15/06/04 16:45:06.48 .net
>>321
仏教で言う唯識の考えに近いかもしれませんね。
僕らの意識の唯一性、例えるなら"僕にとっての赤色"は、情報処理の過程そのものであるということを考えたことがあります。
あるいは、言語Xで書かれた言語Xの解説書と言うような。
そういう自分がここにあるという実感それ自体は僕は否定しません。それは否定しがたく実感されているし、唯一のものであるとも思う。
僕はそれを奇跡だと感じています。
ただ、そこまでは認めるけれども、「一個の人間としての自分」までくるとそれは恣意的な区分であると思うのです。
「今ここに在る私」はからは「過去未来にわたって連続する私」は出てこない。
これが行為する意志を失うという表現で意図したかったことです。
今ここに存在することそれ自体が虚しいというわけではないのです。
人間としての私/今ここにある私の区別が曖昧で上手に伝えられていませんでした。
むつかしいな。