20/05/16 19:27:21.87 0.net
では、ヒュームが何を言いたいのかというと、こういうことになる。
近代哲学の祖、デカルトは言った。「この世は存在しないかもしれない。
目の前にある机やイスが存在するということは、確実とは言えない。
この世界は、自分が見ている夢かもしれないし、悪霊が自分に見せている幻想かもしれない。
だが、これだけは言える。自分自身が存在することだけは、絶対に疑う余地がないと」
・・・というような理屈。「我思う。ゆえに我在り」。これが近代哲学のスタートだった。
ジョージ・バークリは、「物質は存在しない。本当に存在するのは、物質を認識し、表象する自分自身なのである」という説を唱えた。
これに対して、デイヴィッド・ヒュームは、「自分自身が存在することだけは疑う余地がなく絶対確実だなんて、
そんなことないですわ。自分が存在することだって、十分に疑わしいですぜ」というような異論を唱えている。
仏教のような「無我思想」とか「自我の空性」とか、そういうことが言いたいわけではない。