17/11/15 08:29:48.65 0.net
確かに、庶民が日本人を意識するのは明治以降かもしれない、
ナショナリズムは明治に始まる
それ以前の庶民は、藩に愛国を持っていた。
お国自慢
しかしそれとともに、江戸時代には世間という概念があった。
世間とはどの範囲か?
近所かも知れないし、あるいはお国かもしれない。
しかし世間はそのような物理的な領域ではない。
世間はもともと仏教用語で世界のことを表す。
そして世間体というように倫理圏である。
すなわち世間は世界であり倫理圏である。
農民は村から出たことがないかもしれない。
しかし彼が世間というとき、それか彼が帰属する、すなわち倫理を共有する世界全体である。
世界中で倫理を共有しているという世界。
この世界を日本人はみな共有していた。
そして明治に、諸外国と対峙したとき、それはナショナリズムとして、より明確に輪郭を持つようになる。
それを、具現化するものが天皇である。