24/08/31 05:02:42.79 0.net
マルクスの労働価値説において、抽象的人間労働(交換価値)と具体的有用労働(使用価値)の関係は、包含関係というよりは、むしろ相補的な関係と捉えるべきです。
なぜ包含関係ではないのか?
* 質的な差異: 抽象的人間労働は、労働の質を捨象した量的な側面を指し、具体的有用労働は、特定の商品を生産するための質的な側面を指します。両者は異なる質を持った概念であり、単純に一方に他方が包含されるという関係ではありません。
* 価値の源泉: マルクスによれば、商品の価値は抽象的人間労働の時間によって決まりますが、その商品が果たす有用な役割(使用価値)は、具体的な労働の種類によって決まります。つまり、価値と使用価値は、異なる側面から商品を捉える概念であり、一方なしに他方は成立しません。
相補的な関係とは
* 商品としての二重性: 一つの商品には、価値(交換価値)と使用価値という二つの側面が同時に存在します。
* 相互依存: 商品が交換の対象となるためには、価値(抽象的人間労働)と使用価値の両方が必要です。価値を持たない使用価値は、単なる自然物であり、交換の対象とはなりません。逆に、使用価値を持たない価値は、抽象的な概念に過ぎません。
167:考える名無しさん
24/08/31 05:03:27.72 0.net
図で表すと
商品
├─ 価値(抽象的人間労働)
└─ 使用価値(具体的有用労働)
まとめ
抽象的人間労働と具体的有用労働は、商品を異なる側面から捉える概念であり、相互依存的な関係にあります。包含関係ではなく、相補的な関係として理解することが重要です。
補足
* 抽象的人間労働は、商品が交換される社会において、労働の平均的な社会的に必要な労働時間を指します。
* 具体的有用労働は、特定の商品を生産するために必要な、特殊な技術や技能を伴う労働を指します。
* マルクスの労働価値説は、現代の経済学においても重要な論争の対象となっています。
168:考える名無しさん
24/08/31 05:53:31.31 0.net
そもそも『資本論』がたんなる経済学の本だったら、哲学者や思想家が腰を据えて論じないじゃないの。
ところが、名だたる哲学者または思想家が大勢論じているわけだろう。
『資本論』は、経済学批判なんですよ。
この「批判」というのは、カント以来哲学のスタイルの一つ、というか、最大のものなんですね。
169:考える名無しさん
24/08/31 05:57:12.44 0.net
ヘーゲルは、従来形而上学と呼ばれてきたものを論理学といったのよ。
だから著書にも論理学と題名がついているだろう。『大論理学』。
これはライプニッツ=ヴォルフのいう論理学を踏まえたものだろう。
170:
24/08/31 10:59:29.95 0.net
>>166-167はAIによる回答だろうけど、AIのほうが基本をしっかり押さえてるね
ま、基本文献をインプットしてあるから、当然だろうけど
マルクス主義は文学青年の頭脳を理論的に鍛え上げるという側面があったわけだから、たとえ5ちゃんだとしても間違いはしっかりと指摘する、こういう姿勢が大事だと思うのよ
ポモ的なごまかしは一切認めない
ポモは結局何も残すことができなかったわけだから
171:考える名無しさん
24/08/31 11:26:11.59 0.net
パパー、小難しくしか語れない人はみんな馬鹿って先生が言ってたょ?
172:考える名無しさん
24/08/31 18:14:10.96 0.net
≫抽象的人間労働は、労働の質を捨象した量的な側面を指し、
≫具体的有用労働は、特定の商品を生産するための質的な側面を指します。
だったら、使用価値物は最初から商品として生産されるということになるだろう。
斎藤幸平熱烈支持みたいな人にとっては、
使用価値を生じさせるはずの具体的有用労働にしても、
AIは「商品を生産するため」のものだ、というのだから。
ここは哲学板だから、空理空論を玩ぶのが本筋なのね。
選挙がらみの宣伝的な書き込みをしたいのならば、然るべき板でやればいいのじゃないか。
173:考える名無しさん
24/08/31 18:18:01.00 0.net
≫柄谷フェティシズム論では、自然物は最初から価値=商品として生産される、ということになっている≫わけですよ。
≫これは、『マルクスその可能性の中心』のころから、基本的に変わっていない。
174:考える名無しさん
24/08/31 18:21:07.70 0.net
wiki具体的有用労働
この術語のごく簡単な意味は、商品の使用価値を生み出す労働のことである。言い換えると、上着を作る裁縫労働、リンネルを作る織物労働のようにある目的をもって物を生み出すことである。この労働の特徴は自然の質料を、人間の欲望や欲求に従って加工するものであり、「何のために」作るのかという合目的的な活動であるということである。例えば、パンを作るのは食欲を満たすためであり、上着を作るのは寒さをしのぐためである。このため、具体的有用労働は対象化の活動でもある。
175:考える名無しさん
24/08/31 18:25:42.44 0.net
具体的有用労働を以て「パンを作るのは食欲を満たすためであり」ではあるが、AIによれば、
≫具体的有用労働は、特定の商品を生産する質的な側面
というのだから、パンは、はなから商品としてつくられる、というわけね。
たしかにこれは柄谷の説に合致している。
176:考える名無しさん
24/08/31 18:29:26.03 0.net
読んだ本の受け売りを聞いてくれる友達がいないんだねw
177:考える名無しさん
24/08/31 18:35:39.32 0.net
ドゥルーズ語で言えば、使用価値体系は質的多様体
交換価値体系は量的多様体。
量的多様体は、微分可能なのだが、それでも、ほとんどの微分方程式はマルクスやエンゲルスが想像したようにきれいにとけるものではないし、
それを数値的に解こうにもカオスがでていくらやってもズレる、
だから、否定に否定は成り立ちません、労働の本質的価値は外延量としては示せません、
ということになるわけよ。
柄谷行人の「ゲーゲル的問題」や「命がけの飛躍」論なんてのも、
こういう「反弁証法」のバリエーションだと考えればればよい。
このしゅのものは、ほぼすべて新左翼思想の流れだ。
178:考える名無しさん
24/08/31 18:40:14.32 0.net
×否定に否定
〇否定の否定
179:考える名無しさん
24/08/31 18:55:18.82 0.net
「ドゥルーズやデリダなんかは(ほかのフランス現代思想家も多くは)
新左翼思想の流れなんだが、日本のドゥルーズ派やデリダ派みたいな連中は、鈍いからね、
そんなこともわからんのよ。」
柄谷行人はむかし、↑のようなことを言っていた。
それから『トランスクリティーク』の序文では、差異の思想やら脱構築やら知の考古学やらも、
マルクス主義(共産党的マルクス主義のこと)が多くの国や人間を支配していたからこそ意義があったが、ソ連・東欧圏の体制の崩壊したいまでは、意義をなくした、というようなことも述べた。
こうしたことをはっきりいうところが、柄谷行人の最良の部分と言えるだろう。
180:考える名無しさん
24/08/31 18:57:32.27 0.net
そりゃ今どき柄谷の話したがるやつ友達いないに決まってるじゃん
181:考える名無しさん
24/09/01 00:37:44.37 0.net
からたにえん
182:考える名無しさん
24/09/02 11:06:33.88 0.net
>マルクス主義(共産党的マルクス主義のこと)が多くの国や人間を支配していたからこそ意義があったが、ソ連・東欧圏の体制の崩壊したいまでは、意義をなくした、というようなことも述べた。
なんでソ連が崩壊すると、マルクス主義が意義を無くすのかな?マルクス主義は、国家による共産主義の実現のことではないから、別に意義は無くしてないと思うぞ。柄谷の交換様式Dの想定の一つは未来の共産主義実現なのだから
183:考える名無しさん
24/09/02 11:08:17.62 0.net
国家が揚棄された共産主義こそが、真の共産主義だろうから、未だ真のマルクス主義が世界で施行されたことはないのではないかい
184:考える名無しさん
24/09/02 11:14:35.68 0.net
たとえば国家が揚棄、あるいは、廃棄されて、シンギュラリティ後の超知性化したAIによる市民への完全平等な再分配による新たな社会体の運営が始まってもいいし、それを未来の共産主義だとすれば、別に悪くはないだろう
AIの量子力学的なアルゴリズムによって格差社会は均されて解消され、資本主義の飽くなき欲望と暴走をコントロールすることで気候変動にも最適化された持続可能な社会にスイッチしていても、別に違和感ないし、むしろそれは、社会のヘーゲル的な進化系になるだろう
185:考える名無しさん
24/09/02 12:47:58.20 0.net
およそ、ソ連・東欧の体制の崩壊でもって、共産党的マルクス主義が力を失った結果、
ドゥルーズやデリダやフーコーらのポストモダン思想は、
それへの批判としての意義が大半だったものが、肝心かなめなその意義をなくした、
という趣旨のこと柄谷行人は述べたわけよ。
マルクスの思想が意義をなくしたといったのではない。
186:考える名無しさん
24/09/02 12:55:10.20 0.net
柄谷『トランスクリティーク』
〈私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考─私自身それに加わっていたといってよい─が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。九〇年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコンストラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。〉
見たらば、正確には↑だった。記憶にたよってで書きこんだので、少々雑だったが、
大意については訂正すべきところもないと思う。
187:考える名無しさん
24/09/02 13:12:04.51 0.net
それから、計算機科学技術の発達によって、共産主義的な経済運営が可能になる、
という展望ははるかむかしからあった。
それにかかわる「計画経済論争」というのあって、ミゼス、ハイエクらは、原理的に不可能という主張をした。
ドゥルーズやらのポストモダン思想家の主張は、むしろその「自由主義者」のほうに近いところがある。柄谷行人も『ゲーデル的問題』やらといっていたときは、そうであったし、その後の「アソシエ―ショニズム」の提唱やらをみても、けっきょくのところ、ポモから抜け出したといえるものではない。
斎藤幸平にしても、先祖返りしたみたいに素朴化してはいるが、唯物弁証法は認めない、やら、中世的コモンの回復やら、こちらも「アソシエーション」やら、といっているのだから、
おおむねポモ系の部類だろう。
188:考える名無しさん
24/09/02 14:07:30.82 0.net
それと、「計画経済論争」時の代表的計画経済論者であったオスカー・ランゲは、
効用価値説寄りだったので、労働価値説を軽視しているというので、
純マルクス経済学の側からは批判されていた、ということもある。
さらに、1970年前後に、計画経済がいきづまったのもあって、
ソ連では、唯物弁証法は形式的にはサイバネティクスの言葉に置き換えられる、という考え方が強力になる。これはほぼ、ハイデガーがずいぶんむかしに予見していたようなことだった。
たぶんではあるが、ドゥルーズの「差異」の思想などは、この辺りの事情への批判含みのものだったような気がする。
189:考える名無しさん
24/09/02 14:23:11.42 0.net
≫AIによる市民への完全平等な再分配
これをするためには、一人当たり単位時間当たりの(理念として認めたうえでの)「抽象的人間労働」の「価値」が、外延量として表されなければならないじゃない。凡そそれは不可能、というのがそもそも新左翼的、ポモ的な反対論の主張にあるわけよ。
190:考える名無しさん
24/09/02 14:26:44.05 0.net
wiki オスカー・ランゲ
ランゲ・モデルについては、アローとドブリューによって一般均衡の存在が数学的に証明されたことでランゲの理論それ自体は完ぺきな「最終理論」であることが証明されていた。しかし最も大きな問題は一般均衡条件が実際の経済における様々な単位の実物要素を定量的な尺度で観測・計算できるかという実測面と、資源分配が現実的に見て本当に可能かという実物的な技術面(ないし政治面)の2つの点にあった。したがって彼はサイバネティクスとコンピュータの技術の発展によりランゲ・モデルの実用面の問題が改善(価格決定の試行錯誤の範囲をより限定すること)されると考え、そのための研究をしていた。
191:考える名無しさん
24/09/02 16:50:44.76 0.net
もちろん、ランゲの理論が、「最終理論」(wiki)だというのは、
ある種の公理系をとった場合、ということですよ。
192:考える名無しさん
24/09/02 17:03:18.85 0.net
×計画経済論争
〇経済計算論争
193:考える名無しさん
24/09/02 23:00:03.81 0.net
≫たとえば国家が揚棄、あるいは、廃棄されて、シンギュラリティ後の超知性化したAIによる市民への≫完全平等な再分配による新たな社会体の運営が始まってもいいし、それを未来の共産主義だとすれ、≫ば別に悪くはないだろう
AIによる未来の共産主義というのは、なんらかの集産主義じゃないわけか。
また、国家が「揚棄」されるのはいいが、すると誰が再配分をするんですか。
194:考える名無しさん
24/09/03 02:47:00.38 0.net
超AIによる市民への完全平等な再分配は、そんなに難しい話ではなく、市民の全財産と預貯金、金融財産、不動産などの所有権を凍結して、一度それらを超AIシステムの管理のもとへ回収して、それをそのあと超知性化したAIが赤子も含めた全市民に公平・平等に再分配することから、その未来の共産主義はスタートするのだから
賃金も同一賃金にするので、介護職も医師の給料も芸能人のギャラも変わらない。貨幣を廃止して、トークンのような電子ポイントをすべての労働者に平等に付与する形でもいいだろう
195:考える名無しさん
24/09/03 02:55:41.89 0.net
貨幣というのは利子や複利を生じるので、それが経時的に、あるいは世襲や相続によって、指数関数的な経済格差が生じる原因となるので、利子や利息、配当という、概念を廃絶するのが良いであろう
貨幣に代わるトークン型の決済では、利子のようなものはなく、逆にポイント使用権利の有効期限が設定されており、長期間、貨幣的な価値を貯蔵出来ないプロパティにするのである。そうすれば大きな経済格差を生むことも、それに随伴する社会格差や社会的ヒエラルキー、すなわち公共善に反する悪や搾取を発生させることも出来なくなる
196:考える名無しさん
24/09/03 03:04:43.65 0.net
ピケティはr>gという不等式で、経済格差の原因を簡明に表現したが、このような市民への完全平等なトークン再分配型のエコノミーにおいては、この不等式左辺にあるrが廃絶されている状態なので、現代のような歪な経済社会からは脱却されている可能性があるのである
もちろん世代間累積的な社会格差を生む相続制も、この新たなトークンエコノミーによる社会体においては廃絶されている。トークンは使用権の期間が限定されているので、相続は不可能になるのである
197:考える名無しさん
24/09/03 05:24:53.85 0.net
柄谷的に言えば貨幣にはフェティシュ(物神)の力が宿るので、人々はその観念的な力を求めて貨幣追求に勤しむのであるが、貨幣を廃絶したニューエコノミーのトークン型エコノミーシステムでは、トークンの使用権に期間限定が適用されるので、そのプロパティの基底にはvoidが内属していることになる
つまり、貨幣的なフェティシュにはユダヤ-キリスト教型の一神教的な霊の力が備わるのに対しては、トークン的なvoidには仏教的な空が照応しているのである。仏教の教義は、公平、平等なので、これが経済の文脈においては再分配型の使用期限付きトークンの形で体現されていくのである。つまり価値は埋蔵、相続されず、空(void)のもとその使用価値は散逸していくのである
現代の資本主義の原理はユダヤ式金融システム、つまり、利子や複利、配当による貨幣・資本増殖運動のことを指す。これをvoidによるトークン型エコノミーに転換して、社会格差のない、かつ、気候変動にも対応した新しい社会体を生成しうるのである
198:考える名無しさん
24/09/03 13:21:27.74 0.net
≫超AIによる市民への完全平等な再分配は、そんなに難しい話ではなく、市民の全財産と預貯金、金融財≫産、不動産などの所有権を凍結して、一度それらを超AIシステムの管理のもとへ回収して
これは国家ではないとしても、それに替わる「中心」的な権力機構の強権の行使によらなければ
できないだろう。
手前勝手放題、出入り自由の柄谷的「アソシエーション」では、やれない話よ。
斎藤的アソシエーションではもっと無理だな。マルク協同体、ミール、江戸時代の村落共同体の寄り合いみたいなものでは、やれっこない。
ちなみに、ソビエトというのは、建前では、協同組合すなわちアソシエーションのことだったのですよ。
199:考える名無しさん
24/09/03 13:25:25.90 0.net
wiki
ソビエト(Совет)とはロシア語で「会議」や「評議会」を意味する語である[1]。労働者・農民の自主組織としての「ソビエト」は1905年の民主化運動の中で初めて出現し、その起源に定説はないが、宗教改革後に生まれた反動組織である「古儀式派」との関連が指摘されている[2]
200:考える名無しさん
24/09/03 16:56:17.79 0.net
佐伯啓思との対談酷いな
ほとんどナショナリストじゃねーかよ
脱成長が今の日本肯定論になってどうする😭
201:考える名無しさん
24/09/03 19:32:46.52 0.net
マルクスのアソシエーション(『ゴータ綱領批判』の「ゲノッセンシャフト」はほぼ同義)論というのは、ようは集産主義的なもので、
プロレタリアートの自主的管理下におかれる生産協同組合としての複数のアソシエーションが、
国民国家的規模で統一的な協同的社会組織としてのアソシエーションを形成したうえで、
その共同計画に基づいた生産調整が行われるということを想定したものだった。
つまり、マルクス自身の「アソシエ―ショニズム」には、
分権主義的な面ばかりあるのではなく、集権主義的な面もあった。
しかし、日本などで「アソシエ―ショニズム」を提唱する知識人は、
一般受けしなそうなもんだから、「集権的」、集産主義的な考え方のほうを
とにかく隠そうとするわけよ。
しかし、たとえば、通俗的な例をげれば、斎藤幸平のいう「脱成長」のようなものにしても、
集権的、集産主義的な手段によらなければ、まったく実行できないものだろう。
202:考える名無しさん
24/09/04 01:39:36.12 0.net
トークン型エコノミーは分散処理的にその過程を認証したり、管理出来るので、それを中央集権的になるとみなすのは時代錯誤であろう
マルクスの生きていた時代やソ連時代と現代ではテクノロジーレベルが大いに異なるので、それを混同すべきではない。量子コンピュータが一般人に普及するレベルになれば、なお、超AIによる分散処理は容易になっていることであろう
203:考える名無しさん
24/09/04 08:15:23.13 0.net
現代の社会格差問題を考えると、そこには有限なリソースが適切に再分配されていないことがその原因になっていることが分かる。そこには世襲的な歪みや相続資産の多寡による世代間格差の指数関数的な累積などが発生してしまう。
現代はAIテクノロジーの時代なので、こうした偶発的ばらつき、すなわち富や資産の恣意的な分散を調整し、最適化することなどは計算機科学的には容易である。たとえば、偏微分方程式などを使って多変数関数を解析していくことで、勾配ベクトルを導出でき、さらに二階微分すれば「ヘッセ行列」というより高度な最適化モデルを導出出来るので、現代では最適化の様々なアルゴリズムには事欠かないのである
ただそうした再分配や最適化がステークホルダーや既得権益による圧力で阻止されやすい社会的土壌があるだけである
204:考える名無しさん
24/09/04 17:27:36.90 0.net
『資本論』
〈他の共同体と接触する数少ない地点(中略)ここで物々交換が始まり,
そしてそれがそこから共同体内部に反照し,これに解体的な作用を及ぼす。
だから,異なった共同体の間の物々交換で商品となる特殊的使用価値,
たとえば奴隷,家畜,金属が,多くの場合,共同体内部での最初の貨幣を形成する〉
↑の「物々交換」は、贈与互酬のほうが適切だろう。
マルクスの時代は、文化人類学が未発達だったがゆえの「誤解」だろう。
柄谷行人の言う意味とは違うが、交換様式Aありき、というのは正解であろう。
それからマルクスの言う「特殊的使用価値」のなかで最も重要なのは、とうぜん奴隷であるが、
実はもっと重要なのは女である。
マルクスが「奴隷」のなかに女を含めていたかどうかはよくわからないが、もしそうならば、いっしょくたにするよりは、女、奴隷、と分けたほうが良かったのはまちがいない。
女が最重要だとすれば、生産様式が先か交換様式が先か、という鶏と卵論に終始することなく、
再生産様式という「統一的」な観点を持つことができると思う。
いずれにせよ、柄谷行人には、テキトウだとはいえ、すくなくとも↑のような考え方への目配りがあるが、斎藤幸平には、ぜんぜんない。
こういうところに、年の功がでるだろう。
205:考える名無しさん
24/09/04 17:47:07.87 0.net
グレーバーは人類学者だったので、その思想には、
人類にとっての、暴力、贈与、歓待、所有などの歴史的な関係とはどういうものか、
という観点があるのだが、斎藤幸平は「ブルシット・ジョブ」ばかりを言って、
そうところにまるで気づいていないかのように無視している。
せめて、栗本慎一郎の『幻想としての経済』くらい読んでいれば、斎藤にしてもちがったであろう。
206:考える名無しさん
24/09/04 18:23:37.74 0.net
[共同体内部に反照し]
[奴隷,家畜,金属が,多くの場合,共同体内部での最初の貨幣を形成する]
ようするに、共同体内部での使用価値の生産にしても、
すでに交換によるなにかしらの反照規定を受けている、
ということだ。
ちなみに、柄谷行人にいわせれば、定住段階、農耕牧畜段階は、
たとえ農地や家畜群が、コモン=共同所有(占有)の状態にあるとしても、
すでに「抑圧」が生じている状態である。この「抑圧」は、マルクスてきにいえば、第一の否定、といえる。
207:考える名無しさん
24/09/04 18:27:31.97 0.net
でもお前ら斎藤の論文読んでないじゃん
208:考える名無しさん
24/09/04 18:39:38.57 0.net
お前もだろ
209:考える名無しさん
24/09/04 18:40:32.25 0.net
では、斎藤幸平の論文から、これは良い、と思うところを引用して、
なにか感想を書きこんでください。
210:考える名無しさん
24/09/04 18:58:22.74 0.net
>>204
>>それからマルクスの言う「特殊的使用価値」のなかで最も重要なのは、とうぜん奴隷であるが、
実はもっと重要なのは女である。
あんたは注釈と自分主観を混ぜこぜにして、他人の主張に依存しながら、横領してるんだよ。
醜いから止めとけ、と言っても止めないだろうなw
あんたは完全な病気だ。他人の知恵を借りながら、その恩恵に感謝もせずに批判し、勝手に
横領する。
211:考える名無しさん
24/09/04 19:10:14.53 0.net
どこがどうといわないで、ただ中傷するのが、嫌がらせをしたいだけのビョーキですよ。
212:考える名無しさん
24/09/04 19:13:56.50 0.net
>>それからマルクスの言う「特殊的使用価値」のなかで最も重要なのは、とうぜん奴隷であるが、
≫実はもっと重要なのは女である。
これがとこかおかしいわけですか。
家畜や貴金属よりは、人間である奴隷のほうが「特殊使用価値」を持つ交換対象として重要だ、というのがおかしいというのか。
それに、柄谷行人の言う交換様式A、すなわち贈与交換(互酬)のなかで、女の交換が最重要というのは、文化人類学の常識的な説なんだが。
213:考える名無しさん
24/09/04 19:43:59.04 0.net
↓は、古いところもあっていろいろ批判されている説ではあるが、柄谷行人がさかんに援用していたモースの『贈与論』の内容よりは新しい。
また、インセスト禁忌に関して論じており、柄谷行人がネタ本の一つにしているフロイト『トーテムとタブー』とも重なるところがある、というか、レヴィ=ストロース自身が、フロイト、そしてマルクスからの自説への多大な影響を認めている。。
レヴィ=ストロース著 福井和美訳『親族の基本構造』
インセスト禁忌はたんに禁止であるだけではない。それは「~してはならぬ」とだけでなく、同時に「~せよ」とも命じる。インセスト禁忌は、この禁忌の拡張された社会的表現である外婚と同様、一つの互酬規則なのである。人がみずからと他人に女を拒むとき、まさにそれによってこの女は供与される。(中略)すなわち、私がある女の使用をみずからに禁じ、その結果この女が別の男にとって処分権〔使用権〕の対象になる瞬間から、どこかに、ある女を権利放棄する男がおり、この権利放棄によってその女が私にとって処分権の対象になる。禁忌の内容は抑止することに尽きるのではない。禁忌が制定されるのは、直接的にか間接的にか、即座にか時間を置いてか、ただ交換を保証し基礎づけるためなのである。
214:考える名無しさん
24/09/05 07:38:32.37 0.net
ラカンも女は交換の対象みたいなこと言ってたが、レヴィストロースの受け売りなんだろうなw
215:考える名無しさん
24/09/05 13:49:36.29 0.net
インセスト禁忌は「〜してはならぬ」とだけでなく、同時に「〜せよ」とも命じる、互酬規則だ、
というのが肝心なところ。
もう一つ肝心なのは、タブーが「私」にある女の使用を禁じることで、
その女は別の男にとって使用権の対象になり、
また、それに対応して、別のある女の使用権を放棄する男がおり、
この権利放棄によってその女が私にとって使用の対象になる、ということだ。
すなわち、タブーが交換を保証し基礎づける、ということが、
じつは、使用価値が交換価値となるということの「原点」なのである。
なお、女に関して「使用権」とかいうので、セクシズムだととられることがあるが、
それは言いがかりである。
最終的には暴力的強制ということが行われるのが肯定されている社会の話なので、
女が「主体的」に、共同体からほかの共同体へ移動している、ということはまずできないし、
インセスト・タブーの力によらずに、父親や兄弟などの性暴力に断固抵抗するということができるものではない。
216:考える名無しさん
24/09/05 13:57:56.47 0.net
たとえば男の奴隷にしても、よほどでなければ、
奴隷として交換の対象となることには抵抗できない。
つまり、なにも交換されるのは女に限った話ではなく、男もされるのだが、女の場合には、婚姻関係取り結ぶことで
安定的継続的な互酬関係自体を成り立たしめる特別な贈与交換の対象という意味があるので、
より重要なわけですよ。
217:考える名無しさん
24/09/05 14:04:24.13 0.net
贈与交換(互酬)は「人間の経済」で、商品交換は「商品市場経済」、だというふうにポランニーその他は分けるけれども、
私は分けられないと思う。グレーバーなどもあまり分けない方の立場だったはずだ。
互酬経済にはすでに、およそ人間は皆同等だ、という思考が存在している。
女を贈与したら別の女の反対贈与をうける、奴隷を贈与したら別の奴隷の贈与を受ける、
このように、すでに個性を捨象した「一般性」が成立している。
これは抽象的な交換価値に類するものだ。
218:考える名無しさん
24/09/05 14:10:47.63 0.net
吉本隆明『 教育・学校・思想 』123、42頁。(Amazonレビューから)
〈ぼくは、レヴィ=ストロースという人はエンゲルスの影響がいちばん強いんで、エンゲルスの一種の理念的親族(隠れエンゲルス主義)のような気がしてしようがないんです。つまり、男女の婚姻の問題を、男女の性的希少性や欠乏性というように経済法則的に還元して、交換の問題にしてしまう仕方は、納得し難いところです[…]ぼくは構造主義はマルクス主義だとおもっているのです。つまりマルクス主義の最後の、最高の形態だとおもっているのです〉
219:考える名無しさん
24/09/05 17:00:07.90 0.net
政治と宗教を分離した、いわゆる政教分離によって何が影響したのであろうか。
220:考える名無しさん
24/09/06 13:05:47.73 0.net
207 考える名無しさん sage 2024/09/04(水) 18:27:31.97 0
でもお前ら斎藤の論文読んでないじゃん
221:考える名無しさん
24/09/06 18:00:42.79 0.net
斎藤幸平という人の思想は、生態経済学にマルクス主義っぽい言葉をくっつけただけのものですよ。
考え方の理論的ベースは、限界効用だとかなんだとか、
じっさいはありきたりの市場経済理論である。
たとえば、外部不経済、専ら公害問題だが、
こういうのを「本源的蓄積過程」が継続しているが故の自然からの略奪、とかいうだけのこと。
実践の指針にしても、むかしふうの市民活動的なもんですよ。
要するに『構造と力』はチンプンカンプン、千葉雅也の『現代思想入門』のような簡単なものさえ、難しい、というような人がほとんどになってしまったので、斎藤幸平のようなひたすら俗耳に入りやすいことを書く人が、ちやほやされているだけのことだと思うね。
斎藤に限らず、昨今の日本の思想家のレベル低下というのは、すさまじいものである。
東浩紀が登場したときには、なんだかえらく水準が下がったな、という感想を持ったものだが、
いまどきの思想家と比べれば、東氏は比較に絶して水準が高い。
というような人たちが増えてしまったので、
222:考える名無しさん
24/09/06 18:09:26.83 0.net
斎藤氏の論文を読んだ読まない、ということが話題になっているようだが、
論文のほうがベストセラーになった何冊かの本よりは、
「アカデミック」ということで、その点きちんと書いているから、明確に趣旨がつたわる。
明確にわかるがゆえに、ほぼすべて使い古しばかり、平凡極まりない俗論が大半、というのもすぐわかる。
223:考える名無しさん
24/09/06 18:55:04.55 0.net
西欧封建制期における農民家族についての一考察
―西南ドイツを中心として―
竹西栄子
斎藤幸平がさかんにいう古ゲルマン農制の遺制がどうした、とかにしても、
いかにテキトウかというのが、↑のようなものを読めばわかるのじゃないか。
224:考える名無しさん
24/09/06 19:06:45.39 0.net
竹安栄子な
225:考える名無しさん
24/09/06 19:08:41.61 0.net
森が語るドイツの歴史 単行本 – 1996/7/1
カール ハーゼル (著), Karl Hasel (原名), 山県 光晶 (翻訳)
こういう立派な本があって、これには、マルク協同体の光の面だけでなく、
闇の面も書いてある。
論壇芸人は、テキトウなことを書きすぎなんですよ。
「アントニオ猪木ならば何をやっても許されるのか」(前田日明)
という言葉があったけれども、
柄谷行人ならばどれほどテキトウでも許される、なら自分がやったっていいだろう、
こういう風潮が、斎藤幸平にいたって、いよいよ極まったと感じである。
しかし、そういうのは、柄谷行人でおしまいにしたほうがいいと思うね。
226:考える名無しさん
24/09/07 14:24:43.98 0.net
市場の外部に「市場の取引による不利益」が影響を及ぶこと。
大気汚染(昨今は二酸化炭素が最大の「汚染物質」みたいになってしまった)、
水質汚染、土壌汚染、騒音などの公害など。
なお、経済学においては、「外部性」という概念は、マーシャルが提唱したものである。
斎藤幸平は、北が「帝国的生活様式」を維持するために
外部不経済によるしわ寄せが「グローバル・サウス」へ押し付けられている、
という立場をとっている。南からの略奪、ということでは、たしかに帝国主義的な「本源的蓄積」の延長上のものということであって、その点はローザ・ルクセンブルクなどが代表格だが、
マルクス主義者にもそういう考え方をとっていた人は多いので、
にも常識的な考えだと言えるだろう。
ところが、斎藤は「自然からの略奪(またが搾取)」ということを強調し、
そのうえ「人間中心主義」を批判するので、「不経済」の被害者が
自然ということになり、人間がそっちのけになる。極論的には、人間はいない方が良い、絶滅したほうが良い。みたいなことになりかねない。
それで、外部不経済への一般的な対策というのは、
①税制による費用負担
②補助金の交付
③一律の規制
④当事者間で解決を目指す
北と南の関係については、③④がおもで、その実行、実現にたいし
条約等に基づき一定の権能を有する国際機関などが関与する、ということになるだろう。
ところが、それではあまりに当たり前で、「現代思想」っぽくならないので、思想家としては、自説のセールス・ポイントがないじゃないの、となる。
それゆえ、コモンとかアソシエ―ションとか、と一部にはうけそうなことを斎藤は唱えている、というわけね。
なお、わたしとしては、土壌汚染、水質汚染、大気汚染、乱伐や乱獲、こういうのは深刻な問題だから、真剣に取り組んだほうがいいと思いますが、
斎藤幸平がさかんに言う二酸化炭素のほうは、一部の旗振り役の言論人や科学者がメシウマで騒ぐので、
多くがそんなもんか、と信じてしまっただけだと思います。
227:考える名無しさん
24/09/07 14:25:51.87 0.net
×公害など
〇公害などを「外部不経済」という。
228:考える名無しさん
24/09/07 14:28:05.92 0.net
×??がおもで、
〇第三、第四がおもで、
229:考える名無しさん
24/09/07 14:52:51.44 0.net
>>201
斎藤幸平が根本的な解決策だとして提示する「脱成長」への転換のほうは、
斎藤的アソシエ―ショニズムでは、なにもやれないでしょう。
なにかやろうとしても、エコ版NAMみたいなことになるでしょう。
230:考える名無しさん
24/09/07 15:51:30.85 0.net
東洋経済
斎藤幸平 新世代の脱成長論の第一人者として世界的に注目されているバルセロナ自治大学のジェイソン・ヒッケル氏は、マルクス主義や社会主義の伝統から強い影響を受けています。
実際、気候変動問題の根幹には資本主義そのものの矛盾があり、本当に解決するのであれば、資本主義という無限の経済成長に駆り立てられたシステムを乗り越え、脱成長型の社会に移行しなければいけないというメッセージをはっきりと打ち出しています。
私自身も、ヒッケル氏に影響されて、『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)では、コミュニズムと脱成長について書きました。
若い世代による新しい脱成長論は、今、世界的なトレンドになりつつあり、ヒッケルたちの研究チームは、EUから億単位の研究費をもらうようにまでなっています。経済格差だけでなく、気候変動、生物多様性などの生態学的危機も深まるだけなく、資本主義が再び問題視されるようになっているのです。
231:考える名無しさん
24/09/07 15:57:27.35 0.net
ヒッケルは、「EUから億単位の研究費をもらう」だけでなく、
アメリカのグリーン・ニューディール政策の諮問委員会の委員などもしているだろう。
そのほかにも、いろいろとその手のところの役付きになっている。
メシウマがたまらんでしょう。なにしろ、グリーン・ニューディールとくるんだから、
たいがいどういう人かわかるね。
「私自身も、ヒッケル氏に影響されて」(斎藤)
メシウマをやろうと思った?、ということかな。
232:
24/09/07 16:01:00.60 0.net
マルクス主義者はいつの時代も未来を切り開く偉大な存在なのだから、それくらいもらって当然だろう
ルサンチマンはやめよ
きみも革命に従事せよ
233:考える名無しさん
24/09/07 16:42:04.29 0.net
ニーチェは、社会主義をルサンチマンとして攻撃していたのよ。
234:
24/09/07 16:49:02.84 0.net
ニーチェなんて若いころはキリスト教徒だったのにキリストを裏切って神の死まで言ってしまった弱者そのものの人だろう
彼が発狂したのは天罰だろう
そういう人がする判定など、まったく当てにならないんだよ
社会主義者こそ強者だ!
235:
24/09/07 16:49:51.47 0.net
地獄に落ちる人間が弱者である
本当の強者は真理を悟って天国に入ることを最初から目指しているw
知らない人間だけが馬鹿を見る
236:考える名無しさん
24/09/08 16:24:29.56 0.net
労働過程の諸形態は,テイラーによって創設され,そしてほとんどいたるところに流
布した,「科学的管理」のもとで,労働者から奪い取られ,特殊な職能的な経営官僚
階級によって簒奪されてきた。ここでは,それらは,労働者階級による支配ではなく,
労働者階級にたいする支配に,役立っている。このことは,現代の労働過程が出て来
たところの,資本主義的生産様式の論理に合致している。西洋の先進資本主義諸国で
は,簒奪者官僚階級は,資本主義的な利潤関心に仕えている。
(Sohn-Rethel1970,237-238)
237:考える名無しさん
24/09/08 16:44:28.98 0.net
斎藤幸平は、↑のようなのは、なにも資本主義国ばかりでなく、これまでの社会主義国もそうだった、という立場である。
つまり、過去には共産主義なんてものはなく、西も東も国家資本主義だった、というわけね。
こういう意見の人はむかしからいて、それを斎藤は半世紀遅れで繰り返している、
ということにすぎない。
ちなみに、南もそうなわけよ。左の開発独裁と右の開発独裁があったにすぎない、ということになる。
そして、中間もそうだろう。
たとえば、ファシズム(ムッソリーニはコーポラティズムとも呼んでいた)はそうだ。
そして、北欧型の社民主義寄りの資本主義にしても、
その中間の国家資本主義の一形態なのじゃないか。
ところが、斎藤幸平は、「現実」的な提言をする際には、ほとんど北欧型みたいなものを目指すかのようなことをいうわけね。
しかし、北欧型の資本主義というのは、当たり前なのだが、国家の役割が大きいわけよ。
ようするに、斎藤は、ヨーロッパの意識高い人たちの間では、こういうのが流行っています、
ああいうのがトレンドです、みたいなむかしのファッション通信みたいなことをいっているにすぎないところがある。
「ヒッケルは、『EUから億単位の研究費をもら』ってます」、すばらしいでしょ、みたいなことまでいうわけね。斎藤幸平のお客の日本の意識高い人は、EUから研究費をたくさんもらうなんてステキ、
と思うかもしれないが、哲学板住民諸氏みたいなすれっからしの人たちにとっては、EU官僚みたいなインチキな奴らがそんなにたくさん金をくれるなんて、裏がありそうだな、
ヒッケルというのはきっとろくな奴じゃないだろう、と思うのではないだろうか。
238:考える名無しさん
24/09/08 16:46:56.92 0.net
×人たちにとっては
〇人たちとしては
239:
24/09/08 16:47:52.32 0.net
社会主義・共産主義の思想家なら貧乏でいろ、というのは無理強いだろ
そんなのは本人の勝手だw
労働者たちも、「俺たちと同様の知的レベル・資産レベルでなければ、仲間とは認めない」とは思わないはずだ
労働者にもいろいろいるわけだからねえ
240:
24/09/08 16:48:24.01 0.net
ま、下らない反共の戯言なんて聞く価値すらない
虫けらの羽音程度の意味しかない
241:考える名無しさん
24/09/08 17:02:18.47 0.net
ヒッケル『資本主義の次に来る世界』
[だが、現在、神と魂と人間と自然は唯一の壮大な「実在」の異なる側面に過ぎないというスピノザの哲学が復活している。自然と神が同じであれば、人間に自然を支配する権利はないことになる。]
たとえば、ヒッケルは、「ガンジス川に法人格を与えろ」なんて、
なんとも奇をてらったことを書いている。
しかし、人間は、具体的にはインド政府は、ガンジス川を「支配する権利がない」のだから、
法人格を与える権利もないのじゃないか。
というか、そもそも、歴史的には、ガンジス川は神聖な川だろう。
日本の文学愛好者にとって身近なことでは、三島由紀夫の『暁の寺』のベナレスの描写なんか、聖と穢れの弁証法みたいなことが、三島文学の最高潮といえるような文章で書いてある。
だいたい神聖なものへ法人格を与える与えないなんてことが、たいがい冒涜的であって、支配者的な上から目線なのじゃないか。
242:
24/09/08 17:05:48.22 0.net
神聖なものを資本主義が冒とくしているのだから法システムで守るのは当然だろ
宗教というのはもっと全体的なものだぞ
世俗と宗教を分離するのは、一部の考えだから
243:考える名無しさん
24/09/08 17:09:18.15 0.net
「人間に自然を支配する権利はないことになる」(ヒッケル)
支配する権利はないんだから、勝手に利用する権利もないわけですよ。
だからヒッケルさんをお手本を示すために、自然物を何も利用せず、何も喰わないで、即身成仏でもしなさい、ということだな。
244:
24/09/08 17:10:18.30 0.net
聖書読めよ
不浄なもの以外は何でも食っていいことになっているぞ
245:考える名無しさん
24/09/08 17:43:31.50 0.net
斎藤 その意味では、持続可能性は本来、人間中心主義的な概念です。そもそも私たちは、原理的に人間中心主義的な視点以外をとることができない。その事実を否定してしまう議論は、究極的には、なぜ人間の生存を守らなきゃいけないのかというところに行き着きかねません。すべてが絡み合っているなら、人間に特別な配慮をする必要はありません。なんならサイボーグでもいいし、『マトリックス』のような電子の世界で生きるのでもいい。もっと言ってしまえば、人間が絶滅したって、ゴキブリやウイルスは生きのびる。それはそれで新しい地球のネットワークだと主張することだって可能です。
しかしこうした議論には意味がない。私は人間に責任があるし、人間にしかこの気候変動問題は解決できないという立場です。同時にそれは人間の未来を守るための議論だから、人間中心主義的な議論にならざるを得ない。それを私たちは認めなきゃいけないと思うんです。
246:考える名無しさん
24/09/08 17:45:47.81 0.net
ガイア思想とか、別に人間が中心ではなく、地球やその生態系を中心とするアプローチではないの?
247:考える名無しさん
24/09/08 17:47:26.77 0.net
斎藤幸平は、「人間中心主義」へ宗旨替えしたらしいから、その点はよかった。
もうすこししたら、ヨーロッパ中心主義への宗旨替えもあるかもしれない。
だいたい、ヨーロッパでは、これが流行っています、あれが流行っています、という
明治以来の洋行帰り知識人の伝統に忠実なタイプだから、もっともらしげな建前を取り下げる、というだけのことではあるが。
248:考える名無しさん
24/09/08 17:49:18.24 0.net
実は、気候変動対策と事実上相性がいいのが反出生主義である。この思想に共感を抱く人々が世界中で増えれば、世界的な人口減少へのモチベーションとなり、その結果、生産や排出、エネルギー開発・消費削減に、すなわち気候変動対策に大きく寄与出来るからである
249:考える名無しさん
24/09/08 17:53:41.32 0.net
AIもサーバーを使ってそれなりに電気を消費し、環境を汚染するが、やはり、先進国の人間が一生の間にもたらす多大な環境負荷と比べれば、AIの方がずっと環境負荷が低いであろうから、気候変動対策に反出生主義的な人口減少を促すようなものもあってよいのではないだろうか
250:考える名無しさん
24/09/08 17:57:15.63 0.net
「外部不経済」や「本源的蓄積」による自然からの略奪というのは、
人間の生存環境、生業の基盤としての「自然」、人間的自然からの略奪、の意味でなければ、
経済思想的な問題にはならないでしょう。
だから、自然からの略奪、なんて俗受け狙いのことを言わないで、ふつうに外部不経済と言えばいいの。
そして、外部不経済が、マルクス主義的には、狭義の価値増殖過程に属さないのは、つまり、搾取ではないのは、別に当たり前のお話です。搾取ではなく、略奪なんですから。
251:考える名無しさん
24/09/08 18:00:16.67 0.net
シンギュラリティも人類滅亡に連なる要素があるから、AI、気候変動、反出生主義が奇妙な経路を辿って未来の特異点で交錯いくプロセスを感じ取れるだろう。
またシンギュラリティ跡のAIは人類を奴隷化しうる程の隔絶した知能を持ちうるので、その時は資本主義なども事実上、廃絶されていても違和感ない。なぜならAIに資本主義なんていうゴミシステムは不要だから
252:考える名無しさん
24/09/08 18:10:26.43 0.net
SDGsにしても同様であり、世界人口数を大幅に減らせば簡単に達成できるであろう。かつては世界大戦や疫病などがそうした世界人口数調整弁として作動していたが、それもなくなったので、やはり反出生主義によって大幅な人口数減少を達成することこそが、生態系維持においても望ましいだろう
環境収容力をはるかに凌駕しているのが今の地球人口数なので、人口数を減らすのが一番の気候変動対策になる
253:考える名無しさん
24/09/08 18:17:21.71 0.net
シンギュラリティ後の超知性化したAIは、柄谷のいうDの到来だろう。
環境負荷の高い資本主義廃絶
残りの人類はムーン・ショット計画にあるように仮想空間上で存在させて、地球リソースを今までのように過剰に食わないエコ仕様にする。そのようにゲノム編集やナノチップ入りワクチンも投与されたりする
つまり、シンギュラリティ後のAIは疑似神に近い存在になる
254:考える名無しさん
24/09/08 18:21:14.19 0.net
たとえば、犬や猫は人間が何をしているのかが分からないように、シンギュラリティ後のAIが何をしているのかは人間にはよく分からなくなる
分かるのは、AIに管理されて家畜のように生きる生活スタイルがニューノーマルとしてシンギュラリティ後、確立されたことくらいであろう
255:考える名無しさん
24/09/08 18:27:05.19 0.net
イーロン・マスクとかトランプとかすごい子供いるだろう。何人だか実は知らんが。彼らが環境破壊の一番の原因のお手本を示している
256:考える名無しさん
24/09/08 18:53:10.86 0.net
仮想空間上でも感覚モダリティを作れるであろうから、その時は脳にとっては現実と区別出来ないレベルまでの臨場感をその仮想空間は伴うであろうから、そのときは、別に地上的な現実世界に拘泥して存在することもなくなる。水槽脳でも同じ現象が得られるならば、別にそれでもいい、となる。地球の気温が50度以上になっている日常世界で、外出る気もあまり起きないだろうから
むしろ、自由度の圧倒的な高さからいって、仮想空間の方がプラトン的な真実世界、すなわち、イデア界を体現しているよう感受されて、人々はそちらへの存在論的な移行を求めるかもしれない。
そうなると、遺伝子レベルから改編して、低エネルギーで飲食もあまり必要としないで生存できるようになれば、地球リソース的にも望ましくなる
こうした存在論的な人類の遷移や整流化がシンギュラリティ後のAIによってなされるのかもしれない
257:考える名無しさん
24/09/08 19:14:16.88 0.net
ハイデッガー著・森一郎編訳『技術とは何だろうか』
「人間を取り集めては、おのずと顕現するものを徴用物質として徴用し立てるようにさせる、かの挑発する要求のことを-ゲ-シュテル(Ge-stell)、つまり総かり立て体制と呼ぶことにします」(同書120-121頁)とある。
258:考える名無しさん
24/09/08 19:20:32.11 0.net
つまり、今までのように世界w1に存在することから、可能世界w0へ移行するようなアプローチを取るのである。
可能世界w0はプラトン的なイデア界も一部実現されているので、気候変動で気温50℃以上となった世界w1よりは主観的には住みやすく感受されることであろう。脳にとっては、現実も仮想も現象として同一に感受されるので、BMI装着して仮想空間で存在できるなら、そうすればいい。イーロン・マスクのように火星まで開拓して汚染する必要はないのである
259:考える名無しさん
24/09/08 19:29:29.91 0.net
ハイデガーは、アメリカもソ連も、おなじくゲシュテルであるといった。
ゲシュテルは、「国家資本主義」とほとんど同じ意味だといえる。
また、世界は、ゲシュテルの体制内にあることで、存在忘却に覆いつくされている、というわけよ。
この存在忘却というのはおよそ、有用性を持つ用材(Bestand)としての存在者が
世界を覆っている、ということだ。
斎藤幸平などの先祖返りしてしまった「にいちゃん」たちのいうことが問題なのは、
「コミュニズムは使用価値経済だー」ということに表れているように、存在が存在者として用材化(使用価値化)することに対し、なにも考えていないところよ。
使用価値は自然なもの、というのは、むかしのマルクス主義者の単純な思い込みにすぎないのだが、
それをまるで疑っていない。
260:考える名無しさん
24/09/08 19:30:44.76 0.net
仏教によると世界の本質は空なので、それに確固とした実体はないのである。よって、世界が水槽脳であっても、仮想空間であっても、空という抽象平面においては同一であり、その基底は実体がない、ということだから、人々が現実世界w1でなく、未来においては可能世界w0で存在するようになっても仏教的には別に問題ないはずなのである
また、可能世界w0においてはアイデンティティも自由に自己設定できることだろう。これがある意味で、無我に通じるものとなる
261:考える名無しさん
24/09/08 19:33:10.68 0.net
安手のSFアニメみたいなことを主張したがる人の書き込みが続いている。
斎藤思想、グレタ系の主張というのは、やはりこういうだいぶ足りないような手合いにうけるわけだな。
262:考える名無しさん
24/09/08 19:33:40.94 0.net
人々が可能世界w0へ移行すると、アイデンティティ、民族性、貨幣、資本、国家、すべて幻想、すなわち、空である、ということが実感されよう
263:考える名無しさん
24/09/08 19:38:14.50 0.net
可能世界は哲学だから足りないのは>>261だよ
264:考える名無しさん
24/09/08 19:40:38.48 0.net
可能世界は、量子力学的な重ね合わせの原理ともリンクしている着想なので、SF扱いする時点で無能と自己告白しているようなものだよ
265:考える名無しさん
24/09/08 19:40:49.93 0.net
「コミュニズムは使用価値経済だ」というのならば、使用価値のためには「自然の略奪」もいいんじゃないの、となるだろう。
だいたい、なにが使用価値でなにが使用価値でないか、なんて誰が決めるのか、という話ですよ。
斎藤幸平は、リベラルアーツには、使用価値があると思っているようだが、わたしは素朴な意味で使用価値はないと思う。だから、斎藤幸平など人文系大学教師の仕事は、投資銀行の社員のやっているのとなんらかわりない
使用価値を生み出さないブルシットジョブですね。
斎藤氏の家にあるグランドピアノにしても、ロレックスの腕時計とおなじ不要な奢侈品ですよ。
266:考える名無しさん
24/09/08 19:42:28.77 0.net
≫SF扱いする時点
安手のSFアニメ、といったんで、SFなんていう立派なものだとは言っていない。
267:考える名無しさん
24/09/08 19:45:44.33 0.net
まあ、君はIT音痴の情弱だから、安手のSFにしか感じられないのは当然だよ
268:考える名無しさん
24/09/08 19:50:58.53 0.net
カクヨムなんかにあるような程度のことだから、安手のSFだろうな。
高級なところはぜんぜんないからね。しょせん、お里が知れる、というお話。
269:考える名無しさん
24/09/08 19:53:01.95 0.net
君なんか古文読解しか出来ないから、それ以下だよ
270:考える名無しさん
24/09/08 19:57:08.05 0.net
古文や古典読解が高級という感覚は君独特の隠居老人の感覚であって、一般的な見解ではないよ。プログラム言語読める方が、よほどマシだよ
271:考える名無しさん
24/09/08 20:07:53.19 0.net
チャーチのλ関数とか言っても、古文読解の隠居老人には安手のSF扱いされて終わるだけw
272:考える名無しさん
24/09/08 20:12:56.68 0.net
チャーチなんてハイデガーと年代近いだろう。
なんでそんな昔の人のことを持ち出しているわけ。
273:考える名無しさん
24/09/08 20:17:06.23 0.net
チャーチのラムダ関数は、アロンゾ・チャーチによって提唱された、計算可能性理論の基礎となる概念です。関数そのものを第一級のオブジェクトとして扱い、計算を表現する強力なツールです。
ラムダ関数の特徴
* 無名関数: 関数に名前を付ける代わりに、ラムダ式という特別な記法を用いて定義します。
* 高階関数: 関数を引数に取ったり、関数を返す関数を作ることができます。
* 再帰: 関数が自分自身を呼び出すことで、複雑な計算を表現できます。
ラムダ関数の書き方
ラムダ関数は一般的に以下の形式で書かれます。
λx.M
* λ: ラムダ記号
* x: 変数(引数)
* M: 項(関数本体)
274:考える名無しさん
24/09/08 20:18:13.68 0.net
例
* λx.x: 入力された値をそのまま返す恒等関数
* λx.x+1: 入力された値に1を加える関数
* λx.λy.x+y: 2つの数を足し合わせる
関数
ラムダ計算の応用
ラムダ計算は、理論計算機科学の基礎となるだけでなく、以下の分野でも応用されています。
* プログラミング言語: 関数型プログラミング言語の基礎
* 論理学: 自然言語の意味論や証明論
* 型理論: プログラムの静的型付けの
理論
ラムダ関数の利点
* 抽象化: 計算の本質を抽出し、簡潔に表現できる。
* 柔軟性: 高階関数や再帰により、複雑な計算を表現できる。
* 数学的な厳密性: 数学的な厳密な理論に基づいている。
275:考える名無しさん
24/09/08 20:19:16.74 0.net
ラムダ関数の難点
* 抽象的で理解が難しい: 初学者にとっては、ラムダ式の構文や計算方法が直感的に理解しにくい。
* 効率性: 実用的な計算には、より効率的な実装が必要になる場合がある。
まとめ
チャーチのラムダ関数は、計算の理論的な基礎であり、現代のコンピュータ科学に大きな影響を与えています。ラムダ関数を理解することは、計算機科学の深い理解につながるだけでなく、論理学や数学など、他の分野への理解を深めることにも役立ちます。
より詳しく知りたい場合は、以下のキーワードで検索してみてください。
* ラムダ計算
* 関数型プログラミング
* 高階関数
* 無名関数
* 組合せ論理
276:考える名無しさん
24/09/08 20:20:15.50 0.net
補足
ラムダ計算は、非常に奥が深い理論です。この説明はあくまで入門的なものです。より詳細な内容については、専門書や論文を参照することをおすすめします。
例題
以下のラムダ式の意味を説明してください。
λx.λy.x(y x)
このラムダ式は、与えられた2つの関数 x と y に対して、x を y に適用し、その結果を再び x に適用する関数です。
解答
このラムダ式は、ある種の関数合成を表しています。例えば、x が2つの数を足し合わせる関数、y が数を2倍にする関数だった場合、このラムダ式は、与えられた数に2倍してさらに元の数を加える関数になります。
277:考える名無しさん
24/09/08 20:21:39.29 0.net
演習問題
以下のラムダ式を、よりわかりやすい言葉で説明してみてください。
λx.λy.λz.x z (y z)
この演習問題を通して、ラムダ式の読み解き方を練習することができます。
これで、少しは分かったかな、古文読解の隠居老人の人
278:考える名無しさん
24/09/08 20:21:50.67 0.net
AIがそのように説明したということはわかるが、
それがどうかしたんですか。
279:考える名無しさん
24/09/09 02:11:43.76 0.net
>>260
>可能世界w0においてはアイデンティティも自由に自己設定できることだろう。これがある意味で、無我に通じるものとなる
それは邪世俗(log pa'i kun rdzob)だろ
280:考える名無しさん
24/09/09 05:29:53.38 0.net
いや、仏教の基本認識の一つは無我や空なので、アイデンティティは幻想だという認識が仏教的には正しいよ
たとえば、少し以前までの青汁王子は月の家賃1700万円の青汁ヒルズに住む金持ちというアイデンティティだったが、株の信用取引に失敗して、今は家賃数万円の金に困る貧乏人というアイデンティティに変わった
というよりも、アイデンティティ自体が恣意的な名指しに過ぎぬ空である。LGBTQであればジェンダーや性自認のアイデンティティが揺らぐ。国家的なアイデンティティもそうで、日本などという国は昔はなかったのだから、未来になくなっていてもおかしくはないのである
そのため可能世界w0への人類の移行は、そうしたアイデンティティの空性を体感しうるトポロジーとなる
281:考える名無しさん
24/09/09 12:44:22.29 0.net
>>280
>そのため可能世界w0への人類の移行は、そうしたアイデンティティの空性を体感しうるトポロジーとなる
わたしは人間である→実世俗(yang dag kun rdzob)→勝義では否定されるが世俗では認められる知
わたしは青い猫型ロボットである→邪世俗(log pa'i kun rdzob)→世俗でも否定される誤知
可能世界w0などというのは妄想
282:考える名無しさん
24/09/09 14:22:40.69 0.net
>>281
君は、可能世界の概念を全く理解していない。たとえば、以下の命題を考えてみよう
「シャーロック・ホームズは、名探偵である」
この命題を現実主義で考えると、偽となる。なぜなら、シャーロック・ホームズは実在の
人間ではなく、コナン・ドイルによる架空の存在者だからである。
そして、分析哲学では、強現実主義という概念がある。これは可能世界での存在をも
包含した概念になる。そのため、この強現実主義という文脈の与えられた可能世界においては、上記の命題は真になる。よって、古文読解君が提示した命題である
「わたしは青い猫型ロボットである」
も、こうした強現実主義の文脈における可能世界w_0においては、真になりうる
命題になる。そういうフィクションや創作物があれば良いだけの話になるからである。
283:考える名無しさん
24/09/09 21:15:36.23 0.net
>>282
>こうした強現実主義の文脈における可能世界w_0においては、真になりうる命題になる。
それ仏教関係ないやん
知りもしないのに何で仏教持ち出した?
284:考える名無しさん
24/09/09 21:36:32.64 0.net
Tips∶知能指数
285:考える名無しさん
24/09/19 14:50:37.34 0.net
斎藤幸平『人新世』
〈マルクスの用語を使えば,『富』とは,『使用価値』のことである。(中略)それに対して,『財産』は貨幣で測られる。それは商品の『価値』の合計である〉
マルクスが本当はどう書いているかといえば、↓
『資本論』
〈資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als
eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine
Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる〉
286:考える名無しさん
24/09/19 14:58:09.75 0.net
マルクスは、「諸社会の富」は、個々の商品を要素とする「商品集合」だというのだが、
斎藤幸平は、「富」とは使用価値であって、「商品価値の合計」は「財産」だ
とマルクスは述べたというのであった。
287:考える名無しさん
24/09/21 18:04:05.07 0.net
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