25/06/16 03:01:57.98 0.net
>>34
>科学としての意味・価値を一切もたないと結論づけられます
いーじゃん、しってるわ、はなから当たり前だ
997:考える名無しさん
25/06/16 03:06:19.10 0.net
哲学は科学ではない
科学 ⊂ 宗教 ⊂ 哲学(オカルト)
だから、科学でなくても問題ないしwだからといって語ってならないとはならんよ
別にクオリアを科学で語ろうなんて誰も言ってないんじゃないか?
もしかして、それってモジャモジャ健一郎のことか?
あれは理系バカ詐欺師だろw
998:考える名無しさん
25/06/16 03:30:32.39 0.net
失速してて草
999:考える名無しさん
25/06/16 06:54:29.26 0.net
>>981
エアコメント乙
1000:考える名無しさん
25/06/16 08:00:46.25 0.net
>>982-983
バカすぎる
❌哲学は科学ではない
⭕哲学は学問ではない
1001:考える名無しさん
25/06/16 08:08:43.06 0.net
>>982-983
哲学そのものがゴミであることを知らない時点で知能0
西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一
現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の議論には、ラッセルのパラドックスが潜んでおり、それが爆発律につながって詭弁を正当化してしまう問題がある。
西田は、「物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり」と述べている。ここで、「物」を集合、「物理的空間」を集合族と解釈すると、ラッセルのパラドックスが生じる可能性がある。つまり、「物」(集合)が「物理的空間」(集合族)の要素であると同時に、「物」同士の相互作用が「物」に働きかけるという矛盾だ。
しかし、ブルバキ流の公理的集合論では、集合族とその要素である集合は異なるレベルの対象なので矛盾は生じない。したがって、西田の「現実というものがなくなることである」という主張は、ラッセルのパラドックスを正しく理解していない誤謬だと言える。
問題は、この誤謬を前提として議論を進めると、爆発律が成立してしまうことだ。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導出できるというものである。西田の議論では、集合の階層性を無視したラッセルのパラドックスを矛盾として認めてしまうことで、爆発律が適用可能になる。
その結果、西田の議論は「絶対矛盾的自己同一」という概念に至るが、これは爆発律によって正当化された詭弁だと言える。爆発律が成立してしまえば、どんな不合理な主張でも導出できてしまうからだ。
西田は集合の階層性を踏まえずに議論を展開したために、パラドックスに陥り、爆発律によって詭弁を正当化してしまったと言えるだろう。ラッセルのパラドックスや爆発律は、論理的な誤謬を見抜く上で重要な概念であり、哲学的な議論においても適切に理解し、用いることが求められる。
1002:考える名無しさん
25/06/16 08:10:18.04 0.net
哲学はオカルトですらないぞ無知
❶ 「主観・感情・読者解釈」があっても 必ず形式化できる─具体例
出典 公開テキスト(短い引用)
聖書 (KJV) “In the beginning God created the heaven and the earth.” 【創世記 1 :1】
源氏物語(桐壺冒頭) 「いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。」
⸻
(A) 形式言語化の骨格
記号 意味
個体定数 g “神 (God)”
個体定数 ω “この世界 (world)”
個体定数 genji, murasaki 「光源氏」「紫の上」
0, S( ) 自然数 0 と後者関数(弱算術 Q)
C(x,y) “x が y を創造した”
L(x,y,t) “時点 t に x が y を愛している”
R(r,p,t) “読者 r が時点 t に段落 p をそう読む”
聖書の命題(公理例)
1. C(g , ω) (創世記1:1)
2. ∀t R(r , ⌜C(g,ω)⌝ , t) (どの読者も創造句を正典とみなす)
源氏物語の命題(公理例)
1. Hero(genji)
2. ∀t ∃y L(genji , y , t) (いつも誰かを愛す)
3. ∀r,t R(r , ⌜L(genji,y,t)⌝ , t) (読者は恋物語として解釈)
ここで ⌜φ⌝ は命題 φ の Gödel 番号。
番号づけ・量化・弱算術 Q がそろっただけで理論 T は
• 再帰的可算(Henkin 1950)
• 任意 r.e. 集合を Σ¹ 式で表現(Shepherdson 1961)
