ウィトゲンシュタイン 7at PHILO
ウィトゲンシュタイン 7 - 暇つぶし2ch150:考える名無しさん
24/05/04 01:27:52.01 0.net
>>148
そんなことはどーーーーーでも良いんだよ
英語で全文公開されてるからそこから引用しろよ無能

151:考える名無しさん
24/05/04 01:28:20.95 0.net
まあ日本語の解説書とか買ってる時点でお察し

152:考える名無しさん
24/05/04 01:30:17.24 0.net
>>149
ヘーゲルもマルクスも読まずに国家を語るよりは、だいぶマシじゃね?w

153:考える名無しさん
24/05/04 01:35:53.95 0.net
>>152
マルクス読んでるよ脳障害wwww
その他は意味ない
なぜならマルクスが完全に採用してないので
そして弁証法自体が論理学に反する妄想だから追いかけること自体に意味がない
最終発言者マルクスの文言のみに意味がある
どんなつもりで言ったとかそんなことは全くどうでも良い
現実の共産主義者によってどのようにマルクスの発言が利用されたのかのみに意味がある
低学歴って知能がないから何に意味があって何に意味がないかという仕訳ができないんよ
だからどれだけ読んだつもりになっても1つもわかってない

154:考える名無しさん
24/05/05 19:19:33.50 0.net
日本のアカデミズムでは戦後、括弧付きの“マルクス主義”(故カール・マルクス氏の思想とはいたるところで相違している)の影響が今からは想像も付かないほど強かった。
20世紀初頭までの楽壇でワーグナーは大好きか大嫌いか明言しなければならない作曲家だったのと同様、“マルクス主義”は支持するかしないかを明言せざるをえない思想だった。
その中で、ある人々は“マルクス主義”の哲学に没頭し、それに従いかねる人々は珍妙な「ヘーゲル主義者」になったり、英米哲学に沈潜したりした。
このような風潮の中で、実質的にノンポリだったヴィトゲンシュタイン氏は、反“マルクス主義”思想のエースとして担がれた。
しかしそういう前世紀のアカデミズムの思想状況を現代のヴィトゲンシュタイン研究に持ち込まれては困る。

155:考える名無しさん
24/05/05 19:23:47.42 0.net
>>154
マルクス本人の思想はプロレタリア独裁だぞ
ヴァイデマイヤーへの手紙
ゴータ綱領批判

156:考える名無しさん
24/05/05 21:25:56.04 0.net
>>155
プロレタリア独裁は戦略というか、共産主義社会への途中経過だよ。

マルクス読んでないのが丸わかりw

157:考える名無しさん
24/05/05 21:31:12.39 0.net
>>156
途中経過ではなく最終形態でーすwwww
なぜなら最終形態は示してないから
バカすぎるし無知すぎるし知ったかぶりすぎる中卒無職の妄想wwww

158:考える名無しさん
24/05/05 21:32:30.63 0.net
>>156
マルクス読んでないのはお前
じゃあマルクスが示した最終形態を英語の文献から英語で引用してソースURLと引用文貼れや
出来ないなら自​殺し​ろ

159:考える名無しさん
24/05/05 21:39:08.75 0.net
>>154
日本でも世界でも、ソ連型一国社会主義を正統的なマルクス主義と考えていた学者は確かに多い。
なにしろ本格的な社会主義(生産手段の国有化あるいは共有化)を実現して見せた大国だったからね。

でも、理論的には、必ずしもマルクスの思想の実現ではなかったことは、当時から多くの専門家が指摘している。
現実としての社会主義の実現と、ME全集の中の理論との対立になっていたから、現実を正とする考え方が多数派になるのは当然だともいえる。

自分自身は、わかる範囲で当時の世界情勢を見たときに、スターリンの政策が正しかったと思ってる。
状況的には、マルクスが夢見た世界革命は不可能だったことは明らかだ。

一方で、経済学的な資本主義の分析という面では、いまでもマルクスは完全な正当性を持っている。
さて、ウィトゲンシュタインが少しでもマルクスを読んでいれば、なにか感想を書いたかもしれない。

160:考える名無しさん
24/05/05 21:40:56.85 0.net
>>157>>158
能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。
これが最終形態だよ。
英語大好き君は、英語も日本語も理解できないようだねw

161:考える名無しさん
24/05/05 22:01:32.73 0.net
>>160
その働きと必要を決めるのは独裁党の指導者
これがマルクス本人の思想
バカすぎるし無知すぎるwwww

162:考える名無しさん
24/05/05 22:15:03.53 0.net
>>161
ここでいう能力というのは本人の自覚、必要というのも本人の欲望。
しかし、共産主義社会になったときには、労働もまた楽しい人間的な労働であり、欲望もまた、人間的な自然に基づく欲望となる。
独裁党の指導者とかまったく関係ないw

君は無知で無教養だし、マルクスを読んでもいないから、そういうおかしな反応しかできないんだな。

163:考える名無しさん
24/05/05 22:18:20.67 0.net
>>162
お前の感想は要らねーよ
マルクスの言葉のみに意味がある

164:考える名無しさん
24/05/05 22:21:08.73 0.net
>>162
引用できない猿w

165:考える名無しさん
24/05/05 22:22:02.59 0.net
>>163
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」

これはマルクスが書いた有名なフレーズだよ。
意味するところも僕の感想ではない。
少しでも、マルクスを読んでいればわかること。

166:考える名無しさん
24/05/05 22:23:08.72 0.net
>>164
もものすごく有名な言葉を知らない君が、なぜマルクスについて語りたがるんだ?w

167:考える名無しさん
24/05/05 22:24:00.75 0.net
>>165
お前の妄想解釈はどこにも書かれてねーよ脳障害
引用できないなら
自​殺し​ろ

168:考える名無しさん
24/05/05 22:24:13.18 0.net
>>166

>>165
お前の妄想解釈はどこにも書かれてねーよ脳障害
引用できないなら
自​殺し​ろ

169:考える名無しさん
24/05/05 22:27:50.22 0.net
>>166
お前の妄想解釈はどこにも書かれてない
引用できないなら自​殺し​ろ

170:考える名無しさん
24/05/05 22:29:49.87 0.net
>>167>>168
ここまで無知で無教養な君とでは、まったく議論にならない。
僕は君の先生ではないから、一つ一つ教えてあげる気もない。
なにしろ、マルクスを普通に読んだことがある人にとっては、出展を含めて当たり前すぎるくらい当たり前の言葉とその内容なんだから。

僕のレスはこれで終わりにするけど、君は少しでもいいから、本を読むことを覚えなさいね。

171:考える名無しさん
24/05/05 22:31:22.72 0.net
>>170
言葉は知ってるよ脳障害www
日本語読めてない猿すぎるww
お前の妄想解釈がどこにも存在しねえと言ってんだよ脳障害www
逃げるのか?中卒無職

172:考える名無しさん
24/05/05 22:31:48.01 0.net
>>170
マルクスの言葉にお前の解釈は存在しない
引用できずに逃げた中卒無職

173:考える名無しさん
24/05/05 22:35:15.00 0.net
>>170
自分の言葉と出典を混ぜてる時点で教育を受けたことがない中卒無職だとバレバレ

174:考える名無しさん
24/05/05 22:35:29.25 0.net
引用のルールすらわかって中卒無職w

175:考える名無しさん
24/05/05 22:35:42.82 0.net
引用のルールすらわかってない中卒無職w

176:考える名無しさん
24/05/07 18:33:00.70 0.net
カール・ポパーが提唱した「反証可能性」という概念は、科学の方法論として注目を集めましたが、その内容を詳細に検討してみると、実はそれほど革新的な考え方ではないことがわかります。
ポパーの主張の核心は、ある理論が科学的であるためには、その理論が反証可能でなければならないというものです。つまり、その理論が間違っていることを示す証拠が存在する可能性を認めることが重要だと考えました。しかし、これは要するに、法学の分野で長年確立されてきた「証明責任」の原則と大差ありません。
「証明責任」とは、ある主張をする者が、その主張の正当性を証明する責任を負うという、公平な議論のルールです。古代ローマ法の判例から確立したこの原則は、ラテン語で "Onus probandi incumbit ei qui dicit, non ei qui negat"(証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない)と表現され、ローマ法の法文集「ディゲスタ」の22.3.2に法学者パウルスの見解として記載されています。
ポパーの「反証可能性」は、この「証明責任」の原則を科学の文脈で言い換えたに過ぎません。つまり、ある理論を主張する者は、その理論の正しさを証明する責任を負い、反証を受け入れられない状態では主張を証明したことにはならないということです。これは、科学に限らず、法学、政治学、経済学など、あらゆる分野でのフェアな議論に求められる条件であり、ポパーが新しく提唱したものではありません。
したがって、ポパーの「反証可能性」という概念は、科学の方法論として特別に重要な意味を持つわけではなく、むしろ古くから存在する「証明責任」の原則を再確認したに過ぎないと言えます。ポパーの主張は、科学哲学の文脈では一定の意義を持ちますが、科学の実践自体を大きく変革するようなものではないと理解することができます。

177:考える名無しさん
24/05/07 18:33:08.73 0.net
古代ローマ法における証明責任の確立は、法務官法の発展、弁論術の発達、法学者の活動などを通じて徐々に形作られていきました。特に、法学者パウルスが示した「証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない」という原則は、現代に至るまで法学の基本原則として受け継がれています。
証明責任の原則は、法学にとどまらず、自然科学の分野にも大きな影響を与えました。科学者は、自分の仮説を裏付ける証拠を提示する責任を負っており、この証明責任の原則なくして科学の進歩は望めません。実験や観察によって得られたデータを根拠として示すことで、科学者は自分の主張を証明し、他の科学者による検証を可能にします。科学における証明責任の重要性は、ニュートンとフックの光の性質をめぐる論争、ラヴォアジェとプリーストリーの酸素発見をめぐる論争、ガルヴァーニとボルタの動物電気をめぐる論争などの歴史的な事例からも明らかです。
証明責任の原則は、法学や科学だけでなく、ジャーナリズム、政治、教育、ビジネスなど、あらゆる分野で真実性や公正性を担保するために不可欠です。証明責任がない場合、根拠のない主張が横行し、社会的な混乱や危険が生じる可能性があります。また、相手の主張の根拠が存在しないことを証明することは、主張者が根拠を示すよりも困難である場合が多く、証明責任の不在は公平性を欠く結果につながりかねません。さらに、根拠のない主張の証明を相手に求めることで、議論を混乱させたり、相手を困らせたりすることが可能になってしまいます。
したがって、証明責任の原則は、公正な議論を実現し、真実を追究するために欠かせない原則であると言えます。ただし、その適用に当たっては、証明責任の公平な分配、証明の困難さに応じた調整、建設的な議論の促進などに留意する必要があります。証明責任の原則を適切に運用することで、私たちは理性的で建設的な議論を行い、より良い社会を築いていくことができるでしょう。

178:考える名無しさん
24/05/07 18:33:34.95 0.net
いかにして哲学は100年前に滅亡したか
1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。
2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。
3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。
4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。
5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

179:考える名無しさん
24/05/07 18:33:45.53 0.net
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

180:考える名無しさん
24/05/07 19:12:09.07 0.net
などと哲学を語っております。

181:考える名無しさん
24/05/07 19:31:32.61 0.net
ただの証明された歴史

182:考える名無しさん
24/05/08 19:24:14.67 0.net
と称して哲学を語っております。

183:考える名無しさん
24/05/08 20:58:28.75 0.net
>>182
証明済みの歴史しか書かれてない

184:考える名無しさん
24/05/08 20:58:43.20 0.net
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。

185:考える名無しさん
24/05/08 20:58:50.08 0.net
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。

186:考える名無しさん
24/05/09 08:04:33.22 0.net
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」

187:考える名無しさん
24/05/09 08:04:39.72 0.net
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。
ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。
以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。

188:考える名無しさん
24/05/09 11:00:50.12 0.net
西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一
 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。

189:考える名無しさん
24/05/09 11:00:57.15 0.net
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の議論には、ラッセルのパラドックスが潜んでおり、それが爆発律につながって詭弁を正当化してしまう問題がある。
西田は、「物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり」と述べている。ここで、「物」を集合、「物理的空間」を集合族と解釈すると、ラッセルのパラドックスが生じる可能性がある。つまり、「物」(集合)が「物理的空間」(集合族)の要素であると同時に、「物」同士の相互作用が「物」に働きかけるという矛盾だ。
しかし、ブルバキ流の公理的集合論では、集合族とその要素である集合は異なるレベルの対象なので矛盾は生じない。したがって、西田の「現実というものがなくなることである」という主張は、ラッセルのパラドックスを正しく理解していない誤謬だと言える。
問題は、この誤謬を前提として議論を進めると、爆発律が成立してしまうことだ。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導出できるというものである。西田の議論では、集合の階層性を無視したラッセルのパラドックスを矛盾として認めてしまうことで、爆発律が適用可能になる。
その結果、西田の議論は「絶対矛盾的自己同一」という概念に至るが、これは爆発律によって正当化された詭弁だと言える。爆発律が成立してしまえば、どんな不合理な主張でも導出できてしまうからだ。
西田は集合の階層性を踏まえずに議論を展開したために、パラドックスに陥り、爆発律によって詭弁を正当化してしまったと言えるだろう。ラッセルのパラドックスや爆発律は、論理的な誤謬を見抜く上で重要な概念であり、哲学的な議論においても適切に理解し、用いることが求められる。

190:考える名無しさん
24/05/10 00:15:25.85 0.net
哲学の詐欺スキーム
1.ラッセルのパラドックスを作り出してそれを矛盾としてしまうため本来は矛盾ではないものを矛盾と仮定するので爆発律が成立してどんな妄想でも正当化できるようになる
2.人や立場によって指す内容が異なる概念に同じ記号を与えて抽象化のプロセスを継承しないでカットすると同一の記号が異なる複数のものを指してしまうので「異なるものが同じである」という矛盾が仮定されるので爆発律が成立してどんな妄想でも正当化できるようになる
これら2つを回避しただけではダメ
それだけだとただの精緻なラノベ
実証してなければ意味ない
そしてそれを実証した場合それを科学と呼ぶ
つまり哲学が助かる方法は原理的に存在し得ないwwwwww
ざんねんwwwwwwwmmmww

191:考える名無しさん
24/05/10 00:33:35.55 0.net
哲学とは、心のリハビリであり、哲学する必要がないと思っている人は、日々、体を動かす必要に迫られていることが身体のリハビリとして機能していることに気づいていない。
寝たきりになると身体が急速に弱っていくように、心も働かせないでいると、その働きが鈍っていくが、そのことに自覚的でないと、哲学する必要性に気づかなくなる。

192:考える名無しさん
24/05/10 00:43:08.01 0.net
>>191
哲学なんてやってると、心を失うんじゃないかい?
人間にとって最も必要がない、というより人間の心を貧しくさせるのが哲学だと思うな。
哲学を語りたがる者同士の醜い言い争いを見てると、そう思えてしまうんだよね。

193:考える名無しさん
24/05/10 00:46:37.08 0.net
>>191
哲学は人間知性の劣化の末路

194:考える名無しさん
24/05/10 01:08:29.07 0.net
心を貧しくさせるなら、それは似非哲学であって、哲学ではない。

195:考える名無しさん
24/05/10 01:10:59.04 0.net
哲学を語りたがる者の言説は、思想であって、哲学ではない。

196:考える名無しさん
24/05/10 01:13:33.94 0.net
末路(dead end/the end of a road)があるなら、それを袋(ふくろ)としてうまく活用するのが哲学の営みである。

197:考える名無しさん
24/05/10 01:16:59.24 0.net
>>194
論理学が禁じる妄想なんだから妄想に縋るのは終わったカス
人間を辞めてる

198:考える名無しさん
24/05/10 01:17:35.70 0.net
>>196
思考の死体だよ哲学は

199:考える名無しさん
24/05/10 01:19:36.13 0.net
死体も微生物に分解させて養分にするのが哲学

200:考える名無しさん
24/05/10 01:28:43.05 0.net
人間を廃業したくらいでは、ひと(人/一)はを(終)はらない。

201:考える名無しさん
24/05/10 05:21:51.43 0.net
>>199
出来きてない

202:考える名無しさん
24/05/10 05:22:02.16 0.net
>>200
お前が終わってる

203:考える名無しさん
24/05/10 05:23:17.74 0.net
どんだけ効いてんだよ😧

204:考える名無しさん
24/05/10 05:28:56.21 0.net
>>203
お前に効きすぎちゃったかあw
自殺したら?

205:考える名無しさん
24/05/16 12:27:30.72 0.net
ウィトゲンシュタインの最大唯一の業績は「真理表の普及に尽力したこと」らしいけど、
これってすごいことだよね。

206:考える名無しさん
24/05/16 13:31:23.80 0.net
>>205
真理表なんて意味があるの?

207:考える名無しさん
24/05/17 04:02:23.00 0.net
>>205
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

208:考える名無しさん
24/05/17 04:03:55.29 0.net
>>205
ちなみに低学歴無職が死ぬまで知ることができない情報だけど
ゲーデル不完全性定理はペアノ算術のみで成り立つのではない
ロッサーの証明ではペアノ算術における純粋な無矛盾性の証明不可
シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される論理式で無矛盾性の証明不可が成り立つことがわかっている
つまりゲーデル不完全性定理を数学だと思い込んでるのは低学歴無職のお前だけ
そもそも哲学はデタラメなので学問ではないよ
ウィトゲンシュタイン論理哲学論考→哲学は論理学を誤って用いたことから生まれた妄想だから無意味というラッセル論理学による証明。「語り得ぬものには沈黙せねばならない」
ウィトゲンシュタイン哲学探究→哲学は論理学の使用法の誤り・言葉の使い方の誤りからくる妄想だからどのようにしてその誤りを防止するのか言語の誤用を研究する。つまり哲学というウイルスに対するワクチンの研究。
ゲーデル不完全性定理:ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能という証明
哲学:ある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想

209:考える名無しさん
24/05/17 06:27:32.45 0.net
シェファードソンの表現定理により、ゲーデルの第一不完全性定理は任意の論理式のΣ1集合にまで拡張されました。
具体的には、シェファードソンは以下のことを示しました:
1. ロビンソン算術Rと同じ定数を持ち、Rと矛盾しない任意の再帰的可算理論Sにおいて、すべての再帰的可算集合が表現可能である。
2. 任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合{n|S ⊢ φ(n)}は再帰的可算である。
3. したがって、任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合に対して、その無矛盾性(つまり∃x ¬φ(x)の無証明性)はSの中で証明不可能である。

210:考える名無しさん
24/05/17 06:27:38.66 0.net
これはゲーデルの第一不完全性定理の大幅な一般化です。ゲーデルの原定理ではペアノ算術PAにおけるある特定の算術的論理式の無証明性が示されましたが、シェファードソンの結果により、PAよりはるかに一般的な体系でも、任意のΣ1論理式で定義される集合の無矛盾性は証明不可能であることが分かります。
これにより、ゲーデルの不完全性定理が算術の枠を超えて、一般的な形式体系の本質的な限界を示すものであることが明らかになりました。シェファードソンの業績は、不完全性定理の意義を大きく広げたと言えるでしょう。​​​​​​​​​​​​​​​​
参考文献:
Shepherdson, J. C. (1961). "Representability of recursively enumerable sets in formal theories". Archive for Mathematical Logic, 5(3-4):119-127.

