14/03/21 05:51:09.36 .net
金(かね)の草鞋とかけて、心のド真ん中の女を探して三千里、
鋼(かね)の草鞋を履き潰すほど行脚努力の果てにようやく終の
女・伴侶に巡り会うことができた果報者とときます。
そのこころは、祝言の結納は水引をかけた金(きん)の草鞋で幕引きました。とさ。
かねのわらじ、きんのわらじはかけことば。かもですね。
なんつーか、辞書とか無縁の圓生風・世話物噺のネタですよ~。
これが「鋼鉄の草鞋」では洒落にならないでしょ~。
草鞋を脱ぐ。という表現にはそこで落ち着く。
という意味がありますよね。渡世の義理の発生源w
>>655の補足。秋葉原に関する資料
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三田村鳶魚全集9巻:秋葉ばら
明治二年十二月十一日、同所から三度目の出火があったので、翌三年その焼跡を
火除地[ひよけち]にした。すなわち佐久間町一丁目の内、 麹町平河町代地、
神田相生町、同松永町飛地、仲町一丁目及び三丁目、六軒町、八軒町、上野町代地、
柳屋敷、牛込袋町、同肴町代地、柳原大門町の地域である。
去年十二月、外神田類焼町の内、神田相生町外十ケ町を正月中御用地に召上げられ、
右の場所一万二千余坪の所、火除のため畑地になし置れ、其中央より東の方へ寄り、
鎮火の社御創建に成、同十五日上棟の式有之、十七日十八日には、此辺のもの御宮廻り
新築封疆[どて](小土手[こどて]なり)土持[つちもち]とて衣類を飾り、小石川御門
外御堀端の泥土を運ぶ、二十一日には三度目にて、婦女声妓等美しく装ひで出たり、
よって見物群集をなせり、御造営成就して、今年閏十月十五日御鎮座なり、祭神は火
産霊神[ほむすびのかみ]、罔象女神[みづはのめかみ]、埴山毘売神[はにやまひめのかみ]
(安殖命[あちのみこと])、以上三神にして、鎮火社と号せらる、社務は神田社にて
司[つかさど]る、七年二月より此所を花園町と号せらる。(『武江年表』)