意味の論理構造の哲学at PHILO
意味の論理構造の哲学 - 暇つぶし2ch395:考える名無しさん
22/04/23 14:40:40.02 0.net
例えば、
>天地(あめつちの分かれし時ゆ神(かむ)さびて
高く貴き駿河(するが)なる富士の高嶺(たかね)を<
出典万葉集 三一七
という歌の句について、「駿河(するが)なる富士の高嶺(たかね)を」
の「駿河(するが)なる富士」が、「『す(為)る=な(成)る』不死(ふし)」
と解釈される掛詞、つまりは、「言葉遊び」であることを以前から指摘
してきた。ここで、この「言葉遊び」の表現法を、ポルトガル語の作家、
フェルナンド・ペソアの表現法と比較してみよう。ここで問題にするのは、
以下のサイト、URLリンク(arquivopessoa.net)
において引用される文の、
>A gramática, definindo o uso, faz divisões legítimas e falsas.
から
>Que mais se pode exigir da filosofia e da dicção?
までである。(これについては、以前に別スレで、それに続く箇所、
>Obedeça à gramática quem não sabe pensar o que sente.
を引用して提示したことがある。)


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch