19/01/09 11:44:36.80 0.net
梵我一如を科学で解明
URLリンク(abmilk.sa-kon.net)
951:考える名無しさん
19/01/09 12:23:16.04 0.net
紀元前の仏教を研究してるなw
952:地球人
19/01/13 00:47:48.52 0.net
仏教哲学とは仏の教えをあれこれと考究することか。突然失礼する。
953:学術
19/01/13 08:35:15.66 0.net
実践宗教。利他業 喜捨 托鉢 等。法系なんか興味深いよな。法力だけじゃなく
特殊な能力が備わるように、祈願しよう。
954:考える名無しさん
19/01/13 11:25:01.55 0.net
法力がどうこうっていう密教のやってることはヒンドゥーからきたもんで
元々の仏教に能力開発などない
955:考える名無しさん
19/01/13 12:14:37.28 0.net
三国志を読むと太平道や五斗米道といった道教系の宗教の指導者が使う妖術の方が密教の法力よりもすごい
956:学術
19/01/13 13:24:19.96 0.net
大僧正もスターだよ。仏陀が、ヒンドゥーに勝って手に入れたなら内発的萌芽もあるし、正当
に思う。日本は幻術士が土壌だけど妖術なんてこれから大事な学術のテーマだよ。
957:考える名無しさん
19/01/13 20:44:30.25 0.net
学術はカルトか新興宗教
958:考える名無しさん
19/01/13 20:52:02.27 0.net
誰かかが言ってたみたいな
クンダリニー+チャクラ⇒超能力開発とかいうのもあったな
959:考える名無しさん
19/01/15 01:49:53.29 0.net
>>929
実際の道教系の妖術というのは聞かない、フィクションでは。
これに対して道家の超常能力というのは、その存否が自分にはわからない
960:THE グル
19/01/15 02:08:38.29 0.net
ちんちん
961: しゅっ しゅっ ちん しゅっ しゅっ どうかしましたか?
962:考える名無しさん
19/01/15 02:11:33.54 0.net
これの本人でつか?
↓
39 :THE グル:2006/11/24(金) 00:53:20
いいですか、
チンチンシュッシュッ チンシュッシュッ
これが断言できます。
定説なんです。
どうかしましたか?
40 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 21:37:56
持たざる者に何を言っても無駄。原理的に理解し合えない。
また持たざるものが持っているふりをしようとしてもみっともないだけなのだ。
がしかしそのみっともなさを理解できるのはセンスを持って生まれたものだけなのだ。
堵愚慧螺簸轡にも劣る低学歴が杜玖椀を誤読して恥じないのもそれを示している。
963:考える名無しさん
19/01/15 08:59:05.11 0.net
仏典が読めねえ。
誰か、もっと仏典を翻訳して文庫にしてくれ。電子書籍で。
964:考える名無しさん
19/01/15 13:03:47.27 0.net
ごめん。仏典けっこう見つかった。
kindle限定で、「大日経」「弥勒経」「宿曜経」はあった。
安価で。
助かる。
「華厳経」と「地蔵経」をあと頼む
965:考える名無しさん
19/01/16 09:48:34.30 0.net
「弥勒経」読み終わった。
漢詩としては美しいかもしれないけど、哲学としては何の意味もない。
弥勒が四十八億年未来に現れて世界を救うなんてことは、弥勒経にはまったく書いてなかった。
誰がいいだしたことなんだろうか。
今は、
「大日経」を読んでいる。
「大日経」44%
なんか、たくさんのサンスクリット語の真言の羅列になってるな。
つまらないなあ、この経。
毘盧遮那仏は、真言(マントラ)を唱える呪術的仏教で、あんまりよくないんじゃないかな。
諸仏を崇め奉り、他力によって救われる教えじゃないかと思うわ。
「大日経」は、あまりよい経典ではないよ。
966:考える名無しさん
19/01/19 21:24:40.02 0.net
