ゼノンの逆理あるいは無限小という哲学的問題at PHILO
ゼノンの逆理あるいは無限小という哲学的問題 - 暇つぶし2ch249:考える名無しさん
17/09/04 18:37:03.05 0.net
数学を将棋やチェス、碁、オセロ等でたとえると、それぞれルールがあって(公理)、
それをもとに展開されるゲームには定石や戦法などがあって(定理)、その
ゲームの体系と矛盾・背反しない限りで、それはゲームとして正しく公的に
是認されて現実化され、人々に共有される。
つまり、ルールとそこから展開されるゲームの内容(論理構造)に矛盾がなければ、
それは一つの整合的なゲームとして存在出来る。学校の数学も基本的には、
そういう感じだろう。
それで、まず数ありきとする数学が問題だ、と述べている人は、数学を
哲学しているという感じで、その行為自体は数学的ではないけど、哲学的では
あるのかな、と。だから、ゲーデルの不完全性定理なども、数学というよりも、
かなり哲学的なアプローチに感じられる。

将棋やチェス、碁やオセロを楽しんでいる人やそれに興じている人たちの面前で、
その駒や盤面の存在論的な意味や価値を問い糺しているような行為に、それは似ている。
哲学的は、むしろ、正当なアプローチかもしれない。


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