東浩紀459at PHILO
東浩紀459 - 暇つぶし2ch11:考える名無しさん
18/12/21 13:08:05.66 0.net
2018年07月26日(木)
東さんの死(後)生観についての質問
まず第一に仏教についての考えですが、ぼく自身最近、
自分のなかに流れる「東洋的なもの」あるいは「日本的なもの」を自覚することが多いのは事実です。
そして、そこに仏教の伝統が(とりわけ浄土真宗が——ちなみにぼくの生家は浄土真宗ということになっています)
入り込んでいるのもまた事実でしょう。
考えてみれば、そもそもぼくの「動物」という概念への偏愛そのものが、
おっしゃるとおり仏教的自然観からやってきているのかもしれません。
しかしそれを言葉にする準備はできていません。
東洋哲学というのは、西洋哲学をやった人間からすると、あまりに直観的に理解可能で、
そして人生哲学に直結しているように見えるので、かえって語りにくいのです。いつか言語化できたらと思います。
つぎに死生観、死後についての考え方ということですが、「死」をどう捉えるかというのは、
それこそ20世紀の西洋哲学の中心も中心であり、以前から考えてきました。そしてそのことに関して言えば、
ぼくは、死の唯一性を絶対視し、そこからの逆算として生の意味づけを考えるハイデガーの哲学に、
むかしより違和を感じてきました。だからこそデリダにも惹かれたわけですが、
ぼくがこの数年考え続けていることを端的に言えば、ぼくは、実存は、
いまぼくたちが生きている「この現実」の「リアルな人生」よりもそもそも大きいのではないかと思うのです。
人間はひとつの人生しか生きることができない。しかし実際には無限の人生を生き「えた」し、
また日々そのような別の人生の可能性を夢想する。その想像力は人間の本質そのものであり、
したがって実存は「この唯一の生」よりも大きいのではないか。『ゲンロン0』ではこの問いは後景に退いていますが、
『ゲーム的リアリズムの誕生』と『クォンタム・ファミリーズ』で幻視していたのは、そのような生死観であり人生観です。
いつかこのような「反実仮想を含みこんだ実存」の問題を、政治哲学と結びつけることができたらと思います。
反実仮想(並行世界)の概念を入れると、再配分の問題もとらえかたが変わってくると思うのです。


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