音羽屋アンチ=遠山真由美第43幕生活保護なのーat RAKUGO
音羽屋アンチ=遠山真由美第43幕生活保護なのー - 暇つぶし2ch111:金払え観世流上田能楽堂クズ能楽師( ◆UO/39Ral8g.V (スフッ Sdaf-bONF [49.106.204.226])
20/04/24 13:25:34 TBuS/PO6d.net
大政奉還→明治維新
明治天皇は岩倉具視邸に能楽堂作らせたのかいな?(・_・;?

梅若実(1828年-1909年)
能楽再興の基礎を築いた功労者
宝生九郎知栄、桜間伴馬とともに「明治三名人」として名を馳せた観世流の名手である。
文政十一年(1828年)に生まれ、三名人のなかでは最も年長であった。
若い頃から困苦の道を歩んだ梅若実は、培った胆力を持って、幕末から明治維新に至る動乱の時代を乗り越えていった。
明治維新によって能楽師が生活の道を閉ざされ、能そのものが存亡の危機に直面した頃にも演能を続け、
能楽再興の基礎を築いた功労者である。
また非公開であった能を一般に有料公開し、能楽師の生活安定の道を開いたことも偉業の一つとして忘れてはならないであろう。

丹波の矢田猿楽を源流とする梅若家は、江戸時代に観世流のツレ家として勢力を持ち、
祝言能のシテや観世太夫の翁で千歳を勤められる名家であった。
梅若実は、江戸・上野の寛永寺御用達であった鯨井家から、梅若家に養子として入った。
奢侈を好み、借財にも苦しんだ養父のもとでは充分な稽古もできなかったと見え、大変な苦労をして自らの力で芸を磨いていったようである。
実子の梅若六郎(後に実を襲名・故人)の言によると、若い頃は声が出ず、
蓋をした風呂桶の中で謡っているなどと陰口をたたかれたが、そこから発奮して稽古を積み重ねたそうである。←(コレが蓄膿ってことかいな?(・_・;?)

幕末から明治に至る混乱期には、苦しい生活を経ながらも、慶応元年(1865年)にようやく蔵前の自宅に小さな舞台を構える。
しかし揚げ幕すらもなく、五布風呂敷で代用した時代もあったという。明治維新の際には四十一歳。
「能などけしからん」といった風潮のなか、休むことなく芸を磨き、細々ながらも自宅の小舞台で能を演じ続けた。
そして明治四年(1871年)に「翁」演能に至り、徐々に後援者を得て、
名家の舞台を移設するなど能を舞う環境も整えられ、その至芸は識者にも認められるようになっていく。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch