記号論についてat PHILO
記号論について - 暇つぶし2ch20:考える名無しさん
21/06/22 22:31:58.29 0.net
例えば、いくら日本語の「文法」を整理してみたところで、「~『を』~する」
の「を」と、「当て損なふ/はず(外)す/のが(逃)す」ことを意味する英語の
動詞の"miss"と、フランス語でやはり「はず(外)す/のが(逃)す」ことや
「不足している」ことを意味するるように用いられる《manquer》という
動詞、ならびに「欠如」や「欠陥」を意味するとともに「背くこと」も
意味するように用いられる、その名詞形の《manquement》との共通性など
まるで見えてこないだろう。しかし、表現の論理として考えてみれば、
その共通性は、言語の境界を超えて容易に説明することが可能となる。

21:考える名無しさん
21/06/22 22:58:36.35 0.net
駅で電車に乗ろうとして、ぎりぎりで発車時刻に間に合わず、それを逃した
場合、「『を(惜)』しかった」と感じる。「その電車を逃した」ことを
そのまま英語で表現すれば、"I missed the train"であり、同じくフランス語で
表現すれば、《j'ai manqué le train》となるが、そこには既にそれが
「『を(惜)』しい」ことであったというニュアンスが滲んでいるだろう。
というのも、離れ離れで相手の不在を「『を(惜)』しむ」ことは、
英語では、"I miss you"と表現され、フランス語では《tu me manques》
と表現されるからだ。ここで、英語では、「私」が主語になっているのに
対して、フランス語では「あなた」が主語になっているのだから、
「文法的」には互いに違う表現となっているという「理屈を捏ねる」
ことはできるが、これらは表現の論理としてはほぼ同じである。
というのも、"I miss you"とは、"I'm disappointed by your absence"
ということであり、「あなた」の「不在」によって「私」の「当てが外れている」
のは、フランス語の《tu me manques》の場合と変わらないのだから。

22:考える名無しさん
21/06/23 00:16:27.07 0.net
日本語において、「を」が、現状が「意」に反することを指し示す「意」を
表明する声として用いられていることは既に繰り返し指摘してきた。
ちょうどそれに対応するように、フランス語の《manquement à ~》は、
「~に背いていること」、すなわち、「『意』に反していること」を
表現する。
ここで、「○○を~する」という表現を考えてみよう。単に「水を」と
言えば、それが意味しているのは、「(私には)水が『欠如している』」という
ことであり、この「を」はやはり、フランス語の《~ me manque》
と表現される場合の《manquer》に対応する意味を担っている。
したがって、「○○を~する」の場合も同様に考えることができ、
「○○について~されていない現状が意に反している」ことを指し示して
いると解釈することができる。実際、「○○を~すること」と言い渡せば、
それだけで「命/み(御)こと(言/事)」として理解される。

23:考える名無しさん
21/06/23 00:38:33.86 0.net
《Ne manquez pas de vous laver les mains》
「必ず手を洗うこと」
「手がきれいであること」は、要求される条件ではあっても、
「命/み(御)こと(言/事)」ではないが、
「手をきれいにしていること」は、「命/み(御)こと(言/事)」である。

24:Don't miss it!/乞ふご期待
21/06/23 07:52:43.09 0.net
生じる欠如が満たされないことは、かな(悲)しみであり、満たされない欠如が
大きくなることはいた(痛/傷)みであり、欠如が満たされる見込みがないことは、
くる(苦)しみであるが、にもかかわらず、欠如が生じないことは、満足ではない。
満足とは、生じる欠如が十分に、または十分すぎるほど満たされることである。
欠如が生じないことは、「とどここほ(滞)り」であり、その状態が続くなら、
期待/意欲/望みは失われ、絶望だけが残る。

25:考える名無しさん
21/06/24 10:35:16.44 0.net
日本語において、「を」が、現状が「意」に反することを指し示すように
用いられているとするなら、
フランス語における《que》は、現状が「意」を外れていること、「意外」
であることを指し示すように用いられていると言うことができるのではないか。

26:考える名無しさん
21/06/24 11:53:06.70 0.net
《Que de bêtises!》などの感嘆を表現する用法において《que》は、
「意外性」を表現するように用いられているのだから、そんなことは当たり前
ではないかという反応が返ってきそうだが、私が問題にしているのは、
接続法を導く場合、従属節を導く場合など、より広い《que》の用法を考える
ときにも、それが現状として「意を外れている」ことを指し示すように用いられて
いると解釈することが妥当であるかどうかである。

27:考える名無しさん
21/06/25 14:10:02.25 0.net
>フランス語における《que》は、現状が「意」を外れていること、「意外」
>であることを指し示すように用いられていると言うことができるのではないか。
日本語の「~は」は、"what about?"を意図していると解釈されるので、
フランス語における《que》に似ていると考えることができるだろう。
《que》が中国語の「何(Middle Chinese: /ɦɑ/)」と似ていることは
言うまでもないことだが、日本語の「~は」と中国語の「何(Middle Chinese: /ɦɑ/)」
は直接に関係しているのだろうか。
ところで、岩波古語辞典では、古語において詠嘆を表現するように文末で用いられる
「は」が、「現代語で女性が『…だわ』と使う終助詞のもとである」(p.1460)と
指摘しているが、この「…だわ」は、明らかに「意外性」を表現しているだろう。

28:考える名無しさん
21/06/26 08:40:27.95 0.net
例えば、子供が出かけるときに「お弁当は?」と尋ねる場合、「お弁当」を、
「『意中にない』可能性があるものとして指し示している」ことになるだろう。
また、複数で飲食店に入店して、「ご注文は何になさいますか?」と
尋ねられて、「私は~」を省略して、「○○を」とだけ注文した場合、
「自分が『意中にある』ことを暗黙の前提にしている」ことになり、横柄な
印象を与えることになるはずである。「○○を」で済まされるのは、
「じゃあまずは、ビールを3本」のように全員のために注文する場合や、
自分だけまだ注文をしていなくて、「お客様は?」と尋ねられ、
自分が『意中にある』ことが既に前提とされる場合だけだろう。

29:考える名無しさん
21/06/26 13:17:48.18 0.net
例えば、「お客様は?」と尋ねることが、「お客様」を明確に主題として
示すのだから、「は」は、意外性などではなく、はっきりと意識された
主題を示しているではないか、という問ひが返ってきそうだが、私は、
「は」が、「主題を明示する」とする一般的な説明は、メタ言語的な
記述として不十分であると思う。店員が「お客様は?」と尋ねる場合も、
親が子供に「お弁当は?」と尋ねる場合に、「お弁当」が子供の意中に
ない可能性があるものとして指し示すことになるのと同様に、注文
を尋ねられている客が、自分に言葉が向けられていることが意中に
ない可能性があるものとして、その客を指し示す。つまり、「は」が、
意識された主題を明示するとすれば、それは、"what about ~ ?"
として、"~ is what this is about"としてということになり、この
ような関係に見て取れるのは、言葉を使ふことそのものの交叉性、
古語において「な」が「我/汝」を反転可能に示したことに代表される
ような絡み合ひだろう。

30:考える名無しさん
21/06/26 13:28:48.67 0.net
「を」は、現状が意に反することを指し示すことによって意を表すと
説明したが、それは、どのように現状が意に反するのかを指し示す
ことが、すなわち、どのようであることが意にそ(添/沿)ふのか
を表現することになるからである。このことは、例えば、
「必ず手を洗うこと」という命/み(御)こと(言/事)をフランス語で
表現すると、《Ne manquez pas de vous laver les mains》となり、
「意に反すること」の否定となることにも反映されているだろう。
したがって、「は」も同様に、意に外れていることを指し示すことに
よって、意中とされることを表現している、と説明することができる
のではないか。

31:考える名無しさん
21/06/26 15:37:53.86 0.net
感嘆とされるのは、自らの表現に対する対処を求めていないことにおいて、
指し示しがどのような性質のものであるのかが伝えられる場合だろう。
例えば、古語の「あたら~『を』」という場合の「を」は、そのまま
「を(惜)し」という思ひを伝え、現代語で「重たい『わ』」という場合
の「わ(『は』に由来するとされる)」は、その重さが「意外」であった
ことを伝えているだろう。

32:考える名無しさん
21/06/26 16:21:37.89 0.net
日本語では、「これは!」だけで"What is this?"を表現しているだろう。
それを省略表現と考えるのは正しくない。

33:を(惜)しまれる知性
21/06/26 19:52:15.25 0.net
When you ignore the other side of the coin, you're a bit wanting in common sense.

34:考える名無しさん
21/06/30 22:53:39.10 0.net
記号論は概念図式であって理論ではない
これがわかってない人が多い

35:考える名無しさん
21/07/01 06:31:12.48 0.net
>>34
どういうこと?

36:考える名無しさん
21/07/01 08:02:45.11 0.net
分類論と行為論を結び付ける現象学だと思っていたがw

37:考える名無しさん
21/07/23 06:44:27.00 0.net
この世のすべては、記号でできている
だから、記号論こそが究極の哲学だ

38:考える名無しさん
21/07/23 07:01:06.80 0.net
「記号とは、人間が作ったものである」
「自然界も含めて、この世は記号でできている」
この2つの考え方が、百年前にはすでにあった

39:考える名無しさん
21/08/20 17:17:23.17 0.net
ソシュールは前者、パースは後者の代表者

40:考える名無しさん
21/08/21 06:33:27.10 0.net
後者はシャノンでしょ


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