22/05/14 08:49:33.52 0.net
>>545
『伊勢物語』を、それぞれのエピソードを「物語の断片」と見なして
解釈しようとする大枠の見方そのものが、最初から「ボタンを掛け違えている」
ように私には思える。というのも、エピソードそのものが、通常の意味での
物語の体を成していないからであり、私には、そのどこまでが「言葉遊び」
なのか(私は、言語表現の意図的なメタ言語的な操作の実践を「言葉遊び」
と呼んでおり、「実効性がない」などという意味でこの表現を用いている
わけではない)としての表現なのか判然としない。逆に言えば、歌の背景
とされるエピソードそのものにかなりの程度の遊びが含まれているように
見える。