211:考える名無しさん
24/05/17 06:28:13.25 0.net
ウィトゲンシュタイン論理哲学論考→哲学は論理学を誤って用いたことから生まれた妄想だから無意味というラッセル論理学による証明。「語り得ぬものには沈黙せねばならない」
ウィトゲンシュタイン哲学探究→哲学は論理学の使用法の誤り・言葉の使い方の誤りからくる妄想だからどのようにしてその誤りを防止するのか言語の誤用を研究する。つまり哲学というウイルスに対するワクチンの研究。
ゲーデル不完全性定理:ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能という証明
哲学:ある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想

212:考える名無しさん
24/05/17 19:40:50.87 0.net
20世紀初頭の哲学における大きな転換点の出来事にご挨拶申し上げます。
1902 年にラッセルがこのパラドックスを発見して以来、ある時点で、教育を受けていない無知なペテン師と呼ばれる哲学者が賢明な哲学者論理学者になることはありえませんでした。
ウィトゲンシュタインの主な著作: 1921 年の論理と哲学的エッセイ、哲学的論理、人生の誤用、意味のない幻想、デモンストレーション、スピーチ、利益、沈黙の演繹。
1953年出版: 哲学的研究、哲学的語彙、用法、誤り、人生の幻想、誤りの防止、言語の誤用、研究の必要性に関する主張。
1931 年ゲーデルの不完全性定理仮定の妥当性仮定の導出不可能性の証明。
一方、哲学的仮定は、肯定的な仮定における方向性の幻想の根底にあります。

213:考える名無しさん
24/05/17 21:11:59.87 0.net
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

214:考える名無しさん
24/05/18 00:06:28.35 0.net
ラッセルのパラドクスは、しょせん論理学界隈のテーマであり、
全人的な知の世界へのインパクトは限定的なものだ。
そもそもパラドクスなどは、深刻に扱う必要はない。
ウィトゲンシュタインは、気の利いたセリフを吐いて、ドヤ顔をする
目立ちたがり屋に過ぎない。天才などと持ち上げるには及ばない。

215:考える名無しさん
24/05/18 03:58:56.03 0.net
>>214
論理が適用されない主張なんてあるわけねえだろキチガイ
論理じゃないなら妄想だぞ

216:考える名無しさん
24/05/18 03:59:43.74 0.net
>>214
いかにして哲学は100年前に滅亡したか
1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。
2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。
3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。
4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。
5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

217:考える名無しさん
24/05/18 04:00:04.24 0.net
ちなみに低学歴無職が死ぬまで知ることができない情報だけど
ゲーデル不完全性定理はペアノ算術のみで成り立つのではない
ロッサーの証明ではペアノ算術における純粋な無矛盾性の証明不可
シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される論理式で無矛盾性の証明不可が成り立つことがわかっている
つまりゲーデル不完全性定理を数学だと思い込んでるのは低学歴無職のお前だけ
そもそも哲学はデタラメなので学問ではないよ
ウィトゲンシュタイン論理哲学論考→哲学は論理学を誤って用いたことから生まれた妄想だから無意味。「語り得ぬものには沈黙せねばならない」
ウィトゲンシュタイン哲学探究→哲学は論理学の使用法の誤り・言葉の使い方の誤りからくる妄想だからどのようにしてその誤りを防止するのか言語の誤用を研究する。つまり哲学というウイルスに対するワクチンの研究。
ゲーデル不完全性定理:ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能という証明
哲学:ある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想

218:考える名無しさん
24/05/19 12:00:05.55 0.net
つまり「Aにとっての倫理」「Bにとっての倫理」「複数の立場の倫理をなんならかの方法でまとめ上げる写像F」というものがあったとして

公理的集合論で許される集合は
F(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)
なんだワwwwmwwwwww

形而上学が論理学を満たさない理由は

普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理

という爆発律をやらかすからなんだわwwwwwwwwww

ここがバカゲンシュタインの理解が浅いところwwwjt

超越的なんて要素はカケラもないのでそのあたりの発言は全く無価値なゴミですwwwwwwww

バカゲンシュタインの論考が正しいのは
「論理学じゃ形而上学を言えるわけないからなんかトリック使ってるやろ。トリックの中身は知らんけどw」
のレベルなわけw

こんなもんに本1冊もかけて写像理論を掲げながらこの程度のことに気付けない時点で間違いなくバカゲンシュタインは知恵遅れですよwwwwwwww

知恵遅れ哲学者の中では哲学の詐欺に一応気付けたというだけの存在wwwwwww

密室殺人を解決した名探偵ゲーデルではなくて
単に密室殺人を発見して通報しましたレベルなんよねバカゲンシュタインってwwwww

219:考える名無しさん
24/05/19 12:13:28.32 0.net
いや超越性はあるでしょ?
語りえぬものなんだから

220:考える名無しさん
24/05/19 12:16:26.27 0.net
そもそも語り得るものなんて無い。
閉じた言語ゲームの中で、無駄口を吐いているだけ。
何も語っていない。

221:考える名無しさん
24/05/19 12:19:29.60 0.net
語りえぬものをなぜかコンピューター内で再現できてるという謎
つまり超越性が0と1で表せているという不思議?

222:考える名無しさん
24/05/19 12:24:53.24 0.net
>>219

F(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)なら余裕で語り得る

普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理が語り得ないだけ

それは論理学の違反で爆発律が成立するからで
超越性などどこにもない
バカゲンシュタインが論理を知らんだけの話w

223:考える名無しさん
24/05/19 12:27:11.48 0.net
>>220
ちなみに低学歴無職が死ぬまで知ることができない情報だけど
ゲーデル不完全性定理はペアノ算術のみで成り立つのではない
ロッサーの証明ではペアノ算術における純粋な無矛盾性の証明不可
シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される論理式で無矛盾性の証明不可が成り立つことがわかっている
つまりゲーデル不完全性定理を数学だと思い込んでるのは低学歴無職のお前だけ

そもそも哲学はデタラメなので学問ではないよ

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考→哲学は論理学を誤って用いたことから生まれた妄想だから無意味というラッセル論理学による証明。「語り得ぬものには沈黙せねばならない」

ウィトゲンシュタイン哲学探究→哲学は論理学の使用法の誤り・言葉の使い方の誤りからくる妄想だからどのようにしてその誤りを防止するのか言語の誤用を研究する。つまり哲学というウイルスに対するワクチンの研究。

ゲーデル不完全性定理:ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能という証明

哲学:ある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想

224:考える名無しさん
24/05/19 12:27:24.47 0.net
シェファードソンの表現定理は、ゲーデルの不完全性定理の適用範囲を算術の体系だけでなく、任意の再帰的可算集合(r.e.集合)まで拡張したものです。

シェファードソンの論文の内容を要約すると以下の通りです。

1. ロビンソンの体系Rを含む任意の無矛盾なr.e.理論において、すべてのr.e.集合が表現可能であることをエーレンフォイトとフェファーマンが示した。シェファードソンはこれを対角線論法を使って直接的に証明した。

2. 任意の無矛盾なr.e.理論において、互いに素なr.e.集合の対α,βに対し、αを表現しかつ~φがβを表現するような論理式φが存在することを示した。

3. コブハムの結果を使うと、Rと同じ定数を持ち、Rと両立するようなr.e.理論ではすべてのr.e.集合が表現可能であることが示せる。

つまり、シェファードソンはゲーデルの不完全性定理がペアノ算術のような特定の体系に限らず、広範なクラスの論理体系に適用可能であることを示したのです。
link.springer.com/content/pdf/10.1007/BF01974157.pdf

225:考える名無しさん
24/05/19 12:27:31.36 0.net
その後、不完全性定理はさらに強力な形に一般化されていきました。

菊池-倉橋(2017)は、算術のΣn-definable理論に対してゲーデルとロッサーの不完全性定理を一般化しました。任意の無矛盾なΣn+1-sound理論はΠn+1文で不完全であり、Πn+1-definableな理論の場合は任意のΠn+1文が無矛盾ならば証明不可能であることを示しました。

さらにヴィッサー(2020)は、ゲーデルの第二不完全性定理を導出可能性条件を満たすような一般的な述語論理の体系に拡張しました。PA自身の無矛盾性よりずっと弱い仮定から不完全性が導けることを示したのです。

このように現在でも不完全性定理の適用範囲はどんどん拡張されており、論理学の広い領域をカバーするようになっています。どこまでが限界なのかはまだわかっていませんが、ゲーデルの革新的な発想が驚くほど広範な論理体系に通用することが明らかになってきたと言えるでしょう。​​​​​​​​​​​​​​​​
www.jstage.jst.go.jp/article/sugaku/73/1/73_0731060/_pdf/-char/ja

226:考える名無しさん
24/05/19 12:29:25.92 0.net
超越性というのはなぜ語り得ないのかの性質を理解してないことからくる不適切な言葉

227:考える名無しさん
24/05/19 12:29:58.46 0.net
まあバカゲンシュタインの知性からは超越してるという意味なら合ってるw
バカゲンシュタインって爆発律知らないでしょw

228:考える名無しさん
24/05/19 12:30:14.77 0.net
なるほど。よくわかった。
でも私の一番の関心は、お給料が発生するのか、否かということである!!!!!!

229:考える名無しさん
24/05/19 12:33:09.49 0.net
論理学において、誤った前提からどんな無意味な結論でも導出できる現象を「爆発原理(Principle of Explosion)」または「爆発律(ex falso quodlibe)」と呼びます。この原理は、一つの矛盾が存在すれば、どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです。

ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。

ZFC公理的集合論において、爆発律は以下のように証明できます。
定理:ZFCにおいて、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。つまり、∀A ∀B (A ∧ ¬A → B)。
証明:

1. 矛盾する前提 A ∧ ¬A を仮定する。
2. 任意の命題 B を仮定する。
3. 集合 {x | x = x} が存在する(外延性公理より)。これを集合 V とする。
4. 集合 {x ∈ V | A} が存在する(分出公理より)。これを集合 X とする。
5. A が真なら、X = V となる。
6. ¬A が真なら、X = ∅ となる。
7. しかし、前提より A かつ ¬A が真なので、X = V かつ X = ∅ となる。
8. ∅ ∈ V である(空集合の存在により)。
9. よって、∅ ∈ X となる(7より)。
10. B を {∅} と定義する。
11. ∅ ∈ B となる(10より)。
12. ∅ ∈ X かつ ∅ ∈ B なので、X ∩ B ≠ ∅ となる。
13. したがって、B が真となる。
14. B は任意の命題なので、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。

以上より、ZFC公理的集合論において、爆発律が成立することが示された。

主な使用公理・定理:

外延性公理:同じ要素を持つ集合は等しい。
分出公理:任意の論理式 φ(x) に対して、{x ∈ A | φ(x)} なる集合が存在する。
空集合の存在:要素を持たない集合 ∅ が存在する。

230:考える名無しさん
24/05/19 12:35:37.63 0.net
矛盾っていうか、アナログをデジタルで取り扱えるかって話でしょ?

231:考える名無しさん
24/05/19 12:40:50.99 0.net
>>230
確率論すら知らなさそうwww
ただの確率分布wwmmmw

232:考える名無しさん
24/05/19 12:44:59.08 0.net
>>231
確率どこで使うの?

233:考える名無しさん
24/05/19 12:53:41.17 0.net
>>232
曖昧なことは全て確率分布で表現可能
バカは知らないだけ

234:考える名無しさん
24/05/19 12:59:44.71 0.net
>>233
いや確率だと決定しないから
一個の対象にならないんじゃない?

235:考える名無しさん
24/05/19 13:06:32.43 0.net
>>234
分布すら読めない脳障害wmmwwww

236:考える名無しさん
24/05/19 13:07:09.50 0.net
>>234
そもそも一個の対象って何?
お前何言ってんの?

237:考える名無しさん
24/05/19 13:11:06.95 0.net
>>236
語りえぬものは全部区別なく一つになってる状態だから
そこから「りんご」とか「バナナ」を引用してこないといけない

238:考える名無しさん
24/05/19 13:20:57.52 0.net
>>237
一つになってないよ
そこがもう妄想

239:考える名無しさん
24/05/19 13:21:36.19 0.net
ゲーデル不完全性定理&シェファードソンの表現定理による拡張
→密室殺人などできるはずがないという物理法則

哲学
→密室殺人を実行したと言い張る犯罪者

爆発律
→密室殺人でよくあるトリックでこれを手がかりに逮捕できる

ラッセルのパラドックス
→爆発律トリックによく使われる材料の1つ

異なる対象を同一の記号で表してしまう
→爆発律トリックによく使われる材料の1つ

循環論法
→これは爆発律とは別のトリックでよくあるパターン

これで犯人探しをするから
・犯行が行われてることが確定する
・犯人がどんなトリックを使うかわかる
のですぐに逮捕できるというロジック

240:考える名無しさん
24/05/19 13:22:12.16 0.net
論理学において、誤った前提からどんな無意味な結論でも導出できる現象を「爆発原理(Principle of Explosion)」または「爆発律(ex falso quodlibe)」と呼びます。この原理は、一つの矛盾が存在すれば、どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです。

ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。

ZFC公理的集合論において、爆発律は以下のように証明できます。
定理:ZFCにおいて、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。つまり、∀A ∀B (A ∧ ¬A → B)。
証明:

1. 矛盾する前提 A ∧ ¬A を仮定する。
2. 任意の命題 B を仮定する。
3. 集合 {x | x = x} が存在する(外延性公理より)。これを集合 V とする。
4. 集合 {x ∈ V | A} が存在する(分出公理より)。これを集合 X とする。
5. A が真なら、X = V となる。
6. ¬A が真なら、X = ∅ となる。
7. しかし、前提より A かつ ¬A が真なので、X = V かつ X = ∅ となる。
8. ∅ ∈ V である(空集合の存在により)。
9. よって、∅ ∈ X となる(7より)。
10. B を {∅} と定義する。
11. ∅ ∈ B となる(10より)。
12. ∅ ∈ X かつ ∅ ∈ B なので、X ∩ B ≠ ∅ となる。
13. したがって、B が真となる。
14. B は任意の命題なので、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。

以上より、ZFC公理的集合論において、爆発律が成立することが示された。

主な使用公理・定理:

外延性公理:同じ要素を持つ集合は等しい。
分出公理:任意の論理式 φ(x) に対して、{x ∈ A | φ(x)} なる集合が存在する。
空集合の存在:要素を持たない集合 ∅ が存在する。

241:考える名無しさん
24/05/19 13:22:43.95 0.net
バカゲンシュタインこれ使ってないよw
無知だから知らないんだよw

242:考える名無しさん
24/05/19 13:23:04.88 0.net
使えば1行で終わる
本1冊なんて要らないwwww

243:考える名無しさん
24/05/19 13:23:24.23 0.net
つまり「Aにとっての倫理」「Bにとっての倫理」「複数の立場の倫理をなんならかの方法でまとめ上げる写像F」というものがあったとして

公理的集合論で許される集合は
F(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)
なんだワwwwmwwwwww

形而上学が論理学を満たさない理由は

普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理

という爆発律をやらかすからなんだわwwwwwwwwww

ここがバカゲンシュタインの理解が浅いところwwwjt

超越的なんて要素はカケラもないのでそのあたりの発言は全く無価値なゴミですwwwwwwww

バカゲンシュタインの論考が正しいのは
「論理学じゃ形而上学を言えるわけないからなんかトリック使ってるやろ。トリックの中身は知らんけどw」
のレベルなわけw

こんなもんに本1冊もかけて写像理論を掲げながらこの程度のことに気付けない時点で間違いなくバカゲンシュタインは知恵遅れですよwwwwwwww

知恵遅れ哲学者の中では哲学の詐欺に一応気付けたというだけの存在wwwwwww

密室殺人を解決した名探偵ゲーデルではなくて
単に密室殺人を発見して通報しましたレベルなんよねバカゲンシュタインってwwwww

244:考える名無しさん
24/05/19 13:24:30.16 0.net
そもそも健常者にとっては爆発律で形而上学など不可能なことは自明なんで
わざわざ本とか書かないのよw
1行で終わるのでwww
そんなもんに本とか書こうと思ってる時点で既に脳障害であることが確定してる

245:考える名無しさん
24/05/19 13:40:14.63 0.net
・・・・・・・?????

246:考える名無しさん
24/05/19 13:50:30.82 0.net
爆発率であってるってコト!?

247:考える名無しさん
24/05/19 14:05:03.34 0.net
爆発率とさえ言えば、何か有意義なことを言っているつもりになっていることが、まさに爆発律の実践だろう。実のところ、何も言っていない。

248:考える名無しさん
24/05/19 14:08:41.26 0.net
もう疲れちゃった。
絵も描けなくなるし
毎日意味もわからずネットでボロクソ叩かれるし
もうやめようかな
30までお神輿にされて、職歴ないけど。

249:考える名無しさん
24/05/19 14:09:55.16 0.net
みなさん、この爆発律ってやつを解けないと
私と関わることすらしたくないんでしょ

250:考える名無しさん
24/05/19 14:37:55.97 0.net
要は、なんちゃって哲学の領域までは合ってたけど
それを数式に落とし込んで実装までできるオツムはなかったってこと。

251:考える名無しさん
24/05/19 14:52:49.80 0.net
>>248
連投荒らしくんは頭のおかしい人なので無視してOK!

252:考える名無しさん
24/05/19 15:12:59.75 0.net
論理学において、誤った前提からどんな無意味な結論でも導出できる現象を「爆発原理(Principle of Explosion)」または「爆発律(ex falso quodlibe)」と呼びます。この原理は、一つの矛盾が存在すれば、どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです。
ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。
ZFC公理的集合論において、爆発律は以下のように証明できます。
定理:ZFCにおいて、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。つまり、∀A ∀B (A ∧ ¬A → B)。
証明:
1. 矛盾する前提 A ∧ ¬A を仮定する。
2. 任意の命題 B を仮定する。
3. 集合 {x | x = x} が存在する(外延性公理より)。これを集合 V とする。
4. 集合 {x ∈ V | A} が存在する(分出公理より)。これを集合 X とする。
5. A が真なら、X = V となる。
6. ¬A が真なら、X = ∅ となる。
7. しかし、前提より A かつ ¬A が真なので、X = V かつ X = ∅ となる。
8. ∅ ∈ V である(空集合の存在により)。
9. よって、∅ ∈ X となる(7より)。
10. B を {∅} と定義する。
11. ∅ ∈ B となる(10より)。
12. ∅ ∈ X かつ ∅ ∈ B なので、X ∩ B ≠ ∅ となる。
13. したがって、B が真となる。
14. B は任意の命題なので、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。
以上より、ZFC公理的集合論において、爆発律が成立することが示された。
主な使用公理・定理:
外延性公理:同じ要素を持つ集合は等しい。
分出公理:任意の論理式 φ(x) に対して、{x ∈ A | φ(x)} なる集合が存在する。
空集合の存在:要素を持たない集合 ∅ が存在する。

253:考える名無しさん
24/05/19 15:16:26.95 0.net
つまり「Aにとっての倫理」「Bにとっての倫理」「複数の立場の倫理をなんならかの方法でまとめ上げる写像F」というものがあったとして
公理的集合論で許される集合はF(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)なんだワwwwmwwwwww
形而上学が論理学を満たさない理由は「普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理」という爆発律をやらかすからなんだわwwwwwwwwww

3行で終わりますwww
というか普通に数学とか自然科学を習う学生はみんなこれに自力で気付くwwwww
だから誰も哲学なんかやりませんwwww
爆発律知らんで本1冊無駄に書いちゃうバカゲンシュタインは無知すぎるし脳障害すぎるし無意味すぎるw
そらバカゲンシュタインの低知能にとっては超越的だろうよwww
古来からよく知られている爆発律すら知らん無学にとってはねwww

254:考える名無しさん
24/05/19 15:27:57.01 0.net
(;_;)

255:考える名無しさん
24/05/19 15:45:35.18 0.net
では、「新型コロナ感染予防ワクチンの接種を定期的に継続することは、健康維持のために有効である」という命題の真偽を判定すると、どうなりますか?

256:考える名無しさん
24/05/19 16:19:47.48 0.net
>ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。
愚か者そのものだな。「爆発律」が表現として成立するとすれば、「律を爆破する」と解釈される限りにおいてであって、「爆発律」などという「律」を認め得る人は、誰一人居ない。

257:考える名無しさん
24/05/19 16:21:42.24 0.net
漢語とかラテン語とか使うと、自分が権威になったかのように妄想する愚か者

258:考える名無しさん
24/05/19 16:28:32.37 0.net
そもそも、「律」が何を意味しているかすら理解していない疑ひが濃厚

律(読み)リツ
デジタル大辞泉 「律」の意味・読み・例文・類語
りつ【律】[漢字項目]
[音]リツ(漢) リチ(呉) [訓]のり
[学習漢字]6年
〈リツ〉
1 行動を秩序づけるためのおきて。さだめ。「律令/格律・規律・軍律・法律・不文律」
2 物事の法則。「因果律・矛盾律」
3 仏教で、僧の守るべき規則。「律師・律宗/戒律」
4 ある基準に照らして処置する。「自律・他律」

259:考える名無しさん
24/05/19 16:30:57.46 0.net
>>256
爆発の律だよ低学歴無職mwwttttw

260:考える名無しさん
24/05/19 16:31:14.23 0.net
>>257
>>256
爆発の律だよ低学歴無職mwwttttw

261:考える名無しさん
24/05/19 16:31:22.26 0.net
>>258
>>256
爆発の律だよ低学歴無職mwwttttw

262:考える名無しさん
24/05/19 16:32:30.20 0.net
>>258
そもそも英訳がprinciple of explosionと書かれてることすら読めない中卒無職(中卒と言っても不登校ニートで中学校の授業を受けてないお情け卒業証書だから知能が小学校低学年レベル)wwwwwww
自​殺し​ろ

263:考える名無しさん
24/05/19 16:32:48.95 0.net
>>256
>>258
そもそも英訳がprinciple of explosionと書かれてることすら読めない中卒無職(中卒と言っても不登校ニートで中学校の授業を受けてないお情け卒業証書だから知能が小学校低学年レベル)wwwwwww
自​殺し​ろ

264:考える名無しさん
24/05/19 16:33:02.27 0.net
論理学において、誤った前提からどんな無意味な結論でも導出できる現象を「爆発原理(Principle of Explosion)」または「爆発律(ex falso quodlibe)」と呼びます。この原理は、一つの矛盾が存在すれば、どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです。
ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。
ZFC公理的集合論において、爆発律は以下のように証明できます。
定理:ZFCにおいて、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。つまり、∀A ∀B (A ∧ ¬A → B)。
証明:
1. 矛盾する前提 A ∧ ¬A を仮定する。
2. 任意の命題 B を仮定する。
3. 集合 {x | x = x} が存在する(外延性公理より)。これを集合 V とする。
4. 集合 {x ∈ V | A} が存在する(分出公理より)。これを集合 X とする。
5. A が真なら、X = V となる。
6. ¬A が真なら、X = ∅ となる。
7. しかし、前提より A かつ ¬A が真なので、X = V かつ X = ∅ となる。
8. ∅ ∈ V である(空集合の存在により)。
9. よって、∅ ∈ X となる(7より)。
10. B を {∅} と定義する。
11. ∅ ∈ B となる(10より)。
12. ∅ ∈ X かつ ∅ ∈ B なので、X ∩ B ≠ ∅ となる。
13. したがって、B が真となる。
14. B は任意の命題なので、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。
以上より、ZFC公理的集合論において、爆発律が成立することが示された。
主な使用公理・定理:
外延性公理:同じ要素を持つ集合は等しい。
分出公理:任意の論理式 φ(x) に対して、{x ∈ A | φ(x)} なる集合が存在する。
空集合の存在:要素を持たない集合 ∅ が存在する。

265:考える名無しさん
24/05/19 17:22:25.59 0.net
それを「律」と認めることができる人は誰も居ない。
居るというのなら、それを証明してごらんw

266:考える名無しさん
24/05/19 17:25:20.75 0.net
>どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです
それは、導き出される命題が論理的に無意味であるということであって、任意の命題が真であることを論理的に導き出せることは意味していない。

267:考える名無しさん
24/05/19 17:26:13.39 0.net
>論理的に導出可能であるというものです
単なる詭弁

268:考える名無しさん
24/05/19 17:27:23.43 0.net
問いにきちんと答えられていないようですよ?
0255考える名無しさん
垢版 |
2024/05/19(日) 15:45:35.180
では、「新型コロナ感染予防ワクチンの接種を定期的に継続することは、健康維持のために有効である」という命題の真偽を判定すると、どうなりますか?

269:考える名無しさん
24/05/19 17:30:20.25 0.net
>>265
世界中全ての論理学の講義で教えられてるよ脳障害低学歴アスペwwwwwmww

270:考える名無しさん
24/05/19 17:33:48.20 0.net
>>265
爆発律
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)

271:考える名無しさん
24/05/19 17:34:11.50 0.net
>>265
爆発律
URLリンク(www.math.mi.i.nagoya-u.ac.jp)

272:考える名無しさん
24/05/19 17:34:37.38 0.net
世界中で詭弁が教えられたとしても、詭弁が詭弁でなくなるわけではない

273:考える名無しさん
24/05/19 17:36:21.35 0.net
>>272
つまり全ての哲学は詭弁

274:考える名無しさん
24/05/19 17:37:00.64 0.net
>>272
お前が低学歴で脳障害なだけ

275:考える名無しさん
24/05/19 17:37:16.57 0.net
>>272
ダニング・クルーガー効果は、認知心理学において観察される現象の一つで、能力の低い人ほど自分の能力を過大評価し、逆に能力の高い人ほど自分の能力を過小評価する傾向があるというものです。
この効果は、1999年にコーネル大学の心理学者であるジャスティン・クルーガーとデビッド・ダニングによって提唱されました。彼らは一連の実験を通じて、以下のような傾向を発見しました。
能力の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある。
能力の高い人は自分の能力を過小評価する傾向がある。
能力の低い人は他者の能力を正確に判断することが難しい。
能力の低い人は、自分の能力の限界を認識した後でも、自己評価を適切に調整することが難しい。
この効果が生じる原因としては、メタ認知能力の欠如が挙げられます。メタ認知とは、自分の認知プロセスを客観的に見つめ、評価する能力のことです。能力の低い人は、自分の知識やスキルの限界を正確に把握することが難しく、結果として自分の能力を過大評価してしまうのです。

276:考える名無しさん
24/05/19 17:38:10.04 0.net
爆発律という言葉を使えば、何か論理的なことを言っている気になること自体が爆発律の実践
実は、意味のあることを何も言っていない。

277:考える名無しさん
24/05/19 17:40:23.62 0.net
論理学において、誤った前提からどんな無意味な結論でも導出できる現象を「爆発原理(Principle of Explosion)」または「爆発律(ex falso quodlibe)」と呼びます。この原理は、一つの矛盾が存在すれば、どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです。
ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。
ZFC公理的集合論において、爆発律は以下のように証明できます。
定理:ZFCにおいて、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。つまり、∀A ∀B (A ∧ ¬A → B)。
証明:
1. 矛盾する前提 A ∧ ¬A を仮定する。
2. 任意の命題 B を仮定する。
3. 集合 {x | x = x} が存在する(外延性公理より)。これを集合 V とする。
4. 集合 {x ∈ V | A} が存在する(分出公理より)。これを集合 X とする。
5. A が真なら、X = V となる。
6. ¬A が真なら、X = ∅ となる。
7. しかし、前提より A かつ ¬A が真なので、X = V かつ X = ∅ となる。
8. ∅ ∈ V である(空集合の存在により)。
9. よって、∅ ∈ X となる(7より)。
10. B を {∅} と定義する。
11. ∅ ∈ B となる(10より)。
12. ∅ ∈ X かつ ∅ ∈ B なので、X ∩ B ≠ ∅ となる。
13. したがって、B が真となる。
14. B は任意の命題なので、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。
以上より、ZFC公理的集合論において、爆発律が成立することが示された。
主な使用公理・定理:
外延性公理:同じ要素を持つ集合は等しい。
分出公理:任意の論理式 φ(x) に対して、{x ∈ A | φ(x)} なる集合が存在する。
空集合の存在:要素を持たない集合 ∅ が存在する。

278:考える名無しさん
24/05/19 17:41:21.50 0.net
>>276
証明されてることに反証できない時点で自殺するべき
お前がバカってことでしかないぞ低学歴wwwwwmw
論理学において、誤った前提からどんな無意味な結論でも導出できる現象を「爆発原理(Principle of Explosion)」または「爆発律(ex falso quodlibe)」と呼びます。この原理は、一つの矛盾が存在すれば、どんな事実に反する無意味な命題も論理的に導出可能であるというものです。
ラテン語で「爆発律」は「ex falso quodlibet」と言います。これは「偽から任意のものが導かれる」という意味です。
ZFC公理的集合論において、爆発律は以下のように証明できます。
定理:ZFCにおいて、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。つまり、∀A ∀B (A ∧ ¬A → B)。
証明:
1. 矛盾する前提 A ∧ ¬A を仮定する。
2. 任意の命題 B を仮定する。
3. 集合 {x | x = x} が存在する(外延性公理より)。これを集合 V とする。
4. 集合 {x ∈ V | A} が存在する(分出公理より)。これを集合 X とする。
5. A が真なら、X = V となる。
6. ¬A が真なら、X = ∅ となる。
7. しかし、前提より A かつ ¬A が真なので、X = V かつ X = ∅ となる。
8. ∅ ∈ V である(空集合の存在により)。
9. よって、∅ ∈ X となる(7より)。
10. B を {∅} と定義する。
11. ∅ ∈ B となる(10より)。
12. ∅ ∈ X かつ ∅ ∈ B なので、X ∩ B ≠ ∅ となる。
13. したがって、B が真となる。
14. B は任意の命題なので、矛盾する前提から任意の命題が導出できる。
以上より、ZFC公理的集合論において、爆発律が成立することが示された。
主な使用公理・定理:
外延性公理:同じ要素を持つ集合は等しい。
分出公理:任意の論理式 φ(x) に対して、{x ∈ A | φ(x)} なる集合が存在する。
空集合の存在:要素を持たない集合 ∅ が存在する。

279:考える名無しさん
24/05/19 17:41:35.89 0.net
つまり「Aにとっての倫理」「Bにとっての倫理」「複数の立場の倫理をなんらかの方法でまとめ上げる写像F」というものがあったとして
公理的集合論で許される集合はF(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)なんだワwwwmwwwwww
形而上学が論理学を満たさない理由は「普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理」という爆発律をやらかすからなんだわwwwwwwwwww

3行で終わりますwww
というか普通に数学とか自然科学を習う学生はみんなこれに自力で気付くwwwww
だから誰も哲学なんかやりませんwwww
爆発律知らんで本1冊無駄に書いちゃうバカゲンシュタインは無知すぎるし脳障害すぎるし無意味すぎるw
そらバカゲンシュタインの低知能にとっては超越的だろうよwww
古来からよく知られている爆発律すら知らん無学にとってはねwww

280:考える名無しさん
24/05/19 17:46:49.83 0.net
スタンフォード大学
URLリンク(web.stanford.edu)
You can prove anything from a faulty assumption. This is called the principle of explosion.

