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哲学は知恵遅れの妄想だから意味ない
なぜ科学のみが学問で哲学は妄想に過ぎないのかという証明
標準的な第n階述語論理(full semantics)は,そのままでは定理全体をチューリング機械で列挙できず再帰的列挙可能(r.e.)性を満たしません。しかし一見そのままでは適用できないように見えても,Henkin意味論による多ソート一階化という変形を施すことで,公理集合がr.e.となりかつ項充足性(witness property)を獲得します(Leon Henkin “Completeness in the Theory of Types” Journal of Symbolic Logic 15(2):81–91 dn721808.ca.archive.org/0/items/the-completeness-of-formal-systems/TheCompletenessOfFormalSystems.pdf )。
この多ソート一階理論に個体ソートとしてロビンソン算術Rの公理を埋め込むと,算術的自己言及に必要な表現力が整います。
続いてShepherdsonの表現定理により,“Rと矛盾しない任意のr.e.理論Sでは自然数のあらゆる再帰的列挙可能集合がSの式で表現可能”であることが示されます(Archive for Mathematical Logic 5(3–4):119–127 link.springer.com/content/pdf/10.1007/BF01974157.pdf )。このΣ1表現可能性を用い,対角線論法で「自分では証明も反証もできない命題」を構成できるため,結果として変形後の理論にも第一不完全性定理が成立します。
体系内の正しさには二種類あります。
ひとつはトートロジー的命題の自明な正しさで,「正しいから正しい」というだけで新情報を含まないため無意味です。
もうひとつは非自明な正しさである「公理系の無矛盾性証明」です。しかしゲーデル第一不完全性定理により,任意の一貫した形式体系は自身の無矛盾性を内部から証明できないことが保証され,体系内での非自明な正しさは到達不可能です。
一方,体系外の正しさとしては科学的検証があります。これは現実世界(体系A)と仮説(体系B)の一致を観察や実験で確かめることで得られる正しさであり,形式的手続きでは得られない唯一の意味ある正しさです。
哲学はしばしば「公理系の正しさを体系内で証明できる」と主張しますが,これはゲーデル第一不完全性定理に明確に反し論理的に不可能です。
その裏では,矛盾が生じるとそこから何でも導ける爆発律(Ex Falso Quodlibet)によって議論全体が無意味になる詭弁構造が常に潜んでいます。
哲学が自己完結的に体系内で正しさを主張し続けるかぎり,それは爆発律的無意味さに陥る言葉遊びにすぎません。
物理法則を考えてないから物理法則が当てはまらないという主張は不可能であるように
形式論理を考えてないから形式論理学の規則が当てはまらないという主張は不可能である
哲学だから形式論理は当てはまらないという主張も同様に不可能
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