意味の論理構造の哲学at PHILO
意味の論理構造の哲学 - 暇つぶし2ch684:考える名無しさん
22/06/11 10:41:03.65 0.net
私は、自分にとって「詩的」であると感じられる表現をとても好ましく感じるが、
それは、私が表現を反省的にメタ言語によって捉えることの助けとなるから
であって、自分で詩作をするわけでも、特に「詩の形式」で書かれたものを
好んで読むわけではない。むしろ、私にとても「詩的」であると強く感じ
られるのは、多くの場合、「散文の形式」で書かれたものであって、例えば、
私は、ペソアの散文の表現は興味深いと感じるが、その詩の表現にはあまり
関心がない。ニーチェ、プルースト、フローベールなどの著作において
私を惹きつけるのは、やはり散文において「詩的」であると感じられる表現
であって、詩人の表現に私が関心をもつのも、それが散文に応用できる場合
に限られる。

685:考える名無しさん
22/06/11 10:48:34.04 0.net
したがって、私は、引用した芭蕉の句をどのように英訳するのが適切である
かを自分で考えてみたとしても、その訳が「(英語の)詩の形式」において
優れたものとなるかどうかには関心がない。これは、私の関心の持ち方で
あって、他の誰かが、芭蕉の句に触発されて、それに対応させるような
形で優れた英語の詩を書こうとする取り組みの価値を否定しようとして
言っているわけではない。以上のことを踏まえたうえで、私が、英語を
メタ言語として利用するなら、この芭蕉の句をどのように理解するのか
を示してみることにしよう。

686:考える名無しさん
22/06/11 11:13:07.00 0.net
まず最初に「閑(しずか)さや」であるが、「や」が何らかの心の動きを
示す感嘆の声であることは間違いなく、貼り付けた英訳でも、
"the stillness …"として、それが「余白として」示されている事例を
以外では、それぞれ、"Stillness – ah!"、"Such Stillness …"、"So still:"、
"The utter silence …"、"Ah, tranquility!"としてそのことが明示されて
いる。それでも、私自身は、「閑(しずか)さや」という表現について、
そのような「読み方」はしない。私はこの句を詠んだ本人ではないので、
その「閑(しずか)さ」によって本人にどのような心の動きが生じたので
あれ、感嘆の声である「や」も、私には、それがどのような心の動きで
あるのかを探る必要があることを示す「問ひ」として作用するに過ぎない。
したがって、この時点ではまだ、私自身には、「閑(しずか)さ」によって
どのような心の動きが伝はることになるのか、判断を保留する他ない。

687:考える名無しさん
22/06/11 11:41:57.72 0.net
次に、「岩にしみ入る」であるが、「しみ入る」という日本語の表現の
意味合ひをそのまま反映させて、それを、引用した事例にも見られるとおり、
"seeps into"や"seeping into"と訳すことが私に好ましく感じられることは、
上に述べたとおりである。Donald Keeneの"Sink into"という表現は、
日本語としては「しず(沈/静/鎮)む」に対応する表現であり、もとの
表現が、"Stillness"/「閑(しずか)さ」に単刀直入に合致するものに
変えられてしまっているので、「しみ入る」によって想起される
イメージを削ぎ落してしまうことになる。それ以外の事例に見られる
"pierces"、"cutting through"、"penetrating"という表現は、日本語
「岩(いは)」の場合でもそうであるように"rock"や"stone"という硬い
物体には、「つらぬ(貫)く」、「き(切)る」、「つ(突)きぬ(貫)く」
というような仕方でしかその内部に入り込むことができないという
常識的なイメージに合わせることを前提としているので、「しみ入る」
によって想起されるイメージを「台無し」にしてしまっていると言える。

688:考える名無しさん
22/06/11 12:04:24.51 0.net
また、L.P. Loveeによる"seeping into the crags"という訳は、「しみ入る」
については日本語の表現に忠実でありながら、(英語においてあまり無理が
感じられないようにするためだろう、)「岩(いは)」を"rock"や"stone"と
訳すことを避けて、"crag"という表現を用いているが、"crag"を辞書で
調べてみると、
>a steep, rugged rock; rough, broken, projecting rock, especially
a sea-cliff," early 14c. < Online Etymology Dictionary
>1. a steep rugged rock or cliff,
2. archaic : a sharp detached fragment of rock< Merriam-Webster
ということで、「岩(いは)」というより「崖」のイメージで、これなら
「入り込む隙間」はいくらでもありそうなので、全体として訳を見れば、
妥協の産物であるように感じられる。

689:考える名無しさん
22/06/11 13:39:44.50 0.net
「岩(いは)」は、"stone"と訳すことも、"rock"と訳することもできるが、
「蝉の声」が「しみ入る」のは、あくまでもその"stone/rock"の内部で
あって、「断崖」のような石や岩が層状に集積しているところに
「しみ入る」わけではないので、「岩(いは)」を単数の"the stone/rock"
とするか、"the stones/rocks"とするかは、それほど大きな問題である
とは私には思えない。ただし、"the stones/rocks"とすれば、明確に
複数性が意識されるので、「岩(いは)」/"stone/rock"に「しみ入る」
作用のイメージも複数に分散されたものとなり、そのことが私には
好ましくないと感じられる。

690:考える名無しさん
22/06/11 13:59:37.54 0.net
最後に「蝉の声(こゑ)」であるが、引用した事例では、それぞれ、
"cicada's voice"、"The Cries of the cicadas"、"the locust-shrill"、
"a cicada's rasp"、"the voice of a cicada"、"a cicada's voice"
と訳されていて、「声(こゑ)」に対する訳語としては、"voice"が
最も多く見られる。しかし、既に述べたとおり、ここにおいて
「蝉の声(こゑ)」が想起させるのは、「岩にしみ入る」効果を感じ
させる「声(こゑ)」の具体的な性質であって、一般に、何らかの
意を表明するものとして理解される「声(こゑ)」/"voice"ではない。
また、英語の"voice"という表現は、私には呼びかけとしての日本語の
「を」の発声を想起させるものであり、「『蝉』が『を!』と呼び
かける」イメージは、私には著しく奇異で不適合なものに感じられる。

691:考える名無しさん
22/06/11 14:19:50.44 0.net
"The Cries"は、一般的には、日本語の「叫び」として理解され、語源的には、
フランス語の"crier"の用法に見ることができるとおり、「きしみ」などの
音も表現するが、この場合に適合しているとは思えない。"the locust-shrill"
については、昆虫そのものを変えてしまっていることが論外だが、"shrill"
は、「金切り声」と訳されることもあるように、この英訳では、"岩"を
「つらぬ(貫)く」ような鋭さがイメージされているのだろう。訳として
適合するものではないが、「蝉の声(こゑ)」をどのようにイメージすべき
かを考えるヒントにはなる。"rasp"は、やすりをかけるときの摩擦音など
表すのに用いられる表現であり、「『岩にしみ入る』効果を感じさせる」
こととは無関係に、一般的に「蝉の声(こゑ)」のイメージを伝えるのに
かなりよく合っていると言うことはできるだろう。ただし、「やすりを
かけるときの摩擦音」にある程度は近いと言うことができても、
そのような「声(こゑ)」が、どのようにして「『岩にしみ入る』効果を
感じさせる」のかを考える必要がある。

692:考える名無しさん
22/06/11 14:33:08.03 0.net
この芭蕉の句をWikipediaで参照すると、鳴いていた「蝉」が「アブラゼミ」
であったのか、「ニイニイゼミ」であったのかが論争の対象とされたことが
記載されている。確かに蝉の鳴き声は、種類ごとに特徴があり、異なるので、
「蝉の声(こゑ)」の蝉がどの種類であったのかを考えることには意味がある
だろう。それでも、この句において表現として重要なのは、その「声(こゑ)」
が「『岩にしみ入る』効果を感じさせる」ことであって、蝉の種類を特定
することでも、その蝉が単数であったか、複数であったかを特定すること
でもない。英訳では、単複のいずれかを選択することが要求されるので、
この句にまつわるエピソードに基づいて、蝉の数を単数として特定する
ことは、可能な選択ではあるが、私には、そのような表現解釈の手法は、
好ましいものとは思えない。例えば、梅とウグイスが詠まれた歌では、
実際に梅の花が咲く時期と、ウグイスが訪れる時期はずれるのだから、
そのような表現解釈の手法では、鳥の種類の認識が間違っている、
または歌が荒唐無稽であるといったような解釈が導き出されるが、
そのような歌の解釈の仕方が有益であるとは私には思えない。

693:考える名無しさん
22/09/19 16:01:50.85 0.net
生物学的視点に基づくオブジェクト指向生体機能シミュレーション
URLリンク(jglobal.jst.go.jp)
解剖学や生理学でもチンコの話になるとぐっと理解しやすくなるのはなんでなんだろ!
URLリンク(tottokotokoroten.hatenadiary.com)
ところで「チンポがシコシコする」という日本語表現は、学術的に正しいと言えるのか?
チンポ「を」シコシコするのではなくて、チンポ「が」シコシコする。この場合、「チンポ」は主語となる。
オブジェクト指向で言う「集約」は2種類あって、全体(俺)と部分(チンポ)が繋がっている場合と、
全体(俺)と部分(チンポ)が別々になっている場合とが考えられる。けれども「チンポ」はそれ自体
が独立した生き物であり、所有者の意思とは無関係に、自ら勃起して「シコシコする」。
例えば寝てる時にエロい夢みて朝起きてみたらチンコが勃起して射精してたとか。
違うか?
「胸がドキドキする」は良いが、「チンポがシコシコする」はダメな理由を、50字以内で述べろ!

694:考える名無しさん
22/09/22 17:36:24.13 0.net
しこしこ手でしごいてないチンポがシコシコするは誤りだからだめ
                                             

695:考える名無しさん
22/09/22 20:47:14.56 0.net
押忍

696:考える名無しさん
23/01/18 20:57:09.19 0.net
意味の構造を哲学しよう


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