20/05/24 17:58:13 0.net
大乗非仏説は、基本的に大乗仏教の論理を菩薩のところまでしか認識しておらず、覚る=大車輪であることに行き着いていないから大乗仏教が慈悲のレベルである菩薩止まりという見解になる。
上座部仏教の悟りへの到達による、自分との関わりのあるものの変化、所謂縁起までを考慮に入れておらぬ者の言い分に過ぎない。
自分の精神を高めれば、それで終わりではないのだ。精神を高めた先に関わりによる万物の相乗活性が待っている。
大乗仏教の悟りへの方法論と上座部仏教の悟りへの方法論とは、悟りの後同じである。自分の開眼は、関係あるものたち開花でもある。
そこまでが悟りの一部始終であろう。