中国哲学総合スレat PHILO
中国哲学総合スレ - 暇つぶし2ch50:考える名無しさん
18/06/09 23:29:52.80 0.net
誰の訳か教えてくれたら示すよ

51:考える名無しさん
18/06/10 00:15:21.78 0.net
>>50
自分で探せ

52:考える名無しさん
18/06/10 00:25:41.82 0.net
>>51
面倒だからもういいや
翻訳からして大した詳しくない人のということは解るから

53:考える名無しさん
18/06/11 23:06:43.38 0.net
>>43
この中に紹介されているけど、
『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013)
なんか福永光司だからいいと思う。
福永光司
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ただ、アマゾンレビューによると、ちくま学芸文庫の
『荘子』シリーズは、昔の福永光司の訳に興膳宏が手
を加えていて「ずたずた」にしているそうだ。

54:考える名無しさん
18/06/12 00:39:04.02 0.net
>>53
手元にあるのはちくま学芸文庫版だった。
悪くはないと思う。

55:考える名無しさん
18/06/12 00:39:48.03 0.net
今のところ、決定的なものはないという感じ。
全体として形而上学的で、「玄」という言葉については神秘という説明があるものがいいと思った。

・《老子》第1章に〈玄のまた玄,衆妙の門〉とあるように,存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。
・微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
・玄の字は黒い糸を束ねた形で、かすかで見にくいところから天の色とされ、また北方の色とされた。
・赤または黄を含む黒色。

56:考える名無しさん
18/06/12 01:11:37.44 0.net
天地玄黄(千字文より)
玄は黒を意味し、天地は黒と黄色のストライプカラーであることを意味する

57:考える名無しさん
18/06/12 01:23:56.11 0.net
玄は幽玄の玄。その現われ方は現象学的でもある。

58:考える名無しさん
18/06/12 15:16:02.65 0.net
陟彼高岡 我馬玄黄(詩経卷耳より)
かの高い山を登ったら
私の馬が虎模様になった

59:考える名無しさん
18/06/12 22:12:02.33 0.net
訂正
あの高い丘を超えてきたので
私の馬が虎模様

60:考える名無しさん
18/06/12 23:40:06.42 0.net
なるほど

61:考える名無しさん
18/06/12 23:41:16.82 0.net
「老子」 第二十一章(抜粋)
道之為物、惟恍惟惚。
惚兮恍兮、其中有象。
恍兮惚兮、其中有物。
道の物たる、ただ恍ただ惚。
惚たり恍たり、その中に象有り。
恍たり惚たり、その中に物有り。
「道」というものは、実におぼろげで捉えにくい。
捉えにくくておぼろげであるが、その中には象(かたち)が潜む。
おぼろげであり捉えにくいが、その中には物(実体)がある。

62:考える名無しさん
18/06/12 23:42:38.91 0.net
>>61
第一章にもある、「道」の質感というか空気感というのはこういうものなんだろう

63:考える名無しさん
18/06/12 23:45:07.10 0.net
恍惚

64:考える名無しさん
18/06/12 23:45:44.93 0.net
「老子」 第十六章(抜粋)
致虚極、守静篤。
万物並作、吾以観復。
虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。
万物並び作(おこ)れども、吾は以て復るを観る。
心を出来る限り空虚にし、深い静けさをしっかりと守る。
すると、万物はあまねく生じるが、わたしには、それらが元に返っていくのがみてとれる。

65:考える名無しさん
18/06/12 23:46:06.44 0.net
>>64
これなどは仏教に近い

66:考える名無しさん
18/06/12 23:46:28.50 0.net
「老子」 第四十一章(抜粋)
天下万物生於有、
有生於無。
天下の万物は有より生じ、
有は無より生ず。

