10/09/20 14:21:30 .net
>>77
そんな事を今頃一から説明できないので詳しくは自分で調べてください。
掻い摘んで言うと二代目会長の六代目松鶴から三代目会長に移る時、松鶴の意向で米朝を通り越して
三代目春団治になった経緯から端を発してる。
そして、四代目会長文枝(当時小文枝)を経て、五代目会長を選ぶ時にゴタゴタが
ひどくなり、米朝会長、枝雀副会長が総会の選挙で選ばれたが、米朝枝雀は「何をいまさら」と
蹴った。仕方なく文枝が続投し、そして選挙ではなく露の五郎を指名という形で五代目会長になり、
これを期に枝雀一門とざこば一門は協会を抜けた(米朝自体はそのままだが、
協会への関与は一門自体極力少なくなる、しかし一番弟子の先代米紫が協会事務局長だから話はややこしい)
三枝会長となり繁昌亭も出来、やっとざこば一門が復帰して雪解けムードとなった。
三枝はもともと米朝信者ですが南光とは仲が悪いので南光の復帰はまずない。