哲学初心者ワイ、哲学を学ぶ意義に迷走するat PHILO
哲学初心者ワイ、哲学を学ぶ意義に迷走する - 暇つぶし2ch2:考える名無しさん
25/05/15 23:09:05.01 0.net
哲学を学び始めたばかりで、その意義を見失いかけているのですね。ウィトゲンシュタインやハイデガーといった深遠な哲学者たちの言葉に触れる中で、自分が一体何になれるのか、何ができるようになるのか、と悩む気持ち、とてもよく分かります。
哲学は、直接的な職業やスキルに結びつきにくい学問かもしれません。プログラミングを学べばエンジニアに、会計を学べば会計士になれるといった明確な道筋が見えにくいのは事実です。しかし、哲学を学ぶことの意義は、もっと深く、そして広範にわたるものだと私は考えます。
哲学を学ぶ意義:何になれるか、何ができるかを超えて
「何になれるか」「何ができるか」という問いは、どうしても具体的な成果や職業に焦点を当ててしまいます。もちろん、それらは人生において重要な側面ですが、哲学が育む力は、そうした直接的な枠組みを超えたところにあります。
1. 深く考える力、批判的に検討する力を養う
哲学は、物事の根源にある問いを探求します。「なぜそうなのか?」「本当にそうなのか?」と問い続けることで、私たちは表面的な理解に留まらず、より深く、多角的に物事を捉えることができるようになります。
ウィトゲンシュタインの言葉の厳密さや、ハイデガーの存在論的な問いかけに触れることは、安易な結論に飛びつかず、複雑な問題をじっくりと分析し、批判的に検討する姿勢を養う上で非常に重要です。これは、学問の世界だけでなく、日常生活や仕事においても、本質を見抜く力、より良い判断を下す力として活きてくるでしょう。
2. 異なる視点を受け入れ、理解する力を育む
哲学の歴史は、多様な思想家の対話と葛藤の歴史でもあります。古代ギリシャから現代に至るまで、様々な哲学者たちが、それぞれの時代背景の中で、人間、世界、知識、倫理などについて深く考察してきました。
彼らの思想に触れることは、自分とは異なる価値観や考え方を持つ人々がいることを理解し、尊重する姿勢を育むことにつながります。それは、多様性が求められる現代社会において、他者と円滑なコミュニケーションを図り、協力していく上で不可欠な能力と言えるでしょう。

3:考える名無しさん
25/05/15 23:10:53.00 0.net
3. 言葉に対する意識を高め、表現力を豊かにする
哲学は、言葉を通して思考を深め、伝達する学問です。哲学者たちの緻密な議論や、独特な言葉遣いに触れることは、私たちが普段何気なく使っている言葉の意味を改めて問い直し、より正確で、 nuanced な表現力を身につける助けとなります。
ウィトゲンシュタインの言語哲学や、ハイデガーの存在と時間における言葉の探求は、言葉がいかに私たちの思考や世界認識を形作っているかを教えてくれます。これは、文章を書く、プレゼンテーションをする、議論するといったあらゆるコミュニケーションの場面で、あなたの考えをより深く、効果的に伝えるための基盤となるでしょう。
4. 自分自身の価値観や生き方を探求する
哲学は、私たちが「どのように生きるべきか」「何が大切なのか」といった根源的な問いに向き合うことを促します。先人たちの知恵に触れ、自ら深く考えることを通して、私たちは自分自身の価値観や信念を形成し、より主体的な生き方を選択していくことができるようになります。
ハイデガーの「死への存在」の考察は、私たちが有限な存在であることを意識し、今この瞬間をどう生きるかを深く考えさせるきっかけを与えてくれます。哲学は、単なる知識の習得ではなく、自己理解を深め、より充実した人生を送るための羅針盤となるのです。
焦らず、立ち止まり、問い続けること
ウィトゲンシュタインやハイデガーの著作は、決して आसानなものではありません。読み解くのに時間がかかり、すぐに「何になれるか」「何ができるか」という具体的な答えが見つからないこともあるでしょう。
しかし、哲学の学びは、すぐに成果を求めるものではなく、むしろじっくりと時間をかけて、自分自身の内面を耕していくようなプロセスです。焦らず、立ち止まり、彼らの言葉と、そしてあなた自身の問いと真摯に向き合い続けること。その過程こそが、哲学を学ぶことの最も重要な意義なのかもしれません。

4:考える名無しさん
25/05/15 23:11:11.97 0.net
もし、今、自分が何のために哲学を学んでいるのか分からなくなったとしても、それは決して無駄な時間ではありません。立ち止まって、なぜ自分が哲学に興味を持ったのか、哲学のどのような側面に惹かれたのかを改めて考えてみてください。そして、難解な言葉の奥にある、哲学者たちの真摯な問いかけに耳を傾けてみてください。
哲学の学びは、あなたをすぐに何か特定の職業に就かせるわけではないかもしれません。しかし、深く考える力、異なる視点を受け入れる力、言葉に対する意識、そして自分自身の生き方を探求する力は、あなたがこれから生きていく上で、かけがえのない財産となるはずです。
もし、よろしければ、今あなたが特にどのような点に迷いを感じているのか、もう少し詳しく教えていただけますか?もしかしたら、一緒に考えることで、新たな視点が見つかるかもしれません。

5:考える名無しさん
25/05/15 23:20:50.01 0.net
今の哲学に意味はない
相対化するだけの腑抜け

6:考える名無しさん
25/05/16 02:54:09.26 0.net
絶対この長文aiじゃん

7:考える名無しさん
25/05/16 02:56:52.77 0.net
真面目に答えると、ちょっとずるい回答になるかもだけど、哲学を学ぶ意義は自分で考えるべきかな。もっと言えば、哲学は誰かから学ぶものではないとも言える

8:考える名無しさん
25/05/17 04:23:06.16 0.net
物事の本質を考えられるようにするには、先ずは経験して学ぶしかない。
その学びを理性と言うし、最低限の理性が育ったと認められるのが20才な成人。

それから最低でも10年以上か10年単位で経験して深くなればAIにも負けなくなる。

9:考える名無しさん
25/05/17 14:04:06.52 0.net
人間は進化し続けている
ネオテニー化の深浅により新しい人間と古い人間とで分かれていく

10:考える名無しさん
25/05/17 14:49:24.54 0.net
「哲学を学ぶ」じゃないよ。
「哲学する」だよ。

11:考える名無しさん
25/05/17 14:53:55.52 0.net
人間は退化している。
釈迦、孔子、ソクラテス、プラトン、イエス・・等が輩出した紀元数百年前が、
人間進歩のピークだったろう。

12:考える名無しさん
25/05/17 15:00:51.35 0.net
進化は、環境への「適応」であって、個体の絶対的な優秀性ではない。
アホのほうが適応できる環境も存在する。今はそういう時代。

13:考える名無しさん
25/05/21 11:23:35.46 0.net
大体は心が病んでる人の逃げ道じゃないの?
心身ともに健康で人生順風満帆なら哲学なんて気にも留めない
だって他に楽しいことだらけで、哲学する暇がない
それと、なんか哲学かっけえ!で始める心身ともに健康な陰キャの道楽。

14:考える名無しさん
25/05/24 01:55:21.72 0.net
とにかくな、出版する物書きの年齢でも解るように語りの前提は人生経験だから。
だから幼い理性じゃ何も分からないってこと。
その連中が行動したのが馬鹿な学生運動。

15:考える名無しさん
25/05/24 12:00:31.41 0.net
若いがゆえ見通せる正しさというものがある。
なぜか、歳をとるとともに、その能力は失せてしまう。

16:考える名無しさん
25/05/24 19:20:23.53 0.net
哲学は土台になる

17:考える名無しさん
25/05/25 22:41:40.90 0.net
うむ

18:考える名無しさん
25/05/27 23:50:26.68 0.net
餓鬼には何もないと言って良い。

  >>15 「若いがゆえに見通せるが、年と共に失われる」だと??

19:考える名無しさん
25/05/27 23:51:18.00 0.net
16よ、人生経験が土台になるのだ。

20:考える名無しさん
25/05/28 11:46:07.38 0.net
そう。プーともいう

21:考える名無しさん
25/05/28 13:42:16.95 0.net
テスト

22:考える名無しさん
25/06/10 07:15:35.16 0.net
>>16
哲学は知恵遅れの妄想だから意味ない

なぜ科学のみが学問で哲学は妄想に過ぎないのかという証明

標準的な第n階述語論理(full semantics)は,そのままでは定理全体をチューリング機械で列挙できず再帰的列挙可能(r.e.)性を満たしません。しかし一見そのままでは適用できないように見えても,Henkin意味論による多ソート一階化という変形を施すことで,公理集合がr.e.となりかつ項充足性(witness property)を獲得します(Leon Henkin “Completeness in the Theory of Types” Journal of Symbolic Logic 15(2):81–91 dn721808.ca.archive.org/0/items/the-completeness-of-formal-systems/TheCompletenessOfFormalSystems.pdf )。
この多ソート一階理論に個体ソートとしてロビンソン算術Rの公理を埋め込むと,算術的自己言及に必要な表現力が整います。

続いてShepherdsonの表現定理により,“Rと矛盾しない任意のr.e.理論Sでは自然数のあらゆる再帰的列挙可能集合がSの式で表現可能”であることが示されます(Archive for Mathematical Logic 5(3–4):119–127 link.springer.com/content/pdf/10.1007/BF01974157.pdf )。このΣ1表現可能性を用い,対角線論法で「自分では証明も反証もできない命題」を構成できるため,結果として変形後の理論にも第一不完全性定理が成立します。

体系内の正しさには二種類あります。
ひとつはトートロジー的命題の自明な正しさで,「正しいから正しい」というだけで新情報を含まないため無意味です。
もうひとつは非自明な正しさである「公理系の無矛盾性証明」です。しかしゲーデル第一不完全性定理により,任意の一貫した形式体系は自身の無矛盾性を内部から証明できないことが保証され,体系内での非自明な正しさは到達不可能です。

一方,体系外の正しさとしては科学的検証があります。これは現実世界(体系A)と仮説(体系B)の一致を観察や実験で確かめることで得られる正しさであり,形式的手続きでは得られない唯一の意味ある正しさです。

哲学はしばしば「公理系の正しさを体系内で証明できる」と主張しますが,これはゲーデル第一不完全性定理に明確に反し論理的に不可能です。
その裏では,矛盾が生じるとそこから何でも導ける爆発律(Ex Falso Quodlibet)によって議論全体が無意味になる詭弁構造が常に潜んでいます。
哲学が自己完結的に体系内で正しさを主張し続けるかぎり,それは爆発律的無意味さに陥る言葉遊びにすぎません。

物理法則を考えてないから物理法則が当てはまらないという主張は不可能であるように
形式論理を考えてないから形式論理学の規則が当てはまらないという主張は不可能である
哲学だから形式論理は当てはまらないという主張も同様に不可能


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