20/05/24 08:41:58 0.net
南方に伝来した上座部仏教と中国人が持ち帰った大乗仏教は悟るという一点において一致するが、俺の意見としては帰結は同じやと思う。
それはどういうことかというと、
悟りを得るということは縁起を覚ること。
大悟は自分が修行によって悟りの境地に達することであるが、悟りを開いた時に自分の周りとの大輪が回り出す。
大乗仏教の縁起を覚ることと上座部仏教の悟りの境地に達するということは、自分と関わる全ての生きとし生けるものが覚悟ある自分のために変化して浄土(理想郷)に全員を導くことに他ならない。
物事の微細な関係性が悟りを開いた一者と共に動き出す。それを考えれば大乗仏教の論理と上座部仏教の悟りを得るためのメソッドは同じところに行き着く筈だ。