意味の論理構造の哲学at PHILO
意味の論理構造の哲学 - 暇つぶし2ch258:考える名無しさん
22/04/11 10:32:17 0.net
>>219考える名無しさん2022/04/03(日) 17:37:48.380
>日本語における「を」は、まずなによりも、そこ(発声する身体)に
「空虚」があることを「を/wo」という発音を声にすることによって
指し示す行為である。<

私は、これまで、日本語において再帰表現を形成するのに用いられる
「~ふ」が、「~」によって表現される作用/動作/様態を「ひっくり返す」
メタ言語的な指示として用いられることから、それがちょうど数式、
x^-1=1/xにおける指数の"-1"のような役割をするように使はれている
と指摘してきた。同様に数学を隠喩として用いるなら、日本語における
「を」は、それが感覚として空虚を示すことにおいて、日本語の表現を
組織化するうえで、数学におけるオイラーの等式、e^iπ=-1のように
中核的な役割を果たしている。したがって、実際の発音において「を」
は「お」と区別がつかないのだから、「お」にまとめて日本語を
「合理化」しようなどというのは、数学の表現において必要なのは
プラスとマイナスの区別だけで、e^iπ=-1における"e^iπ="は不要である
とするような暴挙だろう。ある正の整数が存在するとき、それが
どのような整数であれ、その存在には、e^2iπ=1が隠れているように、
何かの事象がそこにあるとき、それはつねにすでに「を」の呼応関係
(を・を)として成立している。だからこそ、そこにあるものが失われ
ゆくとき、その存在を「を(惜)しむ」感覚、すなわち、「~を」という
感慨を生じるのだろう。


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