『世界古典文学全集 第6巻 仏典 1』 中村元編 (1966)
仏伝
・「仏伝に関する章句」 中村元
・「偉大なる死」 中村元 (大パリニッバーナ経)
原始経典
・「経典のことば」 中村元
・「シンガーラへの教え」 中村元
・「本生経」 平川彰 (ジャータカ)
・「長老の詩」 早島鏡正 (テーラ・ガーター)
・「長老尼の詩」 早島鏡正 (テーリー・ガーター)
「アヴァダーナ」 奈良康明
「百五十讃」 奈良康明
「金剛の針」 中村元
「ラトナーヴァリー」 瓜生津隆真
「ナーガーナンダ」 原実
967:考える名無しさん
19/01/19 21:25:07.22 0.net
『世界古典文学全集 第7巻 仏典 2』 中村元編 (1965)
「維摩経」 中村元
「法華経」 紀野一義
「勝鬘経」 高崎直道
「華厳経」 玉城康四郎
「阿弥陀経」 早島鏡正
「大無量寿経」 早島鏡正
「般若波羅蜜多心経」 平川彰
「八千頌よりなる般若波羅蜜経」 平川彰
「中論の頌」 平川彰
「大乗起信論」 柏木弘雄
「理趣経」 金岡秀友
「ダラニ集」 金岡秀友
968:考える名無しさん
19/01/19 21:26:21.30 0.net
>>939-940
初心者にも読みやすい仏典の抄訳はこれ。
原始経典から大乗経典までを収録。
969:考える名無しさん
19/01/19 21:27:49.87 0.net
>>940
柏木の「大乗起信論」は哲学的でいい。
970:考える名無しさん
19/01/19 21:29:58.36 0.net
『大乗とは何か:「大乗起信論」を読む』 柏木弘雄 (1991)
『意識の形而上学:「大乗起信論」の哲学 東洋哲学覚書』 井筒俊彦 (1993)
971:考える名無しさん
19/01/24 02:43:14.14 0.net
>>907
>カルマの法則は、本当に正しいのだろうか?
>カルマの法則が誤謬であった場合、仏教の正当性にどの程度影響を与えるのだろうか?
以下は、「シルバーバーチ」からの抜粋。
「地上に生を享(う)ける時、地上で何を為(な)すべきかを魂自身
972:は自覚しています。何も 知らずに誕生してくるのではありません。 自分にとって必要な向上・進化を促進するには“こういう”環境で“こういう”身体に宿るの が最も効果的である、と判断し、魂自らが選ぶのです。」 カルマの法則は、誤謬であるかもしれない。 その場合、仏教の正当性にどの程度影響を与えるのだろうか?
973:考える名無しさん
19/01/24 03:19:29.23 0.net
すべては縁起するのだから
あるとき考えただけのことであっても未来に影響を与える
それがカルマなのだろう
ローレンツ効果みたいなもの
魂云々はまったくの誤用
そもそも自分などというものは存在しないのだから
974:ゼロ
19/01/24 17:19:24.53 0.net
いわゆる無や空の境地ってすべては±0だよってことだよな
ちなみに0を考えたのもインド人らしいけど釈迦の言う生老病死の苦しみも最後はプラマイゼロになるよと
つまり仏教は人生でプラス的なことをする必要は無いよってことなんだろうけど王族生活や妻子を手放してマイナスから始まって出家した時点で悟ってたんだろうなと
975:考える名無しさん
19/01/24 18:41:22.75 0.net
悟ってしまった人からすれば、生老病死なんて頭の中で作った虚構概念でしかないんじゃない?
真なる姿は最初から生きてなんかいないってことだから
976:考える名無しさん
19/01/24 22:28:27.90 0.net
いや君も俺も今現在こうして地球上で生きて呼吸もしてるしウンコだってする訳で肉体を持ってるし考える精神とやらもある
でも宇宙空間やその長い長い永遠とも言える時間を考えたらその存在は君の言う通り虚構で生きて無いに等しいとは思うけど
何はともあれ仏教の基本はやはり脱俗隠遁の生活にあるよなと
977:考える名無しさん
19/01/25 00:48:20.06 0.net
>いや君も俺も今現在こうして地球上で生きて呼吸もしてるしウンコだってする訳で肉体を持ってるし考える精神とやらもある
それは物語の世界が実在してると勘違いしている私達衆生の発想なのでは?
悟った人からすれば、便意が発生した自分も次の瞬間には消滅して、立つ行動準備する自分が引き起こされて消滅して、・・・
なんて連鎖する物質の一部なんじゃない?
上の自分も頭の中で便宜上括って表現しているだけで本当に自分が独立して存在しているなんて考えてないだろうし
978:考える名無しさん
19/01/25 01:49:56.22 0.net
人間であることを捨てて動物になるのが良い
979:考える名無しさん
19/01/25 11:05:18.52 0.net
確かにこの空間の物質は一繋がりで物事が発生して消滅してと言うのは解るな
今太陽の日差しが少し気持ち良いんだけど、それでもやっぱり生きててそういう感覚は大切だなと
宗教に足りないのは例え深刻さやストイックであっても「もっと生を楽しもう」と言う教えだよな
980:考える名無しさん
19/01/25 13:55:18.59 0.net
はよ出家しろや
981:考える名無しさん
19/01/25 14:39:29.94 0.net
783吾輩は名無しである2019/01/25(金) 14:35:47.62ID:mM1gDNX7
これ、書いたっけ?
「原典訳ウパニシャッド」
ウパニシャッドと呼ばれるインドの文献は200個はある。
うち五個のウパニシャッドが訳されタ本。
チャーンドグヤ・ウパニシャッド「この世に存在する一切のものと、あらゆる欲望があらわれた。」
ブリハッド・ウパニシャッド「一切の存在の中に居住し、一切の存在とは別のものであり、
一切の存在が知ることなく、一切の存在を肉身とし、一切の存在を内部から制御するもの、
それがあなたのアートマン(真我)であり、不死の、内部の抑制者であります。」
982:考える名無しさん
19/01/25 14:40:10.67 0.net
シャンカラ「ウパデーシャ・サーハスリー」
「それゆえにアートマン(真我)が知られたときには、一切が非存在となるだろう。」
「二元が欠けているので、善でも悪でもなく、昼でも夜でもない。それが不二である。」
二元論にならないという哲学。
紀元前400年の釈尊の「無明」を、西暦8世紀に「潜在印象」と呼んでいて、無意識と解釈した。
983:考える名無しさん
19/01/25 17:52:13.45 0.net
出家する訳ないじゃん
ゲームやネットも出来なくなるし
984:ポッタン師
19/01/25 18:23:04.40 0.net
存在の問題ではない、からである。
985:考える名無しさん
19/01/25 19:07:51.60 0.net
>>951
生きることを楽しむとは言っても楽しみと苦が一時的に少なくなっている時間に限定されまた楽しみが消える時に苦を味わうことになる
酔いから覚めると酔う前以上に虚しくなるのと一緒
それに気づかない人は楽しむことに執着し生きることに執着する
賢者はそのような苦しみに帰する生への執着はなくこの世を厭い来世を厭う
一切の形成されたものは苦であると正しい智慧によって観ることが出来れば逆に苦しみである生そして死から解脱でき涅槃に到達する
その時「生は尽きた。梵行は完成した。なすべきことはなし終えた(所作已弁(しょさいべん))再びこのような生を受けることはない」と知ることになる
986:考える名無しさん
19/01/25 21:47:08.91 0.net
それならば、ひなたぼっこの楽しみに伴う苦しみを説明してほしいな
適度な日光浴は単純に細胞に良いというか心身に良いよ
まあでもアリストテレスの言った「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」と言うことだよな
987:考える名無しさん
19/01/25 23:49:41.15 0.net
仏教の苦は苦痛のことじゃなくて不満足な状態のことだよ。
ひなたぼっこが楽しくてもずっとやってたら、いずれ不満足な状態になってしまう。
988:考える名無しさん
19/01/26 00:16:46.45 0.net
確かに雨や曇りの日は不満を感じるかもだけど
最も仏教的な哲学者はやはりショーペンハウアーだと思うな
新潮文庫で出てる幸福について(人生論)は未読なら読んでみるといいよ
上のアリストテレスの引用もそうだけど随所にかなり頷ける内容だから
989:考える名無しさん
19/01/26 11:49:19.47 0.net
かなり簡単に要約すると人生は健康と精神の平静が何よりも重要で歴代の賢人達が隠遁の生活をしていた様にそれを見習えと
この地上や社会に求めるものには殆ど全く価値も無いし、なるべく哲学とか芸術とかの知的精神活動を勧めてるのもある
990:考える名無しさん
19/01/26 12:04:28.23 0.net
ショーペンハウアーと言えば厭世だけど、この本の何がいいかと言えばシニカルや冷淡さに終始してる訳でも無いところ
現実主義だけどかなり「知性に重きを置こう」と言う内容だから
991:考える名無しさん
19/01/26 13:02:18.83 0.net
訳者のお陰もあるかもしれないけど日本語文章もかなり生真面目だしいいよ
992:考える名無しさん
19/01/26 14:12:31.17 0.net
仏教は始める動機が厭世の人は多いけど、
善も悪もありのまま観察するのが仏教だよ。
何にでも良い悪いってラベル付けしてるのは自分の頭の中のほうで、
それを滅尽するためのトレーニングが隠遁生活だったりするわけで。
993:考える名無しさん
19/01/27 10:53:55.72 0.net
確かにそれはわかるな
例えば本の終盤で性欲についても少し語られてるけど仏教的に観たら悪や苦悩として扱われるものだよな
でも現代では色々無駄な労力を使う事も無くネットやAVなどで簡単に処理できる媒体もあるし医学的に観たら適度な分泌や射精は身体の健康維持に良いし美しい女体として観たら芸術感性にもなる
994:考える名無しさん
19/01/27 10:59:40.40 0.net
だから視点を変えてもっと達観して観たら肯定否定や善悪を超えて行く場合もある
995:考える名無しさん
19/01/27 18:31:32.43 0.net
仏教的にはAV鑑賞は、ありのまま観るのが基本じゃないかな?
つまり性的にみるのでもなく芸術としてでもなく、
目があって鼻があって皮膚があって乳首があって・・・更に言えば
画素ごとに色の濃淡がある二次元の並び・・・とありのまま観ることで
煩悩や執着を滅尽する。
996:考える名無しさん
19/01/27 20:34:53.00 0.net
>>967
それは唯物(ただもの)論
997:考える名無しさん
19/01/28 22:13:36.75 0.net
“心は、欲望に満ちた世界と同じ性格ではなく、
純粋な物質からのみなる世界と同じ性格ではなく、
純粋な精神のみからなる世界と同じ性格でもない。”
― 「大日経」 1.真言の教えに入り、心の特徴を理解する章 『大乗仏典 8 中国密教』 頼富本宏訳 (1988)
998:学術
19/01/28 22:16:08.60 0.net
>仏教的にはAV鑑賞は、ありのまま観るのが基本じゃないかな?
999:考える名無しさん
19/01/28 23:13:46.98 0.net
学術 ←高卒
1000:考える名無しさん
19/01/28 23:38:30.38 0.net
Avは抜くためのツールなんだから自然に抜くのがイイのではないか?
1001:考える名無しさん
19/01/29 00:00:17.15 0.net
エネルギーを放出するヨガ的な行為だよな
1002:考える名無しさん
19/01/29 00:04:45.86 0.net
学術AV鑑賞↓
1003:考える名無しさん
19/01/29 00:06:43.80 0.net
つまり賢者タイムの為のヨガり
1004:ゼロ
19/01/29 00:18:12.53 0.net
誰うま俺うま君賢者
1005:考える名無しさん
19/01/29 03:23:38.16 0.net
とは言え仏教の瞑想とはそういうものなのだよ
1006:考える名無しさん
19/01/29 13:32:13.75 0.net
成程
Avは現代では女体学の最高の映像テキストだよな
1007:考える名無しさん
19/01/29 19:39:44.99 0.net
そうだ、中道を歩め。ゆっくりとな…
1008:考える名無しさん
19/01/30 12:05:05.35 0.net
田辺元の「あるというものにはないといい、ないというものにはあるという」という弁証法が、
誰が言い始めたのか探している。
鈴木大拙の「浄土系思想論」でも見つけたのだが、その文章が見つからない。
一心三観として、円融か円教か知らないがいいだしたこと。
それを学んだ空海が「秘密曼荼羅十住心論」にも一心三観は書いてある。
その後で、インドのシャンカラが「二元を欠く」という、二つの思想を一つとしてとらえる認識論を主張した。
このシャンカラの「二元を欠く」というものは、ヘーゲルのアウフヘーベン(止揚、概念融合)と同じ発想だと思われる。
1009:考える名無しさん
19/01/31 07:55:00.33 0.net
質問です。
「世界苦」って仏教ですか?
鈴木大拙の「浄土系思想論」に出てきたかと思ったんですが、見つからないんです。
1010:考える名無しさん
19/02/01 08:38:38.70 0.net
仏陀の教え
h URLリンク(buddha-osie.com)
さっき見つけた記事だけど、これは皆にも読んでほしい。
1011:考える名無しさん
19/02/02 19:59:40.95 0.net
超逆境クイズバトル!!99人の壁 古舘伊知郎が生涯クイズ初挑戦!2時間SP★1
仏教古舘
1012:考える名無しさん
19/02/03 18:27:49.81 0.net
次スレ
仏教哲学総合スレ5
スレリンク(philo板)
1013:考える名無しさん
19/02/04 01:28:16.11 0.net
天台宗の初祖「慧文は、龍樹による『大智度論』と『中論』に依って「一心三観」の仏理を無師独悟したとされる。」
(天台宗wikiより)
1014:考える名無しさん
19/02/04 01:29:50.60 0.net
一心三観
いっしんさんがん
天台宗の瞑想法の一つ。あらゆる事象が相対を超えた仏教の絶対的真理にかなっていることを体得すること。
現象世界を否定的にあつかう空観 (くうがん) ,肯定的にとらえる仮観 (けがん) ,
この両者がともにそなわってはじめて真理を把握しうるとする中観 (ちゅうがん) の三観を,ひと思いに一時に観念すること。
1015: (出典 ブリタニカ国際大百科事典)
1016:考える名無しさん
19/02/04 01:31:35.13 0.net
「空」を観じることは「空観」とよばれ、私たちを日常的な見方が引き起こす「我」の捉われから解放してくれます。
しかし、この見方に固執すれば事物は実在しないというニヒリズムに陥ります。
そこで、縁によって現れている「仮」の姿をもう一度見るのです。
これを「仮観」といって、事物個々の特質を再認識し、他に対する無関心を防ぐのです。
この2つの見方は視点が異なるだけで同じ対象を捉えているのですが、聖性と凡性を別々にしか照らせないという欠点があります。
事物の正しい観察はこの2つを同時に見る「中道観」によってはじめて達成されるのです。
天台宗ではひと思いのうちに一切を空と観じ、仮と観じ、また空仮が一であると観じる「一心三観」を指南としています。
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
1017:考える名無しさん
19/02/04 01:32:23.33 0.net
今の哲学でいうならガブリエルの多元論が近いかな。
1018:考える名無しさん
19/02/09 21:02:13.55 0.net
>>981
《この世が苦しいから、彼の土へ往きたいというは真宗の大義ではない。日本的霊性の特異性でない。
これは通俗化し世諦化した信仰で、他力の真相ではない。それは貴族文化の残滓である。》鈴木大拙 日本的霊性より
世界苦という言葉はドイツ語のWeltschmerzの直訳で柳田國男なども使っている*。
ドイツは仏教を早くに取り入れたから(訳語を含め)仏教由来の可能性はあるが、
ゲーテの時代の流行語と考えるべきだ。
*
柳田國男
「世界苦と孤島苦」(内容は「青年と学問」文庫全集27or岩波文庫版所収。講演タイトルは後に改題)
電子版なし。柳田國男の眼目は孤島苦の方。
『故郷七十年』(kindleあり)に「世界苦と孤島苦」の章題で回想されている。
参考:
URLリンク(www.geocities.jp)
…和辻哲郎によると、「もののあはれ」は「永遠への思慕」である。
美学者大西克禮は単なる「あはれ」を一つの派生的美的範疇として論じ
ようとする論文の中で、その語を「世界苦」(ドイツ語のWeltschmerz)として
定義したこともある…
URLリンク(deepstsky.net)
ドイツ語における言葉自体は、ゲーテと同時代の作家でゲーテと並ぶ巨匠とも
言われたりしていますが、その割には読んだことがあると言う人をあまり見かけ
ないジャン・パウルの造語のようです。…
以下のブログは世界苦の自覚を仏教の特徴としているが
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
1019:考える名無しさん
19/02/13 00:06:41.55 0.net
>>768-770
三世実有説
説一切有部の基本的立場は三世実有・法体恒有と古来いわれている。
森羅万象(サンスカーラ、梵: saṃskāra)を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体を想定し、
これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続けるが、
我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間である、という。
未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくという。
このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験しているのだと、諸行無常を説明する。
(説一切有部wiki)
1020:考える名無しさん
19/02/13 00:15:37.85 0.net
三世実有説にある「過去・現在・未来」の変化という捉え方は、
仏教とフッサール現象学に共通する特徴。
1021:考える名無しさん
19/02/13 00:36:43.43 0.net
フッサールの「流れつつとどまっている現在(strömendstehende Gegenwart)」(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第四十九節)。
知覚それ自身が、過去志向と未来志向の連続体に挟まれる「生きいきとした」現在としてあるという。
Husserliana 6, Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, SS49
1022:考える名無しさん
19/02/13 00:37:36.60 0.net
フッサールは仏教からヒントを得たのでは?
> 現象学と仏教。。。。。
> 現象学と仏教について教えてください。
> URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
> ハイデッガーは正法眼蔵に衝撃を受けて《存在と時間》を書いたそうですが、
> ハイデッガーの先生のフッサールの現象学は仏教をヒントにしていたりなんかはしているのでしょうか?
1023:考える名無しさん
19/02/13 00:39:04.05 0.net
フッサールは田辺から西田についても聞いていた。
> 1928年
> ドイツに留学してきた田辺元を通して、西田幾多郎が『自覚に於ける直観と反省』で展開した思想の概略を聞くことができた。
> フッサールは数学者のエルンスト・ツェルメロと一緒に田辺の解説に耳を傾け、熱心に議論したのだという。
(エトムント・フッサールwiki)
1024:考える名無しさん
19/02/13 00:44:03.52 0.net
>>868
唯識は、少し前にやった。
長い『成唯識論』ではなく、短くて簡潔な『唯識三十頌』をやってみては。
仏教哲学総合スレ2
スレリンク(philo板:895番)-930
1025:考える名無しさん
19/02/13 15:52:16.12 0.net
鈴木大拙「大乗仏教概論」を読了。
愛を肯定している明治仏教だった。なかなか良い。
いやあ、日本仏教は、百年も前から愛を肯定していたことを今日知ったぜ。
1026:考える名無しさん
19/02/13 23:07:43.98 0.net
唯識が扱っている問題系は、そのままデリダやクリステヴァと比較できる。
1027:考える名無しさん
19/02/13 23:12:35.38 0.net
現象学や心理学を持ち込んだりするのは、近代仏教だけど。
1028:考える名無しさん
19/02/13 23:13:32.33 0.net
無
1029:考える名無しさん
19/02/13 23:13:47.96 0.net
無
1030:考える名無しさん
19/02/13 23:14:09.93 0.net
無
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