18/02/04 11:26:13.53 BnSXjHgEF
デカルトは、
A「我思う、ゆえに我あり」
B「疑っている我」
C「疑わしいという考え」
と、言説は様々あるが、本質的には、
「「「「我思う、ゆえに我あり」を疑ったとしても、それを疑ったと我思う、となって、ゆえに我ありとなる。」さらに、それ(中括弧でくくった概念)をも疑ったとしても、それを疑ったと我思う、となって、ゆえに我ありとなる。」さらに…となって無限に続く、
要は、
A「我思う、ゆえに我あり」について、
「「「「我思う、ゆえに我あり」と我思う、ゆえに我あり」と我思う、ゆえに我あり」と我思う…
B「疑っている我」について、
「「「「疑っている我」を疑っている我」を疑っている我」を疑っている…
C「疑わしいという考え」について、
「「「「疑わしいという考え」を疑わしいという考え」を疑わしいという考え」を疑わしい…
というように、その「我とか、思考とか、考えるということそのもの」はどこまでいっても無限に続くので、それを決して疑うことができない絶対に確実なこととして、真理としているのである。
したがって、疑うことができた時点で、デカルトのそれを論破したことになるのである。