無執着の効用についてat PHILO
無執着の効用について - 暇つぶし2ch1:考える名無しさん
21/10/27 03:50:39.76 0.net
現実の人生や運命は儘ならぬし、それらを変えることは容易ではないので、
何かを求めたり、願ったり、望んだりする、その心自体を根元的に変容して、
それらを無執着の状態へと移行させられるのであれば、そちらの方が
叶わぬ願いに心を大きく翻弄されたり、消耗させられたり、絶望したりするよりも
効用が高いのではないだろうか。世界や他者、自己に対して無執着である方が、
コスパが良いというか、確実性がずっと高いというか、安定性がある、というか。
現代の資本主義社会はお金をグルグル回すために、電通などのメディア洗脳装置を
使って、私達に消費を過剰に促し、快適な生活、便利さに囲まれた暮らしこそが
大事だという誤った価値観を私達に毎日刷り込もうとする。そのことで私達は、
消費やモノに依存し、快適さに過度に依存する脆弱な人間へと退化しつつある。
と同時に、それは地球環境も破壊し尽くしている
無執着状態でいられれば、現実や未来に対して、ああして欲しい、これが足りない、
不平、不満、愚痴、呪詛や憎悪、要求の類が必然的に解消されていくので、
かえって外界の動向に煩わされないストレスフリーな状態が得られるかもしれない。
>>2以降参照されたい

2:考える名無しさん
21/10/27 03:51:37.81 0.net
現代人は苦や不快への耐性が皆低い。それは現代社会がテクノロジー化された
コンビニエントな社会であるからだ。ネットでポチれば、すぐに誰かが商品を家まで
届けてくれる。ネット上で返信はすぐに読める。日常的な欲望やニーズがすぐに
満たされることが当然視されている社会なので、自分の意にそぐわない現実や社会に
遭遇すると、キレたり、メンタルを病んだり、絶望したりしやすい。鬱や自殺もそうだ。
だから、無執着といういわば不死身の精神を己の内に養成できれば、どんな不快な
現実が人生に襲いかかってきても、それらに対してロバスト性を獲得する、といった利点が
生じるのではないだろうか。なぜなら、無執着には自分の選り好みがないので、
これがいい、あれが悪い、といった恣意的な評価軸自体が消えてしまうからだ。
ちょうどクレーマがクレームばかり付けている神経症患者を指すように、無執着な者には、
クレームをつけるような物事がこの世界には一切、無くなるような状態だ。

3:考える名無しさん
21/10/27 03:52:13.27 0.net
普段から快適さに馴染んだ贅沢さに囲まれていると、些細な苦や不快、ストレスに対しても
それに連動して耐性が低くなるのではあるまいか。いわば過敏症のように、苦やストレスに
過剰に反応してしまう。まさにこれは精神の自己免疫疾患のようなものだ。
逆に、普段から不快な環境や状態にある程度馴染むように訓練しておけば、苦や不快に対する
免疫や耐性ができるので、あえて、戦略的に自己の環境に不快なり、苦を一部導入して、
そういう好ましい免疫や耐性ができるように自己涵養していく、といった戦略があっても良さそうだ。

4:考える名無しさん
21/10/27 03:52:52.72 0.net
そんなに修行じみたことでなくても、たとえば、エスカレーターやエレベータをなるべく使わないで
階段をあえて使うとか、電車やバスで座らないとか、冷暖房の使用を控えてみるとか、
嗜好品の使用を控えてみるとか、酒やカフェイン、美食、贅沢を少しやめるとか、控えるとか、
こういう些細なことでいいので、あえて、不快さに耐性を作るように努めてみるのである。
つまり、私達はすっかり資本主義的な快適中毒患者になっているがゆえに脆弱になっているので、
そこを意識的に少しずつ変えてみるようにアプローチしてみるのである。


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