ジャニー喜多川を哲学するat PHILOジャニー喜多川を哲学する - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト37:考える名無しさん 23/11/12 23:35:44.80 0.net 服部家から松崎さんの家まで、喜多川氏が車で送り届けることもあった。 途中でお菓子をお土産に買ってくれるが、家が近づくと彼は暗い場所に車を止め、何度も性加害を行った。 「2年まではいかないくらい続いた。1週間から10日に1回はあった」 喜多川氏はその後、自分たちと同じくらいの年の男児を集め、少年野球団を結成。 松崎さんも入ったが約1年後に退団した。 最後にボウリング場で偶然会った時、喜多川氏は新しい男の子に肩から首に手を回して歩いていて、 自分に対しては(性的な)興味を失ったようだった。 これで、もうあのような悪夢はなくなると感じた。 38:考える名無しさん 23/11/12 23:37:52.55 0.net ▽服部良一の葬儀で親族席に座った喜多川氏 吉次さんの父、服部良一は、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」や映画主題歌「青い山脈」「銀座カンカン娘」など、 数々のヒット曲を世に送り出し、戦後歌謡界の頂点に立った作曲家だ。 第2次世界大戦後に良一は、笠置らとアメリカ公演を行っている。 この際、現地で裏方として支えたのが、米ロサンゼルス生まれの喜多川氏だったという。 1950年に始まった朝鮮戦争に、米国籍も持っていた喜多川氏は従軍した。前後して日本に帰国する。 服部家に親しく出入りするようになったのは、この頃だ。 いちど、軍服姿で家を訪ね、帰るときに異常なほど時間をかけて靴ひもを結び、 一言「あー嫌だな、行きたくないな」と言ったことを、吉次さんははっきり覚えている。 あれは、戦地に行きたくないということだったのか。 なぜ、彼が自分にあのような行為をしたのかを考えると、朝鮮戦争を経験した心的外傷後ストレス障害(PTSD)も影響したのではないか などと想像してしまうという。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch