20/01/02 16:18:07.13 0.net
The Mathnawi Of Jalaluddin Rumi
by Reynold A. Nicholson
URLリンク(archive.org)
774:考える名無しさん
20/01/02 16:20:04 0.net
英語で読むか
775:考える名無しさん
20/01/02 21:37:05.24 0.net
コーランはアラビア語しか認められてないぞ、ハゲ
776:考える名無しさん
20/01/02 22:33:38 0.net
>>765
>>766
ありがとうございます。
イスラム教にも似たようなものがあるということは、イスラム教のゴールも仏教のゴール(涅槃して転生しないこと)と同じなのでしょうか?
777:考える名無しさん
20/01/02 22:35:16 0.net
キリスト教は、仏教の梵天などの最高位の神を父なる神と同じような気がしてます。
778:考える名無しさん
20/01/04 02:52:01 0.net
>>776
> 神を信じる。預言者を信じる。来世を信じる。イスラムの教えは、基本的にこの三つです。
>
> 神とはアラー。預言者とはムハンマドという神のメッセージを伝えた人。
> そして来世は、イスラム信仰の根幹をなすものです。
> イスラム教には仏教的な信仰と違い、輪廻はありません。
> 一回限りの生を生き、死ぬと最後の審判の日に復活して生き返り、
> 来世である天国か地獄に行くのです。来世は永遠に続きます。
779:考える名無しさん
20/01/04 02:55:07 0.net
>>777
セム系一神教の神は外在的。
インドを中心とした東洋の神(スピノザの汎神論も)は内在的。
780:考える名無しさん
20/01/04 02:57:11 0.net
整理するとこうなる。
[西洋] 一神教世界(非対称性、外在的超越、西洋的二元論)
[東洋] アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越、東洋的一元論 )
対称性/非対称性というのは中沢の対称性人類学。
その他は、以下の井上の論文を読んでもらうといい。
このスレではよく西洋と東洋を行き来するから。
781:考える名無しさん
20/01/04 02:58:04 0.net
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上克人 (2009)
I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」
井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。
ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。
782:考える名無しさん
20/01/04 02:58:22 0.net
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。
783:考える名無しさん
20/01/04 02:58:41 0.net
II ハイデガーにおける「神学の由来」と西田哲学に伏在する如来蔵思想
さて、以上のような形而上学的一元論の発想は、新プラトン主義の流出論ときわめて類
似した考えであって、それはヘレニズム化したキリスト教、すなわち東方正教会の淵源と
なったものである。それにひきかえ、ラテン的西方教会は、むしろユダヤ・ヘブライ的二
元論の伝統に立脚し、神はどこまでも「隠れたる神」であって、契約で結ばれた神と人間
との間には深い断絶がある。他方、東方正教会の基本的特質は神の顕現(現前性)の強調
と「人間の神化(テオーシス)」にあり、神と人間とは一つに結びついていて、
これは「一切衆生、悉有仏性」を標榜する大乗仏教と通底している。
ところでハイデガーは、自らの「神学的由来」である「新約的」キリスト教の立場から、
同じ西方でありながら新プラトン主義化したアウグスティヌスのキリスト教を論難し、延
いては西洋の形而上学全体にわたってそれを「存在忘却」に基づく「存在-神-論」とみ
なし、その超克を企図したが、彼のいう「存在-神-論的体制」は、東方正教会にこそそ
の最たるものがあるのであって、ハイデガー自身、存在を問うという極めてギリシア・ヘ
レニズム的な思考を展開させながら、存在そのものがもつ覆蔵性に基づき形而上学を超克
しようとする彼の思索の淵源には、ザラデルが指摘しているように、彼自身それに気付く
ことのなかったユダヤ・ヘブライ的発想が根深くあったように思われる。それは現前性の
底に顕現せざる超越的他者を想定するという、非ギリシア的発想なのである。
一方、『起信論』が説く本覚思想を「現象即実在論」として哲学的に開陳したアカデミー
哲学の本体的一元論の「形而上学」の系譜を引きながら、それを乗り越えるかたちで、同
じくその如来蔵思想に見る「真如」のいわば覆蔵性がもつ〈超越的他者性〉を「逆対応」
という発想によって論理化しようとした点に西田哲学の優れた特質がある。
西田とハイデガーとは、ともに「顕現せざるもの」への着眼によって形而上学を超克する
ところに共通点があるといえよう。
URLリンク(heideggerforum.main.jp)
784:考える名無しさん
20/01/04 03:01:19 0.net
>>765のズィクルを中心にみると、
正教のヘシュカズム>>355とイスラムと真言密教>>360が比較できる。
785:考える名無しさん
20/01/04 03:56:42 0.net
>>778
イスラムでもドゥルーズ派やアラウィ派には輪廻がある。
786:学術
20/01/04 18:33:11 0.net
客観は世界の方で、主観は先祖の方だ。過去に汚染される危険思考。
787:学術
20/01/04 18:36:26 0.net
両方とも過去で人間を汚す。
788:学術
20/01/04 18:36:57 0.net
主観が未来 客観が過去に属さないといけない。
789:考える名無しさん
20/01/07 23:26:15 0.net
“ホメイニーが当時のソビエト連邦の書記長ゴルバチョフに、イスラーム世界を理解するためには、
イブン・アラビーやイブン・スィーナーの思想を理解することが重要だという旨の書簡を送ったという一事に端的に現れている。
ホメイニーの中では、その革命とイブン・アラビーの思想は通底するものがあったのである。
彼らにおいては、イブン・アラビーの思想と、社会変革実践活動は深く結びついていたと考えなければならない。”
― 『イブン・アラビー学派文献目録』 「序論」 東長靖、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター (2010)
790:考える名無しさん
20/01/08 01:27:26.09 0.net
映画『シャルギー(東洋人)』が観れなかった人には、この本がある程度代わりになる。
著者は、映画の中で井筒の紹介の中心的役割を担っていたイラン人研究者。
“以前、私はテヘラン国際ブックフェアに行き、テヘラン大学出版社の展示室にあった諸々の本を見ていた。
いきなり、ハーメネイー師がブックフェアにいらっしゃり、視察していることに気付いた。
ハーメネイー師がテヘラン大学出版社の展示室に至った時、
井筒が書き、テヘラン大学出版社によって出版された『ザブザワーリーのヒクマ(叡智)の基礎』を彼は見た。
そして、彼は私に、なぜ井筒氏はイランに戻らないのかと尋ねた。(メヘディー・モハッゲグとの対談より)” 8章
“井筒とナスルは日本と東アジア研究所の設立のために、2,000冊から3,000冊の本を日本から購入し、哲学アカデミーの図書館へと納入させた。” 11章
― 『井筒俊彦の比較哲学:神的なものと社会的なものの争い』 バフマン・ザキプール、知泉書館 (2019)
791:考える名無しさん
20/01/08 01:27:59.78 0.net
>>790
ハーメネイー師はホメイニー師の後を継いだ現イランの最高指導者。
このナスルという人物は、マギル大学で一緒だった井筒をイラン王立哲学アカデミーへ誘った。
更に、哲学アカデミーでは井筒に東洋思想をやることを勧め、その結果の一つが『老子道徳経』の英訳。
792:考える名無しさん
20/01/08 01:28:40.68 0.net
S.H.ナスル 『イスラームの哲学者たち』 黒田寿郎、柏木英彦 訳、岩波書店 (1975)
これも良書。
793:考える名無しさん
20/01/08 01:29:42.89 0.net
“井筒の東洋哲学は哲学の中心を欧州からアジアへ移すのに貢献するでしょう” ロバート・ウィスノスキー (カナダ イスラム学者)
“我々イラン人は日本人以上に井筒を高く評価しています” バフマン・ザキプール (イラン 哲学者)
“井筒の東洋哲学は、根底でいろんな宗教のおおもとのところで鳴り響いている和音みたいなものを取り出そうとした。
その響きには、構造、論理、論理を超えた何かがある。
世界中に分かれてお互いに対立し合う宗教も、おおもとまでたどっていくとあらゆる宗教が行き来できる。
イスラム教も仏教もいろんな宗教が自由に行き来できる領域を探ろうとした。” 中沢新一
― BS1スペシャル 「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 20191108
794:考える名無しさん
20/01/08 01:31:01.87 0.net
>>793
『シャルギー(東洋人)』の中では、井筒がムスリムでないことにも言及されていた。
その一歩引いた視点からの考察が、イスラム世界でも高い評価を得ているとのこと。
そのことを踏まえた上で、このザキプールの評はパンチがある。
井筒が何をやったのかという説明としては、この中沢の評が一番的確。
795:考える名無しさん
20/01/08 03:23:26.21 0.net
『シャルギー(東洋人)』はイラン制作の2時間10分の映画だから、半分ぐらい寝るだろうと思っていたが、とんでもない。
100名以上の知識人によって、井筒の生涯と思想のディテール、イラン人から見た大東亜共栄圏の検証、昨今の国際政治の状況までもが、
神学と言語意味論(セマンティクス)と分析哲学を織り交ぜて語られる。
井筒のテクストと同じぐらい高度で緻密な内容を、毎秒字幕で読まされるわけだから、
メモを取る暇もないどころか、まばたきもしないようにして観なければならなかった。
796:考える名無しさん
20/01/08 03:26:34.41 0.net
井筒自身は政治を語らない人だったが、出演していた日本人研究者の一人は、
「井筒が政治について言及していてくれていたら、後の人はもっと楽になった」ということを言っていた。
それはそうだろう。哲学の世界で、前人未到の領域へ到達した人だから。
797:考える名無しさん
20/01/08 05:49:48.26 0.net
>前人未到の領域へ到達した人
理解できる前人未到=超人
理解できない前人未到=キチガイ
だが超人は、キチガイを自分より遥か上の存在と見ている、おまえらが無能なだけ。
798:考える名無しさん
20/01/09 01:37:34 0.net
>>797
日本語でおk
799:考える名無しさん
20/01/09 02:05:53 0.net
イブン・アラビー(1165-1240)はムウタズィラ派やアシュアリー派といった思弁神学を批判し、神の名で呼ばれる以前の絶対無分節的無と、そこからの神の自己顕現(タッジャーリ)を策定した。
「思弁は諸存在物と結びついている」ため、その関係を断ち切り、思弁の垢から心を浄めるべく、タッジャーリを観照する場として「心」の機能を重視した。
参考:
相樂悠太 「理性と「理性の限界の向こう」:『マッカ開扉』にみるイブン・アラビーによる他説との知的対話」 『宗教研究 第93巻 396』 日本宗教学会(2019.12)
800:考える名無しさん
20/01/09 02:07:08 0.net
カントの理性批判とメイヤスーの切断論を合わせたようなことをやっている
801:考える名無しさん
20/01/24 15:34:52 0.net
幸運の恩恵を受けた者が、幸運の恩恵を受けられなかった者をどうバカにすることができよう。
アラー・アクバル!(神は偉大なり)
802:考える名無しさん
20/01/29 02:02:03 0.net
「老子」各種翻訳
・『老子』 小川環樹、高木智見、中公クラシックス (2005) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 蜂屋邦夫、岩波文庫 (2008) 原文、書き下し、訳文
・『老子道徳経(英文著作翻訳コレクション1)』 井筒俊彦、慶應義塾大学出版会 (2017) 原文、書き下し、訳文
・『老子 無知無欲のすすめ』 金谷治、講談社学術文庫 (1997) 原文、書き下し、訳文
・『エッセンシャルタオ 老子』 加島祥造、ちくま文庫 (2005) 原文、訳文
・『老子<全> 自在に生きる81章』 王明、地湧社 (2005) 原文、訳文
803:考える名無しさん
20/01/29 02:02:19 0.net
「荘子」各種翻訳
・『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 内篇 [中国古典選]』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇 [中国古典選] 上中下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇 [中国古典選] 上下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第1冊 内篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第2冊 外篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第3冊 外篇・雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1982) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第4冊 雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1983) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 全訳注 上下』 池田知久、講談社学術文庫 (2014) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 中国の古典 上下』 藤堂明保、池田知久、学研 (1983) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 全釈漢文大系 上下』 赤塚忠、集英社 (1980) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 1・2』 森三樹三郎、中公クラシックス (2001) 書き下し、訳文
・『荘子(中国の古典)』 野村茂夫、講談社 (1987) 抄訳、原文、書き下し、訳文、全体の1/3
・『荘子[中国の思想]』 岸陽子、徳間文庫 (2008) 抄訳、原文、書き下し、訳文
・『荘子 新訳』 岬龍一郎、PHP研究所 (2013) 抄訳、書き下し、訳文
・『荘子 ヒア・ナウ』 加島祥造、パルコエンタテインメント事業局 (2006) 抄訳、訳文
804:考える名無しさん
20/01/29 02:03:34 0.net
老荘的な語法は、絶対無、分節化/無分節化論、存在の解体構築論など、
井筒哲学の骨格ともいうべき大きなウェイトを占めているので、早めにやっておくのがいい。
805:考える名無しさん
20/01/29 02:04:10 0.net
ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。
“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”
― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
806:考える名無しさん
20/01/29 02:04:30 0.net
次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)
“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
807:考える名無しさん
20/01/29 02:05:17 0.net
「無無無」が定立される箇所。
“有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。”
“有有也者。有無也者。有未始有無也者。有未始有夫未始有無也者。(斉物論篇第二 4)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
荘子は有ることと無いことの根源的前提を考えようとした。
解説は以下を参照。
『荘子 内篇(中国古典選 12)』 福永光司、朝日新聞社 (1978)
808:考える名無しさん
20/01/29 02:59:02 0.net
>>173などは特に老荘的な表現。
玄
・《老子》第1章に〈玄のまた玄,衆妙の門〉とあるように,存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。
・微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
・玄の字は黒い糸を束ねた形で、かすかで見にくいところから天の色とされ、また北方の色とされた。
・赤または黄を含む黒色。
809:考える名無しさん
20/02/07 01:51:09 0.net
>>173
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。
810:考える名無しさん
20/02/07 06:02:22 0.net
かす(微/幽)かで分かりにくい違いを見事に捌いて見せるからこそ玄人なのでわ?
811:考える名無しさん
20/02/07 06:39:29 0.net
603 :考える名無しさん:2016/01/24(日) 09:45:22.05 0
>>594
構造主義に関連して日本では、一時、ソスュールの「言語には差異しかない」
という発言を引用することが流行ったが、これはとても誤解を招きやすい表現
であり、記号論を理解する妨げにもなっていると思う。記号論としてより妥当
な表現をするなら、「弁別作用の働かない言葉は、物事を区別するのに役立た
ない」というべきだろう。そして、物事を区別するのに役立たない言葉は、
使われなくなるか、「役に立たないことが有用である」限りで使われるのである。
したがって、言葉は、弁別作用を獲得すること/失うことによって絶えず変化しているのである。その変化しつづける弁別作用を、やはり変化しつづけている自らの言葉を用いながら捉えることが、解釈の営みであり、記号論のプロセスなのである。
812:考える名無しさん
20/02/07 08:36:45.74 0.net
>>808は幽玄の玄
813:考える名無しさん
20/02/07 08:44:05 0.net
能の翁=神
金春禅竹『明宿集』における翁論(翁wikiより)
> 抑翁ノ妙体 根源ヲ尋ネタテマツレバ 天地開闢ノ初メヨリ出現シマシマシテ [中略] 垂跡ヲ知レバ 歴々分明ニマシマス
>
> (そもそも「翁」という神秘的な存在の根源を探究してみると、宇宙創造のはじまりからすでに出現していたものだということがわかる。 [中略] こういう神としての示現(垂迹)を知れば、ますますいろいろなことがわかってくる。)
814:考える名無しさん
20/02/07 08:45:02 0.net
>>806
>次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
畛 ピンインzhěn ((文語文[昔の書き言葉])) (田の)畔道.
これを同じ発音の表現と比べて見るとすぐに分かるが、
「畛 ピンインzhěn」が表しているのは、「目が詰まっていること」
だから、境界として高く盛られた土が固められている様子を表して
いるのだろう。
缜(稹)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) 細かい,緻密である.
鬒(黰)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) (頭髪が)濃くて黒い.
815:考える名無しさん
20/02/07 08:53:24 0.net
さらに、この発音は、「真実」の「真」にも近い
真 ピンインzhēn
すると、「真実」の「真」は、「中実である」こと、すなわち、
「中身が詰まっている」ことを表していたのだろうと推測できる。
816:考える名無しさん
20/02/13 17:13:06 0.net
>>808
老荘に限らず中国思想だろうな
玄は「黒」「闇」などの意味を持つ
五行思想では「水」行が五方では「北」、五色では「黒」または「玄」となる
北方を守護する神を玄武という
817:考える名無しさん
20/02/13 18:05:10 0.net
「北(きた)」は、日本語では、「きたな(穢/汚)し」の「きた」でもある。
この場合、「~なし」が表現しているのは、程度の甚だしさであり、
「きた」は、英語で表現するなら"darkness"を表している。
818:考える名無しさん
20/02/14 00:53:30 0.net
>>814-817
お子様ランチのハンバーグではなく、つけあわせのコーンとパセリの批評かな?
819:考える名無しさん
20/02/14 01:00:50 0.net
「ぼくが知ってる漢字の話」?
820:考える名無しさん
20/02/14 09:08:23 0.net
>>816は、別の人ですね
私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からないけど、
「ぼくが知ってる漢字」から推測してみると、「きた」の
「き」は、中国語の"qi(ピンイン表記)"に対応しているの
ではないかと思う。"qi(ピンイン表記)"は、「チィー」
と発音されて、「き」とは似ていないように思えるけど、
"qi(チィー)"と発音される漢字の多くは、日本語の発音
では、「き」と読まれている。
URLリンク(cjjc.weblio.jp)
821:考える名無しさん
20/02/14 09:15:39 0.net
「きた」の「た」が、「ひな・た(日向)」や「かな・た(彼方)」の
ように方向としての「た(手)」を表していると想定してみると、
「きた(なし)」のように、「きた」は"darkness"を表現するように
用いられているのだから、"qi(チィー)"と発音される中国語の
表現のなかでも、「漆黒」の「漆 ピンインqī」辺りが有力候補
に挙がりそうな気がするけど、どうだろう。
822:考える名無しさん
20/02/14 09:17:49 0.net
ところで、「けた」と読まれる気多(けた)大社の「気多」は、
「きた(北)」とは無関係なのだろうか。
823:考える名無しさん
20/02/14 16:55:33 0.net
URLリンク(cjjc.weblio.jp)漆漆的
?漆漆
状態詞
日本語訳真っ暗
対訳の関係部分同義関係
?漆漆の概念の説明
日本語での説明 真っ暗[マックラ]
まったく暗く,何も見えないこと
824:考える名無しさん
20/02/14 21:49:53 0.net
>>820-822
邪魔だから語源板でやってこい
825:考える名無しさん
20/02/18 16:10:56 0.net
>>820で言っているキの音は「団音」、
>>821で言っている漆の字はシツの音で語頭は「尖音」、tsiツィのような音
中国語で両者の区別がなくなりどちらもqiチになったのは新しく、
ここ数百年の変化だ(尖団の合流と言う)
古代においては別の音として区別されていたので、qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ
826:考える名無しさん
20/02/18 16:29:03 0.net
>古代においては別の音として区別されていたので、
>qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ
『古代の日本語』が音韻変化に基づいて中国語から派生したと想定
するのなら、そのように「明確な誤りを指摘する」ことができるの
でしょう。ところが、現代の日本語を見れば、日本語は、英語の
表現を大々的に流用している。ところで、英語において、"l"と
"r"の発音、「b」と「v」の発音の区別は、はっきりしているが、
日本語において流用される場合、その区別は消失してしまう。
ここで私は、私が単にふと思いついた連想による推測が正しいと
主張しているわけではない。そうではなく、古代において中国語
で区別されていたという事実は、連想によって可能性を探る妨げ
にはまったくならないことを指摘しているまでです。
特に、「時系列」に囚われる考え方は、それ自体が罠に陥る
可能性が高い。というのも、それは、「系統論」的な考え方
を暗黙の規範として前提としているからだ。
827:考える名無しさん
20/02/18 16:41:21 0.net
「歴史的な中国語の変化」の研究が規範として存在し、それに照らして
見ると、「中国語から日本語が派生したとは考えられない」というのは
確かでしょう。中国語と日本語の間にもしそのような派生関係を裏付ける
音韻的な関係が存在するのなら、そのような関係はとっくに実証されて
いたはずだ。しかし、私が主張しているのは、そのようなことではない。
私は、日本語が中国語から派生したと言っているのではなく、日本語が
中国語の表現を「流用」することによって、つまり、中国語の規範を
離れて勝手な体系を作り上げることによって成立したと言っている。
その場合、流用された中国語の表現は、規範に則って中国語に合わせる
ように修正力が働くものではなく、もともとの発音がその時代の
権威ある中国語の規範を外れていたとしても、それを使う人々の間で
通用するように使われることによって規範化したことになる。
828:考える名無しさん
20/02/18 16:47:24 0.net
現代の日本語の表現において英語に由来する「外来語」の表現は極めて多いが、
その発音において英語としての弁別性が無視されているだけでなく、英語の発音
の規範どおりにそれが発音されても、英語を母語とする人々にはまったく意味を
成さない「和製英語」も数多く含まれている。
829:考える名無しさん
20/02/18 16:57:32 0.net
>tsiツィのような音中国語で両者の区別がなくなり
>どちらもqiチになったのは新しく
例えば、時代的変化、地域差を無視したとても大雑把な見方から、
スペイン語とポルトガル語を比べてみても、いずれの言語に
おいても"l"と"r"の区別は消失していないが、対応する言葉で
"l"と"r"が入れ替わっているものがある。時代的な変化を
研究することは、それ自体で重要でしょう。しかし、そのような
入れ替わりが生じたり、その発音が、それを母語としない人々
によって使われたときに区別が消失してしまうことがある
ことは、それ自体が「流用」について「可能性を探る」場合の
重要な手がかりとなる。
830:考える名無しさん
20/02/18 17:07:22 0.net
最初から留保をつけているとおり、
>私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からない
しかし、それが「き(=dark)た(=side)」を表している可能性は
十分にあるだろうと思っている。ただし、「きた」が「暗さ」を
表すように用いられている表現は、「きた・なし」の他には
簡単に例が見当たらない。そこで、この「き」という発音の
用法にはどのような由来が考えられるのか、その可能性をオープンに
探っている。
831:考える名無しさん
20/02/18 18:21:22 0.net
「気(qi/チ)」の発音と「漆(tsi/ツィ)」の発音が一緒に
日本語に取り込まれて「き」の発音において混同されて
用いられるようになったという証拠はどこにもない。
したがって、「きた(北)」の「き」が「漆(tsi/ツィ)」
に由来する可能性があるのではないかというのは、連想
によって根拠のない憶測を述べているに過ぎない。
ところで、日本語では、外来語であっても「チ」と「ツィ」
の発音を区別しない。だから、「ツィゴイネルワイゼン」
と書いても、「チゴイネルワイゼン」と発音されるし、
ギリシャ首相を務めた「アレクシス・ツィプラス」の場合
などは、どうせ日本語では発音が区別されないので、新聞
でも「チプラス」と表記していた。
「気(qi/チ)」と「漆(tsi/ツィ)」が同時に日本語に取り込ま
れたのであれば、「気(qi/チ)」は、「き」と発音される
ようになったのだから、「漆(tsi/ツィ)」も同じく「き」と
発音された可能性は排除できないだろうと思う。ただし、
繰り返すが、私は、実際にそうであったと主張しているわけで
はない。
832:考える名無しさん
20/02/19 01:37:43 0.net
>>826-831
井筒の本は読んだことがあるのか?
井筒がどこでそんな語源や音韻の話をしている?
833:考える名無しさん
20/02/19 13:16:44 0.net
井筒の本は、「意識と本質」とか、全集の一部とかを読んだことがある。
井筒訳のコーランと解説本の「コーランを読む」も読んだことがある。
でも、内容はあまり覚えていないな。
834:考える名無しさん
20/02/19 13:26:41.01 0.net
>>826-831
中国語から現代日本語への「音の流用」などと言う現象は実際には起こっていない
それは言葉の歴史に反する
あなたの脳内でただ連想が起こったと言うだけ
系統の異なる言語の間の話だから、系統論が関係ないのは当たり前だ
835:考える名無しさん
20/02/19 13:42:22 0.net
>>831
違う違う、全然違う
「気」は唐代の中古漢語音でキ、日本漢字音でもキ、
「漆」は中古音でツィッtsit、日本漢字音でシツ、
古代日本語のサ行は破擦音だったので、これは唐代の音をかなり忠実に写している
「漆」の音は中国北方では宋~元頃に後部の詰まる音(入声韻尾)を失いツィtsiとなる
中国北方で「気」キと「漆」ツィが共にチという音になり、区別がなくなったのは、
17世紀頃だろうと言われている。これが尖団の合流。
「気」をキと読む日本語の方が古い中国語の音を保存しているのだ
「気」をチと呼ぶようになった北方中国語の方が、新しく起こった音変化を反映しているのであり、
逆ではない
836:考える名無しさん
20/02/19 14:16:56 0.net
>中国語から現代日本語への「音の流用」
わざとだろうけど、私は「音の流用」なんてことは
どこにも書いてませんよ。
837:考える名無しさん
20/02/19 14:52:43 0.net
>>835
中国語は、権威のある言葉として日本に入ってきたのだから、
中国語から直接に取り入れられたことが明らかである表現について、
その中国語と日本における漢語の対応関係があるのは当然のことでしょう。
それについて、中国語の系統学的な研究は重要であるし、
その知見に基づいた見解を明示的に書き込んでくれることは歓迎します。
私は、別に自分の連想によるちょっとした思い付きが間違っていない
などとは思っていないのです。ただし、中国大陸から入ってきた言葉
の日本語形成における利用の可能性を探る際に、中国語の系統学的な
研究は、探求の道を塞ぐ妨げとして用いられるべきではない。
というのは、古代において大陸から入ってきた「中国語」は、
現代に系統学的な研究において対象とされる「中国語」よりも
はるかに多様であったと考えられるからです。大陸からの言葉の
表現の流用として広く通用するようになっても、それが中国
大陸において中国語として通用しないなら、それが、大陸から
の言葉の流用であったことは忘れられ、権威のある「中国語」
として用いられる漢語との対比において、日本の現地の言葉
となる。そのような流用が生じることは、人々の接触において
自然なことであり、それについて、系統学的な研究は、あまりにも
盲目なのです。
838:考える名無しさん
20/02/19 15:12:25 0.net
発音の変化の系統学的な研究は、発音の変化をあたかも物理学的な
変化であるかのように扱いがちだが、発音は、表現のために用いら
れるので、どのように発音が変更されるかは、表現の意図と結び
ついている。
例えば、英語でもポルトガル語でも"l"によって表記される発音
が、日本語に移せば「ウ」または「オ」で表記される場合が
多くある。一時流行った、「アンビリバボー」というのが
一例である。もともとは、日本語において「アンビリーバブル」
と発音されるものとされていたが、語末の「ル」の発音が
英語を母語とする米国人の発音とかけ離れており、より
近い発音に聞こえるようにそのように変更されたのだろう。
では、日本語において、「ウ」または「オ」の発音は、"l"が
「ル」で表記される場合のような「ル」の発音に変化しうる
だろうか。そのように問うなら、普通は否定的な答えが
返ってくるだろう。
839:考える名無しさん
20/02/19 15:26:21 0.net
最近テレビで流れている不動産仲介会社のCMで、ブタのぬいぐるみが、
「エイブル」という社名を「エイブー」と発音し、それを女性が
「エイブル」と「きちんと発音する」ように訂正する内容のものがある。
これは、「アンビリバボー」をはじめ、英語から取り入れられた
外来語において「~ブル」という発音は誤りで、「~ブー」または
「~ボー」と発音するのが「正しい」とする風潮に抵抗するものだろう。
人は通用する規範が与えられると、それに過剰適応することがしばしば
あり、「エイブル」という固有の社名でも「エイボー」または「エイブー」
の方が正しいはずだと感じてしまう。だが、企業にとっては、自社の
社名は固有の名称なのだから、日本国内で営業している以上、英語として
の発音の一般的な正しさに適応しようとする必要などないのである。
だから、「エイブー」は誤った発音であり、「エイブル」が正しい
ことになる。ところで、逆に日本語は日本語としてきちんと発音しま
しょうという風潮になれば、「~ブー」または「~ボー」は、
「~ブル」だったのではないかという類推が働いて、もともと、
「~ブー」または「~ボー」であったものが、「~ブル」に訂正
されるという過剰適応が行われるようなことも、言葉の使用の変化
においては、常に生じる可能性があるのである。
840:考える名無しさん
20/02/19 17:08:04 0.net
>>837
意味不明。あなたはせいぜいここ数百年の間に起こった音変化を連想の素材にしているだけ
それを古代の多様な中国語と考えるのは事実に反する
事実を思考の妨げと考えるのなら、古代だのより古いだの言わなければいい
時系列に沿った事実の探求には、それなりの先人の科学的思考の蓄積があるのです
連想に基づいたポエムを書きちらしたいだけなら、科学と衝突するような言葉を使わなければいい
841:考える名無しさん
20/02/19 18:52:16.44 0.net
>時系列に沿った事実の探求には
それは、残された資料に見られる事実を推測により時系列で
互いに関係づけたものであって、それとは別の関係を排除する
ために利用できるようなものではないでしょう
842:考える名無しさん
20/02/19 23:15:16.73 0.net
>>833
読んでいる内に入らない
843:考える名無しさん
20/02/20 01:14:50.40 0.net
>>775のデブは、ルーミーを開いたこともないし、
学術に至っては、何を批判したらいいのか検討もつかない
844:考える名無しさん
20/02/24 09:55:18.96 0.net
人はよく「ま(目)ちが(違)ふ」から、手で触って「た(手)しかめ」ようとする。
845:考える名無しさん
20/02/24 10:06:59 0.net
「うたが(疑)ふ」という表現は、「うた+か(交)ふ」と分解して解釈する
ことができ、岩波古語辞典においてもそのように説明されている。
この「うた」が、「うた(歌)」や「うたた(転)」と共通していることも
岩波古語辞典で指摘されるとおりだろう。だが、そのことから、
「うたがひ」が「自分の気持ちをまっするに表現する意」を表して
いるとする同辞典の解釈は完全に誤っている。というのも、
既に別の機会に指摘したとおり、「うた(歌)」や「うたた(転)」の
「うた」自体が「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)」として
さらに分解されるからである。
846:考える名無しさん
20/02/24 10:12:17 0.net
「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)+か(交)ひ」は全体として、
フランス語で表現するなら、試行錯誤としての《tâtonnement》
を表している。実際、「うたがふ」という動詞の意味は、
フランス語の再帰表現、"se tâter"にほぼそのまま対応する
だけでなく、発音のイメージにも共通性を見ることができる。
URLリンク(www.larousse.fr)
se tâter
Être indécis, s'interroger sur la conduite à tenir.
847:考える名無しさん
20/03/06 23:35:47 0.net
井筒は「ポスト構造主義の乗り越え」の必要性を説き、
自身もいくつかの例を断片的に示してはいたが、生前にその次のパラダイムを目にすることはなかった。
“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦 「言語哲学としての真言」 (1984年、高野山での講演)
848:考える名無しさん
20/03/06 23:36:09 0.net
今読み返してみると、『ルーミー語録』(1978)にはそのヒントがあるように思える。
井筒はルーミーの言語哲学を、そのピークにおいて行われる「ファナー(自我消融)」を通じた原始の実在体験と形象体験が再結晶化したものと説く。
このことには、ポスト構造主義(言語的転回)のピークからの実在論的転回(ポスト・ポスト構造主義)という、その後の哲学史的展開と重なるからだ。
849:考える名無しさん
20/03/06 23:36:34 0.net
『ルーミー語録』を軸に、井筒を原=ポストポスト構造主義者として読み直すことができる。
850:考える名無しさん
20/03/06 23:37:51 0.net
ルーミー語録
・『ルーミー語録 (イスラーム古典叢書)』 井筒俊彦、岩波書店 (1978) 訳と解説
・『井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録』 中央公論社 (1993) 訳と解説
・『井筒俊彦全集 5』 慶應義塾大学出版会 (2014) 解説のみ
851:考える名無しさん
20/03/06 23:39:14 0.net
この中では、ルーミー自身がハッラージュの「アナ・ル・ハック」(我こそは神)>>463、>>338
の解説をしているのだが、その真相というのがすごい。
一般的な一神教には二神は存在しないにしても、まだ神とそれ以外のもの(世界と人)が存在する。
スーフィズムの立場からすれば、これではまだ生ぬるいらしく、
神と我の対立状態すらも撤去して、神の絶対的な一者性を完成させるだという。謙虚さの極致として。
852:考える名無しさん
20/03/06 23:51:50 0.net
地球人の視点を持てば、木は命の源だ。クルアーンにもイチジクが出て来る。
不老長寿の実だそうだ。エデンの園で二人があそこを隠したのもイチジクの葉だ。
仏が悟りを開いたインド菩提樹も、クワ科イチジク属だ。
だから実はイチジクも剪定しないと、巨大な高木になる。
世界に広めよう、イチジクの実だ。
853:考える名無しさん
20/03/06 23:59:33 0.net
ちなみにイチジクの敵はカミキリムシだ。カミキリムシを寄せ付けない、コンパニオンプランツはビワだ。ビワの木は日本の木刀になる。世界にイチジクの実を広めたら、日本のビワの木の話も加えたい。そんなクルアーンが本当は必要なのだ。
854:考える名無しさん
20/03/07 00:29:11 0.net
>>852-853
邪魔
855:考える名無しさん
20/03/07 00:33:47 0.net
>>851
そうすると、この瞬間、外在的超越から内在的超越になるのかもしれない。
856:考える名無しさん
20/03/07 00:36:05 0.net
他には、イブン・アラビーも内在的超越。存在一性論。
“絶対者そのものが絶対者〈超越者〉であるばかりでなく、絶対者自身が世界に対して世界のなかで〈自己開示〉する”
― 井筒俊彦 『スーフィズムと老荘思想(上)』 4章1部 (2019)
857:考える名無しさん
20/03/07 00:36:30 0.net
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム
↓
【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)
↓
・イブン・アラビー(1165-1240)
858:考える名無しさん
20/03/07 00:37:20 0.net
すぐに良い例が見つからないのだが、外在的超越の神のイメージというのは、こういうもの。
神≠被造物であり、地球外生命体に例えられる。(もっと言えば宇宙外)
“Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。
これって、エイリアンみたいだと思う。
だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。”
― 『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸、講談社現代新書(2011)
859:考える名無しさん
20/03/07 00:37:26 0.net
>>851 神は母なる地球だ。地球の映像を見た事の無いボケの話は読まぬ様に気を付けたい。
860:考える名無しさん
20/03/07 00:38:07 0.net
>>858
それに対して、内在的超越は汎神論のイメージに近くなる。
861:考える名無しさん
20/03/09 02:46:14 0.net
>>857を拡張
内在的超越から汎神論への影響
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム
↓
【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)「アナ・ル・ハック(我こそは神)神と被造物の対立の撤去」
・イブン・アラビー(1165-1240)「存在一性論」
↓
スコラ学
・アッシジのフランチェスコ(1182-1226)「万物兄弟の思想」
・トマス・アクィナス(1225-1274)「神の世界内在」
・ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)「極大と極小(神と被造物)の一致」
↓
ユダヤ哲学
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
862:考える名無しさん
20/03/09 03:21:01 0.net
内在
② [哲] 〔ドイツ Immanenz〕㋐ 神やイデアが現象(世界・個物)の内に本質として存在すること。 (大辞林 第三版の解説)
外在
[名](スル)外界に存在すること。また、ある事象の原因・理由などが、その事象の外にあること。「外在する原因」(デジタル大辞泉の解説)
863:考える名無しさん
20/03/10 01:45:41 0.net
キリスト教の場合は複雑で、聖書の神は外在的だが、イエスの受肉は、内在へ向かって降りてきている。
864:考える名無しさん
20/03/11 16:56:31 0.net
>>845-846
>Mais ce qu'il avait de bizarre, c'est que, de temps en temps,
il tâtonnait, se reprenait comme s'il eût manqué, et se dépitait
de n'a- voir plus la mème peine dans les doigts.<
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.49
865:考える名無しさん
20/03/11 16:57:59 0.net
誤:n'a- voir
正:n'avoir
866:考える名無しさん
20/03/11 17:53:28.76 0.net
遠くの雷はズドーンと落ちる感じがするが、近くの雷はドカンと落ちる
感じがする。英語の"thunder"とドイツ語の"Donner"の発音の違いには、
そのようなイメージの違いが反映されているだろうか。
ところで、フランス語で驚かすを意味する"étonner"も本来は、雷が
落ちる音と結び付いていたとのことである。その場合の雷の音は、
日本語の「ドーン」に相当するようなものだろうか。次のような
表現は、「壁ドン」(ネットよく見かける表現だだが、今回、検索して
みるまで、私はその用法を知らなかった)を連想させる。
>[...] au lieu qu'un financier fait retentir son appartement
et étonne toute sa rue.
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.37
この"étonner"の用法については、注に次のように記載されている。
>Le terme a encore le sens fort de《frapper comme un coup
de tonnerre》.<
867:考える名無しさん
20/03/11 17:56:05.52 0.net
ちなみに、日本語の古語では、現代の日本語の「ドカン」、「ドスン」、
「ドドーン」のような表現の「ド」に相当するのは、「ののしる」や
「の(宣)る」という表現に見られる「の」によって表記される発音である。
868:考える名無しさん
20/03/11 17:59:24.60 0.net
URLリンク(www.etymonline.com)
thunder (n.)
mid-13c., from Old English þunor "thunder, thunderclap; the god Thor,
" from Proto-Germanic *thunraz (source also of Old Norse þorr, Old Frisian
thuner, Middle Dutch donre, Dutch donder, Old High German donar,
German Donner "thunder"), from PIE *(s)tene- "to resound, thunder"
(source also of Sanskrit tanayitnuh "thundering," Persian tundar
"thunder," Latin tonare "to thunder"). Swedish tordön is literally
"Thor's din." The unetymological -d- also is found in Dutch and
Icelandic versions of the word (compare sound (n.1)). Thunder-stick,
imagined word used by primitive peoples for "gun," attested from 1904.
869:考える名無しさん
20/03/12 00:30:34.90 0.net
千葉の『デッドライン』は現代の『ルーミー語録』といってもいい。
ルーミーの「ファナー(自我消融)」に対し、
千葉の場合は「偶然性」や「絶滅」がその自己解体や無化に相当する。
そうして経た実在体験を結晶化させたルーミーのテキストは「根源的形象世界」のものと呼ばれる。
870:考える名無しさん
20/03/12 00:30:50.73 0.net
『デッドライン』の読みどころ
千葉雅也@masayachiba
外在的な言語から内在的な言語へ。文学の言葉は内在的な言語。
午後3:14 ・ 2020年1月18日
哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。
午後9:22 ・ 2020年2月7日
871:考える名無しさん
20/03/12 00:31:20.24 0.net
【形象】けいしょう
かたち。すがた。美学で、対象を観照(想像)して心の中に浮かび上がる、その対象のすがた。
872:考える名無しさん
20/03/12 00:34:07.75 0.net
『思想としての言語』 中島隆博、岩波書店 (2017)
小説にも出てくる千葉の先生で中国学の中島隆博が、この中で
重要な井筒論を書いていたいたりもする。
873:考える名無しさん
20/03/15 08:59:36 0.net
>Old High German donar, German Donner "thunder")
現代の日本語でも、叱るために大声で「どなり」つけることを
「雷を落とす」と表現するのだから、この例では、日本語とドイツ語は
発音においても、それが想起するイメージにおいてもとてもよく似ている。
874:考える名無しさん
20/03/15 14:08:42 0.net
ちばまさや?おはなしにならない
875:考える名無しさん
20/03/20 00:16:11.96 0.net
>>861の補足
・新プラトン主義(プロティノスの流出論)
・東方キリスト教
↓
↓
・スーフィズム
↓
↓
汎神論
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
・ゲーテ(1749-1832)ハーフェズの影響
・シェリング(1775-1854)
876:考える名無しさん
20/03/20 00:16:55.11 0.net
>>858、>>856
創世神話の外在と内在
[外在] 天地(=世界、宇宙)を創る神
[内在] 天地から成る神、天地に成る神
“1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。”
― 旧約 「創世記」 1:1-5、16
“天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、
天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、次にタカミムスヒノ神、次にカムムスヒノ神である。
この三柱の神は、皆単独の神として成り出でた神で、姿形を現されなかった。
次に国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、水母のように漂っているとき、
葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌えあがる力がやがて神と成ったのが、
ウマシアシカビヒコヂノ神であり、次にアメノトコタチノ神である。”
― 『古事記(上)』 「天地の初め」 次田真幸、講談社学術文庫 (1977)
877:考える名無しさん
20/03/20 00:17:26.49 0.net
このスレで特に関心を集めたのが>>645だったが、
井筒自身はそれほど頻繁には「外在/内在」という語を使っていない。
東西の神学のこうした整理は、大川の時代には既に確立されていて、
井筒にとっては自明のことだったのかもしれない。
井筒がよく使う「絶対一者からの自己展開」という表現は、内在型神学の特徴であり、
イブン・アラビーの先には、プロティノスの流出論にまで遡る。
878:考える名無しさん
20/03/20 00:17:53.08 0.net
>>876
大川の解釈では、古事記は混沌から宇宙の生成へ、天地が自己展開していくものであり、
宇宙に内在する生命と力とが神として顕現するのだという。(cf.丸山眞男、本居宣長)
“この〔古事記本文冒頭の〕意味多き一節は、混沌Chaosが宇宙Cosmosに成り往く道筋を述べたものである。
古事記の世界観に就て注意すべき一事は、そが天地の創造を説かずして、天地の啓発、天地の開展を説く事である。
天御中主神は宇宙の根本生命、高皇産霊・神産霊〔高御産巣日・神産巣日〕の両神は宇宙の生成力の神格化である。
そは決して宇宙に超在する神にあらで、内在せる生命と力とが、神として顕現したのである。”
― 大川周明 『日本文明史』 p25 (臼杵陽『大川周明』青土社、2010、p220より孫引き)
879:考える名無しさん
20/03/20 00:19:27.36 0.net
この本には、井筒の話もよく出てくる。
臼杵陽 『大川周明』 青土社 (2010) p8
“竹内好「イスラム研究だけをとってみても、大川〔周明〕の業績は無視できないはずです。
かれの『回教概論』は、純粋の学術論文であって、日本のイスラム研究の最高水準だと思います。
日本帝国主義のアジア侵略と直接には何の関係もありません。」”
880:考える名無しさん
20/03/20 00:20:52.21 0.net
大橋良介 『京都学派と日本海軍:新史料「大島メモ」をめぐって』 PHP新書 (2001)
侵略戦争的性格が決定的で、反省されなければならないのは、この「大島メモ」周辺。
881:考える名無しさん
20/03/20 00:49:01 0.net
井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」より
<司馬>
大川周明というのは日本的右翼というよりも、
十九世紀のドイツ・ローマン派の日本的なあらわれの人だったのかもしれませんね。
サンスクリット語を勉強するうちに英国支配のインドに同化してゆく。イスラームも学んだそうですね。
<井筒>
そうです。大川周明が私に近づいてきて、私自身も彼に興味をもったのは、
彼がイスラームに対して本当に主体的な興味をもったひとだったからなんです。
知り合いになった頃、これからの日本はイスラームをやらなきゃ話にならない、
その便宜をはかるために自分はなんでもすると、私にはいっていました。
それで、オランダから『イスラミカ』という大業書と『アラビカ』という大業書、
つまりアラビア語基礎テクスト全部とイスラーム研究の手に入る限りの文献は全部集めて、
それをものすごいお金で買ったんです。それを東亜経済調査局の図書館に入れておいた。
ところが、誰も使う人がいないし、アラビア語のテクストを整理する人がいない。
私に「やってくれないか」というありがたい話で、アラビア語の本なんてあの頃は買えませんから、
倉庫に入り込んで毎日のように「整理」と称して、自分で読んでいたんです。
882:考える名無しさん
20/03/21 22:11:42.99 0.net
>>876、>>878
古事記の更に先
スレリンク(philo板:479番)-480
日本創世神話の原型『淮南子(えなんじ)』
・『淮南子:知の百科(中国の古典)』 池田知久 、講談社 (1989) 原文、書き下し、訳文
・『淮南子の思想:老荘的世界』 金谷治 、講談社学術文庫 (1992) 解説と部分訳
中国四川省イ族の創世神話「勒俄特依(ネウォテイ)」を全文紹介。
・『古事記以前』 工藤隆、大修館書店 (2011)
883:考える名無しさん
20/03/21 23:34:45 0.net
大川周明?wwwきもちわりいの読むな老害。
884:考える名無しさん
20/03/22 23:31:04 0.net
丸山眞男「大川周明は右翼の中でも最も西洋的教養の濃い、いわばバタ臭い方なのです」
885:考える名無しさん
20/03/22 23:41:21 0.net
工藤は>>882の中で、神話の強度を8段階のレベルに分けて説明している。
共同体の祭式の中での生きた神話のあり方を最高レベルの第1段階とすると、
原型性が薄まった『古事記』は第7段階、
文字と国家意思によって権威づけられる『日本書紀』などは第8段階のものだという。
886:考える名無しさん
20/03/23 00:53:15 0.net
馬鹿程
格付けがすき
887:考える名無しさん
20/05/11 00:21:13.21 0.net
>>820-822,826-831,845-846
二つの言語の間に見られるとんでもない発音の似寄りを持ってきて
それを自分の居場所にする人というのは、
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの本にも出てくる。
いつの時代にもいるんだよ。
888:考える名無しさん
20/06/13 18:14:26 0.net
> 630 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/06/12(金) 00:16:44.20 0
> >>582
> 出たなピンイン太郎
カール・マルクス32
スレリンク(philo板:630番)-
889:考える名無しさん
20/06/14 00:33:27 0.net
>いつの時代にもいるんだよ。
どこでもいつでもいるのなら、それが人の常になるということでわ
890:考える名無しさん
20/06/14 00:43:18 0.net
大辞林 第三版の解説
〘仏〙 密教の根本教義の一。阿字は宇宙の根源であり、本来不生不滅すなわち永遠に存在するということ。この真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説く。 → 阿字
891:考える名無しさん
20/06/14 00:47:21 0.net
あまてらす
892:考える名無しさん
20/06/14 01:20:58.83 0.net
大辞林 第三版の解説
梵語字母の第一字、およびそれによって表される音。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える
893:考える名無しさん
20/06/14 02:31:59 0.net
>>889
・最低限の知識を持つまでにも至らない奴
・輪廻から抜け出すことが出来ない奴
という話
894:考える名無しさん
20/06/14 06:41:19.04 0.net
そういう人々がその都度、どのようにか意志の疎通を図っているということだろう
895:考える名無しさん
20/06/14 15:40:01.00 0.net
>>894
油を売っている暇があったら、先に読むべきものを読め
896:考える名無しさん
20/06/14 17:41:10 0.net
どうでもいい。自分の心配でもしていろ。
897:考える名無しさん
20/06/14 20:19:00 0.net
読むべきものといえば、ようやくドン・キホーテを読み終わった。
といっても、前編の"El Ingenioso Hidalgo"の方だけだが。
いい加減な読み方をしても、それなりに大変なので、後編の
"Caballero"の方を読むのはまだ先のことになりそうだ。
値段が高いのでまだ入手してないし。それにどうせなら、
英訳を先に読んで理解をより深めてから、後編にとりかかった
方が賢明だろう。
898:考える名無しさん
20/06/14 20:37:44.75 0.net
"Independently published"とかいう、文字データを印刷して製本した
だけのよく分からない形式の本は、入手しやすいけど、好きではないな。
本という感じすらしない。
899:考える名無しさん
20/06/14 23:41:48.77 0.net
>>897
哲学が何をするものなのか知らないんだろ
900:考える名無しさん
20/06/14 23:49:42 0.net
車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。
Cambridgeの辞書では「誰かがすでに生み出した何かを自分で生み出そうとして時間を無駄にすること」といった解説を掲載している。
再発明を行ってしまう理由としては、「既存のものの存在を知らない」
「既存のものがあることを知っていたはずなのに、つい思い出しそこなった」
「既存のものを一応探したが、見つけそこなった」
「既存のものが意図的に隠されていた(時間を無駄遣いするように罠をかけられていた)」
「既存のものの意味を誤解している」などということがある。
901:考える名無しさん
20/06/15 01:17:30 0.net
車輪を自分で組んでみれば、車輪は一度発明されれば済むような単純なもの
ではないことがよく分かりますよ。路面は単に与えられているものではない
し、路面の起伏によってどのように車輪に加わる力を支え、振動を吸収しな
ければならないかが問題になり、路面の摩擦とそれに対する耐久性、
耐久性と振動吸収性能や滑りにくさの両立も図らなければならず、
車輪を駆動するためにどのように力を加えなければならないか、どのように
力を加えることが効率的であるかも考える必要がある。
902:考える名無しさん
20/06/15 01:25:39 0.net
路面が大きな石ころだらけの場合、車輪を使うことが効率的でないことも
多く、それでも車輪を使うとすれば、キャタピラとして構成する必要も
でてくる。キャタピラを構成することが可能になるには、その用法に
耐える強度の素材を開発することが要件となる。また、雪面や凍った
川や湖の上でも車輪は滑ってしまって役に立たないでしょう。
903:考える名無しさん
20/06/15 01:29:42 0.net
>>901-902
「既存のものの意味を誤解している」
車輪の話なら車輪板でやってこい
904:考える名無しさん
20/06/15 01:33:40 0.net
人の意図は既存のものではありませんよ?
905:考える名無しさん
20/06/15 01:36:07 0.net
人が車輪を使っていることは、車輪が発明されている/発明されていない
というような単純な問題ではないのです。
906:考える名無しさん
20/06/15 01:38:35 0.net
>>904-905
哲学的素養がまるでない
907:考える名無しさん
20/06/15 07:36:17.12 0.net
車輪の利用というのは、統治の問題なのですよ?
交通網を整備することが可能であるのか、道を整備するための労力は
どうするのか、その方が効率的なのか、それによって生じる防御の
の脆弱性はどうするのか、そういう問題です。
908:考える名無しさん
20/06/15 08:52:23.41 0.net
>>907
車輪と道といったら、老子とハイデガーだよ。
そのどちらも知らないだろ。
ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言
“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉
有るものは、有用性を生ぜしめる。
有らざるものが、有を許し与えるのだ。”
― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48
909:考える名無しさん
20/06/15 08:53:15.89 0.net
マクガフィン=張り子の虎
910:考える名無しさん
20/06/15 08:59:14.99 0.net
>>908
ハイデガーも、老子を読んだんだろ
欧米のインテリは、孔孟には無関心だが、老子が大好きだからな
911:考える名無しさん
20/06/16 00:50:34.40 0.net
>>904-905、>>907
哲学のての字も分からない奴の回答だ
912:考える名無しさん
20/06/16 00:56:37.16 0.net
その上、頭も悪過ぎる
913:考える名無しさん
20/06/25 01:48:37 0.net
>>850
“一なるものの意識が(略)この上なく美しく崇高な意識として
あらわれるすがたを見たいのなら、イスラム教に目をむけねばならない。
たとえば、すぐれたペルシャ文学ジャラール・ウッ・ディン・ルーミー”
― ヘーゲル 『精神哲学(哲学の集大成・要綱 第3部)』 長谷川宏 訳、作品社 (2006)
914:考える名無しさん
20/07/23 13:15:10.42 0.net
ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」関連
訳本
『存在の一義性:ヨーロッパ中世の形而上学』 ドゥンス・スコトゥス 著、八木雄二 訳註、知泉書館 (2019)
『存在の一義性:ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』 ドゥンス・スコトゥス 著、花井一典、山内志朗 訳、哲学書房 (1989)
解説
『存在の一義性を求めて:ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命』 山内志朗 著、岩波書店 (2011)
『ドゥンス・スコトゥス:魅惑の中世』 野中幹隆 編、哲学書房 (1988)
915:考える名無しさん
20/07/23 13:15:36.88 0.net
山内はスコトゥス理解のために、アラビア語とイスラム哲学もやったと言っている
916:考える名無しさん
20/07/24 20:13:26 0.net
無駄
それを学んであの程度のことしかいえないんだから。
時間の無駄。
917:考える名無しさん
20/07/24 21:54:52 0.net
スコトゥスの「このもの性 haecceitas」を、ドゥルーズやメイヤスーを経由して、ポスト井筒的な存在-神-論にまで昇華させているのが千葉。
“世界とは、異なる此性をもつ複数の無の邂逅である。異質なる複数的な無の寄せ集めである”
― 千葉雅也 「此性をもつ無:メイヤスーから九鬼周造へ」 『現代思想 2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造―偶然・いき・時間』
918:考える名無しさん
20/07/24 22:05:45 0.net
いまどき、これせいとかww
あほか。
ほんまあたまわるいな。
そんな雑誌買う層がそもそもあほやけど。
919:考える名無しさん
20/07/24 22:33:29.88 0.net
>>918
では、代わりになるものを挙げてみろ
920:考える名無しさん
20/07/24 23:22:11 0.net
メイヤスーを経由してる場合かよ。なんにも新しくない。
921:考える名無しさん
20/07/24 23:31:59 0.net
>>920
では、代わりになるものを挙げてみろ
922:考える名無しさん
20/07/25 13:35:06 0.net
井筒俊彦=アンビエント系音楽みたいな。
マッシヴさが殆ど無いというかw
安藤礼二が好きなんだろ。
923:考える名無しさん
20/07/25 13:48:25 0.net
植西あきらのほうがいいな。何十倍も売れてるし。
924:考える名無しさん
20/07/25 19:36:38 0.net
キッズたちは曼荼羅交響曲でも聴いてなさい
925:考える名無しさん
20/09/08 23:48:48 0.net
よくある説明としては、
現代が扱っている問題系も起源を辿ると、
少なくとも西洋思想史の中世ぐらいまで遡る。
中世のスコラ学の人たちは、イスラムをやっていた。
というのも、イスラムの人たちは、当時の西洋人も忘れていた
アリストテレスを読んでいたからで、
西洋がイスラムを介してアリストテレスを再導入して起こったのが、
ルネサンス(文芸復興)であるし、この辺で、自然と古代ギリシャなどもやるようになる。
926:考える名無しさん
20/09/08 23:49:08 0.net
キリスト教思想史の中で見ると…
平凡社
中世思想原典集成 1巻 初期ギリシア教父
中世思想原典集成 2巻 盛期ギリシア教父
中世思想原典集成 3巻 後期ギリシア教父・ビザンティン思想
中世思想原典集成 4巻 初期ラテン教父
中世思想原典集成 5巻 後期ラテン教父
中世思想原典集成 6巻 カロリング・ルネサンス
中世思想原典集成 7巻 前期スコラ学
中世思想原典集成 8巻 シャルトル学派
中世思想原典集成 9巻 サン=ヴィクトル学派
中世思想原典集成 10巻 修道院神学
中世思想原典集成 11巻 イスラーム哲学 ←←← この辺の話
中世思想原典集成 12巻 フランシスコ会学派
中世思想原典集成 13巻 盛期スコラ学
中世思想原典集成 14巻 トマス・アクィナス
中世思想原典集成 15巻 女性の神秘家
中世思想原典集成 16巻 ドイツ神秘思想
中世思想原典集成 17巻 中世末期の神秘思想
中世思想原典集成 18巻 後期スコラ学
中世思想原典集成 19巻 中世末期の言語・自然哲学
中世思想原典集成 20巻 近世のスコラ学
中世思想原典集成 別巻 中世思想史
927:考える名無しさん
20/11/10 02:50:11.36 0.net
『ゲンロン11』 (2020/9/23)
ゲンロンセミナー
「井筒俊彦を読みなおす―新しい東洋哲学のために」 安藤礼二+中島隆博
928:考える名無しさん
20/11/10 03:10:22.99 0.net
Plastic Love
URLリンク(www.youtube.com)
Blinding Lights
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(tangodiario.com.ar)
929:考える名無しさん
20/11/10 03:11:07.41 0.net
このマッシヴさ
930:考える名無しさん
20/11/10 22:12:12.54 0.net
>>928
URLリンク(www.youtube.com)
931:考える名無しさん
20/12/20 23:58:31.13 0.net
Sébastien Léger at the Great Pyramids
URLリンク(www.youtube.com)
932:考える名無しさん
20/12/21 00:01:12.52 0.net
『井筒俊彦ざんまい』 若松英輔、慶應義塾大学出版会 (2019)
若松英輔 知られざる井筒俊彦
井筒俊彦年譜
I―原点と回想
白井浩司 時代への批判者
柏木英彦 遠い日の井筒先生
松原秀一 つかずはなれず四十年
牧野信也 師としての井筒俊彦先生
丸山圭三郎 〈読む〉ということ
河合隼雄 井筒俊彦先生の思い出
安岡章太郎 あの頃の井筒先生
日野啓三 言い難く豊かな砂漠の人
佐伯彰一 求む、井筒俊彦伝―ポリグロットの素顔
瀬戸内寂聴 豪華な学者夫妻
立花 隆 職業選択を誤らなかった話
伊東俊太郎 井筒俊彦先生のこと
II―東西の出会い
福永光司 井筒俊彦先生とわたくし
高木訷元 乾坤は經籍の箱
長尾雅人 井筒さんの『起信論』哲学
森本公誠 井筒先生を東大寺にお迎えして
門脇佳吉 井筒先生の風貌と思想の源泉
栁瀬睦男 井筒氏の思い出
ナスロッラー・プールジャヴァーディー 井筒先生との最後の会見(1)(2)
