反出生主義について★12at PHILO
反出生主義について★12 - 暇つぶし2ch965:考える名無しさん
25/05/01 00:08:11.50 0.net
村ですらうまくいかないのに国なら成功するとは思えんのだけど

966:考える名無しさん
25/05/01 00:12:01.17 0.net
>>965
おまえらってさぁ、消極的功利主義とか出てきてんのに、自分らがどれだけアホな話をしてるかってわかってる?

967:考える名無しさん
25/05/01 00:13:15.85 0.net
>>963
「出生は悪である」という前提にたってその反出生村が存在できるのだから
それだと前提と結論が逆になっている

968:考える名無しさん
25/05/01 00:13:25.91 0.net
基本、アホばっかだよ

969:考える名無しさん
25/05/01 00:14:09.66 0.net
子供を産んでる人には効果が無いってのもよく分からないけどまあそれは置いておいて、少なくともこれから産もうと悩んでる人には反出生村の効果はあるのでは?
ベネターだって産まれた人はしょうがないって言ってるんだから訴えかけるべきはすでに産んだ子持ちでは無く産もうか悩んでる人だと思うし

970:考える名無しさん
25/05/01 00:18:52.38 0.net
>>967
逆でも構わんよ
「出生が悪」だと証明する為に反出生が集まって苦痛が産まれない反出生村を作る、でもいい

971:考える名無しさん
25/05/01 00:22:32.40 0.net
>>968
それなりにまともな話を展開すればするほど、アホだけが残っていってる気がするんだが?なんでだろ?

972:考える名無しさん
25/05/01 00:23:20.07 0.net
>>969
その村には多からず効果はあると思う。私が怠惰で熱意がないだけだ
反出生主義の問題じゃなくて私個人の問題だ

973:考える名無しさん
25/05/01 00:28:13.01 0.net
>>970
それ逆のままじゃない
「出生が悪だと証明する」ために「反出生村を作る」というのは文章的におかしくて

「出生が悪だと証明する」ために集まって、仮に証明されたとして、「反出生村を作る」
というのがただしいんじゃない?

974:考える名無しさん
25/05/01 00:29:05.85 0.net
>>972
他の反出生も村を作ろうって言い出す人は誰もいないからあなただけが怠惰なわけじゃ無い
気にしないで欲しい

975:考える名無しさん
25/05/01 00:34:55.81 0.net
>>973
んー意図と違うかもしれないけど私が言いたいのは反出生村を成功させて外部に反出生主義者を増やし、反出生街を作り、ゆくゆくは反出生国を作れば良いのではと言ってる

976:考える名無しさん
25/05/01 01:00:05.81 0.net
>>957
まず、根本的に倫理というのは一枚岩ではありません。そもそも、反出生主義は既存の倫理へのカウンターなので、既存の倫理と異なるのは当然です。
倫理の根源については様々な議論がありますが、私は信念や価値観だと考えますので、その点はあなたに同意します。一方、あなたが正しいと信じる倫理もあなたの信念や価値観によって形成されたものであると考えられます。ヒュームが述べているように、倫理とは論理的に演繹できる性質のものではないということは共通認識です。ヒュームの法則に当たらない倫理規範は存在しないというのが私の考えです。

苦痛の悪性についてですが、通常、人は苦痛を忌避します。それは苦痛が本人にとって悪いものであり、できれば避けたいからです。
例を挙げると、尿路結石、骨折、癌、鬱病、統合失調症、イジメ、差別、各種ハラスメント、その他様々な苦痛を「良いもの」として好んで受け入れる人はまずいないと思われます。私はこのような苦痛を「絶望的苦痛」と呼びます。定義は「本人が絶対に望まない苦痛」です。
更に掘り下げると「本人が絶対に望まない苦痛とは何なのだ?」という疑問が湧いて来ますが、これはある程度は一般化できます。上に書いた例は絶望的苦痛と言えるでしょう。勿論、癌の苦痛を好んで受けるという人が存在する可能性を完全に否定することはできませんが、そのような人は一旦考察の対象から外します。恐らく、絶望的苦痛が何も無いという人間は存在しないと思われます。そういう意味では、「何が苦痛となるのか?」という厳密な定義はあまり問題にならないのです。

合成の誤謬についての見解はもう書きましたが、改めて述べると、長期的な苦痛が無くせるのであれば、短期的な苦痛は「あってもいい」と考えます。
そして、構造的帰結の責任を私に求めるのは筋違いです。反出生主義は自己選択なので、このような帰結は各人の自律的選択が積み重なったものであり、誰か1人に責任を問うことはできません。
強いて言えば、「人類が選んだ」ということです。

977:考える名無しさん
25/05/01 01:44:36.54 0.net
多くの人にとって、死は絶望である
例外的に死を望む人は、価値観が逆転してしまうほどの酷い苦痛を受けている場合がほとんど
死という現象そのものに苦痛は伴わないかもしれないが、死に至る過程で苦痛が伴う 

生まれれば、必ず死ぬ
我が子の死を回避させる為には、生まないしかない

978:考える名無しさん
25/05/01 01:47:36.70 0.net
どうみても哲学とか興味なさそうなのが混じってワチャワチャやってるの何なの

979:考える名無しさん
25/05/01 02:59:48.89 0.net
死にたくないくらい幸せな時点で親に感謝しろよクズ

980:考える名無しさん
25/05/01 04:50:55.19 0.net
クズはてめえだゴミカス

981:考える名無しさん
25/05/01 07:38:52.87 0.net
>>975
反出生主義を政治的に捉えるか、哲学的に捉えるかで975と私で違いがある

もちろん975のように正しいと思うなら行動で示しその価値観を広めるべきという考えも理解できる
ただ哲学的には、「みんなで一つの結論に達する」ことが重要になる
私は反出生主義は正しいと考えてはいるけど、
それが議論によって覆る可能性もあると思う

「正しいと思うならそっちで勝手に政治的行動をすればいい」というのは哲学的態度を放棄している
政治的には975は正しいんだけど。

982:考える名無しさん
25/05/01 08:24:43.34 0.net
>>976
んー相対主義を隠れ蓑にしてないか
批判回避のために相対主義利用して、思想の社会的責任を放棄している感じ。
倫理が相対的であることは確かだが、かといって全ての倫理が等価で批判不可能である訳では無いよね、当然のことだけど。
倫理としての社会的評価つーか、公共的倫理(社会的な合意や制度設計や政策の検討)については、整合性、影響度合い、実効性の観点から批判的に検討しないとだろうし。
相対性を根拠に批判を免除しようとするのは、ぶっちゃけ許されないと思う

苦痛の一般化についても危うい。事例ベースで苦痛の普遍性を主張し、存在否定への倫理的飛躍を正当化しようとしている感じがするけど、
その「絶望的苦痛」のような苦痛の種類は、結局は程度の問題に過ぎず、「苦痛=存在否定」という主張を正当化する根拠にはならないよな。
苦痛の意味や価値なんて、時代の変遷(社会的関係・文化的背景・内的構造)によって変わってくるでしょ、技術の発展や社会の習熟度合いとか考えれば。
てか苦痛は(反出生主義含めて)何らかの共感や変化や創造の切っ掛けにもなるわけじゃん?思ったけど、それすら否定すると、巡り巡って反出生主義の否定にもなってくるんじゃない?知らんけど笑

で、反出生主義は、人類滅亡の切っ掛けというか、その選択や方向性を決定付けようとする立場に加担するわけじゃんか(ベネターが既に組み込んでるわけで)。まあ誰か一人に責任を負わせられるわけではないしそれは難しいだろうけど、加担者は責任持つべきじゃないの?
いくら個人の選択とはいえ、その理念を「広め・正当化し・推進する思想や運動」には構造的責任が生じるでしょうよ。
そもそも「静かに滅ぶ」(このスレ然り反出生に肯定否定と騒動してる有様を目にしておきながら、静かに滅べるのか甚だ疑問だが)に至る契機として、個人の選択にしろ社会の選択にしろ「反出生主義」に「舵を切る」あるいは「舵を切らせる」機会があるわけでしょ?

983:考える名無しさん
25/05/01 08:54:40.14 0.net
>>982
簡単に応答しておきます

・相対主義を隠れ蓑
してません。言っていません。
「倫理の根源は信念や価値観」と述べただけです。
異なる倫理が対立、拮抗するのは必然です。

・苦痛の意味や価値
例えば、癌の苦痛が本人にとって悪いものであるということは、文化や社会の変化に伴い変わるものではありません。癌が無くなる可能性はあります。
苦痛を相対化しようとしたようですが、無理があります。

・合成の誤謬の責任
「舵を切る」の意味が不明瞭です。
仮に、掲示板・SNSなどで反出生主義について発信することだとしても、それを受けた相手が同意し実践したのであれば本人の選択であり、発信者に責任を問うことはできません。
倫理は個人の自律的選択ということをご理解下さい。

ざっと読んだ感じでは、こんなところです。
他にあれば追記します。

984:考える名無しさん
25/05/01 09:02:14.01 0.net
>>981
それだと反出生はしょせんは机上の空論に過ぎないと認めた事になり、個人で反出生を実践した人が救われないのでは
哲学を実践する時に体を動かしちゃいけないというルールがあるなら分かるけれども

985:考える名無しさん
25/05/01 09:27:01.49 0.net
>>983
「苦痛を相対化しようとしたようですが」
↑ここ語弊があるので補足

苦痛は基本的には相対的なものですが、一般化できる苦痛もあります。
それら全てを相対化するのは無理があるという意味です。

更に言えば、相対化可能な苦痛の価値や意味が変化したとしても、社会や個人の中に何らかの絶望的苦痛が存在するということに変わりはありません。


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