20/05/26 22:17:20.06 0.net
>>186
献血が必要とされるなら、献血する運びとなるでしょう。
自然にそうなっていく。
親鸞とて、病気になれば薬も飲んだだろうし、日常生活の必要上のことは
やっていたでしょう。
だけど、もし薬がなければ、それはそれで囚われることはない。
完全なお任せだから、どっちに転んでもOK。
大切な人に献血する運びとなれば、それはそれでOK。
でも、もし、献血できなかったとしても、それも阿弥陀様のお計らい。
ありがたや、ありがたや、ということになる。
妙好人とはそういう人たちのことだよね。
全ての価値判断を超えてる。