千葉雅也57at PHILO千葉雅也57 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト910:考える名無しさん 20/11/25 07:50:08.82 0.net 小説論の第2回。今回は、小説もそうだし小説だけに限らず、文章がある種の「生命」を持ってそれ自体で動き始める、ということについて考えたいと思うんです。 文章を書くときには、もちろん色々計画し、アウトラインを作って、こういうふうに要素をしかるべく並べれば全体ができあがるな、と枠組みを作るわけですが、ところがまあ、それでたとえばScrivenerにパーツを並べて順番に「箱書き」していこうとすると、ある段階で意気阻喪しちゃったりする。最初は書けるんだけど。 あらかじめ用意した要素を足し算することで全体ができあがるというのではないらしくて、計画から外れるものが出てくるとか、というか別に外れるものが出てくるのを狙うというわけでもないんだけど、何か自動的に作品が逸脱的に動き出す局面が必要で、それはよく言われる「キャラが動く」っていうことでもあると思うんですが、ある一線を超えるわけです。ある時にそれがどうしても必要。それは単純な足し算ではどうも成立しない。そのことについて今回考えてみたいと思うんです。 作品というのは生命体である。 死んだモノとしての物質を寄せ集めることで人工生命を作り出すという合成生物学はまだ本当の生命を作り出すことには成功していないはずですが、それと似たようなことが芸術創造の現場では起こる。作品を作るとは人工生命を作ることである。 推敲というのは何のためにやるのか。最初はともかくも書いていくわけですよ、ある程度、だいたいこの文書はこんな文体かな、これぐらいの解像度かな、これぐらい出来事があって比喩表現があって……みたいにだいたいの感じで書いていって、それでイントロが書けて、その後もう少し書ける、みたいなところで止まっちゃったりする。どうもまだまだ「マッシブな感じ」が足りないというか……というのはたぶん生命性がまだ足りなくて、たんに計画的に書いているだけで「練り上がっていない」というか。この「練り」という感覚が大事で、それは何度も手を入れてだんだん「練れて」くるんですが、その作業とはいったい何なのか。要素をパラパラのチャーハン状態じゃなく、より密に結びつけていくわけです。だがそれは、計画的にできることではない。方向の見えないまま推敲を重ねて、練れ「てくる」という感じ。自分がどうこうするというより。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch