24/11/26 23:06:52.55 0.net
>>182
うん、先天的な障害と言われると、そこに善くない部分が生じそうだし、その上で出生を禁じるなんて言われれば大いに善くないところがでてくると私は思うんだが、一旦それは置いとこう。
さて、ということは、ある程度の蓋然性である程度の強度の苦痛が生じるとなると、出生は否定されることになるわけだね。そこには程度という隙間があるわけだよ。その隙間に極端なペシミズムが入り込んで全体に浸透する。その考えが正しいかどうかは別としても、世の中の人に生ずるほとんど全ての事象は苦痛につながり、その強度は高い。本人が苦痛であるのは当然であるが、その上で他の者もそれに気づいてないだけで苦痛にさいなまれていると考えるような極端な悲観主義的な考えだ。そうすると、苦痛の強度は出生を否定するものとなりえるし、全てがそうである以上、蓋然性を語るまでもない。そこに、反出生主義が生まれるわけだよ。
もちろん、それが正しいというつもりはないが、まずそこに至ってようやくなんとか、ある一つの反出生主義について議論することのできる萌芽がようやく生ずるということになるわけだよ。