ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2at PHILOポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト650:考える名無しさん 18/10/26 17:23:21.96 0.net 日本哲学史をパラパラしたが、 かなり政治的だね。 651:考える名無しさん 18/10/28 14:58:26.62 0.net >>641 例えばどんなこと? 652:考える名無しさん 18/10/28 16:00:43.80 0.net だいぶ政治的な感じがした 653:考える名無しさん 18/11/03 14:56:54.37 0.net 歴史とは構築された言説に過ぎないというが ある言説が別の言説に言及するということは先後関係を前提にしているわけだから先後関係そのものは誰も否定できないことになる 歴史を語るとき先後関係を因果関係と捉えた時点で「構築」と言われる そうなると年表の穴埋めが歴史のテストのあるべき姿で論述形式の歴史のテストは邪道ということになるのか 論述形式はある特定の歴史観の優位を形成するが年表の穴埋めはどの歴史観の優位を認めない年表からどのような意味を引き出すかは自由だということになるのか しかし「構築」という批判は因果関係の先後関係に対する劣後を主張することになり 自由な歴史観は無味乾燥な年表に劣後することになって結局は自由な思考が損なわれることになるのではないのか 意味付けされたものは意味付けされていないものに劣後する これは主観的なものは客観的なものに劣後すると同じである ポスト構造主義も従来の主張と変わりはない 批判は常に優劣を伴う デリダは「ウィ」と言ったがその「ウィ」は「今まで」に対する批判から導き出されたものである以上批判がもたらす優劣の構造から逃れることはできていない つまり全ては「ウィ」であるから「今まで」は「私」に劣っている プラトンの時代から言われている相対主義のパラドクスをそして批判が産み出す優劣を解消するためには自己批判的に言説を産み出す必要がある 他を批判しながら自己をも批判するような自己を批判しながら他を批判するような常に自己言及的であるような 全てが等しい立場で批判にさらされなければならない しかしながらこの立場は全てを批判するわけではないものに対する優位を主張することになる どうしたものか 型理論に逃げるしかないのか 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch