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原書の存在地
ところでこのごろ原書はインドにはほとんどないらしい。
もっともセイロンには小乗の仏典はあるけれどもそれはもちろん我々にとって余り必要のものでない。
最も必要なのは大乗教の仏典であります。
しかるにその大乗教の仏典なるものは仏法の本家なるインドには跡を絶って、
今はネパールあるいはチベットに存在して居るという。
その原書を得る為にはぜひネパールあるいはチベットに行かなくてはならぬ。
なお欧米の東洋学者の説によるとチベット語に訳された経文は
文法の上からいうても意味の上からいうてもシナ訳よりも余程確かであるという。
その説はほとんど西洋人の間には確定説のようになって居ります。
はたしてチベット語の経文が完全に訳せられてあるものならば、
今日の梵語の経文は世界にその跡を絶ったにしても
そのまたチベット語に訳された経文によって研究することが出来る。
なおチベットの経文と漢訳の経文とを比較して研究するのも余程学術上面白い事でもあり
また充分研究すべき価値のある事であるから、
これを研究するにはぜひチベットに行ってチベット語をやらなければならぬ
という考えが起りました。