ヘルマン・ランドルト 井筒俊彦を回想して
サイイド・ホセイン・ナスル 井筒俊彦の思い出
ナダール・アルダラン ことばに尽くせぬ思い出
933:考える名無しさん
20/12/21 00:01:43.48 0.net
関根正雄 井筒俊彦氏のこと
今道友信 少年時からの展景の中で
松本耿郎 井筒先生と『アラビア思想史』
江藤 淳 井筒先生の言語学概論
中村廣治郎 コーランと翻訳
山折哲雄 井筒訳『コーラン』の文体
黒田壽郎 井筒先生のアラブ・イスラーム研究
丸山圭三郎 井筒哲学における東西の出会い
安藤礼二 ディオニュソス的人間の肖像
合庭 惇 『イスラーム思想史の頃』ほか(全3編)
III―追 悼
司馬遼太郎 アラベスク―井筒俊彦氏を悼む
丸山圭三郎 追悼 井筒俊彦先生
遠藤周作 井筒俊彦先生を悼む
牧野信也 井筒俊彦先生の死を悼む
IV―継 承
池田晶子 『意識と本質』を読む
中沢新一 歴史とトランス―井筒俊彦先生のしぐさの記憶
河合隼雄 井筒哲学と心理療法
松永有慶 井筒マンダラ学の炯眼
安藤礼二 新たな時代の「東方」の哲学
澤井義次 エラノス会議と井筒哲学
互 盛央 井筒俊彦と丸山圭三郎―出会い、交錯した二人は、どこに向かったか
934:考える名無しさん
20/12/21 00:15:29.77 0.net
井筒「私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえあるくらいですから」
― 井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」
935:考える名無しさん
20/12/21 00:20:04.22 0.net
『百人一首の秘密:驚異の歌織物』 (1981)
『百人一首の世界 新装版』 (1986)
林直道、青木書店
百人一首をテーマ毎に10×10に並べると、一枚の大きな絵になるという話。
URLリンク(i.imgur.com)
↓
URLリンク(i.imgur.com)
↓
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
哲学の世界では丸山圭三郎が取りあげた(『丸山圭三郎著作集3』「言葉と無意識」)。
ソシュールのアナグラム研究と比較をして。
936:考える名無しさん
20/12/22 22:53:33.06 0.net
有名な歌が多く、百人一首の元になっている『古今和歌集』と『新古今和歌集』はペアでやる。
それより古い形になるのが『万葉集』。
迷ったら、この三つは、角川ソフィア文庫にあるものが、手軽で註もしっかりしている。
その他は、講談社学術文庫、新潮日本古典集成など。
937:考える名無しさん
21/02/24 19:35:17.80 0.net
飯山陽がボロクソに言ってるのがちょっとなあ
そりゃイスラム研究者とイスラム哲学を叩き台にした言語哲学者じゃ土俵が違うだろ
938:考える名無しさん
21/02/25 02:05:44.58 0.net
中身が分かっているようには思えない。
井筒が取り扱った話題は、確かに、密教や神秘主義と呼ばれるものだけど、
そうしたものを、今日の哲学用語を使って、
何語を話す人にも分かる言語や意識の営みとして解明してみせたわけだ。
海外の学者も言っているように、井筒のやっていることは分析哲学だよ。
939:考える名無しさん
21/02/25 23:14:41.50 0.net
>>938
こういうのね
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)
940:考える名無しさん
21/02/25 23:21:09.30 0.net
酷いレベルだな
941:考える名無しさん
21/02/26 07:57:28.82 0.net
とんでもないクソスレになってるw
942:考える名無しさん
21/04/14 21:12:46.37 0.net
『ペルシア帝国』 青木健、講談社現代新書 (2020)
943:考える名無しさん
21/04/14 21:13:28.09 0.net
マニ『シャープラカーン』の一節
“神の使者は、いつの時代にも、絶えることなく叡智と御業をもたらした。
その到来は、あるときはインドでブッダの姿となり、またあるときは、
ペルシャでゾロアスターの姿となり、西方ではイエスの姿となって顕現した。
神の啓示は、今やこの預言の中で、本当の神からバベルの国に遣わされた使者である私、マニの姿下された”
― フレデリック・ルノワール 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎、富樫瓔子 訳、トランスビュー (2010) p24
944:し
21/04/14 21:28:40.89 0.net
松尾残党、
945:し
21/04/14 21:29:01.10 0.net
松尾残党、ここまで来て
946:し
21/04/14 21:32:29.61 0.net
市川さん
947:考える名無しさん
21/04/15 08:59:19.77 0.net
【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「清水婆婆の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・清水婆婆の息子(葛飾区青戸6-23-19)の挑発
●清水婆婆の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6-23-21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6-26-6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 ℡03ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6-23-19)の
五十路後半強制脱糞
URLリンク(img.erogazou-pinkline.com)
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
948:考える名無しさん
21/05/20 06:44:36.71 0.net
このお方こそは、巨匠と呼ぶに値する
949:考える名無しさん
21/06/23 00:09:49.20 0.net
『原典完訳 アヴェスタ:ゾロアスター教の聖典』 野田恵剛 訳、国書刊行会 (2020)
この"国書刊行会"というのは、あの"国書刊行会"!
950:考える名無しさん
21/06/23 00:10:26.18 0.net
>>943、>>949
青木健 『ペルシア帝国』 講談社現代新書 (2020)
青木健 『古代オリエントの宗教』 講談社現代新書 (2012)
青木健 『マニ教』 講談社選書メチエ (2010)
青木健 『アーリア人』 講談社選書メチエ (2009)
青木健 『ゾロアスター教』 講談社選書メチエ (2008)
951:考える名無しさん
21/06/23 00:15:37.40 0.net
青木健は元々はイスラム神秘主義の専門家らしいね。
その周縁的な仕事ばかりをやっているように見えたけど、
実はそれはあることの裏返しなのだという。
『ペルシア帝国』で触れられていた。
952:考える名無しさん
21/07/09 12:51:54.51 0.net
①身体への自分の同一化をすてる
②精神への自分の同一化をすてる
③魂への自分の同一化をすてる
953:考える名無しさん
21/08/04 09:41:11.57 0.net
中世イスラム哲学こそ、哲学の最盛期
954:考える名無しさん
21/08/04 09:41:32.61 0.net
ヨーロッパの哲学は受け売り
955:考える名無しさん
21/11/26 21:03:49.41 0.net
age
956:考える名無しさん
22/03/24 14:09:39.32 0.net
この人てまだ生きてんのん?
957:考える名無しさん
22/03/24 20:24:50.36 0.net
じゃーーーっっぷ
958:考える名無しさん
22/04/17 06:41:16.01 0.net
井筒がイスラームにカミカゼ教えたようなところがあるような
959:考える名無しさん
22/04/17 06:42:13.27 0.net
あいつエラノスとか神秘主義好きだし、すぐに分かるような感じではないかもだけど
960:考える名無しさん
22/04/17 06:46:14.96 0.net
井筒、かなり詳しいし、ゲームとかに教えてた気もするんだ
全然位相(ジャンル)が違うから、それに隠れて
961:考える名無しさん
22/04/17 06:48:16.30 0.net
エラノス会議のユングとか、読んだ感じがマンガに近いよね
962:考える名無しさん
22/05/17 12:09:53.56 0.net
あと、FFのプログラマのナーシャ・ジベリとか
イラン出身だっけ?
963:考える名無しさん
22/11/22 22:32:33.21 0.net
犬猫とか動物は言葉がなくても餌とか寝床とかの本質を捉えて生活しているけどこの辺はこの本の話と矛盾しないんですか?
ど素人の思いつきですが。。