25/09/18 10:26:00.33 0.net
ところが、人々は、ものごとについて既成の「ことば」を頼みに考へる場合、あたか(恰)も「食べ物」が「食べ物」としてあらかじめ存在するかの如くに想ひ成す。
477:考える名無しさん
25/09/18 10:30:25.91 0.net
このようなことを逐一指摘したところで、「そんなことは当たり前だろう」と反応しながら、ほとんどの人々は、そのまますぐに物象化を先立てて優先するものごとの考へ方に復帰するのである。
478:考える名無しさん
25/09/18 13:22:29.84 0.net
日本語において「形容詞」とされることばは、一般に「~し」といふ形態をとるが、この「~し」は、
既に指摘したとおり、中国語において「使役」の関係を表現するとされる「使」にそのまま対応し、
フランス語をメタ言語として用ゐて記述するなら、《déclenchant ~》に相当する。
このことは、分かりやすい具体例を参照することにより容易に示すことができる。
479:考える名無しさん
25/09/18 13:30:35.50 0.net
「を(惜)し」といふことばについて考へてみるといい。
「を(惜)し」の「を」が、「~を!」として用ゐられる感嘆のこゑ(声)を表現してゐることには疑ひの余地がないだろう。
ここで、「~し」がフランス語の《déclenchant ~》に相当するとした記述において、"~"に"~を!"をただそのまま代入して、《déclenchant "~を!"》とするだけで、これが日本語の「を(惜)し」に対応することになることに気づくはずである。
480:考える名無しさん
25/09/18 13:35:13.10 0.net
日本語において「形容詞」とされる「~し」といふ表現がもたらすのは、「感性」/"perception"がどのように働くのかをつた(伝)へることである。
これも、わざわざ指摘しても「当たり前のことではないか」と思はれるだけだろうが、これをはっきりと意識することは、哲学的にものごとを考へるためには、とても大切だ。
481:考える名無しさん
25/09/18 13:46:40.05 0.net
中国語において「使役」の関係を表現するとされる「使」に対応し、フランス語をメタ言語として用ゐて記述するなら、《déclenchant ~》に相当するとした
日本語の「~し」は、フランス語の《déclencher》について考へてみればすぐに分かるとおり、もたらされた事態の不可逆性をつた(伝)へる。
そのことは、《déclencher une avalanche》(雪崩を引き起こす)といふフランス語の表現を想起してみれば、簡単にイメージすることができるだろう。
482:考える名無しさん
25/09/18 13:52:01.04 0.net
>「~し」といふ表現がもたらすのは、「感性」/"perception"がどのように働くのかをつた(伝)へることである
それがどのようにであれ働いてしまった「感性」/"perception"(中国語の「覺得」といふ表現を想起してみるといい)は、「引き起こされた雪崩」を元に戻すことができないのと同様に、それが生じなかったことにすることはできない(それが錯覚に過ぎなかったと気づいた場合にさえ)。
483:考える名無しさん
25/09/18 13:57:56.61 0.net
そして、実のところ、この不可逆性をつた(伝)へるのが"per・ception"の"per-"であり、日本語の声遣ひとしては、この"per-"は、「八」の文字の表象に関連付けられた「ぱっ」や「や」に対応する。
そして、中国語において、フランス語の《déclenchant ~》に相当するとした「使」の声遣ひが「矢」と共通であることも、この「不可逆性」の感覚によるのだろうと私は思ふ。
484:考える名無しさん
25/09/18 14:06:45.70 0.net
ところで、「うま・し」が《déclenchant "うま"》に相当するとすると、この「うま」は、どのような感じを伝へようとしていだろうか。
誰でもすぐに気づくとおり、この「うま」が伝へようとしてゐる感じとは、英語で説明するなら、"fulfilling"(「満ち足り」)である。
日本語の「う・ま」は、「う(埋)ま・る」といふ表現を考へてみれば分かるとおり、"fulfilling"(「満ち足り」)を、「『う(表面)』が上昇することの『ま累加』」として捉へている。
したがって、「うま・し」の「うま」は、「みづ(水)うみ(≒"water-filling")」の「うみ」、つまり、「海(うみ)」の「うみ」とも声遣ひとして共通している。
485:考える名無しさん
25/09/18 16:40:35.88 0.net
「~『す・る』こと」は、「~の遂行」であり、「~す・る」は、英語の"to per・form ~"に対応してゐる。
486:考える名無しさん
25/09/18 16:46:04.42 0.net
私が、日本語についてここで検討してゐることは、日本語で哲学しようとするなら探究されることになるはずの基本的な取組みだが、
これまで日本で「哲学を専門としてきた人々」は、このような基本的な作業にどれだけまともに取り組んできただろうか。
そのような取組みを軽視または無視し、あるひはむしろ積極的に蔑ろにしてきたのではないか。
487:ゆふ(夕)やみ(闇)
25/09/19 07:28:21.52 0.net
「ゆ」(例えば、「ゆ(弓)」)により生じる「はな(放)ち」が「や」(例えば、「や(矢)」)である。
488:考える名無しさん
25/09/19 07:33:11.46 0.net
>>465
「まづ・さ」の対比でものごとを考へようとする二項対立的な考へようと ×
「まづ・さ」の対比でものごとを二項対立的に考へようと ○
489:考える名無しさん
25/09/19 07:51:35.30 0.net
>>487
「そんなどうでもいいことば遊びにばかりに耽っていることが哲学してゐることになるのか」、そう思ふ人も多いだろう。
しかし、『万葉集』に残された歌は、「ことば遊び」の「曲芸」として詠まれてをり、そのような歌詠みの実践に通じる「曲芸」としてのことば遣ひこそが、「日本語」を「日本語」として成立させたといっても過言ではない。
それだけではない。「日本語」に限らず、世界で話されるいづれの所与の特定の言語も、「ことば遊び」の「曲芸」として成立してをり、さもなければ、「こころ(意/心)」をかよ(通)はせるためのことば遣ひとして用を成さなくなり、死語となるだろう。
490:In broad daylight
25/09/19 09:07:41.04 0.net
>一寸先は「や・み(闇)」のよ(世/夜)
「ゆ」により生じる「はな(放)ち」である「や」のひろ(広)がりが「よ」(例えば、「よ(世/夜)」)である。したがって、「ひる(昼)」ひなか(日中)にも「や・み(闇)」は「ひろ(広)」がってゐる。
491:考える名無しさん
25/09/25 14:54:02.71 0.net
この世界にはルート権限はない
皆限られた手段から断片知を得ようとするのだ
例えば@mathroom314というXの情報を取得するためにリンクをコピーすれば
アドレスに付随しているのは初めて知った
492:考える名無しさん
25/09/28 12:33:16.88 0.net
純粋な概念と混合概念がある
量子哲学は純粋な概念ばかりを扱うが
いずれ混合概念まみれにして解を探り出したい
493:考える名無しさん
25/09/30 08:49:29.78 0.net
「際立つ」ことが、「存在するもの」が「存在する」ことに先立つ。
「ひび」の入ったコップが置いてあるとしよう。
確かに、コップに「ひび」は、「存在するもの」として「存在する」。
では、まづ「ひび」が存在して、それが「存在するもの」としてコップに「はい(入)った」のか。
そうではないく、コップに断裂が「際立つ」ことにより、「ひび」は、存在することになったのだろう。
どのようにも際立つことのない断裂は、「ひび」としては存在しない。
観察するスケールを変えれば、コップを形成する材料には、最初からつねに数え切れないほどの小さな穴や断裂があったとしてもである。
494:考える名無しさん
25/09/30 09:45:27.27 0.net
そうではないく ×
そうではなく 〇
495:考える名無しさん
25/10/02 12:31:20.28 0.net
日常を彩るのが数学
日常から着想するのが物理学
日常から物理学のヒントを得たい
496:考える名無しさん
25/10/02 12:31:46.43 0.net
何にも執着しない状態こそ純粋な視点で物事を見れる
そういうときこそ物事の本質を得られるのだ