世界の始まりについて考えてみたat PHILO
世界の始まりについて考えてみた - 暇つぶし2ch2:考える名無しさん
24/12/13 01:35:03.92 0.net
世界に始まりは無い

3:考える名無しさん
24/12/13 12:29:42.89 0.net
>>2
同志よ。わいも同じ考えだ。

4:考える名無しさん
24/12/13 12:32:19.51 0.net
端的にいうと、時間が未来、過去へは無限に続いているからこの世界には始まりがないと考えている。

5:考える名無しさん
24/12/13 12:33:53.59 0.net
足し蟹

6:考える名無しさん
24/12/13 12:38:20.53 0.net
いや、お題は世界を成立させている法則とシステムの始まりを探す試みでは?

7:考える名無しさん
24/12/13 12:46:30.78 0.net
>>6
誤解させてすまぬ。ワイはこの世界(世界というより"この世"かな)について考えた時に、さっきワイは時間は無限に続くから始まりはないと言った。
しかし今では物質的な、3次元の世界もプラスされて4次元的にこの世は今日も進んでいる。

元々時間軸だけであった1次元にどうやってプラスで3次元(たて よこ たかさ)が生まれたのかなと考えてるんや。

8:考える名無しさん
24/12/13 13:03:26.52 0.net
その認識自体が何らかの法則とシステム、未だ見えていないが「ある」ゲームにより生み出されているかもしれない
時間とは何か?

9:考える名無しさん
24/12/13 13:11:41.68 0.net
時間は永遠に続くとどのように知ったのか
時間を懐疑の手の届かない聖域に置いたのは誰か

10:考える名無しさん
24/12/13 13:15:48.14 0.net
突き詰めていくと「哲学はどのように可能か?」という問いになりはしないか

11:考える名無しさん
24/12/13 14:34:32.92 0.net
世界に始まりと終わりが無ければ時空は見かけの力と言える。
エネルギーの相互作用によって生まれるのが時空と考えられるからだ。
また世界の一つの原則として、例えば時空は無限でもいいがエネルギーは無限ではないと考えられる。
言うなればこれはエネルギーの不完全性と言える。
エネルギーは量的無限か質的無限しか実現できないのではないか?
そしてこの世は量的無限ではない。
それは保存則やエントロピーなどを見てもほぼ確実と言えよう。
仮に世界が量的有限で質的無限であるならば、質的変化には環境の変化、いうなれば環境の相転移が必要になる。
宇宙が質的に維持限界になれば真空崩壊が起き、環境の質的変化が起きる(新たな宇宙の誕生)。
すると前宇宙の法則上では質が低下したエネルギーが現宇宙上では質の高いエネルギーに変化する。
世界をエネルギーの総量と定義すると、過去から未来に至るまで変化せず、始まりも終わりも無いと考えられる。
そしてその質的変化によって個々の宇宙、そしてその始まりと終わりが永遠に繰り返されることになる。

12:考える名無しさん
24/12/13 15:17:08.56 0.net
相対論に基づく「ブロック宇宙論」によれば、宇宙は始まりも終わりも含めて、
ひとつの食パンのような塊りだ。現在とはその塊の一切片となる。

13:考える名無しさん
24/12/13 16:12:13.42 0.net
ブロック宇宙論は量的無限を解決出来ないし、柔軟性が無い。
過去現在未来が同時に存在するなどと言うのは無理筋の主張と言える。

14:考える名無しさん
24/12/13 16:18:14.83 0.net
ブロック宇宙論は相対論からの自然な帰結だ。
相対論に修正が入ったり、他の理論に置き換わっても、
時空概念に大幅な転換がないかぎり、ブロック宇宙論は存続する。
むしろ、修正すべきは我々の日常的な時空概念だろう。

15:考える名無しさん
24/12/13 16:19:04.67 0.net
仮に、世界の始まりがあったとする。
それ以前の世界は無であるとする。
無が有に変わる時、どういう作用が考えられるだろう。
数学的に考えて0を1にするためには何するかと考えると、0に1を足すと1になるが、その1とは有であり、無の世界であることに矛盾する。
しかし0の0乗は1(数学の便宜上という考え方もあるが)であることを考えれば無から有になる方法としてはありなのかな。
0を0乗するということに当てはまる具体的な現象があれば面白いなと思う。例えば、受精卵から乳児になるまでの間の精神(意識)の誕生の仕方とかヒントになるかな。ガバガバですまんやけど。

16:考える名無しさん
24/12/13 16:21:02.09 0.net
宇宙が膨張と収縮を永遠に繰り返しているだけ説ってあったね

17:考える名無しさん
24/12/13 16:26:33.67 0.net
相対論としての個々の主観内における過去現在未来が他の個々内のそれと別に存在する事は許容される。
しかし、ある一つの個体に過去現在未来が同時に存在する事はほぼあり得ない。
時空の概念の修正や拡張余地については十分ありえる。

18:考える名無しさん
24/12/13 16:33:52.03 0.net
無はありえない。
無から有が生まれる事は量的無限より解決が難しい問題になる。
意識は情報でしかないから、肉体に付随する有から有(質的変化)であり、無から有の例えにはならない。
無から有と言う考え方は基本的に排除するべき物だ。

19:考える名無しさん
24/12/13 16:57:37.62 0.net
「世界の理解」とは、結局のところ、日常感覚と観測事実を整合させる作業。
だから日常感覚に合わないことには理解が及ばない。
日常的な時空感覚に固執する限り、本当の観測事実を理解することはできない。

20:考える名無しさん
24/12/13 17:12:33.39 0.net
新たな事実が観測されない限り、それまで積み上げられた理論は最も確度が高いと言える。
それらは日常感覚とは関係ないだろう。
それに相対論に従うなら本当の観測事実なる物もなくなる事になる。

21:考える名無しさん
24/12/13 17:29:49.11 0.net
>>18
なるほどなぁ。
じゃあこの世界というのはずっと有であっていつから始まったとかそういう物ではないってことかな。
人間の知覚する時間という概念が一つの知覚に過ぎなくて、この世界とってはさほど重要ではないのかなとも思えてきた。

22:考える名無しさん
24/12/13 20:01:49.58 0.net
「粒子」か「波」かという理解の仕方が典型。
量子力学や素粒子論をありのままに理解するには、「粒子」も「波」も
余計な概念かも知れない。
しかし、人は日常感覚の「粒子」とか「波」に拘って理解しようとする。


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