67:考える名無しさん
18/06/12 23:47:09.72 0.net
>>66
老子存在論の基本

68:考える名無しさん
18/06/12 23:48:19.95 0.net
ハイデガーが引用した老子 『道徳経』 第11箴言
“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
 だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉
 有るものは、有用性を生ぜしめる。
 有らざるものが、有を許し与えるのだ。”
― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48

69:考える名無しさん
18/06/12 23:49:00.88 0.net
>>68は無が有をあらしめるというもの

70:考える名無しさん
18/06/12 23:49:53.35 0.net
“真昼時―地上の万物がそれぞれの輪郭線を露出しつつ
 キラビヤカに浮かびあがる光の世界―に、
 どこからともなく夕闇の翳りしのび寄ってくる。
 事物は相互の明確な差別を失い、浮動的・流動的となって、
 各自本来の固定性を喪失し、互いに滲透し合って次第に原初の混沌に戻ろうとする。
 有分節的世界が己れの無分節的次元に回帰しようとする両者の中間に拡がる薄暮の空間、
 存在の深層領域が、人々の好奇心をさそう。
 地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、
 何か言いしれぬ魅惑がある。”
― 井筒俊彦 「監修者のことば」 (エラノス叢書 『一なるものと多なるもの〈1〉』(1991))

71:考える名無しさん
18/06/12 23:52:57.95 0.net
深秘としての存在世界とでもいったらいいか。
井筒やハイデガーには、老子の影響が見て取れる。

72:考える名無しさん
18/06/13 00:02:20.72 0.net
>>65
中国仏教がこれに似せたんだよ

73:考える名無しさん
18/06/13 00:16:38.56 0.net
仏典の内容が『老子』と似ているのは、
老子が天竺に赴き釈迦を教化したからであるとか、
釈迦とは西に出た老子その人であるなどといった、「老子化胡説」というのもある。

74:考える名無しさん
18/06/13 00:19:30.28 0.net
哲学にしても仏教にしても、今のフェーズはポスト神秘主義だが

75:考える名無しさん
18/06/13 14:02:10.34 0.net
荘子 天地篇
子貢南遊於楚、反於晋、過漢陰、見一丈人方将為圃畦、鑿隧而入井、抱甕而出灌、滑滑然用力甚多而見功寡。
子貢曰「有械於此、一日浸百畦、用力甚寡而見功多、夫子不欲乎?」
為圃者仰而視之曰「奈何?」
曰「鑿木為機、後重前軽、挈水若抽、數如失湯、其名為棉。
為圃者忿然作色而笑曰「吾聞之吾師、『有機械者必有機事、有機事者必有機心。機心存於胸中、則純白不備、純白不備、則神生不定。
神生不定者、道之所不載也。』吾非不知、羞而不為也。」
子貢瞞然慚、俯而不對。
はぁ?
じゃあ甕すら使うなや
雨が降るまで待ってろよ

76:考える名無しさん
18/06/13 21:26:31.45 0.net
“そもそも大地の吐き出す息を、名付けて風という。
 風は吹かなければ何ということもないが、ひとたび吹き起こるや、ありとあらゆる穴が激しく鳴りたてる。
 おまえもあの遠くふきよせるヒューヒューという音を聞いたことがあるだろう。
 ざわめき揺れる山林で、百抱えもある大木の穴という穴
 ―鼻のようなもの、臼のようなもの、窪地のようなもの、水たまりのようなもの―
 そこから水のいわばしるような音、矢が飛ぶような音、どなりつけるような音、息を吸うような音、
 叫ぶような音、泣きわめくような音、くぐもったような音、悲鳴を上げるような音などが噴出して、
 前の音がフウッとなれば、後の音はゴオッと応ずる。”
 
“…そんな音を出させるのはいったい何者なんだろう。 ”
― 荘子 「斉物論篇第二、天の籟(ふえ)」

77:考える名無しさん
18/06/13 21:32:56.77 0.net
>>44>>76
一なるものからの発出論、あるいは絶対無分節者からの存在分節化の例。
創造神話などと比較がされる。

78:考える名無しさん
18/06/13 21:35:24.61 0.net
>>71
シュレーディンガーやハイゼンベルク、ニールス・ボーアなどの原子物理学者が
ブッダや老荘を読んでいた。そういう時代でもあった。
「われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、
 大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある
 我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」 (ニールス・ボーア Wikiより)

79:考える名無しさん
18/06/13 21:36:08.26 0.net
老荘は、中国ではカウンターカルチャー

80:考える名無しさん
18/06/13 21:43:14.48 0.net
陰陽の太極図をあしらったボーアの勲章
URLリンク(upload.wikimedia.org)

81:考える名無しさん
18/06/13 21:48:43.32 0.net
「紋章」

82:考える名無しさん
18/06/13 22:20:52.45 0.net
勲章の紋章らしい

83:考える名無しさん
18/06/14 22:29:54.37 0.net
“本書を執筆するきっかけとなったのは、五年前のある美しい体験である。
 夏も終わりに近いある午後、海辺に腰をおろし寄せくる波を見つめながら、わたしは自分の呼吸のリズムを感じていた。
 と、その時、とりまくすべてが壮大なコズミック・ダンスを舞っていることに気がついた。
 まわりの砂や岩、海や空気が振動する分子あるいは原子で構成されていること。
 その分子や原子が粒子からなりたち、たがいに他の粒子を生成、消滅させつつ相互作用していること。[略]
 また、地球の大気には「宇宙線」(コズミック・レイ)が絶えず降り注いでいて、
 高エネルギ-粒子である宇宙線が大気に突入する時に、衝突を無数に繰り返している…”
― フリッチョフ・カプラ 『タオ自然学』 (1979)

84:考える名無しさん
18/06/14 22:30:37.83 0.net
>>83
仏教…原始仏教と大乗仏教、禅、華厳
中国…老荘、易経、淮南子
印度…ヒンドゥー、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター
これぐらいの話が読み分けられている。

85:考える名無しさん
18/06/14 22:31:07.27 0.net
鍵概念は「万物の合一性 the unity of all things」

86:考える名無しさん
18/10/09 01:00:05.76 0.net
>>80
韓国が起源ニダ

87:考える名無しさん
18/10/10 13:36:02.55 0.net
>>83
すべて韓思想で説明できる

88:考える名無しさん
18/10/14 11:17:43.26 0.net
中国哲学といえば、朱子学ですな

89:学術
18/10/14 11:55:21.71 0.net
老子 荘子 と 一緒くたにせず 分岐して出会うこともまれな方が。いずれは。

90:考える名無しさん
18/10/14 17:30:56.87 0.net
朱子学の真価は韓思想において結実した

91:考える名無しさん
18/10/18 01:35:33.08 0.net
老子も荘子も韓半島で修行して一流になった

92:考える名無しさん
19/01/07 02:21:02.64 0.net
『老子』 最終章第八十一
聖人は積まず。既(ことごと)く以(も)って人の為にして己(おのれ)愈々(いよいよ)有し、既く
以って人に与えて己愈々多し。天の道は利して而(しか)して害せず、聖人の道は為(な)し
て而して争わず。
「聖人は何もかもすべて人のために為し、何もかもすべて他人に与えながら、かえって自
分はますます豊かになる。」
この老子の箴言は、日本一の個人投資家である竹田和平氏の「和平哲学」の真髄と同じ
だ。

93:考える名無しさん
19/02/05 20:06:50.20 0.net
 儒学・儒教思想の中で、明代に生まれ流行したのが陽明学であったが、それに対し、清代では考証学が流行した。
一般に、清王朝が異民族支配である清朝の政治を批判することを厳しく取り締まったので、清代の儒学者は政治批判となるような議論を避け、
もっぱら古典の字句の解釈、つまり考証のみにならざるを得なかったと言われる。
その考証も一字一句をゆるがせにせず、古典を徹底的に理解しようと言うするどい学問となった。
代表的な学者に顧炎武、黄宗羲がいる。彼らの思想は、厳格な考証によって、儒学を経世実用(世の中のために役に立つこと)の学に高めることであった。

94:考える名無しさん
19/02/06 07:28:42.76 0.net
清の時代には、ほぼ現代の文学部がやってるような実証的な文献研究が主流になった。
儒教の宗教っぽい要素はほとんど無くなった。

95:考える名無しさん
19/02/06 07:29:57.23 0.net
朱子よりも、漢の鄭玄が尊重された

96:考える名無しさん
19/03/31 00:41:57.45 0.net
蒼頡(そうけつ):中国伝説上の漢字の発明者
URLリンク(upload.wikimedia.org)
“これは、中国で漢字を発明したと言われる蒼頡という神話上の人物です。
 絵を見るとわかるように、蒼頡は四つ目の人物として描かれています。
 中国の伝説では、蒼頡は非常に目がよくて、さまざまな動物の足跡などを見分けて
 それをもとに漢字を発明したことになっています。”
― 『新記号論:脳とメディアが出会うとき』 石田英敬、東浩紀 (2019/3/3)

97:考える名無しさん
19/04/05 03:10:17.58 0.net
.
    ■ 荘子の万物斉同説とメビウスの輪
「メビウスの輪とは、長方形の紙を180度ひねって端と端をくっつけたものです。これは、紙
の表をなぞっていくと裏につながったり、裏をなぞっていくと表になったり表と裏が同時に
存在している不思議な特徴があります。」
URLリンク(nazology.net)
URLリンク(3.bp.blogspot.com)
苦は楽につながり、楽は苦につながる。また、生は死につながり、死は生につながる。
荘子の万物斉同説-一切は等しい―とはメビウスの輪のようなものではないか。

98:考える名無しさん
19/05/05 21:59:24.69 0.net
>>97
関係ばい

99:考える名無しさん
19/05/10 08:45:27.22 0.net
 儒教の経典「四書五経」をだいたい読んだのですが、
あまりたいして感銘を受けることが書いてないので、中国思想はこの程度ではないはずだ、と思い、
自分の好きなことばの一覧を書いていきます。
 適当に書くので、ざっくばらんな記事になると思います。御了承ください。
自分がされて嫌なことは、他人にするな。
     孔子「論語」
道(宇宙の法則)を知るものには徳(人の法則)はいらず、徳(人の法則)を知っているものには慈愛はいらず、
慈愛のあるものには正義はいらず、正義であるものには礼はいらない。
道でもなく、徳でもなく、慈愛でもなく、正義でもないなら、礼をわきまえなければ世は治まらない。
     「老子」
君主は発言する機会が少なく、みんなの意見もあまり聞いていられない。そこで、
臣下たちは話のうまいもの(巧言をよくするもの)に自分の利益になるような話をさせ、脅したり、嘘をついたりして君主の権力を利用する。これを流行という。
   「韓非子」
いにしえの賢者いうあり。疑問のことあれば庶民に問う。
     「貞観政要」
士は己を知る者のために死す。
     「貞観政要」
至誠にして動かざるは勇なきなり。
     「近思録」
天知る、地知る、我知る、汝知る。
     「菜根譚」

100:考える名無しさん
19/05/10 08:54:35.55 0.net
何が四書五経読んだよ
全然よんでねーじゃん

101:考える名無しさん
19/05/10 10:30:07.48 0.net
>>100
うむ?
詩経と礼記以外は読んだよ。
詩経は訳がない。

102:考える名無しさん
19/05/10 10:51:14.36 0.net
 儒教の経典「四書五経」を、詩経を除き、だいたい読んだのですが、あまりたいして感銘を受けることが書いてないので、
中国思想はこの程度ではないはずだ、と思い、自分の好きなことばの一覧を書いていきます。
 適当に書くので、ざっくばらんな記事になると思います。御了承ください。
 中国思想は、あまり感銘を受けることは少ないです。ですが、だからといって中国思想を軽んじるつもりはないです。
 中国は、兵法と料理と歴史の国だという認識です。
自分がされて嫌なことは、他人にするな。
     孔子「論語」
道(宇宙の法則)を知るものには徳(人の法則)はいらず、徳(人の法則)を知っているものには慈愛はいらず、
慈愛のあるものには正義はいらず、正義であるものには礼はいらない。
道でもなく、徳でもなく、慈愛でもなく、正義でもないなら、礼をわきまえなければ世は治まらない。
     「老子」
君主は(いそがしいので)発言する機会が少なく、みんなの意見もあまり聞いていられない。
そこで、臣下たちは話のうまいもの(巧言をよくするもの)に自分の利益になるような話をさせ、
脅したり、嘘をついたりして君主の権力を利用する。これを流行という。
   「韓非子」
士は己を知る者のために死す。
     「史記」
天知る、地知る、我知る、汝知る。
(内緒の相談であっても、天も地も、話し手も聞き手も知っていて、そこから情報がもれる。)
     「後漢書」
いにしえの賢者いうあり。疑問のことあれば庶民に問う。
     「貞観政要」
至誠にして動かざるは勇なきなり。
     「近思録」

103:考える名無しさん
19/05/10 11:10:03.94 0.net
>>101
詩経が訳ないってマジでいってんの?
詩経も礼記読んでないのに五経読んだって言えるの?

104:考える名無しさん
19/05/10 11:32:00.07 0.net
>>103
海音寺訳は、中古で買ったけど、あれ、たぶん、現代語訳じゃなくて、海音寺さんの読書メモが書いてあるんだよ。
ちゃんと詩経の現代語訳を出してくれ。

105:考える名無しさん
19/05/10 11:41:16.90 0.net
詩経の訳なんて知ってるだけで4,5あるんだが

106:考える名無しさん
19/05/10 13:48:30.83 0.net
>>105
読みたいから出版者と題名教えて。

107:考える名無しさん
19/05/10 15:23:17.97 0.net
>>106
教えて君かよw
詩経は解釈者の立場によってその詩の意味が全く異なるので注意
一つ読んで分かったということは絶対にない
明治書院 石川忠久  最近「万和」の発案者でちょっと有名になった。宗教歌として解釈する
平凡社 白川静  基本的に民謡として解釈する
集英社 高田 眞治 極めて伝統儒教的な解釈だったと思った
国風のみ
筑摩書房 古典世界文学全集2  これも儒教的な解釈
岩波書店 中国詩人選集 吉川 幸次郎 有名な学者だけど内容は未見

108:考える名無しさん
19/05/10 18:09:52.02 0.net
>>107
ありがと。
まだ、購入にはビビってる。

109:考える名無しさん
19/05/12 08:12:03.45 0.net
『詩経』と『古今和歌集』
“天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きはなし”
― 『詩経』 大序

“天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、
 男女の仲をもやはらげ、たけき武士の心をなぐさむるは歌なり”
― 『古今和歌集』 仮名序

『詩経』 目加田誠 訳、講談社学術文庫 (1991)
『新版 古今和歌集 現代語訳付き』 高田裕彦 訳、角川ソフィア文庫 (2009)

110:考える名無しさん
19/06/25 04:20:51.15 0.net
荘子の万物斉同、玄侑宗久氏曰く、
「天から見ればすべて斉しい(ひとしい)」 (※ 注-1)
「私の主語が『天』になるような生き方をしてみてはどうだろうか。」
若松英輔氏(批評家)は、内村鑑三がその著『代表的日本人』の中でこう言っているように
思うと述べている(※ 注-2)。
注-1:『荘子と遊ぶ』 P.21 筑摩書房
注-2:『100分de名著 内村鑑三 代表的日本人』 P.25 NHK出版


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