意味の論理構造の哲学at PHILO
意味の論理構造の哲学 - 暇つぶし2ch271:考える名無しさん
22/04/13 17:06:41.11 0.net
言語表現の解釈は、数学操作ではないが、表現の関係性を説明するのに
数学の隠喩はとても便利だ。「を」の発声が「空虚」を指し示すことを、
オイラーの等式である"e^iπ=-1"になぞら(擬)へるとするなら、
「酒の友」である「さかな(肴/魚)」として現代の日本語にその名残りを
とどめる一人称/二人称として反転可能な「な(己/汝)」の関係性は、
虚数、すなわち、i=(-1)^(1/2)に喩えることができる。なぜなら、
「な(己/汝)」の関係性は、君/僕の関係とは異なり、「空虚」を指し示す
呼びかけの「を」に対して、その「空虚」を確認する応への「を」に
よって呼応関係を成立させることで、それが反転可能なものであると
しても、君(主)が(従)僕を「を(治)す」ような主従関係を確立する
ものではないからだ。そうではなく、「な」は、それが己を指すように
用いられるにせよ、相手を指すように用いられるにせよ、互いが
よ(依/撚)り合ふことで「を(緒)」となるものとする、「己/汝」を
「かたいと(片糸)」に見立てて相補性を求める呼びかけだからである。
したがって、「を」を英語の"want"やフランス語の《vouloir》に
対応するものとするなら、「な(己/汝)」の心は、呼びかける相手の
「な(己/汝)」の心がそれによ(依/撚)り合ふことがないなら、
「を(緒)」になることすらなく、フランス語を用いるなら、
《velléité》に留まるからである。と同時に、互いによ(依/撚)り合ふ
ことがかな(叶)ふなら、それは互いに対する「いとを(糸惜)しさ」
となる(「糸惜(いとを)し」という表現が、一般には、より古い
文献に残る「いとほし」の発音からの変化であると解釈されるに
してもである)。このことは、「な」の関係性をi=(-1)^(1/2)に
なぞら(擬)へるなら、「な(己/汝)・な(己/汝)」=i^2=-1=「を(緒)」
となる関係として見ることができるだろう。


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