22/05/10 17:04:11.70 0.net
>>534
そのように見た場合、「あひをひ」は、「相(あ)ひ・生(を)ひ」では
あるが、「をほ(大)はら(原)」の「をほ」を「を(生)ふ」の活用形として
見るだけでなく、「を(生)ふ」の「ふ」を、「相(あ)ひ」によって表現
される相互性を表す言語要素として見ていることになるだろう。また、
それにつづく「をしほ(小塩)」の「をし」は、「を(惜)し」との掛詞
として用いられているはずであり、すると、「をしほ(小塩)」の「ほ」
も、それが「をし(教)ふ」の場合とは異なり、「をし・ふ」という
再帰表現との掛詞としての解釈は成立しないにしても、やはり、「ほ」
の発音が「ふ」の活用として「相(あ)ひ・を(惜)しむ」イメージを想起
させるように用いられているように見える。すると翻って、「を(生)ふ」
も同様に、「『~を』という求めの相互性」を「相(あ)ひ」によって
強調されて想起させることになっているように私には感じられる。