24/09/09 12:44:22.29 0.net
>>280
>そのため可能世界w0への人類の移行は、そうしたアイデンティティの空性を体感しうるトポロジーとなる
わたしは人間である→実世俗(yang dag kun rdzob)→勝義では否定されるが世俗では認められる知
わたしは青い猫型ロボットである→邪世俗(log pa'i kun rdzob)→世俗でも否定される誤知
可能世界w0などというのは妄想
282:考える名無しさん
24/09/09 14:22:40.69 0.net
>>281
君は、可能世界の概念を全く理解していない。たとえば、以下の命題を考えてみよう
「シャーロック・ホームズは、名探偵である」
この命題を現実主義で考えると、偽となる。なぜなら、シャーロック・ホームズは実在の
人間ではなく、コナン・ドイルによる架空の存在者だからである。
そして、分析哲学では、強現実主義という概念がある。これは可能世界での存在をも
包含した概念になる。そのため、この強現実主義という文脈の与えられた可能世界においては、上記の命題は真になる。よって、古文読解君が提示した命題である
「わたしは青い猫型ロボットである」
も、こうした強現実主義の文脈における可能世界w_0においては、真になりうる
命題になる。そういうフィクションや創作物があれば良いだけの話になるからである。
283:考える名無しさん
24/09/09 21:15:36.23 0.net
>>282
>こうした強現実主義の文脈における可能世界w_0においては、真になりうる命題になる。
それ仏教関係ないやん
知りもしないのに何で仏教持ち出した?
284:考える名無しさん
24/09/09 21:36:32.64 0.net
Tips∶知能指数
285:考える名無しさん
24/09/19 14:50:37.34 0.net
斎藤幸平『人新世』
〈マルクスの用語を使えば,『富』とは,『使用価値』のことである。(中略)それに対して,『財産』は貨幣で測られる。それは商品の『価値』の合計である〉
マルクスが本当はどう書いているかといえば、↓
『資本論』
〈資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als
eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine
Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる〉
286:考える名無しさん
24/09/19 14:58:09.75 0.net
マルクスは、「諸社会の富」は、個々の商品を要素とする「商品集合」だというのだが、
斎藤幸平は、「富」とは使用価値であって、「商品価値の合計」は「財産」だ
とマルクスは述べたというのであった。
287:考える名無しさん
24/09/21 18:04:05.07 0.net
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