23/10/30 20:48:28.81 0.net
本当に執着心を失くせば「苦」はなくなるのですか?
執着心があってもなくても箪笥の角に小指をぶつけただけで悶絶するのが人間でしょうに
苦の根源は精神的にどうあるかではなくもっと肉体的な痛覚の問題だと思うんですがね
確かに仏教的境地を受け入れれば普通の人よりは遥かに平穏な心境でいられるかもしれませんが
その平穏さだって外側から肉体目掛けて容赦なく襲ってくる様々な痛みの元凶に晒されれば
いとも容易く打ち破られてしまうことでしょう
結局仏教思想家なんていうのはそういうダイレクトな痛みという根源的苦から目をそらして仮初の平穏で自らの不安な神経症染みた
根源的苦痛に対する恐怖から目をそらしているだけなんではないでしょうか?
そしてそれを極めると俺は悟ったぞなんて言う仏陀気取りの痛い非二元覚者もどきとなるのでしょう
シモーヌヴェイユというフランスの哲学者は仏教に近いキリスト教的哲学を展開しましたが彼女の場合日本の仏教界などと大きく異なるのは
精神的にどうあろうと肉体的苦痛がもたらす苦からは逃れられないとドライに見極めたところでしょうか
この辺がヴェイユが生半可な東洋思想家より優れているところだと思います
彼女は悟れば苦から逃れられるとは考えなかった
つまり苦とは心の持ちようによって生じるのではなく心の在り方がどうであろうと外的要因によって容赦なくもたらされるということです
897:考える名無しさん
23/10/30 22:06:18.02 0.net
>>883
否定はしない、どんな覚者でも別に痛けりゃ痛いでしょう
釈迦もそれ否定してない、じゃあ何が違うのか
苦しんでる肉体に自己同一化してるかどうかの部分とでもいうのかな、苦しみの体験者はいなくて体験だけが、存在してる
これって釈迦の言う無記の領域だから言語でいくら表現しようとしても無理でしょう
だからあなたが今現在その観念が正しいと思うならそれでいいんだし、逆に他の人の観念を担保してる感覚の真偽を裁くことも出来ないと思いますよ
898:考える名無しさん
23/10/30 22:45:55.97 0.net
人は動物だから食、睡眠、性欲、安全が脅かされたらそこから身を守るために苦痛が引き起こされてそれから逃れるような行動が続くように本能で「プログラム」されてる
金といい女と安全に不自由しなければ満足して生涯終えられる人もいるし釈迦みたいに不自由何もないのに苦悩する人もいる
こういうのは生育環境とか全く意味をなさない、その個人の生まれ持った宿命の違いとしか言えないしそこはまさに無記で分析なんてできない
分析は言語でするものだから。言語化出来るものは無記ではないわけで
1番の苦しみは意味のない説明不能な事柄が存在すること自体を許容できない人特有の本能なのかも
メタ認知があることで全ての出来事に意味がないと不安を感じる本能
899:考える名無しさん
23/10/30 23:21:32.30 0.net
どうして森羅万象はこうなってんのか、宇宙を貫く全てを説明する真理があるはずだ
とか、神がいて全ての理由の元なんだ
みたいなのを想定するのってそもそも何なんだろうね?
それが存在すると無意識にでも思うからそこに到達したい知りたくてもがくし、到達できたら苦しみから逃れられると思うからみんな勉強したり修行するんだけど
そんなのないって言ってる人、虚無主義者でもないとなかなかお目にかかれないよね
あれは希望がないと生きられない本能が信じさせてる理由のない期待感なのかなあ
900:考える名無しさん
23/10/31 00:01:30.72 0.net
まあ、宗教てのは結局体験だからね
熊食べたことがない人が熊の味をどうこう言ってるのか、熊を食べたと思い込んでなにか他のものを食べた味を力説してるのか
他人の体験を知ることにも信じるってことにも共感能力とか本人の体験とかいろんなものが要求されるしな、結局
901:考える名無しさん
23/10/31 00:15:54.93 0.net
>>886
涅槃経とか面白いよ
現在のこの一瞬
902:考える名無しさん
23/10/31 13:24:21.88 0.net
宗教の軸は「地獄」だろうよ
結局のところ仏教含めた宗教に戒律があるのは地獄に落ちないようにするためのはずだ
もし仮に悪いことをしても落ちる地獄などないというのなら因果論自体が崩れ去る
因果応報が否定されれば仏教自体が全く成り立たなくなるだろう
もちろんこれはキリスト教やイスラムに置き換えても同じことでセム一神教から最後の審判を取り上げてしまうと
では聖書やクルアーンとは?という問題に行き着く
なので宗教とは人々にとって宇宙の真理や安らぎ、あるいは生きる原動力である以前に地獄への恐れそれ自体と言える
宗教学者の中村圭志先生って人も宗教は救済以前に地獄という概念をちらつかせることによって恐怖で人を縛り付けるものであるという認識を示しているし
伝統宗教は今でこそ大分丸くなった側面もあるものの昔はもっと純粋に恐怖政治を行っていたと言っている
903:考える名無しさん
23/10/31 21:28:49.96 0.net
>>888
良かったら何冊かおすすめ教えてもらえますか?
自分に合う翻訳付きの読んでみたいです
904:考える名無しさん
23/11/01 00:01:41.32 0.net
①あるお弟子が釈尊に、死んだ後はどうなりますかと聞いた。釈尊は何もお答えになろうとしませんでした。
釈尊は死後の世界のことを語ろうとしなかった、とされる「無記」 ということで知られている場面です。
そしてそのお弟子に、
「そういうことより、 今どうやって立派に修行し悟りを開くかを考えなさい」と伝えた、といいます。
②一方、法句経などでは釈尊は
「悪いことをした人はこの世で憂い、 来世でも憂い、二つところで共に憂う」 と説いてます。普通に来世のことを説いています。
③涅槃経の元となる最後の旅を記した遊行経では、釈迦滅後のことを心配するお弟子に対し「捨命住寿」、(私は五蘊の命を捨てアーユス(寿)、縁起生の命に住むのだから心配しなくてよい)と答えています。自身の死後の世界について語っています。
対機説法というものですが、 来世について語ったり語らなかったり、釈尊は相手によって話を変えてるのでは?と言われる理由の一つとなる場面です。 人によって話を聞ける前提条件、機が違うので、相手の機縁を察し、それに合わせた話をしているのだ、という説明もよくされてきました。
この 「来世」 や 「過去世」 という言葉は、インドでは現日本語とかなり違う意味の広がり方をしています。
来世・未来世、前世・過去世という言葉にはもちろん死後の世界・生まれる前の世界という意味もあるのですが、初期仏教の説有一切部などは「刹那滅(せつなめつ)」という考え方に基づき、
法がまだ作用をおこさない時が未来世。
作用をおこしたその瞬間が現在世。
その作用が終わった時が過去世。
そんな感じで説明しています。
未来世や過去世に対する考え方が、現代日本語的な世界とわりとまるっと違ってることに留意していただきたいです。 未来世というのは「これからのこと」になるんですね。
「後生の一大事」 の後生もまあざっくりと似たようなもので、「これからの人生」 が蓮如さんの言われる「後生」 になります。
905:考える名無しさん
23/11/01 00:02:46.33 0.net
例えば「未造業 (未だ造っていない業)」 と 「已造業(既に作ってしまった業)」というものがあります。
業というのが例としてペンを持つことだとして、 未(まだ) ペンを持ってない人と、己(すでに) ペンを持った人。
両者の差は明白ですが、 仏縁というものが介在しなければ、両者の差は「時間差」というものになります。
時間について、過去・現在・未来という時間は実体のないもので、三者は生起する事象作用の有無によって仮に名付けているものに過ぎない。 過去と未来と現在は事象作用を介して同時に存在している、というのが刹那滅という考え方です。
それは言い方を変えれば、今現在にあるものの中に未来の材料、 原因、 縁となるものが全て内在している、ということになります。
同じように、過去にあったものは全て今現在を形作るものの材料、 また縁となって姿を変えて現在している、ということになります。
つまりそれは数十億年の過去世の一切も、これからの未来世の永劫も、すべてこの今の一瞬を起点とした「現在」という作用の中に全て一如に内包され存在している、ということになります。
仏も同じ。釈尊の滅後も如来は滅せず常住する、ということの一つの根拠、また証明にもなっています。
この三世両重の因果と呼ばれるものは、 天親、世親さんとかも重要視されてました。
この「一如の世界」を表現するいわゆる涅槃経の世界観は、善導の浄土教を理解するための根幹となるものです。
906:考える名無しさん
23/11/01 00:03:57.87 0.net
過去世、現在世、未来世は
現在という一点を起点として同時に存在するもので、 そしてこの「現在」以外に作用過程、「時間」というものは存在しない。
そして未来世が 「これからのこと」 というのなら、 来世とは 「これからのあなたの世界」ということになります。
過去世・前世についても同じです。 刹那滅では「今までのこと」、「今の瞬間まで作られてきたあなたの世界」があなたの過去世である、ということになります。
唐の善導大師は、お念仏について 「前念命終、後念即生」 であると言われました。
「お念仏を頂けた者は、命終わったあと、 来世に必ずお浄土に生まれ、そこで修行する身となる」というのが一般的な浄土教の解釈ですが、 善導大師は
「お念仏が頂けた者は、無明の命終わって無明の霧晴れ、浄土に生まれてそこ現在が未来世、新しいいのちに生まれた者の修業の場となる。」
それがお念仏の意義なのだ、と記しておられます。 同じ言葉でも意味する時系列が2つあるため、日本語での理解というか翻訳が今でも曖昧なものになってしまっているのです。
私達はいつも知らずに過去の延長線を生きているものですが、 「今を生きる」という仏(目覚め)をいただくのが念仏の意義である。
現在するものに対し、今この場で自身に全く新しい姿勢や態度、スタンスを頂くのが
お念仏を頂くことなのだ、と言っているのですね
「善導独明仏正意」、 善導大師は独り、仏の正意を明らかにされた。 と親鸞聖人は正信偈で善導大師を讃えておられます。 法然上人も 「偏依善導」といい、善導大師の説かれる念仏をとても重視、信望されておられましたが、 それは善導大師が念仏を今現在に来世、これからの世界を頂くためのものとして捉えておられたから、といえるのではないかと思います。
言葉や単語の意味内容というのは各言語、 また使う人によって変わるものですが、この「念仏」や「過去世、現在世、 未来世」というのは「他力本願」 などと同じかなりその傾向が顕著なものだと思います。
「お念仏を頂けた者は、 来世に浄土に生まれる」 という言葉の日本語、中国語での意味内容も本当に一人歩きしており、半ばファンタジー的な意味あいまで持ってしまっているものになっていますが、元々の意義を訪ねるということがどれだけ大事なことなのか、ということのわかりやすい例にもなっていると思います。
907:考える名無しさん
23/11/01 05:57:15.25 0.net
どうしたって言葉は受け取る側の解析能力頼みだからな
助けたい欲から出た言葉、助かりたい欲で受け取る言葉、幸運にも両者が一致すれば発した方の意図と違う受け取られ方しても目的達成してりゃとりあえずそれでいいわけで
受け取る側が勝手に発信源に権威づけしてればなお良い
この人が言うんだから間違いない!というバイアス効果は絶大
908:考える名無しさん
23/11/01 06:13:52.62 0.net
真実を知ることが救いになるようなタイプの個体なら発信源の意図した通りの意味合いで受信も可能になる確率が上がるだろう、内容を精査するから
こういうスレにくるタイプの人はね
でも同時に正義病に罹ってるとコレだ!と信じたもの以外認めず他を敵認定して裁き始めるから結局災いの元になる
真実を追究しつつも観念に固執し災いを引き起こしてしまう「私」とは何か?この質問の意味そのものを理解できる個体が先に進めるんだろうな
でもってそれが可能かどうかは努力なんて関係ない
その気づきという幸運?に恵まれたかどうかだけというひどい?お話。
909:考える名無しさん
23/11/01 13:41:24.23 0.net
>>891
仏教における輪廻概念ってそんなに現世的なものなの?
現世的な移り変わりでなく明確に死後の六道輪廻を想定しないと「宗教」としての仏教は成り立たないと思う
910:考える名無しさん
23/11/01 13:57:38.51 0.net
>>883
彼女は存在論と融合して世界解釈をした点が評価できると思う。苦により存在理由を見出だす
彼女の個人的なイメージとしては神との融和
911:考える名無しさん
23/11/01 21:37:39.15 0.net
>>896
死後の六道輪廻を否定してるのは現代の日本仏教だけで
世界中の仏教は大乗であれ小乗であれ死後を肯定してる
日本人が天才的に釈迦の思想を理解できたとかでないかぎり
輪廻否定派は間違ってる
912:考える名無しさん
23/11/02 00:28:07.91 0.net
ブッダが超常的なものを観た、あるいは語ったというのは、そのように信者が期待しているだけで、無常と思えば心が安定したという体験だ
また、それ以上を望むことは苦でしかなかった
913:考える名無しさん
23/11/02 07:08:00.03 0.net
ブッダが合理的な経験主義者だというのは現代人が勝手に期待している妄想で
ブッダは明らかに宗教を語っている
唯物論者のアジタケーサカンバリンを否定しているからだ
914:考える名無しさん
23/11/02 07:25:32.13 0.net
心理主義者ではあるが、それだけ。あとは派閥が生まれ形而上学になって以降、神秘化された
915:考える名無しさん
23/11/02 10:28:22.35 0.net
輪廻を証明することはできない、というか証明する方法が見つからない。
合理的な推測はできるかも知れない。
916:例えば、宇宙のビッグバン・モデルは相当に合理的な推測ではある。 前世記憶のように、輪廻の存在を示すという実例も示されてはいるが、 確かだとまでは言い切れない。 釈迦がどの程度まで確信を持っていたかも定かでない。
917:考える名無しさん
23/11/02 10:35:36.18 0.net
輪廻転生は「苦」であり、それを断ち切るのが仏教の狙いであると、
一般的には言われている。
しかし、「輪廻転生が続くこと」や「輪廻転生を断ち切ること」は、
科学的合理性で説明されてはいないので、理解せよというほうが無理だ。
918:考える名無しさん
23/11/02 10:43:39.22 0.net
「生命」と「我という意識」は、同じものではない。
輪廻転生は「生命」の転生を言っているが、「我」も転生しているかは曖昧だ。
「我の体験(記憶)」は転生していないように見える(前世記憶を主張する人たち
以外には)。
しかし今現在の生において、人々は「我」を体験しているのは紛れもない。
919:考える名無しさん
23/11/02 10:45:21.68 0.net
>>904
「生命」は「魂」と言ったほうが良いかな?
920:考える名無しさん
23/11/02 15:00:37.11 0.net
その、「我」を体験してるのは紛れもないっていうそこの感覚こそ見るべきポイントな気がするんだが
921:考える名無しさん
23/11/02 15:37:54.98 0.net
ま、これ上座部だと生まれ変わりのエネルギーを枯渇させると説くわけだけど、まんま期待だ
922:考える名無しさん
23/11/02 17:38:27.53 0.net
>>903
それが宗教でありゴータマ・ブッダは宗教者なんだが
923:考える名無しさん
23/11/02 17:39:20.38 0.net
なるほど、期待が転生のエネルギーってすごいわかりやすいね
924:考える名無しさん
23/11/02 17:40:35.10 0.net
しかし、例えば仏教者のある者は、涅槃の境地を得たときには、
「我はない」と言うのだ。
その「我はない」状態あるいは状況が、どんなものかは体験者
の言を聞いても定かには理解できない。
925:考える名無しさん
23/11/02 17:47:50.09 0.net
だから無記の態度貫いたんじゃないのかな釈迦は
言語は共通認識の上に成り立ってるんだし、内面の共通認識を持ちえないくらい稀な事象は言語で説明できないからどうしようもないよね
目の前に見せてやれることでもないんだし
926:考える名無しさん
23/11/02 19:34:32.43 0.net
「無記」をどう理解するかは、はっきりしない。
積極的、意図的に「無記」を主張したかも判らない。
>稀な事象
あまり稀有を強調すると、神秘化や神格化に行ってしまう。
すくなくとも誰にでも得られる境地ということになっている。
誰にでも体験できる方法を探す努力は必要だ。
927:考える名無しさん
23/11/02 20:38:40.28 0.net
言葉に詰まって考え込んだか、興味無かったか
928:考える名無しさん
23/11/02 22:55:04.31 0.net
神格化はマズいよね、宗教の問題点の一つだわ
権力化して支配と結びついてしまうし
まあでも実際稀なことに変わりはないんでそこは仕方ないのでは?
仕方ないと諦めるなとのご意見なのもわかるし努力が必要だと思う向きは努力してくださいとしか言えない
ここは堂々巡りにしかならない
929:考える名無しさん
23/11/02 23:06:41.77 0.net
涅槃の境地に至れば真の安寧にも到達できる
という前提というか期待というか
真理とはそうあらねばならぬ、みたいな縛りとか
万人が救われるたったひとつの真理があるはず、とか
ここをこそよく見てみる
苦しみと問題の根源
これらはどこからもたらされたのか
苦しみとはなにか、喜びとはなにか
930:考える名無しさん
23/11/02 23:11:13.84 0.net
>涅槃の境地に至れば真の安寧にも到達できる
釈迦という実例があるのが大きい。
それが実例であると説得できる力が、釈迦にあるのが不思議だ。
釈迦に感応して後に続く人と、奉って宗教にしてしまう人とがいる。
後者が圧倒的に多いのが現状。
931:考える名無しさん
23/11/03 09:59:00.24 0.net
釈迦にしろキリストにしろ、存在そのものの説得力が半端なかったんだろうね
あとは優秀な弟子に恵まれたのも大きいのかも
後世相当歪められたにしろ、2000年経った今も求める者にはエッセンスに触れる機会が遺されているし
932:考える名無しさん
23/11/03 15:00:25.91 0.net
<現代における仏教>
小乗仏教:反出生主義
大乗仏教:脱成長コミュニズム
933:考える名無しさん
23/11/03 16:28:50.38 0.net
「ブッダが信仰していた」と言えなくはないが、弟子の立ち位置での「信仰」とは異なる
934:考える名無しさん
23/11/18 14:38:55.01 0.net
仏教と言語の問題はいろいろ考えさせられる。
URLリンク(gendai.media)
935:考える名無しさん
23/11/18 14:40:09.70 0.net
>>920
URLリンク(gendai.media)
936:考える名無しさん
23/11/18 14:52:10.06 0.net
大作死去。学会員には大作>>>>日蓮>>仏陀?
937:考える名無しさん
23/11/18 19:47:12.62 0.net
あんまり深く考えはない学会員が多いんじゃ?とは思う
同じ信仰を持つもの同士で群れてる安心感が1番なんじゃないか?と見てて思う
細かい教義も言われたから覚えはするけど吟味はしてなさそう
938:考える名無しさん
23/11/18 19:53:15.36 0.net
同意見だけど、宗派を跨いで見られる景色だわ
939:考える名無しさん
23/11/18 20:32:54.07 0.net
この流れ 日本の節目が始まるか
940:考える名無しさん
23/11/18 20:41:10.23 0.net
多言語翻訳は大乗になってからのみではなかったんだな
神言、神の言葉だから言葉に魔力がある!とかバラモン教は主張してたが、言葉の呪力より意味内容のほうが重要だと分かってたわけだ
ちゃんとしてるやん
941:考える名無しさん
23/11/18 20:51:29.72 0.net
般若心経、題目を意味で唱えてる信者は少ないだろうが、海外では逆に理屈で捉えるようだ。
942:考える名無しさん
23/11/18 20:53:17.49 0.net
>>922
池田大作=日蓮大聖人=上行菩薩>釈迦仏>>>>>その他
じゃね?
943:考える名無しさん
23/11/18 21:56:53.32 0.net
>>927
わからんなぁ
釈尊の言葉の意味も理屈もわからん仏弟子ってのはなんなんだ
自他諸々に対する姿勢態度をあらたまるあらためるあたらしくするってのが仏教、つまり覚教って言葉のそのまんま意味内容じゃんよ
法華経だって行間を読むには他の論釈やら解説読まにゃあ
944:考える名無しさん
23/11/18 22:03:56.26 0.net
>>927
まあ逆も然りだよね
あちらでキリスト教の教義を真面目に分析しようなんて人は少ないだろうと思うし、だけど文化として根付いてるからキリスト教信者は沢山いる
945:考える名無しさん
23/11/18 22:09:55.74 0.net
>>929
偉い人に地球は平らだ、と言われてへえそうなんだ!と信じて次の日にはあれは嘘だ地球は丸いんだ、と言われたらまたへえそうなんだ!と丸ごと信じることが出来て、心も平和で居られる人が信者
平らだ!球体だ!と言われて理由や証拠を吟味しないと納得できない人は仏弟子なんじゃないのかな?
酷い例えですんません
946:考える名無しさん
23/11/18 23:06:44.20 0.net
えー、信者と仏弟子は違うんでないの
涅槃経だと阿難が「釈尊の滅後には何を頼ればいいの」って聞いたら
「法に依りて人に依らざれ (人は仏法、 ダルマによるべきで、語る人そのものに依るべきではない)
義に依りて語に依らざれ(言葉はその意味内容によるべきで、単語そのものに執着すべきではない)
智に依りて識に依らざれ(正しい智慧によるべきで、感覚的なものに依るべきではない)
領解した経に依りて領解せぬ経に依らざれ
(意味内容を理解した仏説に依るべきで、領解、 感得していない仏説に依るべきではない)」
あと
「自灯明・法灯明(頼るべきはめいめいの自己であり、 また、 それは普遍的な法に合致すべきものである)」
と言ってる話が残ってるやん
自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の) 主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。も法句経の言葉やん
人の威光に頼るようなのは違うってのが釈迦の立場なんだと思うけど
947:考える名無しさん
23/11/18 23:09:08.86 0.net
あ、そちらの書き込みよく読んでなかったごめん
948:考える名無しさん
23/11/19 09:37:44.87 0.net
それがすでにパーリ語で書かれて、仏陀の時代の口伝ではないとすると、少なくとも語に関しては、意味または理屈で捉えるしかないけど、
まぁ、大乗哲学のニュアンスと大きく異なる。
949:考える名無しさん
23/11/19 14:54:40.73 0.net
涅槃経は尾鰭が付いて大乗経典になる前からこんなんだよ
釈尊の最晩年の言行録と弟子たちの反応
URLリンク(intweb.co.jp)
950:考える名無しさん
23/11/19 15:31:30.53 0.net
部派仏教が持ってた各経典を突き合わせて分裂する前の経典を想像、想定するのが比較文献学というもの
951:考える名無しさん
23/11/19 16:24:07.22 0.net
それを想像しないのが信者というもの
952:考える名無しさん
23/11/19 23:17:45.99 0.net
950踏んだ人が次スレ立てるみたいだけど、上の方にズラズラ~っと貼られてる仏典とか解釈書とか全部コピペしないとダメなのかな
どなたか主みたいな人が貼ってくれるの?
うっかり950踏んで迷惑かけたくないので
953:考える名無しさん
23/11/20 08:07:31.78 0.net
貼らなくていいでしょ
残したい人が貼ればいい
954:考える名無しさん
23/11/20 12:16:36.57 0.net
釈尊の言葉を、各時代の修行完成者が自分のを領解からの視点でそれぞれ述べているだけなんだよ
同じ外国語の原作から、沢山の人が自分の国の言葉に翻訳しようとした 当然一つ一つの出来やニュアンスは異なる、でも全て同じ原作の翻訳であることに変わりはない
955:考える名無しさん
23/11/20 15:26:10.36 0.net
尾鰭も「死なずに身を隠すだけだ」とか願望を交ぜて法を歪めてしまったものと「沙羅双樹の花が一斉に散って」見えたのとでは雲泥の差。
そして余多の宗派に割れているのが確たる証。
956:考える名無しさん
23/11/23 02:26:49.67 0.net
>仏教における輪廻概念ってそんなに現世的なものなの?
涅槃経の方にある「一如の世界」みたいなもんは、そちらの文脈で言うような「現世」ともまた違うんよ
ていうか善導の世界観を説明したのに輪廻概念、と言われてもちょっと面食らうんだ
刹那滅の文法で言えば、この世界自体が釈尊はじめ今まで死んだ人の死後の世界、じゃん?人間が考えるような死後の世界設定は、この時点でいらなくなるじゃん?
この現在の一点が過去の業縁全ての結果結末で、そしてこれからの未来の種になるもの全てがここにあるわけじゃん?
その現在するものに対して無明から始まる12因縁、思い込みと勘違いの存在が私等なわけやん
仏、目覚めるということがなければずっと過去の思い込みの延長を生きて現実するものとのギャップに苦しむのが我らなわけやん
この五蘊の肉体から離れんのだから私らが思い込みと勘違いの存在なのは一生変わらないけど、現在する諸々の所縁を仏縁として自分に対する姿勢、家族に対する姿勢、ひとつひとつ姿勢やら態度、スタンスをあたらしくさせてもらったってのがお念仏に遭わせてもらった、ってことなんよ
ていうか釈尊も自分はもう来世に上部カーストを目指すようなことはしない、この一生を自分の最期の一生とする、いうて輪廻を求める態度から解脱しはったでしょ
来世があるなら無量の寿、アーユスに還るだけ 涅槃経には捨命住寿てあるでしょ、釈尊は寿アーユス、仏縁・縁起生の世界に還ると言ったんですよ
ていうかこれが自分の最期の一生だ、てのは皆さん薄々分かってることですやん?
自他に対する姿勢をあらため業縁をこの最後の一生に尽くして生きる、のを真宗だと現生不退とかいうんです
まあ他の宗派でもこの一生に業縁、分際、尽くして生きようって人はいるし真宗でも来世のことめちゃくちゃ言ってる人もいるし
仏教は同じ言葉からいろんなものが取り出せてホントに面白いすよね
957:考える名無しさん
23/12/02 07:44:37.18 0.net
ワロタ
URLリンク(youtu.be)
958:考える名無しさん
23/12/03 11:50:03.09 0.net
あんなものは哲学と呼ぶに値しない
ただのボンボンの迷い
959:考える名無しさん
23/12/03 21:46:26.80 0.net
>>944
じゃあ中観派の話でもするか?
960:503
23/12/05 11:38:18.66 0.net
この境地をどのように表現したらよいのであろうか?
ゴータマは、言葉を探索した。
ただ捨あり、念ありて、清浄なる境地にいたる。
ゴータマは、「清浄」という言葉を使った。
この境地に至るにはどうしたらよいのであろうか?
ゴータマは、言葉を探索した。
ゴータマは、八正道という階段を作った。
みんなが、この境地に至れるように。
961:考える名無しさん
23/12/05 17:08:13.11 0.net
そもそも哲学の範疇とかどうとかいう、そういうラベル貼ることそのものに意味がないって言ってるんだから、まあ哲学じゃないと言われてもそうねとしか言えない気がする
962:考える名無しさん
23/12/05 17:15:50.68 0.net
>>942
素朴な疑問なんだけど、釈迦はもう転生しないよ涅槃に行くよって言ったけど、それは釈迦個人が言ったという解釈なの?それとも釈迦個人という肉体を通した空みたいなのが言ってんの?つまり釈迦個人というのは破壊されてて現象世界の一つの表れとしてそういう言動がもたらされている、みたいな
経験はあるけど経験者はいない、っていうか
出来事は起こるけど起きてるだけで経験者はいないというか
963:考える名無しさん
23/12/06 23:30:57.90 0.net
>>948
解脱したとき、「解脱した」という智が生じた。
「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされた。二度とこのような状態へ(至ることは)ない」
でしょ?
前行を積んで来世のカースト上位を望み、悪行を行うことで来世のカースト転落を恐れるような態度からの解脱じゃんよ
人間は無明から始まる思い込みと勘違いの十二因縁の五蘊世界を生きる者、それが自己愛自家撞着から離れる道を得た、自身の迷妄を生み出す苦、集、滅、道のそれぞれを諦らかにしてそれぞれを滅し、思い込み勘違いの世界を離れ言葉や行動をあたらしくする道を説いたわけだけど、それは自分に対しても言ってることなんじゃないの?平生業成つーか
何があっても自分の業縁を尽くす、という自分の一生を頂いたわけすよ
964:考える名無しさん
23/12/07 01:16:29.11 0.net
「わが迷いの生涯はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。
このうえは、もはや迷いの生涯を繰返すことはないであろう。」
です。
965:考える名無しさん
23/12/08 08:47:15.47 0.net
他人を罰するように自分を罰しなさい。
他人に復讐するように自分に復讐しなさい。
貴方が他人を罰するように他人が貴方を罰する。
貴方が他人に復讐するように他人が貴方に復讐する。
966:考える名無しさん
23/12/08 15:42:04.34 0.net
>>949
ありがとう
その辺は一応わかってたつもりではあるんだけど
聞きたかったのは、自身の迷妄を生み出す云々ていうことは、スタート地点というか経験地点の「自分」いうのは無批判に存在してると釈迦は捉えてたのかなと
「私」と認識してる経験体のコレは通常人が
理解してるそのまんまに実在してると認識してたのかなと
わかりにくい質問ですみませんでした
おしまいにします
967:考える名無しさん
23/12/08 15:45:33.49 0.net
地球のことを忘れるという罪を犯せば、地球のことを思い出すまで永続的に罰せられる。ユダヤ教徒�
968:窿Lリスト教徒やイスラム教徒が神を忘れるという罪を犯せば神を思い出すまで永続的に罰せられるのと同じように。 復讐とは罰であり、罰とは復讐である。 地球を永遠に生き物の楽園にするという聖戦を忘れて私利私欲に生きる人の未来はお察しの通りです。 精神状態も含めて能力である。精神状態のせいで幸せな人生を送れない人は幸せな人生を送る能力が無いのだ。 強者が弱者を討伐する。善人が悪人を討伐するわけではない。 強者が弱者を罰する。善人が悪人を罰するわけではない。 強者が弱者に復讐する。善人が悪人に復讐するわけではない。 強者が弱者を統治する。善人が悪人を統治するわけではない。 強者が弱者を支配する。善人が悪人を支配するわけではない。 強者が弱者に優越する。善人が悪人に優越するわけではない。 生存競争という言葉があるが、強過ぎてあるいは弱過ぎて競争相手が居ない人には競争もクソもない。 好きにすることができる人にのみ好きにする権利がある。 人に自由意志は無く、人は自由意志とは無関係に自動的に罪を犯し、その罰を受ける。
969:考える名無しさん
23/12/08 15:46:17.41 0.net
悪事を行って復讐されるのも罪を犯して罰を受けるのも自己責任だから勝手にしよう。無理して我慢してもどうせ爆発するから同じこと。より酷い形で爆発するならむしろ我慢しない方がいい。
罰を受けて反省するような中身の無い人間に罪を犯す資格は無い。
甘えが悪いなど有り得ない。無能だから甘える。甘えが悪いなら無能が悪いということだ。そんな考え方は優生学そのものだ。
自分が堕落すると周りも堕落するから堕落したいのを我慢する。そんな生き方はやめろ。堕落して堕落して世界をdystopiaに変えろ。その天罰を受けろ。
970:考える名無しさん
23/12/08 16:06:20.19 0.net
俺のことを全てわかってくれて、全てわかった上で俺を愛してくれる人がいる。それが俺だ。だから俺は俺のことは命を賭けて全人生を賭けて守るし、俺の為ならいつでも死ねる。世界一大切な最愛の人が俺だ。
971:考える名無しさん
23/12/08 16:51:07.24 0.net
>>943
結集の際に、漏れた伝聞は聖書の編纂にもあったというが、
972:考える名無しさん
23/12/08 17:59:55.04 0.net
罪を償うのも嫌だし罰を受けるのも嫌だという人もいる
よく笑う人はlevelの低い人を笑うからよく笑うのだ
よく怒る人はlevelの低い人に怒るからよく怒るのだ
自分が悪いと思えなければ罰せられても反省できない。それが確信犯だ。
仕事をすることが善いことなのではなく、善の仕事をすることが善いことなのだ。昭和天皇を傀儡にして恐怖政治を行い国内外の人民に地獄の苦しみを強いた東條英機みたく悪の仕事をするくらいなら仕事をしない方がまだ善い。
973:考える名無しさん
23/12/08 19:03:27.03 0.net
正せない間違いを正すと言って取り繕うことこそ間違いだ。
974:考える名無しさん
23/12/08 20:41:27.55 0.net
唯物論的に考えれば、男にとっては女はただの麻薬に過ぎず、男は麻薬ですらなくただの石ころと変わらない。
975:考える名無しさん
23/12/08 20:58:38.47 0.net
動くな
永遠に固定していろ。
976:考える名無しさん
23/12/08 21:51:25.06 0.net
合法非合法を問わず、天命に従って天罰を当てることは義務であり、その義務を果たすことを怠る者にこそ天罰が当たる。
977:考える名無しさん
23/12/09 06:22:21.03 0.net
間違ったことをするくらいなら何もしないでくれ
978:考える名無しさん
23/12/09 07:47:04.84 0.net
人道より現実を優先しろ。
人道的であるより現実的であれ。
humanismよりrealismを優先しろ。
979:503
23/12/09 10:02:49.59 0.net
「無」の世界に入ってきた。
感じることから、離れたのだ。
外界は動く、動くさまを見たり聞いたりするけど、心は一切動かない。
外界から別の世界になった。
980:503
23/12/09 10:38:10.69 0.net
自分が何か嬉しい・悲しい・楽しい・苦しい、
自分が「人間らしくありたい」ならば、八正道はやめておいた方がよかろう。
981:考える名無しさん
23/12/09 10:43:07.86 0.net
あらゆる二項対立は粒子と反粒子のように対生成し対消滅する。
982:考える名無しさん
23/12/09 11:00:42.64 0.net
上か下か、蠕動がなければ世界を真っ白にできない。
男が女を前提するように、八正道は世界を抱いてる。
983:考える名無しさん
23/12/09 15:51:30.55 0.net
地球の全ての生物は地球という家で同居している上に血縁関係にある家族だ。
無理して身心の健康を害して役立たずになる奴こそ実に害悪だ。
正論、世論、暴力にrealismで対抗せよ。
天にとっての人は、人にとっての虫である。
精神が崩壊した者は自由意志を失う。悪霊に取り憑かれるようなものだ。そうなったら本人も含めて誰もその人を止められない。それもまた天命であろう。
下級国民ばかり無能扱いされるけど上級国民も下級国民と同じく無能なんだよ。自己責任論は成り上がりの奴らの過去の鬱憤の裏返しだな。努力せずに幸せになる奴らが許せないからとにかく足引っ張って引き摺り下ろそうとする。本当に醜いわ。
市場価値が人間の価値ならば、地球環境を破壊するというマイナスの市場価値を持つ人間の価値はマイナスだな。
他人が私の承認欲求を満たすべきか?私が他人の承認欲求を満たすべきか?
他人が私を幸せにすべきか?私が他人を幸せにすべきか?
豊かな者は貧しい者を保護する。貧しい者は豊かな者に保護される。
心豊かな者は心貧しい者を保護する。心貧しい者は心豊かな者に保護される。
許しが心の豊かさである。許さなければならないという信念は許さないことを許さないわけだから心の貧しさだ。
心豊かな人は自他を許せる。心貧しい人は自他を許せない。
いつ死ぬかわからない戦乱の時代と老衰死ばかりの平和な時代では死生観が違うだろう。
責任感が強い人は責任感に押し潰されるから責任を負おうとしない。責任感の強さも善し悪しだ。
幸せな人を許せない性格の悪い不幸な人とは関わらない方がいい。
984:考える名無しさん
23/12/09 17:07:13.63 0.net
合法は善で違法は悪だと考えて法律をありがたやありがたやと崇拝する法律信者さんよ、違法など宗教の破戒と変わらんのに。
985:考える名無しさん
23/12/09 17:15:58.61 0.net
生きるに値しない人を殺すことでその人の食料となる予定だった動植物の命を助けることはむしろ人道的だ。
外部の人が怖くて内弁慶やってるのは本当に弱くてダメだ。強くならないと。
986:考える名無しさん
23/12/09 19:07:40.33 0.net
人間のlevelなどというものは収入と変わらない。人間のlevelが低いのは収入が低いのと同じで損なだけだ。悪ではない。
優越感は自尊心に変えよ
劣等感は他尊心に変えよ
987:考える名無しさん
23/12/09 22:16:31.72 0.net
貴方がもし本当に間違っていないなら、貴方はそれを一生かけてでも証明しろ。一生かけても証明できないなら、貴方の死後それが証明されるよう死ぬまで証明する努力をしろ。
988:考える名無しさん
23/12/10 00:38:56.34 0.net
>>952
迷妄は「現在するもの」に対するものだよ
経験というが、過去の如実にあったことに対して意味を与えてるのは今の自分だべ
経験が実在してるのではないと思うんよ
989:考える名無しさん
23/12/10 06:33:48.39 0.net
もしそれが正しいなら、それが正しいといつか証明されるだろう。
もしそれが間違っているなら、それが間違っているといつか証明されるだろう。
990:考える名無しさん
23/12/10 07:40:35.71 0.net
天は生物の上に生物を造らず、生物の下に生物を造らず。
人が人以外の生物より上で人以外の生物が人より下という考えは、白人が白人以外の人より上で白人以外の人が白人より下という考えと変わらない。
人類優越思考は白人優越思想と変わらない。
991:考える名無しさん
23/12/10 08:04:53.85 0.net
天は生物の上に生物を造らず、生物の下に生物を造らず。
人が人以外の生物より上で人以外の生物が人より下という考えは、白人が白人以外の人より上で白人以外の人が白人より下という考えと変わらない。
人類優越思想は白人優越思想と変わらない。
未熟な人は努力目標を達成目標にしている
成熟している人は達成目標を努力目標にしている
未熟な人は、「しなければならない」「してはならない」と考える。
成熟している人は、「した方がいい」「しない方がいい」と考える。
992:考える名無しさん
23/12/10 09:46:28.04 0.net
正義の反対は悪ではなく別の正義。正義と別の正義が戦争をして弱い方が負ける。それが天命だ。
993:考える名無しさん
23/12/10 10:18:25.29 0.net
物質的なものはアラヤシキ
994:に収まらない。 上座部のこの理解は重要だ。
995:考える名無しさん
23/12/10 11:12:12.42 0.net
>>973
その、自分、が実在していることは、我々が個人の自分を捉えているのと同じような意味合いで釈迦も自分自身を捉えていたのかを知りたかったのです
釈迦に聞かないとわからないようなことをすみませんでした
996:考える名無しさん
23/12/10 11:21:27.79 0.net
普通の人とは多数派のことだ。法律を守らない人が多数派であれば法律を守らない人が普通の人である。
997:考える名無しさん
23/12/10 11:27:53.09 0.net
世界に自分を合わせる
自分に世界を合わせる
998:考える名無しさん
23/12/10 12:01:03.24 0.net
天は人の上に人を造らず。天は人の下に人を造らず。裁き罰する人が上ではない。裁かれ罰せられる人が下ではない。
999:考える名無しさん
23/12/10 13:43:01.02 0.net
>>973
︎初めから、質問の意味すら理解出来てないのに上から目線で自分の解釈の範囲に無理矢理取り込もうとしてる
観察の中心である自分の存在自体そのものが真に存在してるのかどうかを問われているのに、返答は観察の内容や解釈態度に終始していて全く噛み合ってない
当然観察の内容というのは自分自身(と信じてる)の感情思考記憶も含まれる
1000:考える名無しさん
23/12/10 14:36:04.15 0.net
>>978
お前はアラヤ識を知ってるがアマラ識を知らないようだな
1001:考える名無しさん
23/12/10 15:01:44.77 0.net
>>984
寧ろ、もはや認識論として検討してるんだよ。
1002:考える名無しさん
23/12/10 15:08:44.41 0.net
>>985
メタ認識論としては検討してないのか・・・
「浅い」な
1003:考える名無しさん
23/12/10 15:19:58.20 0.net
縄張り争いをする動物は、勝った方と負けた方のどちらが正しくどちらが間違っているのか?どちらも正しくないしどちらも間違っていない。
戦争をする国は、勝った国と負けた国のどちらが正しくどちらが間違っているのか?どちらも正しくないしどちらも間違っていない。
1004:考える名無しさん
23/12/10 15:23:24.69 0.net
>>986
メタ認識論...w
1005:考える名無しさん
23/12/10 16:51:11.69 0.net
親世代のことは親と思え
同世代のことは兄弟姉妹と思え
子世代のことは子と思え
警察や軍隊といった武力が無ければ効力を発揮しない法律や国際法に正当性は無い。
国や政府や国民や法律や世界や人類が正しいならアメリカ合衆国政府の奴隷制度もそれを容認したアメリカ合衆国の国民や世界や人類も正しいだろう。国や政府や国民や法律や世界や人類が正しいなどバカげている。
煽りに屈するな。お前はrealistだろう。realistは煽りに屈してはならん。
貴方にとってはそれは最悪だろうが、別の誰かにとってはそれが最善なのだ。
1006:考える名無しさん
23/12/10 17:00:14.32 0.net
貴方にとってはそれが最善だろうが、別の誰かにとってはそれは最悪なのだ。
貴方にとってはそれは最悪だろうが、別の誰かにとってはそれが最善なのだ。
1007:考える名無しさん
23/12/10 17:09:53.12 0.net
誰かにとっての最善は別の誰かにとっての最悪
誰かにとっての最悪は別の誰かにとっての最善
1008:考える名無しさん
23/12/10 17:12:40.04 0.net
>>990
善男子よ、そうではありません
>>991
善男子よ、そうではありません
1009:考える名無しさん
23/12/10 17:18:47.80 0.net
仮想現実だと信じて解脱しようとしてもね
1010:考える名無しさん
23/12/10 17:53:53.07 0.net
電脳空間みたいな仮想現実ではなく、我々が考えてるようなあり方ではないのかもしれないという意味で世界は存在していないのか?と考えられはしないか
1011:考える名無しさん
23/12/10 18:32:38.17 0.net
そもそも世界のあり方が違ったらどうなるという問題を仏教と結びつける意義がどこにある?
仮に、仏教全否定したいならそれも有り得るが
1012:考える名無しさん
23/12/10 19:02:03.11 0.net
釈迦の理解以上のものを、現在までの仏教は開いていない。
釈迦で十分だ。釈迦に還れ。
1013:考える名無しさん
23/12/10 19:10:01.90 0.net
では、釈迦の理解をどこで得たら良いのか?
大乗仏教ではダメだ。大乗経典はすべて捏造文書だ。
しかたない。テーラワーダで行くしかない。
これが釈迦の理解であるかの確証はないが、これで進むしかない。
1014:考える名無しさん
23/12/10 21:47:03.59 0.net
悟りを開けない人は、気付かないのではなく気付いているのに無視しているのだ。
私は一生、地球という家で人類という家族に対し内弁慶だ。
命は有限だが、歴史は永遠に残る。
この親にしてこの子あり。
この上司にしてこの部下あり。
この会社にしてこの社員あり。
この国家にしてこの国民あり。
この夫にしてこの妻あり。
この私にしてこの人類あり。
1015:考える名無しさん
23/12/10 21:58:51.72 0.net
見られるより見る方が得
知られるより知る方が得
人に頭の中や心の中を見られるより人の頭の中や心の中を見る方が得
人に頭の中や心の中を知られるより人の頭の中や心の中を知る方が得
1016:考える名無しさん
23/12/10 22:00:34.82 0.net
見られるより見る方が得
知られるより知る方が得
理解されるより理解する方が得
人に頭の中や心の中を見られるより人の頭の中や心の中を見る方が得
人に頭の中や心の中を知られるより人の頭の中や心の中を知る方が得
人に頭の中や心の中を理解されるより人の頭の中や心の中を理解する方が得
1017:考える名無しさん
23/12/10 22:21:37.30 0.net
自他を許せない心の貧しい人は損している
自他を許せる心の豊かな人は得している
1018:考える名無しさん
23/12/10 23:35:26.08 0.net
私、キレイ? / 女性
1019:考える名無しさん
23/12/11 01:48:24.42 0.net
梅
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