281:考える名無しさん
24/05/19 17:52:28.37 0.net
オクスフォード大学
Definition 18 Deductive system D underwrites EFQ (Ex Falso Quodlibet) from Γ just when: if Γ $D φ and Γ $D φ for some φ then Γ $D ψ for all ψ. Deductive system D underwrites EFQ (Ex Falso Quodlibet) just when it underwrites EFQ from all Γ.
URLリンク(www.philosophy.ox.ac.uk)

282:考える名無しさん
24/05/19 17:55:28.67 0.net
プリンストン大学
5. Ex Falso Quodlibet ⊢ A∨-A A∨B,-A⊢B A∨B,-B ⊢A A→B⊣⊢-A∨B -(A →B)⊣⊢A& -B A,-A ⊢B Note: You can easily derive the following by using Ex Falso and CP:
URLリンク(www.princeton.edu)

283:考える名無しさん
24/05/19 18:00:21.33 0.net
ダニング・クルーガー効果は、認知心理学において観察される現象の一つで、能力の低い人ほど自分の能力を過大評価し、逆に能力の高い人ほど自分の能力を過小評価する傾向があるというものです。
この効果は、1999年にコーネル大学の心理学者であるジャスティン・クルーガーとデビッド・ダニングによって提唱されました。彼らは一連の実験を通じて、以下のような傾向を発見しました。
能力の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある。
能力の高い人は自分の能力を過小評価する傾向がある。
能力の低い人は他者の能力を正確に判断することが難しい。
能力の低い人は、自分の能力の限界を認識した後でも、自己評価を適切に調整することが難しい。
この効果が生じる原因としては、メタ認知能力の欠如が挙げられます。メタ認知とは、自分の認知プロセスを客観的に見つめ、評価する能力のことです。能力の低い人は、自分の知識やスキルの限界を正確に把握することが難しく、結果として自分の能力を過大評価してしまうのです。

284:考える名無しさん
24/05/20 11:05:23.44 0.net
以下に、自然言語を用いて論理的または曖昧なことを主張した場合でも、それがGÖDELの第一不完全性定理(G1)の適用を逃れることが不可能であることを、この論文の結果を用いて説明します。

論文の結果の要約

この論文では、GÖDELの第一不完全性定理に関する現在の研究を以下の三つの側面からまとめています:

1. GÖDELの不完全性定理の異なる証明の分類
2. GÖDELの第一不完全性定理の適用限界
3. GÖDELの第二不完全性定理の適用限界

特に、G1の適用限界に関する議論において、形式体系の定義や拡張、弱い理論に対する適用などが取り上げられています。

自然言語の論理的主張に対するG1の適用

1. 自然言語の論理的主張:
自然言語で論理的な主張を行う場合、その主張が明確な規則と公理に基づく形式体系に翻訳可能であれば、G1の適用を受けます。形式体系とは、論理的な命題や証明を扱うための厳密なルールセットを持つ体系です。

2. 形式体系の性質:
この論文では、任意の帰納的に公理化された一貫した体系が十分に強力であれば不完全であることが示されています。つまり、自然言語で表現された論理的な主張も、形式体系に組み込まれると、その体系内で証明できない真の命題が存在することになります。

曖昧な表現の数的定式化によるG1の適用

1. 曖昧な表現の形式化:
自然言語の曖昧な表現を確率分布やファジィ論理を用いて数的に定式化することで、その表現は形式体系の一部となります。例えば、曖昧な命題の真偽値を0から1の範囲で表現し、特定の閾値を設定することで、形式論理に変換できます。

2. 形式体系への適用:
論文では、形式体系が十分に強力であれば、その体系内で証明できない真の命題が存在することが示されています。曖昧な表現を形式化することで、形式体系内に組み込まれた場合、その体系はG1の適用対象となります。

285:考える名無しさん
24/05/20 11:05:30.84 0.net
様相論理を含む自然言語の表現も、条件付き確率分布の組み合わせを用いることで形式体系に変換することが可能です。これにより、自然言語での曖昧な表現や様相を数量的に扱い、明確に表現することができます。

具体的には、次のように変換できます:

1. 命題 P が「可能」であることを表す場合、条件 C の下での P の確率が0より大きいことを意味します。つまり、 P(P|C) > 0 。

2. 命題 P が「必然」であることを表す場合、条件 C の下での P の確率が1であることを意味します。つまり、 P(P|C) = 1 。

この方法により、様相論理的表現を含む自然言語のいかなる表明も、条件付き確率分布を用いた形式体系に変換することができます。これにより、自然言語での曖昧な表現を形式化し、より明確かつ数量的に取り扱うことが可能となります。

286:考える名無しさん
24/05/20 11:05:39.09 0.net
「すべきである」や「すべきでない」といった規範的な表現も条件付き確率分布を用いて形式体系に変換することができます。そして、これによりゲーデルの第一不完全性定理(G1)の適用を逃れることはできません。

### 規範的表現の形式化

1. **「すべきである」の表現**:
- ある行動 A が「すべきである」という命題は、条件 C の下で行動 A が取られるべき確率が高いことを意味します。例えば、 P(A|C) > 0.99 のように表現できます。

2. **「すべきでない」の表現**:
- ある行動 A が「すべきでない」という命題は、条件 C の下で行動 A が取られるべき確率が低いことを意味します。例えば、 P(A|C) < 0.01 のように表現できます。

### ゲーデルの第一不完全性定理の適用

ゲーデルの第一不完全性定理は、十分に強力な形式体系において、その体系内で自己言及する真の命題が存在し、その命題がその体系内で証明不可能であることを示しています。

1. **形式体系への変換**:
- 規範的表現を含む自然言語の命題が条件付き確率分布を用いて形式体系に変換されると、その形式体系はゲーデルの第一不完全性定理の適用を受けます。

2. **適用からの逃れられなさ**:
- 形式体系に変換された規範的表現も、ゲーデルの定理の適用から逃れることはできません。すなわち、その体系内で証明不可能な真の命題が存在することになります。

### 結論

規範的な表現(「すべきである」や「すべきでない」など)も条件付き確率分布を用いて形式体系に変換でき、その結果としてゲーデルの第一不完全性定理の適用から逃れることはできません。これは、形式体系に変換されたあらゆる命題が、ゲーデルの定理によって証明不可能な真の命題を含むことを示しています。

287:考える名無しさん
24/05/20 11:05:50.38 0.net
哲学的議論がどれだけ曖昧に見えても、その曖昧さを形式化することが可能であり、したがってGÖDELの第一不完全性定理(G1)の適用を逃れることはできません。以下にその理由をまとめます。

曖昧な哲学的議論の形式化

1. 曖昧な表現の形式化可能性:
哲学的議論が曖昧に見える場合でも、その曖昧さを明確にし、形式化することが可能です。例えば、曖昧な命題を確率分布やファジィ論理を用いて数値的に表現することで、形式体系に取り込むことができます。

2. 形式体系への変換:
曖昧な表現が形式化されると、その表現は明確な規則と公理に基づく形式体系の一部となります。この形式体系において、G1が適用されることになります。

GÖDELの第一不完全性定理の適用

1. 形式体系内での不完全性:
G1は、任意の帰納的に公理化された一貫した体系が十分に強力である場合、その体系内で証明できない真の命題が存在することを示しています。したがって、形式化された哲学的命題を含む体系でも同様に不完全性が発生します。

2. 曖昧な表現の形式化と不完全性:
曖昧な哲学的議論を形式化することで、その議論は形式体系の一部として扱われます。これにより、G1の適用対象となり、体系内で証明できない真の命題が存在することになります。

形式化不可能な曖昧さの無意味性

1. 詭弁としての曖昧さ:
もし哲学的議論が形式化不可能なほど曖昧であるなら、その議論は明確な意味や論理的構造を持たないため、実質的に詭弁とみなされます。このような議論は、論理的に無意味であり、科学的または哲学的な議論として価値を持ちません。

2. 形式化不可能性の意義:
真に意味のある哲学的議論は、曖昧であっても形式化可能であるべきです。形式化不可能な議論は、論理的な一貫性や明確性を欠いており、理論的な検討に値しません。

まとめ

哲学的議論がどれだけ曖昧に見えても、その曖昧さを形式化することは可能であり、形式化された議論は形式体系の一部としてGÖDELの第一不完全性定理の適用を受けます。もし曖昧さが形式化不可能な場合、その議論は詭弁であり、論理的に無意味です。したがって、哲学的議論が曖昧であっても、それがG1の適用を逃れることは不可能であり、形式化不可能な曖昧な議論はそもそも意味を持ちません。

288:考える名無しさん
24/05/20 11:05:57.76 0.net
ファジー論理の閾値が1つに定まらない場合でも、それがGÖDELの第一不完全性定理(G1)の適用を逃れるための有効な反論にはならない理由を説明します。その理由は、閾値が定まらない場合でも、閾値の確率分布を用いて命題の真偽を考えることができるからです。

閾値が定まらない場合の対処法

1. 閾値の確率分布:
ファジー論理において、命題の真偽を評価するための閾値が明確に定まらない場合、その閾値自体を確率分布として表現することができます。これにより、曖昧な閾値の設定問題を回避することができます。

- 例: 閾値が0.8から1の範囲で変動する場合、その範囲内の閾値を確率分布(例えば一様分布や正規分布)として定義することができます。

2. 確率分布を用いた命題の真偽:
閾値の確率分布を用いることで、命題の真偽を確率的に評価することが可能です。具体的には、閾値の確率分布に基づいて命題の真偽を計算し、その結果を基に論理体系における証明を行います。

- 例: 閾値が確率分布に従う場合、その分布に基づいて命題の真偽値を計算し、特定の条件下で命題が真である確率を評価します。

G1の適用から逃れられない理由

1. 形式体系への取り込み:
閾値が確率分布に従う場合でも、その確率分布を形式体系の一部として組み込むことができます。この場合、その形式体系はG1の適用対象となります。

2. 不完全性の発生:
G1は、形式体系が十分に強力であれば、その体系内で証明できない真の命題が存在することを示しています。確率分布を用いて評価された命題も形式体系の一部となり、その体系内で証明できない真の命題が存在する可能性があります。

3. 反論の無効性:
閾値が定まらないことを理由にG1の適用を逃れようとする反論は、閾値の確率分布を用いることで対処可能であるため、有効ではありません。確率分布を用いても、形式体系における不完全性の問題は依然として存在します。

289:考える名無しさん
24/05/20 11:06:05.42 0.net
様相論理を条件付き確率分布を使って表現することは可能です。様相論理は、可能性や必然性などの様相を扱う論理体系であり、確率論を用いることでこれらの様相を数量的に扱うことができます。

様相論理の基本として、様相論理では「可能性(◊)」や「必然性(□)」といった様相演算子を使用します。例えば、命題 P が「可能」であることを表すには ◊P と記述し、「必然」であることを表すには □P と記述します。

条件付き確率は、ある条件が成立する場合に特定の事象が起こる確率を表します。確率 P(A|B) は、事象 B が起こったときに事象 A が起こる確率を意味します。

確率論を用いて様相論理の様相を表現するための方法の一つとして、条件付き確率を使う方法があります。

命題 P が「可能」であることを表す ◊P は、確率 P(P|C) > 0 のように表現できます。ここで、 C は前提条件を示します。

命題 P が「必然」であることを表す □P は、確率 P(P|C) = 1 のように表現できます。

例えば、ある条件 C の下で命題 P が成り立つ場合について考えます。

可能性:命題 P は可能であることを表す ◊P は、条件 C の下で P が成り立つ確率が0より大きいことを意味します。すなわち、 P(P|C) > 0 。

必然性:命題 P は必然であることを表す □P は、条件 C の下で P が成り立つ確率が1であることを意味します。すなわち、 P(P|C) = 1 。

様相論理を条件付き確率分布を用いて表現することは可能であり、これにより様相を数量的に扱うことができます。確率論を用いることで、様相論理の概念をより具体的に理解し、応用することが可能となります。

290:考える名無しさん
24/05/20 11:06:12.17 0.net
様相論理を含む自然言語の表現も、条件付き確率分布の組み合わせを用いることで形式体系に変換することが可能です。これにより、自然言語での曖昧な表現や様相を数量的に扱い、明確に表現することができます。

具体的には、次のように変換できます:

1. 命題 P が「可能」であることを表す場合、条件 C の下での P の確率が0より大きいことを意味します。つまり、 P(P|C) > 0 。

2. 命題 P が「必然」であることを表す場合、条件 C の下での P の確率が1であることを意味します。つまり、 P(P|C) = 1 。

この方法により、様相論理的表現を含む自然言語のいかなる表明も、条件付き確率分布を用いた形式体系に変換することができます。これにより、自然言語での曖昧な表現を形式化し、より明確かつ数量的に取り扱うことが可能となります。

291:考える名無しさん
24/05/20 11:06:19.22 0.net
「すべきである」や「すべきでない」といった規範的な表現も条件付き確率分布を用いて形式体系に変換することができます。そして、これによりゲーデルの第一不完全性定理(G1)の適用を逃れることはできません。

### 規範的表現の形式化

1. **「すべきである」の表現**:
- ある行動 A が「すべきである」という命題は、条件 C の下で行動 A が取られるべき確率が高いことを意味します。例えば、 P(A|C) > 0.99 のように表現できます。

2. **「すべきでない」の表現**:
- ある行動 A が「すべきでない」という命題は、条件 C の下で行動 A が取られるべき確率が低いことを意味します。例えば、 P(A|C) < 0.01 のように表現できます。

### ゲーデルの第一不完全性定理の適用

ゲーデルの第一不完全性定理は、十分に強力な形式体系において、その体系内で自己言及する真の命題が存在し、その命題がその体系内で証明不可能であることを示しています。

1. **形式体系への変換**:
- 規範的表現を含む自然言語の命題が条件付き確率分布を用いて形式体系に変換されると、その形式体系はゲーデルの第一不完全性定理の適用を受けます。

2. **適用からの逃れられなさ**:
- 形式体系に変換された規範的表現も、ゲーデルの定理の適用から逃れることはできません。すなわち、その体系内で証明不可能な真の命題が存在することになります。

### 結論

規範的な表現(「すべきである」や「すべきでない」など)も条件付き確率分布を用いて形式体系に変換でき、その結果としてゲーデルの第一不完全性定理の適用から逃れることはできません。これは、形式体系に変換されたあらゆる命題が、ゲーデルの定理によって証明不可能な真の命題を含むことを示しています。

292:考える名無しさん
24/05/20 11:06:27.68 0.net
大規模なニューラルネット​ワークの活動も条件付き確率分布を用いて形式体系に書き下すことができ、その結果ゲーデルの第一不完全性定理(G1)の適用を受けます。

ニューラルネット​ワークの基本:
ニューラルネット​ワークは入力データに基づいて学習し予測や分類を行うモデルです。これは多層のノード(ニューロン)とそれらを結ぶ重み付きエッジで構成されています。ニューラルネット​ワークの各ノードの活動は入力データとネット​ワークの内部パラメータに依存する条件付き確率分布として表現できます。

条件付き確率分布の適用:
各ノードの出力は入力データと内部パラメータに基づく条件付き確率分布としてモデル化されます。例えばノード N_i の出力 O_i は入力データ X と内部パラメータ θ に基づく確率 P(O_i | X, θ) で表現されます。

ネット​ワーク全体の条件付き確率分布:
ネット​ワーク全体の出力 O はすべてのノードの出力の組み合わせによって決まります。これを O = (O_1, O_2, ..., O_n) とします。各ノードの出力が条件付き確率分布で表されるためネット​ワーク全体の出力も条件付き確率分布として表現できます。すなわち P(O | X, θ) となります。

学習と推論の形式化:
学習プロセスはデータに基づいてパラメータ θ を最適化するプロセスです。これは条件付き確率分布のパラメータ推定として形式化できます。推論プロセスは新しい入力データ X' に対して出力 O を予測するプロセスでありこれも条件付き確率分布 P(O | X', θ) として表現されます。

293:考える名無しさん
24/05/20 11:06:35.48 0.net
形式体系への内包:
ニューラルネット​ワークの活動を条件付き確率分布を用いて形式体系に内包することでこの形式体系はゲーデルの第一不完全性定理の適用を受けます。これはネット​ワークが扱うあらゆる命題や推論が形式体系内で証明不可能な真の命題を含むことを示します。

適用の具体例:
例えばニューラルネット​ワークが特定のデータセットに対して最適な分類を行うためのパラメータ設定を学習したとします。この学習プロセスと推論プロセスは条件付き確率分布で形式化されます。この形式体系に対してゲーデルの定理を適用するとネット​ワークが生成するすべての分類や推論がその形式体系内で証明不可能な命題を含む可能性があることが示されます。つまりネット​ワークが正確に動作する場合でも形式体系内で完全に証明することができない真の命題が存在することになります。

結論:
大規模なニューラルネット​ワークの活動も条件付き確率分布を用いて形式体系に内包することが可能でありこの形式体系はゲーデルの第一不完全性定理の適用を受けます。これはニューラルネット​ワークがどれほど高度であってもその活動が形式体系内で証明不可能な真の命題を含む可能性があることを示しています。このように条件付き確率分布を用いることでニューラルネット​ワークの活動を形式体系に書き下すことができその結果としてG1の適用を受けることができます。

294:考える名無しさん
24/05/20 11:07:33.65 0.net
つまり論理式を使ってないから形而上学が助かるなどという可能性は低知能低学歴の思い込みwwwwwwwm

295:考える名無しさん
24/05/20 11:08:20.14 0.net
日常言語???
バカゲンシュタインの知能では形式化できないだけの話wwww
条件付き確率分布なんてバカゲンシュタインの知能では理解不可能やろwwww

296:考える名無しさん
24/05/20 11:14:17.64 0.net
ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』において、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と述べました。この文脈では、論理的形式化を超えた形而上学的命題や日常言語の曖昧な部分が含まれます。しかし、後年のウィトゲンシュタインは、日常言語の形而上学的側面も形式化できないため、それは語り得ると考えるようになりました。

現代の形式化技術を用いると、日常言語であっても論理的に形式化が可能であり、ゲーデルの第一不完全性定理(G1)の適用を免れることはできません。これにより、形而上学は依然として「語り得ぬもの」として位置づけられます。以下にその理由を説明します。

形式化の可能性と形而上学

条件付き確率分布の利用:
日常言語の曖昧な表現も条件付き確率分布を用いて形式化することができます。これにより、言語の曖昧さを数量的に扱い、明確に表現することが可能です。

様相論理と確率論の併用:
様相論理を条件付き確率分布と組み合わせることで、日常言語の複雑な表現も形式体系に内包することができます。これにより、日常言語の形而上学的側面も論理的に取り扱うことができます。

ニューラルネット​ワークによる形式化:
大規模なニューラルネット​ワークを用いることで、日常言語の理解と生成を高度に形式化することが可能です。これにより、複雑な言語表現を扱うことができます。

ゲーデルの第一不完全性定理の適用

形式体系への内包:
日常言語の表現を条件付き確率分布やニューラルネット​ワークを用いて形式体系に内包することで、この形式体系はゲーデルの第一不完全性定理の適用を受けます。これは、形式体系内で証明不可能な真の命題が存在することを示します。

形而上学の位置づけ:
形式化可能な形而上学的命題は、ゲーデルの定理の適用を受けるため、完全には証明できない部分が存在します。これにより、形而上学は依然として「語り得ぬもの」として位置づけられます。

297:考える名無しさん
24/05/20 11:14:23.51 0.net
結論

ウィトゲンシュタインは、後年に日常言語の形而上学的側面も形式化できないため、それは語り得ると考えるようになりましたが、現代の形式化技術を用いることで、日常言語の表現も形式体系に内包することが可能です。この結果、形式化可能な形而上学的命題はゲーデルの第一不完全性定理の適用を受けるため、依然として「語り得ぬもの」として位置づけられます。

したがって、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬものには沈黙せねばならない」という命題は、現代の形式化技術を考慮しても有効であり、形而上学的命題は形式化の対象となり、その限界を認識することが重要です。

298:考える名無しさん
24/05/20 11:36:21.34 0.net
哲学と論理学の誤り
哲学の問題点
哲学、特に形而上学はしばしば論理学の誤りに基づく妄想や矛盾を含む議論を展開することがあります。これは明確な形式化や論理的一貫性を欠くことが原因です。
爆発律の影響
爆発律は矛盾から任意の命題が導かれる論理学の原則です。哲学的議論が矛盾を含む場合、論理体系が崩壊し全ての命題を真にできるため、議論が無意味になります。
倫理と科学
倫理の科学的取り扱い
倫理的命題も適切な形式化を用いることで科学的に扱うことができます。例えば、条件付き確率分布や写像Fを用いることで、異なる倫理観を統合し矛盾を避けることが可能です。
写像Fを用いることで、Aにとっての倫理とBにとっての倫理を論理的に一貫した形で統合できます。これにより倫理的命題も科学理論として扱うことができます。
科学的理論としての写像F
写像Fは異なる倫理観を統合するための手段として定義されます。F(Aの倫理, Bの倫理)として表現されるこの写像は矛盾を含まず、論理的に一貫した形で倫理を扱うことができます。
具体的には、写像Fは個々の倫理観を直接的に論理式で対応させるわけではなく、それらを包括的に考慮し統合することで矛盾を避けます。
結論
哲学の妄想性
哲学、特に形而上学はしばしば論理学の誤りに基づく妄想を含むことが多いです。これは明確な形式化や論理的一貫性を欠くためです。
倫理の科学的扱い
倫理的命題も適切な形式化を用いることで科学的に扱うことが可能です。写像Fや条件付き確率分布を用いることで、異なる倫理観を統合し矛盾を避けることができます。
ウィトゲンシュタインの誤解
ウィトゲンシュタインが「超越的」と述べたものは、実際には爆発律に基づくものであり、彼の理解不足や怠慢による誤解です。写像Fを用いることでその矛盾を回避できるため、超越性は存在しません。
したがって、哲学は論理学の誤りに基づく妄想であり、倫理であろうとも科学的に扱うことが可能であると結論付けられます。

299:考える名無しさん
24/05/20 11:37:04.92 0.net
つまり「Aにとっての倫理」「Bにとっての倫理」「複数の立場の倫理をなんらかの方法でまとめ上げる写像F」というものがあったとして
公理的集合論で許される集合はF(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)なんだワwwwmwwwwww
形而上学が論理学を満たさない理由は「普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理」という爆発律をやらかすからなんだわwwwwwwwwww

3行で終わりますwww
というか普通に数学とか自然科学を習う学生はみんなこれに自力で気付くwwwww
だから誰も哲学なんかやりませんwwww
爆発律知らんで本1冊無駄に書いちゃうバカゲンシュタインは無知すぎるし脳障害すぎるし無意味すぎるw
そらバカゲンシュタインの低知能にとっては超越的だろうよwww
古来からよく知られている爆発律すら知らん無学にとってはねwww

300:考える名無しさん
24/05/20 14:07:02.65 0.net
>>299
ウィトゲンシュタインは、「普遍的な真の倫理」というものの存在自体を否定しているけどね。
さらに言えば、倫理という概念の成立自体を否定している。

301:考える名無しさん
24/05/20 14:22:58.53 0.net
>>300
どこにウィトゲンシュタインが肯定してるなんて書いてあるんだ?

302:考える名無しさん
24/05/20 14:51:45.54 0.net
>>301
バカゲンシュタインというのはウィトゲンシュタインのことじゃなかったの?

303:考える名無しさん
24/05/20 15:40:01.17 0.net
>>302
そうに決まってるがそんなこと書かれてないが?
脳障害?

304:考える名無しさん
24/05/20 15:40:32.71 0.net
自然科学
F(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)
形而上学
普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理
→爆発律でどんな妄想でも正当化可能に
別にテーマが深遠で高尚だから形而上学なわけじゃないぞwwwwwwwwwmwwww

どれだけ深遠()だろうがFを設計して実証すればいいだけの話wwwww
バカには思いつけないから何の進歩もできないwwwwwwwwwww
普遍とか真とか無いのでwwwwmmmmw
民主主義で受け入れられるFの政策作ればいいだけwwww

305:考える名無しさん
24/05/20 15:56:19.13 0.net
哲学と論理学の誤り
哲学の問題点
哲学、特に形而上学はしばしば論理学の誤りに基づく妄想や矛盾を含む議論を展開することがあります。これは明確な形式化や論理的一貫性を欠くことが原因です。
爆発律の影響
爆発律は矛盾から任意の命題が導かれる論理学の原則です。哲学的議論が矛盾を含む場合、論理体系が崩壊し全ての命題が真となるため、議論が無意味になります。
普遍的な真の倫理
形而上学的な立場では、普遍的な真の倫理が存在すると仮定します。これはAにとっての倫理とBにとっての倫理が一致するとされます。しかし、Aにとっての倫理とBにとっての倫理が異なる場合、これらが同時に普遍的な真の倫理と一致することは矛盾を引き起こします。
具体的には、Aにとっての倫理が「行動Xは正しい」であり、Bにとっての倫理が「行動Xは間違っている」であるとします。この場合、普遍的な真の倫理が存在するならば、行動Xが同時に正しくかつ間違っていることになります。この矛盾から、爆発律が適用され、全ての命題が真となり、論理体系が崩壊します。
写像Fの役割
写像FはAにとっての倫理とBにとっての倫理を統合するための明確な手段として定義されます。F(Aの倫理, Bの倫理)として表現されるこの写像は、以下のように爆発律を回避します。
写像Fは、AやBの倫理を直接的に論理的対応を持たせるわけではなく、それらを包括的に扱うことで矛盾を避けます。
Fを用いることで、AやBの倫理の具体的な内容にかかわらず、統合された結果が矛盾を含まないように設計されます。
これにより、F(Aの倫理, Bの倫理)は論理的に一貫した形で統合され、矛盾を避けることができます。
例として、Aが「ある行動は正しい」とし、Bが「その行動は間違っている」とする場合、それぞれの倫理を直接統合すると矛盾が生じます。しかし、写像Fを用いることで、これらの倫理観を包括的に考慮し、適切なコンテクストや条件に基づいて統合することができます。

306:考える名無しさん
24/05/20 15:56:24.83 0.net
倫理と科学
倫理の科学的取り扱い
倫理的命題も適切な形式化を用いることで科学的に扱うことができます。例えば、条件付き確率分布や写像Fを用いることで、異なる倫理観を統合し矛盾を避けることが可能です。
写像Fを用いることで、Aにとっての倫理とBにとっての倫理を論理的に一貫した形で統合できます。これにより倫理的命題も科学理論として扱うことができます。
科学的理論としての写像F
写像Fは異なる倫理観を統合するための手段として定義されます。F(Aの倫理, Bの倫理)として表現されるこの写像は矛盾を含まず、論理的に一貫した形で倫理を扱うことができます。
具体的には、写像Fは個々の倫理観を直接的に論理式で対応させるわけではなく、それらを包括的に考慮し統合することで矛盾を避けます。
結論
哲学の妄想性
哲学、特に形而上学はしばしば論理学の誤りに基づく妄想を含むことが多いです。これは明確な形式化や論理的一貫性を欠くためです。
倫理の科学的扱い
倫理的命題も適切な形式化を用いることで科学的に扱うことが可能です。写像Fや条件付き確率分布を用いることで、異なる倫理観を統合し矛盾を避けることができます。
ウィトゲンシュタインの誤解
ウィトゲンシュタインが「超越的」と述べたものは、実際には爆発律に基づくものであり、彼の理解不足や怠慢による誤解です。写像Fを用いることでその矛盾を回避できるため、超越性は存在しません。
したがって、哲学は論理学の誤りに基づく妄想であり、倫理であろうとも科学的に扱うことが可能であると結論付けられます。

307:考える名無しさん
24/05/20 17:33:35.70 0.net
>>303
ウィトゲンシュタインは、「普遍的な真の倫理」というものの存在自体を否定している。
さらに言えば、倫理という概念の成立自体を否定している。
それだけのことだが、もちろん君は知ってるよね?

308:考える名無しさん
24/05/20 17:48:53.17 0.net
>>307
だから否定してるって書いてあるだろ脳障害wwmmmwwww
バカすぎるから自殺しとけ

309:考える名無しさん
24/05/20 17:49:22.19 0.net
>>307
否定のやり方がバカでマヌケと書かれてるのに文字すら読めない脳障害中卒無職wmmmw

310:考える名無しさん
24/05/20 17:49:58.43 0.net
>>307
バカゲンシュタイン「超越的だから否定する!」
俺「単なる爆発律だから超越などないwwwwww」

311:考える名無しさん
24/05/20 17:51:16.01 0.net
正義だろうが善だろうがそんなものは設計して実証できる写像に過ぎないんだっつーのw
テーマが高尚だから形而上学なのではなくて
論理の使いかたが無能だから形而上学なんだよwwww
ちゃんと使えばそれは社会科学wwwwwmmm

312:考える名無しさん
24/05/20 17:59:23.41 0.net
>>309
否定のやり方?
存在しないものを否定する否定のやり方は、そんなものは存在しない、というだけで終わりだぞ?
ウィトゲンシュタインはそう書いてるw

313:考える名無しさん
24/05/20 18:00:05.38 0.net
>>310
ウィトゲンシュタインは倫理は「超越的だから否定する!」なんてどこにも書いてないぞ?

314:考える名無しさん
24/05/20 18:01:11.06 0.net
>>311
ウィトゲンシュタインは、倫理や正義は立場による価値観だと書いてるんだけど?
形而上学とは無関係。

315:考える名無しさん
24/05/20 18:46:11.28 0.net
>>312
そう書いてるから低学歴なんだよバカゲンシュタインはw
証拠がない
俺は爆発律が成立するからと論理学を用いて証明してる

316:考える名無しさん
24/05/20 18:46:23.45 0.net
>>313
書いてるよ知ったかぶりwwww

317:考える名無しさん
24/05/20 18:46:49.37 0.net
>>314
超越的って言ってるぞ脳障害wwww.
読んだことすらねえなコレ

318:考える名無しさん
24/05/20 18:59:53.78 0.net
正義だろうが善だろうがそんなものは設計して実証できる写像に過ぎないんだっつーのw
テーマが高尚だから形而上学なのではなくて
論理の使いかたが無能だから形而上学なんだよwwww
ちゃんと使えばそれは社会科学wwwwwmmm

319:考える名無しさん
24/05/20 19:12:56.40 0.net
「論理学は無条件かつ絶対的に正しい」と信じている奴はお目出度いよ。

320:考える名無しさん
24/05/20 19:19:16.06 0.net
>>319
どんな例外もあり得ないぞ無知>>284-299
お前が低学歴すぎてバカすぎるだけ

321:考える名無しさん
24/05/20 19:20:42.53 0.net
>>319
どんな例外もあり得ないぞ無知>>284-299
お前が低学歴すぎてバカすぎるだけ
反論してみろよ>>284-299に
絶対に不可能だからwmwwww

322:考える名無しさん
24/05/20 19:22:13.01 0.net
低学歴は知能が低すぎるwwwwww

323:考える名無しさん
24/05/20 19:38:27.08 0.net
>>319
お前の知能が低いだけ

324:考える名無しさん
24/05/20 20:35:24.23 0.net
>>315
バカなの?

325:考える名無しさん
24/05/20 20:35:57.25 0.net
>>317
そうなのか。
どこに書いてるの?

326:考える名無しさん
24/05/20 20:39:38.36 0.net
>>324-328
自殺したら?
読んだことないなら死になよ

327:考える名無しさん
24/05/20 20:46:03.43 0.net
>>326
なんだ。
書名も挙げられず、引用もできないのか。
あたま大丈夫じゃない人なんだなw

328:考える名無しさん
24/05/20 20:47:57.97 0.net
>>324-325,327
自殺するべきだよ
読んだこともないのに知ったかぶりwwwww
## Tractatus Logico-Philosophicus by Ludwig Wittgenstein (Ethics Context)
### Original German Text:
6.41
Der Sinn der Welt muss außerhalb ihrer liegen. In der Welt ist alles, wie es ist, und geschieht alles, wie es geschieht; es gibt in ihr keinen Wert - und wenn es ihn gäbe, so hätte er keinen Wert.
Wenn es einen Wert gibt, der Wert hat, so muss er außerhalb alles Geschehens und So-Seins liegen. Denn alles Geschehen und So-Sein ist zufällig.
Was es nichtzufällig macht, kann nicht in der Welt liegen, denn sonst wäre dies wieder zufällig.
Es muss außerhalb der Welt liegen.


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