20/05/26 21:44:33 0.net
道元禅師の「只管打座」、 只行う・・・ というのも、
「他力」とまったく同じ。
自分の価値判断でどうこうしようとしない。
座禅中に雑念が出ても、そこに価値判断を加えてどうこうしようとしない。
「ただ行う」、ということ。
「ただ」とは、「価値判断しない」ということ。
「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、
仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、
ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、
生死をはなれ、仏となる。」
「生死をはなれ、仏となる」 というのは、
「両極の価値判断をはなれ、中道となる」 ということと同じ。