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さらに、第17巻 3907番の「 花<咲>乎々理」、第13巻 3266番の
「花咲乎呼里」、第10巻 2228番の「開乃乎再入緒」、第8巻 1421番の
「開乃乎為<里>尓」、第6巻 1053番の「花咲乎呼里」、第6巻 1050番歌の
「花開乎呼理」、そしてさらには、
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第6巻 1012番歌
>原文 春去者 乎呼理尓乎呼里 鴬<之 鳴>吾嶋曽 不息通為
>訓読 春さればををりにををり鴬の鳴く我が山斎ぞやまず通はせ
>かな はるされば ををりにををり うぐひすの なくわがしまぞ やまずかよはせ
における「乎呼理」などが想起させるイメージについて考えてみるといい。
これらはすべて「ををり」と読まれることにされて、「枝が重みで撓んでいる
様子」をイメージさせるものと解釈されているが、最後の「乎呼理」は、
どうみてもウグイスの鳴き声だろう。そもそも、実が沢山つくなら枝が撓む
ことは理解できるが、花が咲いてなぜ枝が撓むのか説明がつくのだろうか。
また、「ををり」と読まれるとされている表現が、仮にそのように発音され
たとしても、それがなぜ「枝が撓む」ことを表現することになるのか。
花が沢山咲くことで折れそうになった草木を見たことがあるだろうか。
私には、「乎呼理」は、その字面からも推測されるとおり、「誘惑の声」
だろうと思われる。「花」が声を出すのは不合理だから、そのような
解釈は成立し得ないと考える人々は、「春の野山」の誘いに呼ばれる
ような感性を持ち合わせてはいないのだろう。