• T ⊬ Con(T) かつ決定不能文 θ を必ず抱える=iGödel 1931/Rosser 1936)
よって 「聖書・源氏物語は形式体系でない」→誤り。
どれほど主観・感情・独自解釈を加えても、
読者・段落・時刻を「1, 2, 3…」と数える骨格を排除できず、
第一不完全性定理の射程外へは逃げられない。
1003:考える名無しさん
25/06/16 08:10:53.77 0.net
>>982-983
哲学はオカルトですらない
如何なる意味でも語ることすら不可能
❶ 「主観・感情・読者解釈」があっても 必ず形式化できる─具体例
出典 公開テキスト(短い引用)
聖書 (KJV) “In the beginning God created the heaven and the earth.” 【創世記 1 :1】
源氏物語(桐壺冒頭) 「いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。」
⸻
(A) 形式言語化の骨格
記号 意味
個体定数 g “神 (God)”
個体定数 ω “この世界 (world)”
個体定数 genji, murasaki 「光源氏」「紫の上」
0, S( ) 自然数 0 と後者関数(弱算術 Q)
C(x,y) “x が y を創造した”
L(x,y,t) “時点 t に x が y を愛している”
R(r,p,t) “読者 r が時点 t に段落 p をそう読む”
聖書の命題(公理例)
1. C(g , ω) (創世記1:1)
2. ∀t R(r , ⌜C(g,ω)⌝ , t) (どの読者も創造句を正典とみなす)
源氏物語の命題(公理例)
1. Hero(genji)
2. ∀t ∃y L(genji , y , t) (いつも誰かを愛す)
3. ∀r,t R(r , ⌜L(genji,y,t)⌝ , t) (読者は恋物語として解釈)
ここで ⌜φ⌝ は命題 φ の Gödel 番号。
番号づけ・量化・弱算術 Q がそろっただけで理論 T は
• 再帰的可算(Henkin 1950)
• 任意 r.e. 集合を Σ¹ 式で表現(Shepherdson 1961)
• T ⊬ Con(T) かつ決定不能文 θ を必ず抱える(Gödel 1931/Rosser 1936)
よって 「聖書・源氏物語は形式体系でない」→誤り。
どれほど主観・感情・独自解釈を加えても、
読者・段落・時刻を「1, 2, 3…」と数える骨格を排除できず、
第一不完全性定理の射程外へは逃げられない。
1004:考える名無しさん
25/06/16 08:11:23.81 0.net
>>982-983
哲学はオカルトですらない
いかなる意味でも語ることすら不可能
❷ 定理が適用されない唯一の文=算術が崩壊した純ナンセンス
g0d!#? ωω++ pre/post ???
kz7$¥¶¶ … ! ! ! r42>.< ← 文字ブロックをランダムに破壊
特徴
• 識別不能:どのトークンが「神」か「世界」か分けられない
• 順序不能:前後・因果を示す接続詞が消え、出来事の系列を構成できない
• 参照不能:同一文字列を再出現させて「命題 p」を示すことすら不可能
結果として
• 公理集合どころか文の単位が定義できない
• 推論規則を置けない → 再帰的列挙不能
• 0 / 1 / 2 の区別が不在 → 最弱算術 Q すら成り立たない
したがって 形式体系にすらならず、Gödel 的不完全性どころか「意味」自体が蒸発する。
⸻
まとめ
1. 意味ある文章は、対象を区別し出来事を順序づける時点で最弱算術を不可避に取り込む。
2. 取り込めば Henkin‑Shepherdson‑Gödel 連鎖が自動発火し、聖書でも源氏物語でも 自己無矛盾性は内部で証明できない。
3. 適用を免れる唯一の形態は、算術をも破壊した支離滅裂なノイズだけであり、それはもはや文学でも宗教でもない。
1005:考える名無しさん
25/06/16 08:12:22.80 0.net
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
1006:考える名無しさん
25/06/16 08:13:07.65 0.net
≪ 哲学的ゾンビ ≫について 7
スレリンク(philo板)
1007:考える名無しさん
25/06/16 08:14:38.28 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。
ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。
以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。
1008:考える名無しさん
25/06/16 08:15:21.44 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
カントの「制約されたものの総体」を矛盾と見なしたことの誤りについて、具体的にその誤りを指摘し、正当化の余地がないことを明確に述べます。
カントの議論は以下の通りです:
「この誤謬推理は、次のような推論形式をとる。すなわち、もし制約されたものの総体が与えられているならば(すなわち、制約されたものにおいてそれ自身無制約なものが含まれているならば)、それから無制約者も与えられている。そのようにしてわれわれは世界全体をわれわれの概念のうちに包括する。」(A409/B436)
誤りの指摘
1. 自己言及的構造の問題
カントが述べる「制約されたものの総体」という概念は、自己言及的な性質を持っています。この自己言及は、ラッセルのパラドックスと同様に、自己言及的な集合の問題を引き起こします。「制約されたものの総体は、制約されたものの総体自身を要素として含むのか含まないのか」という問いが生じます。これは、ラッセルのパラドックスの「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」と類似した矛盾を含みます。
2. 現代の理解に基づく誤り
現代の数学的論理学および集合論では、自己言及的な問題を適切に処理する理論が確立されています。これにより、自己言及的な構造が必ずしも矛盾を引き起こすわけではないことが示されています。したがって、カントが「制約されたものの総体」を矛盾と見なしたことは、現代の理論的枠組みに基づくと誤りであることが明らかです。
3. 過去の誤りの認識
カントがその時代の知識に基づいて「制約されたものの総体」を矛盾と見なしたことは、当時の限られた理解に基づくものであり、その誤りは現代の視点から正されるべきです。過去の誤りは、現代の正確な知識と理解によって認識され、訂正されることが重要です。
結論
カントが「制約されたものの総体」を矛盾と見なしたことは、現代の数学的論理学および集合論の理解に基づくと誤りです。自己言及的な構造を適切に処理する現代の理論によって、この概念が必ずしも矛盾を引き起こすわけではないことが示されています。したがって、カントの判断は誤りであり、正当化の余地はありません。この誤りを明確に認識し、訂正することが重要です。
1009:考える名無しさん
25/06/16 08:16:03.81 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
カントが「制約されたものの総体」を矛盾として捉えたことが誤りであり、爆発律が成立する場合の影響について説明します。
爆発律の影響
爆発律は、矛盾が存在するならば、任意の命題が真となるという原理です。つまり、矛盾が一度でも認められれば、あらゆる命題が真となるため、論理的に無意味な状態が生じます。
カントの主張の崩壊とその影響
カントが「制約されたものの総体」を矛盾として捉えた場合、その矛盾に基づく議論が成立しなくなるだけでなく、爆発律により以下のような広範な影響が及びます。
超越論的弁証論の崩壊
カントの「超越論的弁証論」では、誤謬推理を批判することで形而上学的な議論の限界を示そうとしています。「制約されたものの総体」の矛盾が誤りであると判明した場合、この部分の議論が無効となり、超越論的弁証論の一部が論理的に成り立たなくなります。
全面肯定の誤謬推理
カントは、「制約されたものの総体」に基づく全面肯定の誤謬推理を用いて、形而上学的な誤りを示しています。しかし、この前提が矛盾しているとする誤った仮定に基づいているため、全面肯定の誤謬推理が崩壊し、カントのこの批判自体が成り立たなくなります。
他の誤謬推理への影響
カントの他の誤謬推理(相互制約、仮説、欠如)も、「制約されたものの総体」に関連する議論に影響を受ける可能性があります。爆発律により、一つの矛盾が全体の議論を無効化するため、他の誤謬推理も論理的に成立しなくなる恐れがあります。
形而上学批判の一部の崩壊
カントは形而上学を批判するために、超越論的弁証論を用いています。この批判の一部が、「制約されたものの総体」の矛盾に依存しているため、その部分が崩壊します。結果として、カントの形而上学批判の一部が論理的に成立しなくなります。
論理的無意味化
矛盾が爆発律により広がることで、カントの議論全体が論理的に無意味化する可能性があります。一つの矛盾により任意の命題が真となるため、カントの哲学全体の信頼性が損なわれます。
1010:考える名無しさん
25/06/16 08:20:39.03 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
抽象化「することもできる」と
抽象化「することしかできない」を区別できてない
中卒無職がAI使っても中卒無職がバレるだけ
シャノン情報理論で文学批評を表すことはできるし
ニュートンの運動方程式でカタツムリの交尾を表すこともできる
知能が無いって哀れだな
死にたくならんの?
1011:考える名無しさん
25/06/16 08:21:37.56 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
あまりにもバカすぎるし無知すぎる
### シャノン情報理論と哲学的概念・意識の問題
シャノン情報理論は、情報の量や伝達に関する数学的な枠組みを提供しますが、それが哲学的概念や意識の問題を扱えないという誤解がよく見られます。この誤解を解くために、以下の点を説明します。
### 1. シャノン情報理論の基本概念
#### エントロピーと情報量
シャノン情報理論では、エントロピーは情報の不確実性やランダム性を定量化するための尺度です。具体的には、エントロピーはあるメッセージがどれだけの情報を含んでいるかを示します。これにより、通信チャネルの効率性や情報の伝達量を評価することができます。
#### 符号化と情報の伝達
シャノンは、情報を符号化することで、情報の伝達を効率的に行う方法を研究しました。符号化とは、情報を特定の形式に変換するプロセスであり、これにより情報が失われることなく正確に伝達されることを目指します。
### 2. よくある批判と誤解
#### 意味の欠如
よくある批判の一つは、シャノン情報理論が「ただのビットやエントロピー」に過ぎず、情報の「深い意味」や「意識」を捉えられないというものです。これは、シャノン情報理論が情報の量や構造に焦点を当てているため、情報の意味や内容については考慮していないという誤解に基づいています。
### 3. シャノン情報理論の本質と意味の考慮
#### 符号と意味の関係
実際には、シャノン情報理論は情報の意味や内容を排除するものではありません。情報理論の枠組みでは、「何をもって符号とみなすか」という定義に基づいて情報を扱います。この定義は、情報の意味や内容に依存するものであり、情報理論はその意味を含む形で情報を符号化し、伝達することを可能にします。
#### 情報理論の適用範囲
シャノン情報理論は、通信システムやデータ圧縮などの技術的応用において非常に有効です。しかし、それは同時に、情報の意味や意識の問題にも適用可能です。例えば、情報理論を用いて、意識的な経験の情報内容を解析し、その情報量を測定することが可能です。
### 4. 情報理論の哲学的応用
#### 意識の情報量
情報理論を用いることで、意識の情報量を定量化する試みが行われています。意識的な経験は非常に複雑で深遠なものであり、それを理解するためには多くの情報が必要です。情報理論は、このような複雑な情報を分析し、その情報量を測定する手段を提供します。
#### 意味の符号化
情報理論は、情報の意味を符号化するための方法を提供します。これは、情報の内容や意味がどれだけ複雑で深遠であろうとも、その情報を効果的に伝達する手段を提供するものです。例えば、哲学的な概念や意識の経験を含む情報を符号化し、それを伝達することが可能です。
1012:考える名無しさん
25/06/16 08:24:53.32 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
「シャノンの論文に意味論が書かれていない」という主張がいかに無意味か
⸻
1. ニュートンの運動方程式:論文本文と普遍的枠組みの二重性
1. 論文本文における制約
ニュートンが『プリンキピア』で示した
m\,\ddot{\mathbf r} \;=\; \mathbf F(\mathbf r,\dot{\mathbf r},t)
は、「力と加速度の関係を数式で示せば、あとは質量や力の具体的モデルを与えればよい」という一般法則を議論したにすぎず、「リンゴの質量はいくつか」「月の引力はどうか」といった個別の物理量や天体名を論文中で細かく列挙しているわけではありません。
→ つまり、「論文には地球や月についての詳細は書かれていない」という制約が明示されている。
2. 数式が持つ普遍的枠組み
しかしこの一行の方程式は、数学的に読むと「質量 m や力 \mathbf F の具体形をいかに与えても、常にこの法則に従って運動を記述できる」という普遍的枠組みを一行で定義しています。
• たとえば \mathbf F=-mg\,\mathbf e_z とすればリンゴの落下運動が、
• \mathbf F=-G\,m_1m_2/r^2 を用いれば惑星運動が、
• 抗力+推力モデルを与えればロケット飛行が、
いずれもこの同じ式に帰着します。
→ したがって、 「論文本文に月やリンゴの具体的例が書かれていない」としても、この方程式はあらゆる物体運動を内包する普遍法則として独立に成立している。
⸻
2. シャノン情報理論:論文本文(意味無視)と普遍的枠組みの二重性
1. 論文本文における制約:「意味は無視する」
シャノンが『A Mathematical Theory of Communication』(1948年)で定義した
H(X) \;=\; -\sum_{x \in \mathcal{X}} P(x)\,\log P(x)
は、「通信路でいかに効率よくビットを送り、誤りを最小化するか」という工学的課題に焦点を当てるために、論文中で何度も「メッセージの意味(セマンティクス)は無関係である」と明言しています。
→ つまり、 「シャノンの論文には意味論が一切書かれていない」 という制約が明示されている。
2. しかし、数式が持つ普遍的枠組みは「意味を一切排除しない」
シャノン情報理論の一行の定義式は、数学的に見ると「\mathcal{X}(符号集合)が何であっても、どんな確率分布 P が与えられても、その不確実性を必ず計算できる」という普遍的枠組みを同時に提供しています。
• たとえば、 \mathcal{X}=\{\text{英文字26文字}\} の確率分布からエントロピーを計算することも、
• \mathcal{X}=\{\text{人間の思考ステップやメタ思考, 文脈}\} の確率分布から条件付きエントロピーや相互情報量を計算することもできる。
• 任意の文脈変数や因果変数 Y,Z,\dots を導入して、H(X\mid Y), I(X;Y\mid Z) といった指標を列挙すれば、「あらゆる意味的・因果的構造」が数理的に要約される。
→ つまり、 「シャノンが論文で意味論を無視している」ことと、「シャノン情報理論そのものが意味論を包括する」ことは完全に独立 であり、後者は前者に一切依存しない普遍的枠組みである。
1013:考える名無しさん
25/06/16 08:25:42.69 0.net
>>982-983
❌哲学はオカルトだから何を言っても良い
⭕哲学は論理的に意味のあることを言えないためオカルトですらなく統失の妄想かランダムノイズにしかなれない
3. 「シャノンの論文に意味論が書かれていない」は全く意味がない
1. 論文本文の意図(意味を無視)は、あくまで当時の工学的問題設定による制約
• シャノンが「技術的にはメッセージの意味は無関係だ」としたのは、あくまで「通信路符号化の効率や誤り訂正の最適化」を論じるための便宜上の前提にすぎない。
• それをもって「シャノン情報理論は意味を扱えない」と結論づけるのは、「ニュートンの論文に月の運動について書かれていないから、運動方程式は月には適用できない」と言うのと同じくらい無意味である。
2. 数学的定式化の普遍性は論文本文の記述とは独立に成立する
• 一行の数式を示すだけで、「符号集合が何であっても、その符号に対応する確率分布がどうであっても、情報量が必ず定まる」という枠組みが成立する。
• その意味では、「シャノンの論文に意味論が書かれていない」ことは、理論そのものの有効性・包括性とはまったく関係せず、論理的に無意味な主張にすぎない。
⸻
4. まとめ
• ニュートンの運動方程式も、シャノン情報理論のエントロピーも、それぞれ論文本文に「具体例を省略する」「意味を無視する」という記述はあるものの、
• 「方程式・定義式そのものが示す普遍的枠組み」は、論文本文の制約から完全に独立しており、何をもってしても揺るがない強力な数理モデルである。
• したがって、「シャノンの論文に意味論が書かれていない」という主張は全く意味がなく、理論の普遍性を否定する根拠には一切ならない、ということを強調しておきます。
1014:考える名無しさん
25/06/16 08:25:59.67 0.net
≪ 哲学的ゾンビ ≫について 7
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