意味の論理構造の哲学at PHILO
意味の論理構造の哲学 - 暇つぶし2ch204:考える名無しさん
22/03/28 09:24:40.64 0.net
>日本語の「あお(青)」が本来、表現していたのは、「青淵(あをぶち)」と
いう表現にも見られるとおり、「沈(しず)み込むような深さ」ではないだろうか。<
>重要なのは、「空間的な深みに入り込んでゆく」ようなイメージであることが分かる。<
ここで、「奈良」にかかる「枕詞(まくらことば)」として説明される「あをによし」
という表現を考察すると、「あをによし」は、「青丹吉」と漢字で表記されるので、
一般に「青丹(あをに)よ(良)し」と解釈され、岩波古語辞典にも「美しい青土を
産する意が原義」と記載されている。しかし、「あをによし」は、「安乎尓与之」
とも表記され、この場合に「あを」に当てられている漢字は、「安乎(あを)」であり、
「乎(を)」の表記は、「を」が呼び声として英語の"want"やフランス語の《vouloir》
に相当するイメージで用いられる場合と共通である。そこで、「安乎(あを)」を
検索語として万葉集を検索してみると、「安乎祢之奈久母」/「我を音し泣くも」/
「あをねしなくも」(第20巻 4437番)という表現がヒットし、「安乎(あを)」という
表記がやはり、そのようなイメージで用いられていることが確かめられる。
さらに、このことを踏まえて、「あを」の表記が「青」であれ、「安乎」であれ、
「あをによし」という表現が用いられている万葉集に歌を検討してみると、
やはり、「あをによし」も、ドイツ語を用いるなら、»sehnsuchtsvoll«、英語
にするなら"to be yearned"に相当するような表現として用いられていることが
分かる。この場合、wiktionaryでドイツ語の"sehnsüchtig"の中国語訳として
示される「渴望的」、「想望的」という表現も、「あをによし」にそれなりに
うまく対応しているように思われる。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch