23/12/01 01:18:18.16 0.net
ひらめきもなにも、"belief"というのが、「身を委ねる/任せる」ことだからね。
米国のTVドラマや映画のシーンでもよくあるじゃない、ステージの上から、大勢が下に待ち受けているところに後ろ向きにジャンプして倒れ込む。
650:考える名無しさん
23/12/01 01:19:52.30 0.net
あれ、皆が一斉に避けたら、フロアに後頭部を叩きつけて、即死しないとしても、意識不明の重体だよ。
651:神の僕 ◆P10fR708T6
23/12/01 04:51:19.50 0.net
モーセの十戒に汝の神を試してはならないというのが
あります。
ですが、パスカルは賭けならいいと言います。
パンセ参照。
寝ます。
652:do not believe in me
23/12/01 10:03:07.81 0.net
"believe"の"be-"は、"behold"、"bespeak"、"bebequeath"、"belie"、"beseech"などにも見られるのと同じ古い英語の表現法を伝えるもので、"be-"そのものは、「臨在性」、つまり、「ゐ(居)る」ことを伝える表現であり、日本語としては、「~するようにしてゐ(居)る」と解釈すると分かりやすいだろう。
"believe"の場合、"be-"につづく"lieve"は、現代の英語としては、"to leave"として使われる動詞と共通であると考えられる。
>Old English læfan "to allow to remain in the same state or condition; to let remain, allow to survive
したがって、"læfan"は、「そのままに放置する/そのままに残す」ことを意味しているのだから、"believe"は、「(そこに)そのままに放置する/そのままに残すすようにしてゐ(居)る」ことを表現していると説明することができ、その意味で、日本語としては「~を頼みにする」や「~に自らを委ねる/任せる」に対応するような表現であると理解することができる。
653:考える名無しさん
23/12/01 10:26:58.30 0.net
To live is to always find a way to behave in accordance with oneself.
654:考える名無しさん
23/12/01 10:29:43.71 0.net
TOUCHSTONE Then learn this of me: to have is to have.
For it is a figure in rhetoric that drink, being poured
out of a cup into a glass, by filling the one doth
empty the other. For all your writers do consent
that ipse is “he.” Now, you are not ipse, for I am he.
WILLIAM Which he, sir?
TOUCHSTONE He, sir, that must marry this woman.
Therefore, you clown, abandon—which is in the
vulgar “leave”—the society—which in the boorish
is “company”—of this female—which in the common
is “woman”; which together is, abandon the
society of this female, or, clown, thou perishest; or,
to thy better understanding, diest; or, to wit, I kill
thee, make thee away, translate thy life into death,
thy liberty into bondage. I will deal in poison with
thee, or in bastinado, or in steel. I will bandy with
thee in faction. I will o’errun thee with policy. I
will kill thee a hundred and fifty ways. Therefore
tremble and depart.
folger.edu/explore/shakespeares-works/as-you-like-it/read/5/1/
655:考える名無しさん
23/12/01 10:55:23.58 0.net
TOUCHSTONE/試金石
試金石とは、金の品質を計るために用いられる主に黒色の石英質の鉱石の別称。一般的には、緻密な粘板岩であり碁石などの材料として用いられる那智黒石を指す。 ウィキペディア
656:as you like it
23/12/01 14:43:03.51 0.net
どのようにしてゐ(居)れば、な(汝/己)のま(真)こと(言/如/事)に沿ふように「うましく」あることになるのか。
657:考える名無しさん
23/12/02 09:13:49.21 0.net
>TOUCHSTONE Then learn this of me: to have is to have.
For it is a figure in rhetoric that drink, being poured
out of a cup into a glass, by filling the one doth
empty the other. For all your writers do consent
that ipse is “he.” Now, you are not ipse, for I am he.
万葉集4206番
之夫多尓乎|指而吾行|此濱尓|月夜安伎氐牟|馬之末時停息
渋谿をさして我が行くこの浜に月夜飽きてむ馬しまし止め
しぶたにを|さしてわがゆく|このはまに|つくよあきてむ|うましましとめ
(出典 www.manyoshu-ichiran.net/waka4206/)
光溢れるように満ちる月を満喫しながら、「『うま』しまし」停める。
上に引用したシェークスピアの台詞のレトリックとこの万葉集の歌によまれた感覚が「うまく」対応することに気づくはずである。
というより、そのような互ひの照応に気づかないなら、いずれのことばも表面的に貧しい理解をしているだけに過ぎないことになるだろう。
658:つつましさ
23/12/02 10:10:49.43 0.net
>countenance (n.)
13世紀中頃、contenaunce「振る舞い、態度、行動」、14世紀初頭、「外見、容貌」という意味で、古フランス語の contenance「態度、態度、行動」から派生し、ラテン語の continentia「節制、禁欲、節度」から来ています。文字通り「自分自身を抑制する方法」という意味で、continentem の現在分詞形から派生しました。continere の同化形から、PIE ルート *ten-「伸ばす」を意味する com「一緒に、一緒に」(con- を参照)+ tenere「保持する」から派生しました。
この意味は中世英語後期に「外見」から「心の状態を裏切るまたは表現する顔の表情」、そして「顔そのもの」に進化しました。そのため、比喩的にも「何かに与えられる様子」となりました。
また、かつては「制御された行動、自己制御、落ち着き」(紀元前1300年頃)を意味していました。チョーサーの時代には、catch (one's) contenaunce することは自己制御を得ることを意味していました。中世英語後期には「外見、見せかけ」を意味することもありました。
最初に記録された年: mid-13c.
(出典 etymonline.com/jp/word/countenance#etymonline_v_19155)
日本語においては、「漢語」と「やまとことば」の両方が用いられて、その二重性が意識され、「やまとことば」の方が日本の「土着のことば」であると信じられていることが多いように、英語にも類似した二重性が見られる。
この場合、日本語の「漢語」に喩えられる表現が、"countenance"であり、「やまとことば」に喩えられるのが"behavior"である。
ところで、「やまとことば」が「日本の土着の言語表現」であると一般に信じ込まれていながら、実のところ、しばしば、その発音に対応する漢字を比較的容易に見出すことができる、つまり、中国語とも共通する表現の流用であるように、英語の二重性においても、しばしば、すぐに対応関係を見出すことができる。
この場合も、語源説明においてまず最初に記載されるとおりに、「漢語」に喩えられる"contenaunce"には、「やまとことば」に喩えられる"behavior"がそのまま対応している。
そのこと自体には、誰でも簡単に気づく。
659:考える名無しさん
23/12/02 10:19:11.51 0.net
誤:"contenaunce"
正:"countenance"
660: しかし、本当のところ、"countenance"と"behavior"は、互いに類似した意味で、一方が「漢語」のように、他方が「やまとことば」のように用いられるという関係に過ぎないわけではない。 ところが、英語を母語とする人々、さらには、英語を専門とする研究者ですら、そのことに気づかない、または気づかないふりをしているのである。
661:考える名無しさん
23/12/02 10:32:00.31 0.net
では、なぜそのことに気づかないのか、またはどのようにしてそのことに気づかないことができるのか、というと、それは、誤った語源の解釈法に依拠することによってである。
"countenance"の語源は、フランス語を介してラテン語の"continentia"に遡られるが、それが英語の"behavior"に対応するのは、実のところ、その"con-"の用法が英語の表現における"be-"の用法とそのまま対応しているからである。
だからこそ、"con・tinere"が"be・have"に表現法としてもそのまま対応することになっている。
英語を研究する専門家にまともに知性が働いているなら、そのことに気づかないはずはないのだが、そのことを指摘する人を私は見たことがない。
662:sich zum Christentum bekennen
23/12/02 10:37:45.35 0.net
「キリスト教哲学総合スレ」 とは無関係のことを長々と書き込んでいると思われるかもしれないが、これは、「キリスト教」について考えるのにも最重要と言えるほどの問題に直接に関係している。
なぜなら、この"con-"は、信仰告白、つまり、"confession"の"con"でもあるからだ。
663:考える名無しさん
23/12/02 11:10:37.62 0.net
私自身は、キリスト教の信仰などとは無関係なのでどういう「つもり」なのかはしらないが、キリスト者であろうとするなら、これほど「つみの重い否認」も他になかなかないのではないかと私は思ふ。
664:考える名無しさん
23/12/02 13:57:42.23 0.net
今日神の啓示が合った
だから今は日課はせずに大人しくしている
665:考える名無しさん
23/12/03 08:11:58.18 0.net
>>630
邪魔だから自分でスレを立ててやれ
666:神の僕
23/12/03 11:16:58.12 0.net
宇宙が始まる前になにがあったのか? ローレンス。クラウス
文藝春秋 210ページ
もちろん、宇宙については未解明の謎もあるが。本書
の読者であるあなたは「間隙の神」にしがみつき、不
思議なことや。よくわからないものが観測されるたびに、
それを説明するために神を持ちだしたりしないことと
思う。神学者たちさえ、その手の神頼みをすれば。彼
らにとって至高の神の存在である神を賤しめるだけで
なく、科学が進展して謎が解明されたり、疑問が解決
したりするたびに、神はそれまで潜んでいた隙間から
追い立てられて、どんどん辺境に追いやられる羽目に
なることを理解しているのである。
212ページ
われわれは、目的もなく生まれては消える宇通ー
しかも、われわれがその中心にいるわけでもない
宇宙ーの中で、勇気をふるい起こし、意味のある
人生を生きようと続けるなかで、その一歩を踏み
出したのである。
目的もなく存在しているとしたら意味のある
人生などないのではないか?
あるとして、その意味とは?
667:考える名無しさん
23/12/03 17:00:13.19 0.net
邪魔者がいなくなってキリスト教世界に平和が戻ったようだね
668:神の僕
23/12/05 15:49:30.61 0.net
食うためにどれだけの残虐なことしてきたのだろうか、それは
結局は糞になるだけではないか。
腹が減っては戦にならず。
別に戦なんてしなくていいじゃん、やりたいやつどうし
でやれよ。食うのは戦のためにあらず。
ただ空腹だからだ。
空腹を癒すためとはいえ、どれだけの生き物が地獄を
味わったのか考えてみる。俺が食べた魚も他の魚を丸
呑みしてたんだよな。口の中に魚がいたから。
だから他人なんて心配しなくてもいいなんていう考え
が浮かぶが、そういう事例を持ち出すまでもなく、誰
も自己満足のためにやってるだけ。
皆逝くところは同じなのだ・・・とパスカルはパンセに
書いた。これは何もパスカルが最初に言った言葉ではない。
旧約聖書の伝道の書にも書いてある。
だからパスカルよりもずっと前の古代人が既に気付いている
ことなのである。だが、だれもこの事実に対して目を向けよ
としない。パスカルは気晴らしが人生なのだと。
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