22/05/10 13:57:18.35 0.net
>>531-532
ここで私が注目するのは、「大原や小塩の山も」が、「『お』ほはらや
『を』しほのやまも」ではなく、「『を』ほはらや『を』しほのやまも」
と読まれた可能性であり、その読みを「あひ『を』ひの『を』しほの山の」
という表現が受け継いでいると考えられることであり、さらに、「あひをひ」
の「をひ」が、「をほはら」の「をほ」に発音の上で対応するだけでなく、
「あひをひ」の「あひ」が、「をほはら」の「を・ほ」の「ほ」、および
「をしほ)」の「ほ」を独立した表現要素としてメタ言語的に捉えて、
その表現作用を明示化しようとしていると考えることもできることである。
つまり、私には、>>532の歌は、日本語における「を」と「ふ」の
メタ言語的な理解を示そうとしているように見える。