構造を意識しながら、
常に文と文、段落と段落の繋がり、「関係」を意識しながら読む。あ、ここから支持文だな とか、
あるいは 1段落を読み終わったら主題文を読み返してから次の段落に進む、もしくは、
次の段落の主題文にさしかかったら、一旦前の主題文を読み返して、そこからまた主題文、展開文と
全体構造を整理しながら(書き手の思考の軌跡を構造レベルで辿りながら)読み進めていく、
なんていう方法が学術的に身についていて、しかもそれが当たり前のようにこなれている者、
1つの専門技術なまでに昇華された者じゃないと、本気でいい文章だと感じて貰えるものは、絶対書けないし、
いい文章を読んだところで、どうせまともに消化できやしない。

 大切なのは、常に源泉の聖水を飲むことなんだよな。人が口に含んだものを雛みたいに口移しで飲んだって仕方ない。
自分でそこに行って、自分で腹がタップンタップンになるまで、思いっきり顔を突っ込んで、
というか、いっそのことエラでも付けて、そこで魚として暮らして、そこの水で呼吸して、
そこで進化するしか無いんだよね。じゃないと(そこに行かないと)、人間の頭はいつまで経ってもお子ちゃまのまんま。
 一人で考えようとしないこと。一人の力では絶対に叶わないものも世の中あること、
歴史の大河のビッグエウェーブの上に乗っかるチャンスを常に狙うこと、こっちの方が、
カードだ何だよりも、遥かに大切。だって、自分の力じゃないんだから。大いなる精霊の結集した
力が実は陰で働いてるんだから。
 あんた、器デカすぎて、それ故に、男や女から避けられるとこあるんだよ。
河合塾のあいつにも見せてやりたいぐらいだよ、弓の監督した、あの「日本語表現法」と「論文・レポート作成術」。
あれ、読んでて本当 傑作だったよ。1回読んだだけじゃ全然消化しきれないから、3回も4回も5回も、
何回も何回も、大切に読ませて貰うことにするよ。オレの大好きな弓、オレだけの女王様(ハート)。

181:名無しさん@社会人
12/11/10 22:52:28.14 .net
「―トレース オン(同調(投影)開始)」
「―基本骨子、解明」
「―構成材質、解明」
「―憑依経験 行程(共感)完了」
「―全投影 待機」
(「―停止 解凍」)  
「―わが下に集いし聖なる力よ、今こそ我に力を賜らん」
「―全投影 連続層写」   (by ○○家先祖代々精霊)

182:名無しさん@社会人
12/11/17 18:49:36.40 .net
これって1人で長文投稿してるよね?
病んでるよね?
社会学ってやっぱ院に行くと病むものなの?
普通、大学入ったら文系なんて遊ぶもんだよ。
学業不問だよ。大学名だけで判断する。

文系の勉強は、大学受験まで。

183:名無しさん@社会人
12/11/17 20:41:42.31 .net
 塾なんかだと、まともな定職に就いていないどころか、まともに就活すらした事無い
奴ばかりだから、無茶苦茶なこと吹き込まれたりしてきたけど、就活を経験した文系生は、
実は大学受験の知識なんて英語(語学)以外使い物にならない事を知ってる。
企業宣伝やマスコミの宣伝に騙されて、世間が一流と褒めそやしているような企業でも、
実はみんながみんな、旧帝を出ているわけでもないし(そりゃ何万人もいるんだからw)、
むしろ適性検査の時、大学受験の知見しか有っていない者は、どこの項目にも
チェックを入れられない事に気が付く。それだけじゃない。エントリーシートにおいても、
本当に何も書けない。人間として本当に大切な能力ってのは、実のところ エントリーシートにも
書けないような、自分だけがプライベート用に持っておくような 隠れた能力なんだけど、
そういう人文的なのって、技術的にパッとしないから、エントリーシートに書けないんだよね、本当 愕然とするぐらい。
 
 低学歴は書類選考で撥ねられる、なんて神話がネット上で流布してるけど、
実際、撥ねられる奴って、文章が礼儀作法に適ってなかったり、中身が企業価値観的に浅かったり
(企業の価値観から逸れたり)するからであって、それが偶々、低学歴に多いってだけ。
根気が無い。何やっても永く続かない。だからエントリーシートでもまともなことが書けない。
それだけ。パナソニックかどっかが、学歴を見えないようにして、何かしらの手段を用いて、
本当に企業に必要な人材だけを集めたことがあったらしいんだけど、後で調べたら、
その実験みたいなのを実施する前年度より、さらに高学歴が増えたらしい。
バイトでも大学でも、資格でも何でもいいから、賞の1つでも持ってる奴は、自然といいとこに内定貰える。
むしろ、就職率が一番高いのは、実は東大ではなくて、圧倒的な差をつけて、国際基督教大学なんだって。

184:名無しさん@社会人
12/11/17 20:54:14.10 .net
 というか、俺の専攻は、厳密には社会学ではない。そういう○○学というステレオを
梅棹的に取っ払って、自分を学際的に研究する、キャリア学(キャリアデザイン)(キャリア教育学)だ。
 キャリア学(職業心理学)では、ライフスペースは大きく4つに大別されると言われている。
それは、「職場」「学校」「家庭」「地域社会」だ。10代までに学べることなんて、本当に僅かな事だ。
これは教育学の教員も言ってること。だって、学校がやってるのは、ただの学校教育学にすぎないから。
 キャリア学(職業心理学)は、いわば経営学と心理学の借り物のようなもの。
だから、どうしても「パーソナリティー心理学」とか「人的資源論、労務管理」とか、
そっち専門になっちゃうんだけど、俺は偶々、特殊な一族の生まれだから、東洋史・西洋史を
メジャーで取って、日本史や朝鮮史、インド史、フランス史、イタリア史、ロシア史などに
重点を置いて生涯学習を重ねていかなきゃなんないし、学部名がそもそも社会学筆頭の上、
キャリア学でも環境理解(三者相互作用)などの観点で、社会学などは自然と必要になってくる。
 別に、これは社会学に限らず、民俗学などにも言えることで、たとえば大学の経営学で俺は
鈴木敏文の行動経済学を研究してるけど、個人商店なんかだと、ローカルな風俗を理解してるかどうかが、
売上に物凄く影響を与えると教わった。年間を通じての冠婚葬祭は、もはや経営戦略の常識だ。
立地を分析する、なんて手法として、商業地理学なんて学問分野だってあるぐらいだし。
 現代日本人は、学習指導要領の解説書にも書いてある通り、自分で自分に責任をもって、
死ぬまでずっと勉強していかなければならない。自分でユニットを組んで、自分でキャリアをデザインし、
臨機応変に現場に応じて、無理に演繹的に学説(我)を通すんじゃなくて、
むしろ帰納的に考えていかなきゃならない自由競争の時代になっている。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch