犠牲ありきの思想は肯定すべきかどうか?at PHILO犠牲ありきの思想は肯定すべきかどうか? - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト19:考える名無しさん [ここ壊れてます] .net そのためにレジでバーコードをピッと読み取るスレなのか??? 20:芸宝果研 [ここ壊れてます] .net >>16 個人的な見解になるけど 世界には相補性というものが機能していて ある存在に対しては、必ずそれに対立する存在が機能している訳です。 けど、量子力学の世界だと対称性の破れというものもある訳で ある種、マクロの環境でも対称性の破れ、つまりは、相補性のある観念においても どちらかに優劣が付いている、それが種の進化を支えているロジックになっていると 見立てています。 例えば、光と闇という対立概念がありますけど 中国の太極図においては、光と闇は全くの同格ですけど 西洋文明においては、紙一重で光が勝るとされています。 この、対称性の破れ、光の側が紙一重で勝っていくというロジックが 犠牲を減少させていく社会の現実をつくりだしているというのが 僕の思うところです。 21:芸宝果研 [ここ壊れてます] .net また、量子力学の世界では有名な観測問題があります。 光は、粒子の性質と波の性質を併せ持ち、観測機が介在してない状態では 波の性質で等しく分布しますが、観測機で光を観測すると 粒子的に分布されます。 量子力学の世界では、観測行為によって、光は性質を変える訳です。 波、という動的性質が、観測者によって 粒子という物質として固定化される。 これはつまりは、観測者の意思によって 光の内実が決定されることを示唆しているとも捉えられる訳で 光、というのは、世界の観測者である人間の意思で具現化していく、と。 このことからわかるのは、人の意識の持ちようが 世界の構築に関して決定権を有するという仮説に繋がり得ます。 そもそも、海の中から発生した生命体が空を飛ぶような個体に進化していったのも なにか外的要因に求めるよりは、生命体自体が持つ意思により 世界との関係性を改善していった結果として起こったと捉える方が ムリがない訳で、人間も生命体の一種である以上は 進化する意思の持ちようが決定的に大事になってくる、と。 その意味で犠牲を認める保守性というものは 犠牲になっている側の逆転進化の目を残すので 犠牲はなくす方向性の意思を持った方が人間の種としての 持続性も担保できるということも言えます。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch